2-8 越前防衛網、崩壊――手筒ヶ峯落城
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
美濃の岐阜城に帰還してから数ヶ月。僕は未来知識をフル稼働させて織田家の内政基盤をガチガチに固めていた。
楽市楽座の大胆な拡充、関所の撤廃による物流の超高速化、さらには堺や京の豪商たちと連携した独自の通貨流通システムの構築。戦国時代の常識を置き去りにする僕の経済イノベーションにより、織田家の国力と資金力は戦国大名の中で頭一つ突き抜けていた。
そんな中、時代は静かに、しかし確実に次のフェーズへと移行する。永禄13年(1570年)。朝廷による改元が行われ、年号は『元亀』へと改められた。
「元亀、か。歴史の教科書で見た大激動の時代が、ついに始まったな」
岐阜城の書斎で新しい年号が記された書状を眺めながら、僕は小さく息を吐いた。現在の織田家は、先の伊勢国司・北畠家の実質的な吸収合併を成し遂げたことで、その威名は天下に轟き渡っている。今や信長に正面から敵対しようなどという命知らずな勢力は、表向きは存在しないかのように見えた。
だが、信長の覇道がここで止まるはずがない。次なるターゲットは決まっていた。越前を支配する名門・朝倉義景だ。
朝倉家は、足利義昭が京に上る前に身を寄せていたにもかかわらず、結局は足利義昭を神輿として担ぎ上げる根性を見せなかった国だ。信長からすれば「天下静謐のための義務を果たさず、現状維持にあぐらをかいている怠慢組織」に他ならない。しかも、裏では織田包囲網の形成を目論んでいる不穏な気配すらある。
「やるなら、一撃で息の根を止める」
信長の意志は固かった。元亀元年2月下旬、僕たちは大軍を率いて再び上洛。将軍・足利義昭に謁見し、朝倉征伐の公式な大義名分を正式にゲットしたのである。
しかし、合戦の前に、僕たちには京の都で行うべき重要なミッションがあった。京都の仕置——つまり、帝都の治安維持と行政改革だ。
これまで京の都を支配していた三好三人衆や松永久秀らの悪政はひどいものだった。それらを一掃するため、僕は信長様の許可を得て、徹底的な『仁政』を敷くことにした。現代の税制システムを応用した一律減税、不法な高利貸しの取り締まり。これぞまさに、弱きを助け強きを挫く、理想的な近代政治のはずだった。
ところが、現実はそう簡単に僕の計算通りには動いてくれない。
「……うーん、どうしてこうなるかなぁ」
ある朝、信長の本陣が置かれていた半井驢庵の邸宅の前に立った僕は、門柱を見上げて深く頭を抱えていた。そこには、墨黒々と書かれた一作の『落首』が堂々と貼り付けられていた。
『ながらへばまた信長や偲ばれん うしと三好ぞ今は戀しき』
(もしこのまま生き長らえるなら、いつか信長の時代を懐かしむこともあるのだろうか。いや、今はあれほど嫌っていた三好の悪政の方が、まだマシだったと恋しく思えてしまうよ……)
「……マジかよ。あんなに減税して、治安も良くしてやったのに、三好の方が恋しいってか?」
僕はあまりの理不尽さに脱力した。未来の知識を持つ僕からすれば、織田の政治は圧倒的にクリーンで先進的である。だが、長年「濁った水」に慣れきってしまっていた京の町人や百姓たちからすれば、急激に行われた厳格な法治システムは、かえって息苦しいお灸のように感じられたらしい。良かれと思って断行したドラスティックな改革も、受け手にとってはただの迷惑になり得る。戦国時代の民衆マインドをコントロールすることの難しさを、僕は現代人としてのプライドをへし折られる形で痛感させられたのだった。
「ふん、泣き言を言うな、猿」
