2-12 篝火が十万の軍勢となる夜
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
元亀元年4月28日の暮れ過ぎ。完全に日が落ち、闇が世界を支配する頃、僕の仕掛けた『空城の計』の全貌が、いよいよその真価を発揮し始めていた。
浅井父子との密かな内意を受け、信長を挟み撃ちにして討ち取ろうと企んでいた朝倉左衛門督義景の本軍が、ついに敦賀表へと姿を現した。
朝倉軍は一乗谷を出発して以来、織田軍を逃すまいと揉みに揉んで、凄まじい強行軍でこの地まで発向してきていた。総大将・朝倉義景を筆頭に、朝倉式部大輔景鏡、同中務大輔景恒、前波九兵衛、黒坂備中といった朝倉家のオールスターとも呼べる重臣たちが顔を揃えている。その軍勢は、なんと都合35,000騎という桁外れの大軍だった。
だが、彼ら朝倉の先陣が、はるか遠くから金ヶ崎のありさまを伺い見た瞬間、その足はピタリと止まることになる。暗夜ゆえに物の細部までは分からない。しかし、彼らの網膜には、城中から左右の山々、そして深い谷々に至るまで、おびただしい数の陣が敷かれている光景が飛び込んできたはずだ。煌々と燃え盛る無数の篝火が夜空を赤く照らし出し、風に翻る無数の旗指物の影が揺らめいている。
「ば、馬鹿な……! 織田の軍勢は撤退したのではなかったのか!」
「あの篝火の数、陣の広がり……間違いありません。60,000から70,000の軍勢が、いまだこの地に屯しておりまする!」
敵陣から、そんな悲鳴にも似た報告が飛び交っているのが、僕には手に取るように分かった。朝倉軍は、僕が仕掛けたハリボテの『偽装大軍』を完全に本物だと誤認し、「さては信長はまだ退かず、この所にいるのだ」と完全に錯覚した。
元来、朝倉義景という男は、良くも悪くも教科書通りの軍学に縛られた神経質な指揮官だ。
「ええい、今宵はここに陣を取り、強行軍で疲弊した味方の人馬の疲れを休めよ!」と義景は下知を飛ばしたに違いない。彼は、「明日になれば必ず信長は退くはずだから、その隙を狙って追討ちをかける」という、極めて安全かつ保守的な判断を下した。
かくして朝倉の35,000は、金ヶ崎からわずか十町(約1キロ)ほど離れた場所に野陣を構え、長途の疲れを休めることとなった。山頂の闇の中から、その報告を聞いた僕は、思わず「勝った」と暗闇の中でガッツポーズを作った。
「……ククッ、見事に僕の計略通りに動いてくれたな」
敵が野陣を張ったと聞き、僕の胸にはたまらない高揚感が湧き上がっていた。長距離移動でスタミナが赤ゲージになっている上に、相手が70,000の大軍だと思い込んで萎縮している。これ以上ない、完璧な夜襲の条件が整った。夜半を過ぎた頃。朝倉の陣営が深い眠りと油断の底に沈み込んだその瞬間を狙い、僕はいよいよ行動を開始した。
「みんな! 狩りの時間だ。一気に敵の喉首を掻き切るぞ!」
僕は本隊の兵、1,500人を率いて、音もなく金ヶ崎の陣を発した。闇に紛れ、足音を殺しながら、無防備に野陣を張っている朝倉の陣前へと肉薄する。そして、敵の息遣いが聞こえるほどの距離まで近づいた瞬間。
「撃てェェェッ!! 全軍、突撃ィィッ!!」
僕の絶叫を合図に、1,500の兵が俄かに腹の底から鯨波を発し、一斉に鉄砲の轟音を夜空に響かせた。静寂は一瞬にして破られ、耳をつんざくような爆音と殺意が朝倉陣営を飲み込む。僕たちは一切の躊躇なく、真一文字に敵陣へと切り入った。
「すわっ! 敵の夜討ちぞ!」
「慌てるな! 備えを立てて突き崩せ!」
混乱の極みに達する朝倉軍の中で、辛うじて冷静さを保っていたのは、先日の戦いでもその勇猛さを見せつけた中務景恒だった。彼は寝起きの士卒たちに大声で下知を飛ばし、必死に防衛ラインを構築して戦おうとしていた。さすがは越前随一の勇将。1,500の夜襲部隊だけなら、いずれは彼らに押し返されてしまうかもしれない。でも、僕の仕掛けたギミックは、こんな物理攻撃だけではない。
「頃合は良し! やれッ!!」
僕は合図の狼煙を、夜空高くへと打ち揚げた。ヒュルルル……パーンッ!!それが、朝倉軍にとっての『世界崩壊』の合図だった。狼煙が上がると同時に、金ヶ崎の左右の峯々、そして深い谷々に息を潜めて埋伏していた木下勢の別働隊が、一斉に行動を開始した。
彼らは「ウオォォォォッ!!」と天地を揺るがすような鬨の声を上げ、あらかじめ樹木に括り付けておいた無数の松明に、ことごとく火を点けた。パァァァァッ!!
