2-11 伝説「金ヶ崎の退き口」開幕
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
元亀元年4月28日の申の刻(午後4時頃)。傾きかけた太陽が、金ヶ崎の空を血のような赤に染め上げていた。僕の提案した『究極の囮作戦』は、直ちに発動された。
100,000という戦国最大級の巨大な軍勢が、二つのルートに分かれて壮大な撤退戦を開始した。
大将である信長は、森三左衛門、佐久間信盛、前田利家、佐々成政といった側近と精鋭の旗本衆わずか3,000騎を引き連れ、ひそかに山越えの獣道へと姿を消した。この軍勢には派手な旗指物も、音の鳴る武具もない。完全なる『ステルス・モード』でのVIP護送ミッションだ。
一方、本道を退却するのは、柴田勝家、坂井右近、明智光秀、池田信輝、蜂谷頼隆、福富秀勝といった織田家の名だたる外様や猛将たちが率いる、都合60,000騎の巨大な軍勢だ。彼らはあえて隊列を一切乱さず、長柄の槍を隙間なく並べ、威風堂々と行軍した。そしてその大軍の中央には、ひときわ高く、信長様の存在を示す黄金の馬印が意図的に掲げられていた。
「信長は本道にあり!」
そう錯覚させるための、命がけのハッタリだ。そして、この『偽装された本隊』に対して、最悪のタイミングで牙を剥いた男がいた。
浅井備前守長政。信長様の義弟であり、北近江を支配する若き英傑は、織田軍の背後を完全に塞ぐべく、地の利を活かした完璧なキルゾーンを構築していた。浅井長政は単独で動いたわけではない。独自のネットワークを駆使して石山本願寺の門徒たちを語らい、10,000騎の狂信的な兵士たちを道の切所に配置した。山あいの狭い一本道。そこに待ち構えていた浅井・一向一揆の連合軍は、退却してくる織田の60,000の大軍に対して、容赦のない鉄砲の雨と地響きのような鬨の声を浴びせかけた。
「止まるな! 蹴散らせェッ!!」
先陣を切っていた柴田勝家、坂井右近、明智光秀、池田信輝ら織田の猛将たちは、どっと喚いて敵陣へと突撃を敢行した。織田の武力は戦国最強クラスだ。まともにぶつかり合えば、浅井の兵たちはあしらいかねて右往左往に逃げ惑う。だが、厄介なのは本願寺の門徒たちだ。彼らはこの土地の裏道から獣道までを知り尽くした、生粋のローカル・ゲリラである。正面からぶつかることは避け、山林を縦横無尽に駆け抜け、予期せぬ方向から現れては鉄砲を撃ち放ち、再び森へと消えていく。
この神出鬼没のヒット&アウェイ戦法によって、流石の勇猛な織田の軍卒たちも足を止められ、進軍のペースは極端に落ちてしまった。その大乱戦の最中。浅井長政は、自ら精鋭を率いて小高い丘の上に立ち、眼下でうごめく大軍勢を鷹のような鋭い眼光で睨み下ろしていた。彼の標的はただ一つ。
「義兄上、信長の首を獲る……! 旗本へ斬り込み、雌雄を決せよ!」
長政は黄金の馬印が翻る本陣めがけて、決死の突撃を仕掛けようとした。しかし、丘の上から陣形を仔細に観察した瞬間、彼の背筋に冷たい汗が伝った。
「……いない」
長政は愕然と呟いた。軍のド真ん中、馬印の下にいるべき『あの底知れない魔王の気配』が、一切感じられないのだ。馬印の周辺を守っているのは柴田や明智といった将ばかりで、信長の姿はどこにもない。空しく旗だけが風に揺れている。
「……さては義兄上、とうの昔に他の間道から退きおったか。あの男、なんという悪魔的な勘の良さだ……!」
