2-9 金ヶ崎落城――フラグの成立
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
僕の口から無意識にこぼれ落ちた「浅井長政」という名。その言葉は、冬の終わりの冷たい夜風に溶けて消えたが、僕の胸の奥に警報のように鳴り響き続けていた。
手筒ヶ峯の城を奇策で落とし、盤面は完全にこちらが支配している。だが、歴史の未来知識が、僕の脳内でけたたましく警告を発している。この越前侵攻の最中、信長の義弟である浅井長政が裏切り、背後を突く。いわゆる『金ヶ崎の退き口』――織田信長史上最大のデッドエンドが、もうすぐそこまで迫っている。
「……早く、終わらせなきゃ」
僕は痛む太ももを庇いながら、暗闇に包まれた山道を睨みつけた。浅井の裏切りがいつ表面化するかは分からない。だが、もし信長の大軍がこの敦賀の地で泥沼の攻城戦に釘付けになっている最中に背後を塞がれれば、70,000の大軍は完全に『袋の鼠』となる。タイムリミットは、極めて近い。まずは目の前の最大の障害、要害・金ヶ崎城を最短記録(RTA)で陥落させる必要があった。
その頃、僕の仕掛けたハメ技によって完全に裏をかかれ、金ヶ崎城へと大慌てで引き返していた朝倉中務少輔景恒の部隊は、文字通りの地獄に直面していた。
「おのれ、織田の猿め……! 完全に我らを誘い出すための罠であったか!」
景恒は馬上から血の涙を流さんばかりの形相で吼えた。彼が手筒ヶ峯の救援に向かい、無様に釣り出されている間に、金ヶ崎城の周辺にはすでに強固な封鎖線が敷かれていた。待ち構えていたのは、佐久間信盛、森三左衛門、池田信輝ら、織田家でもゴリゴリの武闘派として知られる猛将たちが率いる5,000人の大軍である。
「逃がすな! 一匹残らず撫で斬りにしろ!」
「朝倉の首を挙げて、信長様にお目にかけよ!」
闇夜に織田勢の怒号が響き渡り、四方八方から無数の槍と鉄砲の雨が景恒の部隊に襲いかかった。普通なら、ここで心が折れて総崩れになる。自分が罠に嵌められ、味方は壊滅し、退路は塞がれているのだ。だが、景恒はただの武将ではなかった。「越前随一の勇将」という称号はダテではない。彼は絶望的な状況下で、むしろ凄まじい狂化を自らにかけた。
「退くな! 我らは名門朝倉の誇りにかけて、必ず金ヶ崎へと帰り着く! 俺に続けぇッ!」
景恒は士卒を一手にまとめ上げ、陣形の先頭に立って自ら槍を振るった。捨身突撃。それは、計算された戦術などではなく、純粋な生存本能と武士の意地が交錯する暴力の塊だった。ドスッ、グシャッという骨と肉が砕ける生々しい音が響く。景恒の狂気に当てられた朝倉兵たちは、文字通りの血戦を繰り広げた。味方が次々と倒れる中、彼らは織田勢の分厚い包囲網の一角を力任せに切り崩し、包囲網を抜け出すことに成功した。だが、代償はあまりにも大きかった。
囲みを出て息も絶え絶えに周囲を見渡した景恒の目に映ったのは、出陣時の半分以下、わずか1,000ほどにまで討ち減らされた無惨な味方の姿だった。それでも景恒は闘志を落とさず、自らが殿となって、ジリジリと金ヶ崎城へと後退していった。
