2-3 血に染まる兵法書と、虎の論理
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
さて、話を助作の視点に戻そう。その日の朝、助作はいつも通り軍学の講義を受けるために師匠である七太夫のあばら家を訪れた。
だが、敷地内に足を踏み入れた瞬間、彼の野生の勘とも呼べる武士の直感が、強烈な警鐘を鳴らした。異常な静寂。そして、鼻腔を突く、むせ返るような生臭い鉄の匂い。
「……爺様?」
嫌な予感を抱えながら、助作が軋む扉を押し開けたその先――視界に飛び込んできたのは、言語を絶する地獄の光景だった。つい昨日まで、大陸の兵法を流暢に語っていた師匠・七太夫。その老体は、肩先から袈裟懸けに真っ二つに両断され、無惨に切り放されていた。鮮血が狭い床一面にあふれ出し、どす黒い朱の海を作って事切れていたのである。
「な、なんだこれは……ッ!?」
誇り高き名門・土岐氏の血を引く助作も、この凄惨な有様には大いに仰天し、顔面を蒼白にした。幼い頃、斎藤道三の軍勢に一族を滅ぼされた記憶のフラッシュバック。またしても、自分の大切な人間が理不尽な暴力によって奪われた。激しい怒りと混乱が脳内を駆け巡る中、助作の理知的な頭脳は瞬時に一つの結論を導き出した。
(これほどの太刀筋……只者ではない。いや、待て。先ほど村の入り口で、あいつとすれ違った……! これは必ず、虎之助の所業に違いない!)
助作は悲しみに浸っている暇もなく、血走った目で家を飛び出した。村の入り口まで全力で駆けると、予想していた通りの光景が目に入る。そこには、血を拭ったばかりの刀を腰に下げた加藤虎之助が、堂々と立っていた。助作が憎しみを込めて手招きすると、虎之助は逃げるどころか、落ち着いた足取りでゆっくりと近づいてくる。
「虎之助ッ!!」
助作は刀の柄に手をかけ、一歩一歩にじり寄った。
「さっき、お前は『師匠に会って話をしてきた』と言ったな! だが家へ行ってみれば、爺様は斬り殺され、もう息絶えていた! 誰がやったのか知らないなどとは言わせん。お前がやったんだろう!」
虎之助は何も答えない。
「爺様に何の恨みがあった!? 納得できる理由を話せないなら……師匠の仇として、この場で斬る!」
今にも刀を抜こうとする助作を、虎之助は鋭く見据え、鼻で笑った。
「仇討ちとは、ずいぶん大げさな言い方だな」
「何だと……!?」
「七太夫を斬ったのは、お前の思った通り俺だ。だが刀を抜く前に、一度落ち着いて俺の話を聞け。お前も俺も、藤吉郎様に仕える家臣だ。主君を思う気持ちは同じはずだろう」
虎之助は罪悪感をまるで感じさせない、真っ直ぐな目で話し始めた。
「いいか、助作。今の世は乱れ切り、各地の武将が争い合い、強い者が弱い者を飲み込んでいる。誰もが天下を手に入れ、この国の頂点に立とうとしている。その中でも、織田信長様の勢いは群を抜いている。将軍・義昭公を擁して次々と国を従え、やがて天下統一を成し遂げようとしているお方だ」
信長――その名を聞いただけで、助作の背中に冷たい汗が流れた。
「そこで考えてみろ。もし信長様の耳に、『家臣の木下藤吉郎には天下人の相がある、と唐人の老人が言っている』という噂が入ったら、どうなる?」
「あっ……」
「信長様は喜ばれると思うか? いや、決してそんなことはない。あのお方の激しい気性なら、必ず藤吉郎様を警戒し、疎ましく思うだろう。出世の妨げになるだけではない。最悪の場合、命まで危うくなる」
虎之助の目には、狂気にも思えるほど強い忠誠心が宿っていた。
「だから俺は、それを恐れた。危険な噂を言いふらす七太夫の口を、永遠に閉ざすために斬ったのだ。私怨で殺したわけではない。……それでも、お前が俺を恩師の仇だというのなら――」
虎之助は自らの刀をおっ取り、無造作に立ち上がって首を差し出した。
「この場にて返り討ちにして見せろ。俺の命は、藤吉郎様のためにこそ捨てる。お前のためになど、一ミリたりとも捨てはしないぞ!」
その覚悟――そこには一切の迷いもなく、自らを犠牲にする覚悟だけがあった。助作は刀から手を離すと、大きく息を吐き、空を見上げた。
「……見事な考えだ。間違っていたのは僕のほうだった」
「ほう?」
「君が藤吉郎様のために命を捨てる覚悟なら、僕も負けるつもりはない。これからは互いに疑うことなく、ともに藤吉郎様へ忠義を尽くそう」
二人の若者は、血だまりと七太夫の亡骸のそばで胸のわだかまりを解き、肩を並べて墨俣城へと帰っていった。
「――って、アホかああああああああああああッ!!」
数日後。墨俣城の執務室で、事の顛末を(こっそり放っていた忍びから)報告された僕は、僕は胃のあたりをさすりながら、冷や汗を流した。
無理もない。七太夫は、明国の本場の軍学と陣法をインストールした、いわば『歩く戦術教義運用原則』である。今後の美濃攻略、さらにはその先の天下布武を見据えれば、絶対に生かして知識を吸い尽くさなければならない超重要人物だった。それを「噂を広められたら信長の機嫌を損ねるから、先に口封じしとこ」という脳筋極まりないロジックで、バッサリと消去してしまったのである。