長政はギリッと奥歯を噛み締めた。大将がいない軍勢とこれ以上泥沼の戦闘を続けても、自軍が疲弊するだけで戦術的な意味は何一つない。完全に空振りをさせられた長政は、「この戦いに意味はない」と即座に判断を下し、軍勢をまとめて兵を引き揚げた。浅井の猛攻が止んだことで、織田の60,000の大軍も無用な戦闘を避け、しずしずと坂本の地まで無事に撤退を完了させた。
本隊が泥沼の陽動戦を繰り広げている頃、間道へ抜けた信長の一行は、まさに僕の軍配通り、立ち塞がる敵兵の姿をただの一人も見ることなく、無事に若狭の国・左柿へと到着していた。そこで合流した栗谷備中守の案内のもと、夜中も松明の明かりを頼りに熊川を経て、近江の要衝・朽木谷へと入る。この朽木谷を治める朽木信濃守は、松永久秀の迅速な根回しもあり、信長様を裏切ることなく手厚く城中へと招き入れ、盛大な饗応を行って疲れを癒やさせた。そして4月30日。信長様は、無傷のまま、無事に京都へと帰還を果たした。僕が立案した『偽装とステルスによる絶対的生存ルート』は、完璧な形で完遂された。
――だが。
その盤面の裏側で、すべてのヘイトと死の危険を一身に引き受けた男の『本当の地獄』が、ここから始まろうとしていた。生存率0%のプロジェクション・マッピング
視点は再び、越前の最前線・金ヶ崎城跡へと戻る。
残された僕の手勢は、わずかに3,000人。対するは、猛り狂って押し寄せてくる朝倉義景の本軍、数万の大軍勢だ。常識で考えれば、アリが象に挑むような絶望的な戦力差である。夕闇が完全に世界を包み込んだ頃、僕は残された将兵たちを本陣に集め、自らの額をポンポンと撫でながら、あえて陽気に笑いかけた。
「さて、皆の衆。僕らは今、とんでもない貧乏くじを引かされたと思っているだろう? でも違う。僕らはこの場所で朝倉の何万という大軍をたった3,000で引き受け、戦国の歴史に永遠に刻まれる『希代の功』を立てるんだ。味方の諸士が腰を抜かして目を覚ますような、最高のイリュージョンを見せてやろうじゃないか」
恐怖に顔を強張らせていた将兵たちが、僕のハッタリに少しだけ顔を上げる。
「斥候の報告によれば、朝倉の軍勢は今宵の戌の刻(午後8時頃)にはこの場に到着する。だが案ずるな。僕の奇計をもってすれば、あの神経質な朝倉義景は、絶対にみだりに攻め込んではこない」
僕は地面に広げた地図を指さし、現代知識に基づく『敵将のプロファイリング』を解説し始めた。
「朝倉義景という男は、良くも悪くも『軍学の教科書通り』にしか動けない官僚的な男だ。相手がどんなに小勢に見えようとも、夜間の行軍で疲弊した状態でいきなり突撃を仕掛けるような無茶は絶対にしない。必ず城外に陣を取り、長距離移動の疲れを休めるはずだ」
「陣を取るにしても、軍学の法令によれば、敵の城から十町(約1.1キロ)、あるいは十二、三町離れた場所に宿陣するのが定石だ。義景は、確実にこのセオリーを守ってくる。……そこを逆手に取る!」
僕は立ち上がり、3,000の兵を四つの部隊に分ける『絶対防衛線』の配備を下した。
「蜂須賀小六、又十郎兄弟! お前たちは1,000の兵を率いて、城から十余町離れた場所に左右に分かれて潜伏しろ。僕が合図の火を上げたら、横腹から奇襲をかけて敵の陣形をかき乱すんだ!」
「おうよ! 野盗上がりの腕の見せ所だな、藤吉郎様!」
頼もしい兄貴分である小六たちが、闇夜に溶けるように出陣していく。
「堀尾茂助、稲田大炊、青山新七、長柄半之丞たち、若手の精鋭500! お前たちは四方の山々や谷に散らばれ!」