「逃がすな! あの首を獲れば手柄は思いのままだぞ!」
血に飢えた獣のようになった佐久間、池田、森の三将は、景恒の背中にピタリと張り付き、猛烈な追撃をかけていた。あわよくば、景恒が逃げ込む勢いに乗じて城門を突破し、一気に城内へと雪崩れ込もうという腹だ。金ヶ崎城のすぐ目の前、急峻な坂道を登りきった先にある城戸口。城内からこの絶望的な追撃戦を見ていた守備隊は、味方を見捨てることはしなかった。重い音を立てて城戸が大きく開かれ、中から決死の覚悟を決めた朝倉の援軍が打って出た。
ここから先は、僕のような未来知識や戦術が一切入り込む余地のない、純粋な物理と命の削り合い――超至近距離でのデスマッチとなった。
「景恒様をお守りしろ!」
「織田の犬ども、ここから先は一歩も通さん!」
両軍の勇士たちが、狭い城戸口に殺到する。互いに命を軽く扱い、己の名誉だけを重んじて刃を交える。槍が腹を抉り、刀が兜を割り、血しぶきが夜の闇を赤黒く染め上げていく。この日の防衛戦は、未来の歴史書に「死傷の者、数を知らず」と記されるほどの凄惨な肉弾戦となった。
朝倉家が誇る名だたる勇士たち――三段崎弥七郎、上田兵部、真木五郎左衛門、中村兵庫、富田中務、石田新左衛門、前波藤五郎、菅野六郎左衛門、岩井彦左衛門……。彼らは皆、この狭い城戸口を死守するために鬼神の如く戦い、そして次々と討ち死にしていった。その数、名のある武将だけで500人。まさに命をチップにした防衛だ。
彼らが血肉の壁となって時間を稼いでいる隙に、景恒の残存部隊はようやく城内へと引き入れられ、分厚い城戸はガッチリと閉ざされた。織田勢も必死に押し入ろうとしたが、鉄壁の守りを前に力尽きた。織田側もまた、森三十郎、三輪与一郎、桑原源左衛門、柴田源五郎といった名の知れた武将300人が、この門前で命を散らしていた。
あまりにも泥臭く、あまりにも血生臭い消耗戦。その日の戦は、両軍に深い爪痕を残したまま、一旦の幕引きとなった。
明けて4月26日。金ヶ崎城は、織田軍100,000の完全なる包囲網の中にあった。信長は惣軍を自ら引率し、城を何重にも取り囲むと、地響きのような喚き声を上げて凄まじいプレッシャーをかけていた。城内では、景恒たちがここを破られまいと必死に防戦の構えを見せている。だが、昨日のデスマッチで朝倉家の精鋭はことごとく討ち死にしている。現在、城内に残っているのはわずか2,000騎。もはや、時間の問題だった。誰の目にも、金ヶ崎の落城は「確定イベント」として映っていた。
「一気に押し潰せ! 朝倉の残党をこの世から消し去れ!」
織田軍の士気は最高潮だ。諸将は皆、このまま力攻めで城を粉砕するつもりだった。でも、僕の胸の中の『アラート』は限界を超えて鳴り響いていた。
(駄目だ。ここで時間をかけてはいけない。一刻も早く、信長を安全な場所へ逃がす手筈を整えなければ……!)