山全体が、まるで白昼のように眩い光に包まれた。その圧倒的な光量は、敵の目には「幾数十万もの大軍勢が一時に蜂起した」ようにしか見えなかったはずだ。さらに、陣貝や法螺貝、鐘の音が谷間にガンガンと反響し、そのすさまじさは、もはや言葉で言い表せるレベルを超えていた。
「ひぃぃぃッ! 10万……いや、何十万いるか分からぬぞ!」
「織田の本軍が、山にも野にも満ちてはびこっておる!」
朝倉勢は、この阿鼻叫喚の光景を見て完全に仰天した。ただでさえ夜襲を受けて寝惚けている状態であり、戦う気勢などとうに削がれている。そこに「数十万の軍勢が一時に向かってきた」という絶望的な錯覚が重なったのだ。朝倉の兵士たちの心は、物理的な攻撃を受ける前に、恐怖によって完全にポッキリと折れてしまった。もはや、そこには軍隊としての体を成す機能は一切残っていなかった。織田軍を防ぎ戦おうとする者は、ただの一人もいない。皆が「我先にと」武器を放り出し、暗闇の中を逃げ出し始めた。
その混乱たるや、凄惨を極めた。己が仕える主君が目の前で討ち取られても、誰も助けようとはしない。実の親が敵に囲まれて悲鳴を上げていても、見て見ぬふりをして逃げ去っていく。倫理も忠義も消え失せ、ただ自己の生存本能だけが暴走する、敗走が始まった。
「逃がすな! 一匹残らず経験値にしてしまえ!」
パニックに陥り背中を見せる敵に対し、僕の率いる軍兵たちは猛烈な勢いで切り立てていった。この一方的な蹂躙において、ひときわ異常なほどの戦果を挙げていたのが、僕が手塩にかけて育てている若き小姓たち――いずれ歴史にその名を轟かせるSSR確定の原石たちだった。
「オラオラァ! 朝倉の腰抜け共、俺の槍の錆になりやがれェェッ!」
「市松に負けてたまるか! 首を置いてけェッ!」
のちの加藤清正こと加藤虎之助、そして福島正則こと福島市松。さらには冷静沈着な片桐助作(のちの片桐且元)らを筆頭とする若武者たちは、群らがる敵の真ん中に飛び込み、まるで草を刈るように無双の槍を薙ぎ回っていた。彼らが一振りするたびに、逃げ惑う朝倉兵が次々と宙を舞い、血飛沫を上げる。討たれる者の数は、すでに計測不可能な状態に陥っていた。流れる血は文字通り川を成し、切り伏せられた屍は幾重にも重なって岡のようになっている。まさに地獄絵図だ。
しかし、朝倉軍にも意地がある。朝倉景鏡、中務景恒、前波九兵衛、黒坂備中といった名だたる重臣たちは、戦の酸いも甘いも噛み分けた物慣れた猛者たちだ。彼らは大混乱に陥る味方の陣中を命がけで駆け回り、必死に下知を飛ばし続けていた。
「皆の者、落ち着け! 夜討ちというものは、極めて小勢がやるものと相場が決まっておる!」
「心を鎮めて敵を防げ! 暗闇で同士討ちをして味方を斬るな!」
彼らは声を枯らして呼ばわり、なんとかパニックを鎮めようと試みた。彼らの言うことは、軍学的には100%正しい。だが、100,000の幻影に完全に脳を焼かれた集団パニックというものは、個人の理屈でどうにかなるものではない。どれだけ勇気ある強者であっても、周囲の仲間が我先にと逃げ惑う中では、戦うことが出来ない。右へ行こうとすれば逃げる味方の波に漂わされ、左へ行こうとすれば人の壁に淀む。陣形はしどろもどろになり、もはや何一つ備えを立てることすら不可能になっていた。