僕は彼らに、竹や木で組んだ大量の『仕掛け』を手渡した。
「樹木の枝に松明を沢山くくり付け、合図とともに一斉に火を点けろ! そして、紙で作ったダミーの旗指物を持ち、火影の中でウロウロと徘徊し続けろ! 敵の目には、山全体に伏兵が隠れているように見えるはずだ!」
「ははっ! 大軍の影絵を演じきってみせます!」
若き勇士たちが、大量の資材を抱えて山中へと散っていく。
「浅野弥兵衛! お前も500の兵を連れて、金ヶ崎の左右の山々の至る所に、バカみたいにデカい篝火をガンガン焚きまくれ! 何万もの大軍が駐留している『模様』を作り出しすんだ!」
「承知! 山を火の海に見せかけてやります!」
弥兵衛もまた、意気揚々と闇の中へ駆け出していった。そして、最後に残ったのは僕自身が率いる1,000人の本隊だ。僕は金ヶ崎城の跡地に、ありったけの旗指物をこれでもかと林立させ、麓の最も目立つ場所に陣を取った。旌旗をなびかせ、槍や刀の刃を月明かりや松明の光でキラキラと反射させ、いかにも『精鋭の大軍が待ち構えているぞ』という圧倒的な威圧感を演出した。
「さあ、準備は整った。あとはメインキャストの到着を待つだけだ」
僕は床几に腰掛け、冷たい夜風に吹かれながら時刻の到来を待った。中国の兵法書にある『空城の計』の超絶アップグレード版。物理的な兵力差を、光と影、そして人間の心理の死角を突くことでひっくり返す、転生者ならではの『情報戦』だ。
やがて、戌の刻。地鳴りのような足音とともに、暗闇の彼方から朝倉義景が率いる数万の軍勢が姿を現した。
「……見ろ、義景の顔を」
僕は遠眼鏡などなくとも、敵陣の先頭に立つ朝倉義景が、驚愕に目を見開いているのが手に取るように分かった。
彼の目には、どう映っているだろうか?
目の前の金ヶ崎城には、無数の旗と刃が煌めく織田の精鋭部隊。左右の山々には、信じられないほどの数の篝火が焚かれ、夜空を赤く焦がしている。さらに山中を見透かせば、無数の松明の火影が揺らめき、巨大な軍勢が今にも山を下ってきそうな気配を漂わせている。
「ば、馬鹿な……! 織田軍は撤退したのではなかったのか!? なんだこの大軍勢は!」
「山にも谷にも、無数の伏兵が隠れておりまする! 義景様、これは罠です! 不用意に近づけば、完全に包囲され全滅いたしますぞ!」
朝倉軍の陣営は、完全にパニックと恐怖に支配された。僕の読み通り、教科書通りの安全策しか取れない義景は、この得体の知れない『巨大な幻影』を前にして完全に思考をフリーズさせた。
「ええい、進むな! 陣を敷け! 敵の動向を見極めるまで、一歩も動くではないぞ!」
義景の悲鳴のような下知が響き、数万の大軍は、金ヶ崎の城から十余町離れた安全圏でピタリと足を止めた。
彼らは一晩中、僕たちが作り出した『光と影の幻』に怯え、武器を握りしめたまま一睡もできずに夜を明かすことになる。
「……チェックメイトだ」
僕は静かに立ち上がり、ニヤリと口角を吊り上げた。生存率0%の撤退戦。それを、一滴の血も流さず、ハッタリと心理戦だけで完封した瞬間だった。
日輪の子、木下藤吉郎。のちに『金ヶ崎の退き口』として戦国史に燦然と輝くこの伝説の殿戦は、僕の現代知識と度胸が完全融合した、最高難易度クエストのクリア証明となった。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
藤吉郎後殿軍配