背後からかけられた冷徹な声に、僕は飛び上がって振り返った。いつの間にか、信長が腕を組んで落首を眺めていた。その目は少しも怒っておらず、むしろ冷ややかに笑っている。
「民などというものは、勝手な生き物だ。腹が減れば政を恨み、腹が満たされれば自由を求めて法を怨む。そのような雑音にいちいち耳を貸すな。俺たちの正しさは、結果で示せば良い」
「……ははっ。さすが信長様、メンタルが鋼鉄ですね」
信長の圧倒的なトップダウンの覚悟に、僕は苦笑するしかなかった。そうだ、ここで立ち止まっている暇はない。いよいよ、本番のステージが幕を開けるのだから。
元亀元年4月20日。信長は、畿内および東山道からかき集めた、総勢100,000騎という規格外の大軍勢を率いて、京都から出陣した。琵琶湖の西岸を駆け抜け、北国街道を破竹の勢いで進撃する。
そして4月25日、僕たちは朝倉領の玄関口である越前敦賀の府へと到着した。当然、敵である朝倉義景もバカではない。僕たちの侵攻を予測し、敦賀の防衛ラインにガチガチのインターセプトラボを構築していた。
その中心となるのが、要害・金ヶ崎城。ここを守る大将は、朝倉中務少輔景恒。朝倉家の中では珍しく(と言っては失礼だが)、文武両道に秀でた「越前随一の勇将」と称される武将だ。戦闘能力の高い精鋭兵3,000人を率いて籠城している。さらに、その金ヶ崎城をサポートする形で、すぐ近くにある『手筒ヶ峯』という険しい山頂に、急ピッチで新しい要塞が築かれていた。こちらには寺田采女、疋田右近、津浪甚四郎、九岐左介といった中堅の実力派武将たちがズラリと名を連ね、剛兵1,500人を率いて立て籠もっている。
「金ヶ崎」と「手筒ヶ峯」。この二つの城が互いに視線を通し合い、片方が攻められればもう片方が背後を突くという、完璧な相互支援が形成されていた。100,000の大軍といえども、この連動システムを崩さなければ、狭い一本道で大損害を被ることは火を見るより明らかだった。
敦賀に陣を敷いた夜、信長様の本陣で諸将を集めた軍の評定が開かれた。最初に発言したのは、明智十兵衛光秀だった。彼はかつて朝倉家に客将として滞在していたため、敵の情報に最も詳しい、いわば「朝倉カウンセラー」だ。
「つらつら朝倉家のありさまを見るに、総大将の義景は柔弱にして、周囲の諸士にもこれといった智勇の者はおりませぬ」
光秀は静かに羽織を正し、絵図面を指差した。
「ただし、金ヶ崎に籠もる朝倉景恒だけは別格。越前随一の勇将と見るべきでしょう。この男を討ち取ることさえできれば、越前全土を征服するのは容易となります。……されば、まずは手筒ヶ峯の城に『押さえ(牽制)』の部隊を配置して動きを封じ、我が軍の主力をすべて金ヶ崎城へ投入して一気に攻め落とすべきかと存じます」
光秀の提案は、軍事セオリーとしてはきわめて正当なものだった。敵の最強拠点を大軍で各個撃破する。周囲の武将たちも「さすが十兵衛、堅実な策だ」と頷いている。
しかし、僕は絵図面を見つめながら、違和感を覚えていた。
(……いや、待てよ。その作戦だと、金ヶ崎を攻めている間に手筒ヶ峯の1,500人がいつ背後から奇襲を仕掛けてくるか分からない。常に背後に怯えながら戦うのは、兵の士気に関わる。ここは短期決戦で盤面をひっくり返すべきだ)
僕は床几から立ち上がり、光秀の隣へと進み出た。
「十兵衛殿、恐れながら僕の意見は少々異なります。中務景恒がどれほどの智勇の将であれ、金ヶ崎の要害は一筋縄では落ちません。もし攻城戦が長引けば、敵の防衛網の術中にはまります。……ならば、順序を逆にすべきです。まず、手筒ヶ峯の城を、最短で攻め落とし、敵の連携の片翼をもぎ取る。そうして越前一武勇に優れた彼らの自信から挫くべきだと思います」