僕は深呼吸をして、荒ぶる空気の陣幕の中、信長の前へと進み出た。
「……信長様。恐れながら、申し上げたき儀がございます」
「何だ、猿。貴様の計略のおかげで手筒ヶ峯は落ちた。あとはこの金ヶ崎を力で捻り潰すのみよ」
血走った目で城を睨む信長様に、僕はあえて極めて冷徹な、未来のビジネスマンのようなトーンで進言した。
「今やこの金ヶ崎城、持ちこたえられないことは誰の目にも明らか。……なればこそ、ここは力攻めを止め、使者をもって『開城』を勧めるべきにございます」
「何だと?」
信長の眉がピクリと動き、周囲の武将たちが「猿! 何を寝言を言っている!」と色めき立った。僕は手でそれを制し、さらに言葉を続ける。僕が力攻めを回避すべきとする理由は、明確に二つあった。
「第一に『時間対効果』です。もしこのまま力攻めを行えば、城将の中務景恒は死地に入って徹底抗戦を試みるでしょう。あの猛将のこと、1日か2日は確実に持ちこたえます。そのわずかなタイムラグの間に、一乗谷から朝倉義景の本軍が後詰として到着すれば、戦局は泥沼化します。即日、無傷で城を手に入れるには、交渉しかありません」
僕は一度言葉を切り、信長様の目を見た。
「第二に『統治の大義名分』です。信長様は北国を征伐なされるにあたり、むやみな殺伐を好まず、仁恵をもって将士や人民を撫育するという風聞を広めるべきです。これは越前全土を平定した後のガバナンスにおいて、最強の武器となります。義景の増援が来る前に、恩着せがましく城を明け渡させる。これが最高の戦略にございます」
――本当の理由は違う。
「浅井長政が裏切るかもしれないから、今すぐいつでも撤退できる身軽な状態を作っておきたい」というのが本音だ。だが、そんな証拠のない未来予測をここで口にできるはずがない。だから僕は、徹底的にロジカルな「時間」と「政治」のメリットを並べ立てて、信長を誘導した。
信長は、僕の提案を聞いてしばらく沈黙していた。やがて、その口角がニヤリと吊り上がる。
「……ふん。相変わらず貴様の理屈は可愛げがないが、的を射ている。無用な血を流して時間を浪費するより、さっさと城を接収した方が合理的か。良かろう、猿の議を採用する!」
僕の心の中で、ガッツポーズと同時に、冷たい汗が背中を伝うのを感じた。信長の決定は迅速だった。ただちに攻撃を停止させ、使者を金ヶ崎城内へと派遣し、開城を勧告したのである。城内の朝倉勢にとっても、これはまさに「地獄に仏」だった。どうせ、100,000の大軍を相手に2,000の兵で籠城が成功するはずがない。名誉ある討ち死にを覚悟していたところに、「命は保証するから城を明け渡せ」というオファーが舞い込んだのだ。彼らは九死に一生を得た心地で、即座に評議を一決。開城の旨を返答してきた。
「四方の攻め口を退かせい! 城を受け取るぞ!」
信長の下知が飛ぶ。滝川彦右衛門、山田三郎左衛門の二人が城中へと遣わされ、正式に金ヶ崎城は接収された。
朝倉中務景恒は、兜を脱ぎ、慇懃に城を明け渡すと、残った士卒を引き連れてうなだれながら府中方面へと退いていった。その背中には、越前随一の勇将としての威光は欠片も残っていなかった。
「勝ったぞォォォッ!!」
「たった2日で、あの手筒ヶ峯と金ヶ崎を落としたぞ!」
織田軍の陣営は、爆発的な歓声に包まれた。越前の玄関口たる鉄壁の防衛ラインを、わずか2日で、しかも自軍の損害を最小限に抑えて完全攻略したのだ。軍の士気は天を突き抜け、誰もが「このまま朝倉を滅ぼして天下布武だ!」と信じて疑わなかった。
でも。沸き返る歓喜の渦の中で、僕だけは周囲の熱狂から切り離されたように、冷え切った目で北の空を見つめていた。
(手筒ヶ峯、金ヶ崎……落ちた。予定通りだ。僕の未来知識で、歴史通りに進めた)
本来なら、ここで大出世の足がかりを掴んで喜ぶべきシーンだ。でも、僕の心臓は早鐘のように打ち鳴らされている。太ももの古傷が、まるでこれから起こる惨劇を予言するようにズキズキと脈打っていた。