敵の指揮系統が完全にマヒしたその時、僕の放った「最後の矢」が朝倉の本陣に深々と突き刺さった。敵の背後から、突如として真っ赤な火の手が上がった。俄かに鬨の声が山谷を鳴らしたかと思うと、僕の頼れる兄貴分にして勇将・蜂須賀小六兄弟が率いる1,000人の別働隊が、左右に分かれて朝倉の本陣を背後から切り崩し始めたのである。
「ひぃぃぃッ! 背後にも織田の大軍がッ!」
この後方からの強襲に、総大将である朝倉義景はついに完全に心が折れた。彼は大いに驚愕し、名門のプライドも何もかも投げ捨てて、馬に鞭を打って一目散に逃げ出した。総大将が逃亡したとなれば、もはやこれまで。防ごうとする兵は1人もおらず、朝倉軍は完全なる総敗軍となり、それぞれが思い思いの方向へと蜘蛛の子を散らすように落ち延びていった。
「追え! 一歩も引かせるな!」
僕が指揮する木下勢2,500人は、逃げる敵を前後から挟み込み、容赦なく切り崩していった。そのまま敵を追い立てて二里(約8キロ)ばかり進み、そこで深追いをやめて引き返した頃には、夜はすでにほのぼのと明け始めていた。太陽の光が、血に染まった戦場を照らし出す。
そこに広がっていたのは、まさに僕の未来知識と情報戦がもたらした、圧倒的な結果だった。この一夜の戦いで、僕たちが討ち取った敵の数は、なんと8,000人。対して、我が木下勢の損害は――負傷者すら1人もいない、完全無欠の『ゼロ』であった。生存率0%と目された殿部隊が、逆に敵の追撃軍を壊滅させるという、あり得ないパーフェクト・ゲームを達成したのだ。
「ウオォォォォォッ!! 勝ったぞォォォッ!!」
朝焼けの空に向かって、3,000の将兵たちが割れんばかりの勝鬨を上げる。兵たちは、敵が恐れをなして捨てていった立派な馬や武具を「これぞ越前の土産だ!」とばかりに勇み喜びながら拾い集めていた。
僕もまた、自らの太ももの古傷の痛みを忘れ、血に濡れた刀を鞘に納めながら、静かに息を吐いた。
(……ミッション・コンプリート。これで信長の撤退ルートは完全に守り抜いた)
その後、僕たち木下の総勢3,000人は、圧倒的な威風であたりを払いながら、しずしずと京へ向けて引き返していった。数万の追撃軍をたった3,000で無傷のまま粉砕したこの撤退戦。後に人々は口を揃えて「古今に例のない、史上最高の後殿である」と僕を讃美した。
日輪の子、木下藤吉郎。戦国最大のピンチ『金ヶ崎の退き口』は、僕の未来知識と情報戦術によって、織田家のみならず、僕自身の名を天下に轟かせる『史上最大の伝説』へとすり替わったのである。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
藤吉郎朝倉義景を破る