諸将から「一日で落とすなど不可能だ!」「あそこは険しい山城だぞ!」と声が上がる。僕は光秀の耳元へ顔を寄せ、周囲に聞こえないような低い声でささやいた。
「十兵衛殿。まともに山登り(正面衝突)をするつもりはありません。敵の『心理』と『連携』を逆利用した、完璧なハメ技の計画があるのですが……乗ってくれませんか?」
「……ほう?」
光秀の端正な眉がピクリと動く。僕が脳内の未来知識から導き出した作戦具体案の全貌を素早く伝えると、光秀はその鋭い目をカッと見開いた。そして、不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「……なるほど。その計略、はなはだ妙なり。木下殿、あなたの頭脳は相変わらず恐ろしい。すぐにこれで行いましょう」
光秀という強力な協力者を得た僕は、2人で信長様の前へ進み出た。
「信長様、明智と木下、手筒ヶ峯を1日で葬る計略、用意いたしました。我らに手分けして攻め口をお任せください!」
「良いだろう。猿、十兵衛、貴様たちの知略で、朝倉の鼻柱を叩き折ってこい!」
信長様の下知が下り、僕たちはそれぞれの部隊を率いて、ターゲットである手筒ヶ峯の城へと向かった。
手筒ヶ峯の地形は、攻める側にとってきわめて厄介な構造をしていた。三方はなだらかだが遮蔽物のない平地。そして肝心の搦手(裏口)は、底なしの泥が広がる広大な沼地になっていた。人馬の自由な駆け引きなど絶対に不可能な、天然のデッドゾーンだ。城内を守る寺田采女や疋田右近たちは、この搦手の沼地を「絶対に進入不可能な壁」と信頼しきっており、そちら側にはろくな防衛兵力を置いていなかった。彼らの戦力はすべて、平地から上ってくる大手に全振りされていた。
「読み通りだ。敵の意識を正面に完全固定する!」
僕は3,000人の手勢を二手に分け、大手の正面ルートから堂々と攻め寄せた。
「えい、えい、おぉぉーーーッ!!」
凄まじい鬨の声を上げ、空鉄砲をバンバンと鳴らし、我武者羅に坂道を駆け上がる。城兵たちは「来たぞ、織田の主力だ!」と少しも騒がず、僕たちを十分な射程距離まで引きつけてから、一斉に弓鉄砲を打ち出してきた。ヒュンヒュンと風を裂く矢の雨、ドンと腹に響く銃声。
「うわあああッ! 敵の火力が強すぎる! 引け、一時撤退だ!」
僕はわざと大声を上げ、味方の部隊を躊躇わせ、ジリジリと後退させた。完璧な敗走の演技の仕込みだ。
その時、金ヶ崎城にいた朝倉景恒の元に「手筒ヶ峯が織田の猛攻を受けている」という報が届いた。景恒は「よし、計画通り挟撃して敵を駆逐してやる!」と、2,000騎の精鋭を率いて金ヶ崎を出陣。揉みに揉んで山道を駆け抜け、なんと僕の木下隊の背後から「どつと」喚いて切り込んできたのだ。
「うわあ! 後ろからも敵だ! 挟まれたぞ!」
さらにこれを見た手筒ヶ峯の城内からも、疋田右近や九岐左介らが「後詰(救援)が来たぞ! 今こそ勝機だ!」と、500人の兵を率いて城門をガラリと開き、一文字に突撃してきた。前後から挟み込まれる木下隊。織田の兵たちは完全にパニックに陥り、さんざん乱れて四方八方へと敗走を始めた。
「はっはっは! 織田の大軍とて、我が朝倉の連携の前には形無しよ! 追え! 一人も生かすな!」
疋田や九岐たちは完全に勝利を確信し、勝ちに乗じて逃げる僕たちの背中を追いかけてくる。彼らのアドレナリンは最高潮に達していた。
――そう、それこそが、僕たちの仕掛けた『死のトラップ』だとも知らずに。
「十兵衛殿、シグナルを送れ! 第二段階へ移行する!」
敗走する馬上で、僕は不敵に笑いながら軍扇を振った。
ズウゥゥゥンッ!!!