同月二十八日の申の刻、藤吉郎が軍配に任せ、大將信長卿、森、佐久間、前田、佐々ら三千餘騎にて、山越えに間道を退き給ふ。本道は柴田、坂井、明智、池田、蜂谷、福富そのほか外様の軍勢都合六萬餘騎、信長卿の御旗を押立て、長柄の槍を立て列ね、備を亂さず引きたりける。淺井備前守長政は、本願寺の門徒を語らひ、その勢一萬餘騎、道の切所に待ち受け、鐵砲を飛ばし鬨を作りて支へたり。柴田勝家、坂井右近、明智光秀、池田信輝、何かは少しもためらふべき、どつと喚いて突き立つれば、淺井勢あしらひかねて、右往左往に逃げたりけるが、本願寺の門徒ら、土地案内の者なれば、ここを馳せ抜けかしこに顯はれ、鐵砲にて打ちすくめければ、さしも勇みし信長の軍卒、ためらひて進み得ず。このとき淺井長政は、信長の旗本へ切り込み、雌雄を決せんと、高き岡より伺ひ見るに、この軍中に信長はあらず、空しく旗のみ立てたれば、「さては信長は他のところより退きしものならん。今は戰も無益なり」と、軍勢をまとめ引取りければ、信長勢もまた戰を好まず、しづしづと坂本まで引取りける。信長卿は木下が軍配のごとく、支ふる敵一人もなく、若州左柿に著し給へば栗谷備中守御供にて、夜中松明を照らし、熊川を經て江州朽木谷を通り給ふに、朽木信濃守出迎へ、城中に招きさまざま饗應なし奉り、同三十日京都に著き給ひける。さても木下藤吉郎は、わづかに手勢三千餘人にて金ヶ崎に止まり、諸勇士を集め、自ら額をなでて申しけるは、「我この所にて朝倉の大軍を引き受け、希代の功を立て、味方の諸士が眠を覺ますべし。斥候を以て朝倉が軍勢を伺ふに、今宵戌の刻ばかりにこの所に著すべし。われ奇計を以て大軍のありさまをなさば、柔弱の義景みだりに進まず、城外に陣を取り、長途の勞れを休むべし。陣取るに法あり、城を去ること或は十町、また十二三町にして宿陣すべし。これ軍家において、おほむね定まりし法令なり。義景究めてこれによらん。味方の兵一千人、城より十餘町去つて、左右に分かれ埋伏すべし。相圖の火をあげば、斯様斯様に戰ふべし」と、蜂須賀小六兄弟を大將となし、命を下せば、小六、又十郎兵卒を引きて打立ちける。「さてまた、堀尾茂助、稻田大炊、青山新七、同小助、長柄半之丞、河口久助、日比野六太夫ら五百人の兵を率し、四方の山々谷々(やまやまたにたに)に分かれ散じ、樹木の枝に松明をあまたくくり附け、相圖の火をあげなば、一同にその松明に火をつけ、紙にて旗差物を拵へ置き、これを持つて火影を徘徊すべし」。堀尾以下の勇士下知を承り、軍卒を引きて打立ちぬ。さて淺野彌兵衛を召して、「汝五百人の士卒を引き連れ、金ヶ崎の左右の山所々(やまところどころ)に篝を多く焚き、大軍陣せし模様をなし、敵の軍卒を疑はせしむべし」。淺野彌兵衛命を領じ、これも士卒を引率して打立ちける。木下藤吉郎は城中に旗差物あまた立て並べ、自ら一千餘人麓の方に陣を取り、旌旗槍刀をきらきらしく立て並べ、時刻の至るを待ちたりける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
『太閤記』の秀吉は「敬愛する首領様、百戦百勝の鋼鉄の霊将」設定なので除外すると、『金ヶ崎の退き口』の記録は『信長公記』の「殿軍は秀吉。信長が脱出」と『朝倉始末記』の「織田を追撃。信長が逃げた」の記述しか存在しません。そんな戦死者や犠牲者数が不明なところが逆に、後世たくさんドラマを生み『金ヶ崎』を歴史的な合戦にしたのかもです。