「……来るぞ」
僕は、小さく震える指先をギュッと握り込んだ。この圧倒的な勝利のファンファーレは、これから始まる『絶望のデスゲーム』の開幕を告げる、ただの前奏曲に過ぎない。
信長の背後――近江の浅井長政が牙を剥く。100,000の大軍が、一瞬にして逃げ場のない死地に立たされる。
「さて……ここからは『生き延びる』ための、本当の戦いだ」
僕は、この輝かしい越前侵攻の勝利の裏側で、いよいよ戦国時代最大の泥沼、血と裏切りに塗れた『金ヶ崎の退き口』の絶望へと、真っ逆さまに転がり落ちていく。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
金ヶ崎の城落著
さるほどに中務少輔景恒は、手筒ヶ峯の後詰して、木下が勢と戰ひしが、織田勢金ヶ崎を攻むるよしを聞き、大に驚きて取つて返す。その道にて、佐久間信盛、森三左衛門、池田信輝五千餘人、景恒が勢を取圍み、逃すまじと戰うたり。中務少輔景恒、敵の計に落入りたりと思ひ、士卒を一手になし、勇を震うて血戰し、一方を切り崩し、圍を出でて味方を見れば、一千ばかりに討ちなされけれど、勇氣を落さず、自ら殿して金ヶ崎へと引取りける。佐久間、池田、森の三將、跡に附いて追つ駈け、附入りにせんと進むところに、金ヶ崎の城中よりこれを見て、城戸を開き討つて出で、景恒を扶け相支へ、兩家の勇士互に命を輕んじ名を重んじ、必死になりて戰へば、死傷の者數を知らず。朝倉家の勇士三段崎彌七郎、同四郎左衛門、上田兵部、眞木五郎左衛門、中村兵庫、富田中務、石田新左衛門、前波藤五郎、菅野六郎左衛門、岩井彦左衛門、鷲尾三郎右衛門、水間大八郎、山本權左衛門、萩原十左衛門らを始めとして、名ある勇士五百餘人、城戸口にて討死す。その隙に惣軍城中に引入れ、城戸を固めて防げれば、信長勢も終に附入ること能はず、兵を引上げ退きける。このとき信長方にも森三十郎、三輪與一郎、桑原源左衛門、仁羽藤藏、柴田源五郎など、聞こゆる剛士三百餘人討死し、その日の軍は止みにける。明くれば四月二十六日、信長卿惣軍を引率し、金ヶ崎を追取巻き、喚き叫んで攻められける。城中もここを破られじと、きびしく防ぎ戰へども、昨日の戰に名ある勇士ことごとく討死し、今はわづかに二千餘騎にて籠りたれば、いかんぞや信長の大軍を防ぎ支ふべき、すでに落城と見えたりける。このとき木下藤吉郎、信長卿の御前に出で申しけるは、「今ははやこの城堪へつべうも覺え侍らず。このとき君城中へ使者を以て開城を勸め給はば、城兵みな九死を出で一生を得し心地にて、即日この城味方の手に入るべし。もし力攻めに攻めつけ給はば、城將中務景恒、死地に入りて防ぎ戰ひ、一兩日も支へなんに、朝倉義景、大軍にて後詰を出さば、すこぶる落著暇どるべし。また一つには君北國を征し給ふに、殺伐を好み給はず、仁惠を以て將士人民を撫育し給ふと風聞せば、これまた北征第一の計略なり。義景後詰の勢を出さざる前に、早く當城を得給ふべし」と申しければ、信長この議に同じ、使者を以て開城を勸めけるに、城中も所詮籠城叶ふべしとも思はねば、まづ城を開いて命を全くし、重ねて計議をなさんものと評議一決し、開城すべき旨返答に及びければ、信長卿下知を傳へ、四方の攻口を退かしめ、瀧川彦右衛門、山田三郎左衛門兩人を城中に遣はし、改めて城を受け取らしむ。中務景恒、慇懃に城を渡し、士卒を引具し、府中をさして退きける。ここに於て手筒ヶ峯、金ヶ崎、二日の内に落城しければ、信長の軍勢物始めよしと、勇まぬ者はなかりける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
今話の舞台である、手筒山城も金ヶ崎城も敦賀湾を見渡す超絶景です。やっぱり海に面したお城は良いですね♪登城した歴史ヲタクの方のブログによると、麓にトイレも駐車場も完備されてるそうですが、頂上まではけっこうなハイキングがいるようです。⋯私は写真見るだけにしよっw