突如として、遠く金ヶ崎城の方向から、地響きのような砲声と怒号が響き渡った。
「な、何事だ!?」
追撃していた朝倉景恒が驚いて振り返る。なんと、僕たちが手筒ヶ峯で派手にヘイトを集めて敵の戦力を引きずり出している隙に、待機させておいた僕たちの『秘密兵器』――物理的な大砲などではなく、佐久間右衛門尉、森三左衛門、池田勝三郎らが率いる別働隊5,000人という強大な軍勢――が、ガラ空きになった金ヶ崎城を猛烈な勢いで急襲したのだ。
「しまっ……! 金ヶ崎が落ちるぞ! 騙された!」
景恒は顔面を蒼白にし、僕たちへの追撃を即座に中止。自らが後殿となって、大慌てで金ヶ崎城へと引き返し始めた。
しかし、手筒ヶ峯から打って出てきていた疋田右近や九岐左介らの500人は、この急激なパラダイムシフトに対応できなかった。彼らが「え? 何が起きてるの?」と足を止めた瞬間、周囲の白い霧の中から、織田軍の真のハメ技が姿を現した。
「逃げると思ったか? バカめ、ここからが本当の本戦だ!」
敗走していたはずの僕の木下隊が、一瞬にして見事な規律で反転。同時に、退路を断つように坂井右近の1,000人が背後に回り込み、さらに大手の方からは柴田勝家の2,000人が怒涛の勢いで攻め上がってきた。それだけではない。南の手からは松永弾正久秀の2,000人、北の手からは和田伊賀守の2,000人が、同時に鬨の声を上げて出現したのだ。
前後左右、すべての視界が織田の軍旗で埋め尽くされる。その数、総勢10,000近く。ついさっきまで500人で追撃していた朝倉兵たちは、一瞬にして完全なる包囲網の中に閉じ込められた。
「ひ、ひぃぃぃ! 囲まれた! どこを見ても織田の兵だ!」
「罠だ! 最初からこれが狙いだったんだ!」
まさに眉に火がついたかのごとき絶望。
「突っ込めぇぇぇッ!!」
僕や柴田勝家、松永久秀らの怒号とともに、織田軍が一斉に一揉みに攻め立てる。圧倒的な火力と数の暴力の前に、疋田や九岐の軍勢は、まるで刈り取られる麻のごとく次々と血だまりの中に沈んでいった。大将の疋田右近も九岐左介も、乱軍の中で僕たちの放った鋭い槍に貫かれ、命を落とした。わずか数分の間に200人の命が刈り取られ、生き残った残兵たちは武器を投げ捨てて四方八方へと逃げ惑うしかなかった。
「――今だ! 信長様、搦手が開きました!」
僕は懐から取り出した狼煙を天へと打ち上げた。
頃合いよし。手筒ヶ峯の城兵がすべて大手に釣り出され、全滅したその瞬間。城の裏手にある、あの進入不可能なはずの底なし沼(広沼)に、突如として別の軍勢が姿を現した。信長自らが率いる、丹羽五郎左衛門、明智光秀、佐久間内蔵助らの本隊5,000人だ。
普通の人間なら足を踏み入れることすら躊躇う沼地。だが、僕があらかじめ作らせていた『沼地踏破用の特製の竹かんじき』を足に履いた織田の精鋭たちは、底なし沼の泥を厭うことなく、スイスイと驚異的なスピードで沼地を渡りきった。未来の物理知識を応用した、完全な想定外の進軍ルートだ。守る者が一人もいない搦手から、信長たちは一気に城内へと乗り入れた。
「火をかけよ! 朝倉の拠点を焼き尽くせ!」
信長の下知とともに、本丸の建物に次々と火が放たれる。赤い炎と黒煙が、手筒ヶ峯の空を覆い尽くした。
正面の塀を越えて乗り込んできた僕たちと、裏から突入した信長の本隊が、城の真ん中で合流する。手筒ヶ峯の留守を預かっていた大将、寺田采女と津浪甚四郎は、燃え盛る本丸の中で、必死に刀を振るって防戦した。越前の武士としての意地を見せる凄まじい奮闘だったが、数万の敵に囲まれた今、もはや戦局を覆す術など残されてはいなかった。
「……ここまで、か。織田の猿め、見事な謀略であったぞ……!」