さても朝倉左衛門督義景は、淺井父子が内意により、信長をさし挟んで討取らんと、一族朝倉式部大輔景鏡、同中務大輔景恒、前波九兵衞、黒坂備中ら、都合三萬五千餘騎、一乗ヶ谷より揉みに揉んで敦賀表へ發向す。ときに四月二十八日暮過ぐるころ、朝倉の先陣はるかに金ヶ崎のありさまを伺ひ見るに、暗夜に物のあやめは分かねども、城中左右の山々谷々(やまやまたにたに)に、信長の軍勢おびただしく陣を取り、篝の光空を照らし、旗指物風にひるがへり、六七萬の軍勢屯せりと見えければ、「さては信長まだ退かず、この所にありと覺ゆるぞ。今宵はここに陣を取り、味方人馬の勞れを休め、明日必ず信長退くべし。そのときに追討ちせん」と、金ヶ崎より十町あなたに野陣を構へ、長途の勞れを休めける。木下藤吉郎は朝倉勢の野陣せしと聞いて、わが計略なれりとよろこび、夜半過ぐるころ、一千五百人ことごとく金ヶ崎を發し、朝倉が陣前に至り、俄に鯨波を發し、鐵砲を響かせ、眞一文字に切り入りければ、朝倉勢、「すは敵の夜討するぞ、備を立てて突き崩せよ」と、中務景恒士卒を下知して戰ふところに、木下藤吉郎時分はよしと相圖の狼煙を揚ぐると等しく、左右の峯々(みねみね)谷々(たにたに)に埋伏したる木下勢、一同に鬨を作り、構へ置きたる松明にことごとく火を附けければ、その光白日のごとく、幾數十萬の軍勢一時に發りしと見えて、貝鐘の音谷に響き、すさまじきこと云ふばかりなし。朝倉勢この體を見て仰天し、いとどさへ寝惚れて戰ふ氣勢もなき上に、織田勢野に滿ち山にはびこり、一時に向ひしと驚きぬれば、防ぎ戰ふ者一人もなく、我先にと逃げ出で、主討たるれども敢て助けず、親圍まるれどもこれをよそに見なし、さんざんになりて敗走す。木下が軍兵、我劣らじと切り立つる。中にも加藤虎之助、福島市松、片桐助作らをはじめとし、むらがる敵を薙ぎ廻れば、討たるる者數を知らず、血は流れて川をなし、屍は積んで岡のごとし。されども朝倉景鏡、同景恒、前波、黒坂が輩、物馴れたる勇士なれば、味方を下知し、「夜討は極めて小勢なるものぞ。心を鎮め敵を防ぎ、同士討して味方を損ずな」と、呼はり呼はり馳廻れど、大勢の崩れ立つたる癖なれば、勇氣ある輩も働くこと心に任せず、右に漂ひ左に淀み、しどろになりて備も立てず。ときに後陣の方に火の手をあげ、俄に鬨の聲山谷を鳴らし、木下が勇將蜂須賀兄弟一千餘人、左右に分かれ、本陣を切り崩せば、大將義景大に驚き、馬を打つて逃げ出だす。今は防がんとする兵一人もなく、惣敗軍となりて、思ひ思ひ心々(こころごころ)に落ち行きけり。木下勢二千五百人、前後よりさし挟み、當たるを幸ひに切り崩し、二里ばかり進んで引返せば、夜はほのぼのと明けたりける。この戰敵を討つこと八千餘人、味方の手負ひ一人もなく、勝鬨をあげ、敵の捨てたる馬武具拾ひ集め、これなん越前の土産なりと勇みよろこび、惣勢合せて三千餘人、威風あたりを拂ひ、しづしづと引取りしは、古今例少き後殿やと、稱めぬ人こそなかりける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
もちろん、秀吉が「敬愛する大元帥様、偉大なる無敵必勝の将軍様」キャラ設定の『太閤記』はファンタジーだけど⋯流石に『味方の手負ひ一人もなく』という負傷者ゼロは盛り過ぎでしょw