2人は血に塗れた身体で僕を睨みつけると、見事な手際で互いの腹を突き刺し、燃え盛る炎の中へと崩れ落ちていった。自害。手筒ヶ峯の防衛システムは、完全に機能を停止した。
作戦開始から、わずか四時(約8時間)。絶対に一日では落ちないと言われた要害・手筒ヶ峯は、僕の未来知識の計略と、光秀とのコンビネーションにより、文字通り『1日(わずか数時間)』で完全に落城した。
夕暮れ時。赤く染まった手筒ヶ峯の本丸跡で、信長は床几に腰掛け、集まった諸将を見回した。城からはまだ黒い煙が立ち上り、周囲には勝利のファンファーレのような鬨の声が響き渡っている。
「みなの者、よくやった」
信長の声が、重々しく、しかし確かな喜びを孕んで陣中に響いた。
「越前随一の防衛網と恐れられたこの手筒ヶ峯を、わずか数時間で叩き潰した貴様らの働き、見事である。特に――」
信長の鋭い視線が、僕へと向けられた。その口元が、ニヤリと不敵に歪む。
「猿。そして十兵衛。貴様たちの描いた計略、完璧であったぞ。敵の心理を弄び、背後を突かせてさらに包囲する。あの朝倉中務を翻弄し、一撃でこの要害を葬り去ったその知略、天下に並ぶ者なしと称えてやろう」
「もったいなきお言葉にございます、信長様!」
僕は明智光秀とともに、深く平伏した。周囲の柴田勝家や丹羽長秀たちからも、今や嫉妬を通り越した、畏敬の念に満ちた拍手が送られる。
木下藤吉郎、またしても大金星である。現代の戦術知識と心理トラップを組み合わせれば、戦国時代の名門など恐れるに足らず。この勢いのまま金ヶ崎城も落とし、越前を完全攻略してハッピーエンディングへ一直線だ――。
平伏しながら、僕は心の中で勝利の余韻に浸っていた。だが、その時、僕の胸の奥にある『日輪の熱』が、ドクン、と奇妙に冷たく脈打った気がした。
何か、嫌な予感がする。脳内の歴史データベースが、この先の未来にある「あるキーワード」を弾き出そうとして、激しくノイズを発している。手筒ヶ峯は落ちた。金ヶ崎も落とせる。だが、この後に待っている、織田信長史上最大の危機。身内の裏切りによる、あの絶望のデスゲーム――。
「……お市、様。浅井長政……」
僕の口から、無意識にその名前が漏れ出た。傷ついた太ももが、冬の終わりの冷たい夜風に吹かれて、ずきりと深く、疼き始めていた。
僕は、この輝かしい大勝利の裏側で、いよいよ戦国時代最大の泥沼へと、一歩ずつ足を踏み入れていく。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
藤吉郎計略手筒ヶ峯の城を陥る
永祿十三年、年號改元ありて元龜元年となる。このとき信長卿勢州を平定し、その威名隣國に震ひ、敢て敵對する者なし。ここにおいて越前の朝倉義景を誅戮せんとて、二月下旬、上洛して將軍に謁し、朝倉征伐の台命を申し受け、しばらく在京して京都の仕置等を沙汰せられけるに、三好、松永が悪政を改め、邪を正し直きを勸め、もつぱら仁政を行ひ給ふ。かの悪政に久しく馴れたる町人百姓、俄に政道改まりければ、悦ぶ者半にして悦びざる者もまた半なり。たとへば病める者に艾灸するがごとし。いかなる者かしたりけん、信長卿の本陣半井驢庵が門柱に落首して押したりける。ながらへばまた信長や偲ばれんうしと三好ぞ今は戀しき さるほどに信長卿、畿内、東山の軍勢十萬餘騎を引率し、四月二十日京都を出馬ありて、二十五日越前敦賀の府に著し給ふ。朝倉義景かねて防戰の備へをなし、當府金ヶ崎の城には、越前州第一の勇士朝倉中務少輔景恒を大將として、逞兵勝つて三千餘人籠城し、また同郡手筒ヶ峯に新たに城を築き、寺田采女、疋田右近、津浪甚四郎、九岐左介らを大將として、これも剛兵一千五百餘人楯籠り、金ヶ崎と互に相扶けて信長を防がんとす。信長その備へあるを見て、諸將を集めて軍の評定ありけるに、明智十兵衛光秀申しけるは、「某かつて朝倉が家に客たりしとき、つらつらかの家のありさまを見るに、義景柔弱にして諸士もまた智勇の者なし。今この金ヶ崎に籠りたる中務少輔景恒は、越前随一の勇將とも云ふべし。この者を討取る時は越前を征するにはなはだ利あり。まづ手筒ヶ峯に押への勢を置き、大軍を以て金ヶ崎を攻むべし」と云ふ。木下藤吉郎 進んで申しけるは、「中務景恒智勇の將にして、金ヶ崎の要害を守らば容易に落城すべからず。まづ手筒ヶ峯の城を今日一日に攻め落し、敵の勇氣をくじくべし。その計策は斯様斯様に攻むべし」と、光秀にささやきければ、光秀打頷き、「その計はなはだ妙なり。早く行ひ給ふべし」とて、明智、木下兩人、信長卿に計略の次第を言上し、手分を定めて、思ひ思ひに手筒ヶ峯の城へぞ向ひける。そもそもこの手筒ヶ峯といへるは、三方は平地にして、搦手は廣沼にて、人馬の駈引自由ならず。城中切所を頼んで、搦手にははかばかしき備へもなく、皆ほかの手を固めける。ときに木下藤吉郎、三千餘人二手に備へて、大手の方より攻寄せ、鬨を作り鐵砲を放ち、無二無三に攻めかかる。城中かねて期したることなれば、少しも騒がず、矢頃に敵を引き受け、弓鐵砲を打出し、きびしく防ぎ支へければ、木下が勢わざと猶豫ひて進まず。このとき金ヶ崎に籠りたる中務少輔景恒、敵手筒ヶ峯を圍みたるを聞きければ、さらば後詰して敵を駈散らさんと、二千餘騎を引率し、揉みに揉んで押來り、木下が勢の後より、どつと喚いて切り立てければ、木下たちまち後陣を先陣となして、景恒が勢を迎へ相戰ふ。城中の兵ら、後詰の勢木下が後を討つと見てければ、疋田右近、九岐左介五百餘人を引率し、城戸を開いて一文字に切つて出で、木下が勢をさし挟んで攻立てければ、木下勢さんざんに亂れ敗走す。このとき佐久間右衛門尉、森三左衛門、池田勝三郎五千餘人、俄に起りて金ヶ崎の城を攻む。中務景恒これを聞きて大に驚き、木下を打捨て、自ら後殿して金ヶ崎へ引返す。城兵はかかる術ありとも知らず、勝に乗つて木下が勢を追ふところに、坂井右近一千餘人にて城兵の跡を断ち切り、柴田勝家二千餘人大手の方を攻め上れば、南の手より松永彈正二千餘人、北の手より和田伊賀守、これも同じく二千餘人、同時に鬨の聲をあげて、ただ一揉と攻め立てたり。これを見て僞り負けたる木下が勢、大返しに返し、坂井右近とさし挟んで切り立つる。その急なること眉に火の附きたるごとく、疋田、九岐が軍勢討たるる者麻のごとし。疋田、九岐も亂軍の中に命を落し、二百餘人討死し、殘兵はちりぢりになつて落ち失せたり。時分よしと信長卿、丹羽五郎左衛門、明智十兵衛、佐久間内蔵助五千餘人、搦手へ攻め來り、かの廣沼を厭ひなく、ゑいゑい聲して攻め寄れども、もとよりこの手無勢なれば、防ぐ者一人もなく、一同に乗り入つて、はや火をかけて焼立つれば、三方の寄手もことごとく城戸を破り、塀を越え乗り込みたり。大將寺田采女、津浪甚四郎も、手いたく防ぎ戰ひけれど、今はいかんぞ敵すべき、みな自害して死したりける。殘る兵ども、或は討たれ、または落失せ生捕られ、四時ばかりに手筒ヶ峯落城しければ、信長深くよろこび給ひ、諸士の働きを稱し給ふ。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜 投稿38日目でUU日別274人達成!御礼投稿 3/3話 〜
ランキング露出が無いにもかかわらず、投稿初日は91人/日だった重要指標UUがなんと今週は274人/日の方にご覧頂けました(^^)(ブクマは低調なので皆様どうやって本作に辿り着いて頂いてるのか不思議ですw)心からの感謝を込めて少しですがまとめて投稿させて頂きます。是非お時間のある時にお楽しみ下さい。