だが――冷静になって考えてみると、虎之助の危惧は、戦国時代を生きる者として、いや、未来の歴史知識を持つ僕からしても『100%の正論』だ。のちに第六天魔王と名乗る信長は、有能な人間を愛する一方で、自分に対する脅威や裏切りに対しては、常軌を逸した苛烈さで報復する。後の比叡山焼き討ちや長島一向一揆の惨劇を知る僕からすれば、信長は良い意味でも悪い意味でも精神病質者だ。
もし本当に「藤吉郎は重瞳の持ち主で、天下を取る相がある」などというオカルトじみた与太話が信長の耳に入れば、「ふーん、生意気だね。死ね」の一言で僕の首は飛んでいただろう。
虎之助は、僕という主君の政治的リスクを排除するため、恩人である助作の師匠を斬るという泥を被った。そして助作もまた、その狂気の忠誠心を理解し、個人の悲しみを殺して和解した。
「……お前らの忠義、重すぎるだろ」
僕は深いため息をつき、顔を上げた。虎之助と助作のやったことは、未来のコンプライアンスで言えば一発アウトだ。だが、ここは戦国。血と暴力と忠義が支配する狂った世界。2人の忠誠を否定してしまえば、僕は将としての求心力を失う。ならば、僕が取るべき態度は一つしかない。
「――呼べ。虎之助と助作を、ここへ連れてこい」
僕は自らの顔に『戦国武将・木下藤吉郎』の仮面を貼り付け、深く腰を下ろした。
やがて、執務室に2人の少年が畏まって平伏した。気まずそうに目を伏せる助作と、どこか誇らしげに胸を張る虎之助。僕はあえてゆっくりと立ち上がり、二人の前へ歩み寄った。
「……お前たち。先日の七太夫の一件、聞いたぞ」
僕が低くドスを効かせた声で言うと、二人の肩がビクッと跳ねた。
「安心しろ。僕はお前たちを罰するつもりはない。僕のためにそこまで思い詰めてくれたこと、感謝している」
そう言って笑いかけると、二人はホッとしたように顔を見合わせた。
「ありがたき幸せ……ッ!」
「でも、虎之助、助作。よく聞くんだ」
僕は声のトーンを一段落とし、あえて傲慢な、戦国武将としての『ハッタリ』を全力でかますことにした。
「これから先は、僕についてどんな噂をする者が現れても、そのまま放っておけばいい。わざわざ殺す必要なんてない」
「なっ……で、でも、藤吉郎様! もし信長様のお耳に入れば――」
虎之助が身を乗り出すのを、僕は手で制した。
「死生は命にあり、富貴は天にあり、だ」
未来の教養をフル活用した、それっぽい名言を叩きつける。
「もし本当に僕に天下を取るだけの運と器があるのなら、誰に何を言われようと、必ず志を成し遂げる。逆に、たかが一人の坊主の口先ひとつで道を閉ざされるようなら……その程度の器だったということだ。僕は天下人にはなれなかった、それだけの話だ。」
僕はあえて窓の外――遠く尾張の空を指差して、笑い飛ばした。
「僕の器は、そんなちゃちな噂でヒビが入るほど安っぽくはない。お前たちも僕の家臣であるならば、以後、もっと心を広く、デカく持て!」
しんと、執務室が静まり返った。内心では「頼むからもうトラブル起こさないでくれよ」と冷や汗を流していたが、表面上は微塵も悟らせない。すると――。
「おおお……ッ!!」
助作がその大量に感涙にむせび、虎之助が目をカッと見開いて震えていた。
「なんという器……! 我が主君ながら、底が知れませぬ!」
「藤吉郎様! この虎之助、命ある限り藤吉郎様にお仕えしますッ!!」
二人は畳に額をこすりつけ、絶対の忠誠を誓った。戦国という狂った時代で、彼らのような狂犬を手なずけ、導いていくのが僕の――日輪の子として転生した僕の役目らしい。
僕は小さく「やれやれ……」とぼやきながら、若き二人の頭を乱暴に、だが確かな愛情を込めて撫でてやった。
こうして、僕の陣営は、少しずつ、だが確実に『化け物じみた強さ』を帯びていく。血に塗れた歴史の表舞台に彼らが躍り出るまで、あともう少しの時間が残されていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
加藤虎之助の傳(三)
さて助作は何心なく、七太夫が方へ來たり見れば、こはいかに、師匠七太夫肩先より袈裟にかけ、兩段に切り放され、鮮血床にあふれ、朱になりて死したりけり。助作大きに仰天し、「これ必ず虎之助が所爲なるべし。遠くは行くまじ、追かけてただ一討」と表へ出でて見てければ、加藤虎之助、以前の村口に仁王立ちにぞ立ち居たり。助作さればこそと、手をあげてさし招けば、虎之助悠々(いういう)と立ち戻り、七太夫が家に來る。助作、虎之助に向ひ、「汝今我が師に逢ひて物語せしと云ひしに、ここに来りて見ればかくのごとく刃殺せられ、すでに事切れたり。何者の所爲なるや、汝知らずと云ふべからず。思ふにこれ必ず汝が仕業なるべし。いかなる恨ありて七太夫を討ちたるや。その仔細を申すべし。師匠の敵、その席を立たすまじ」と、刀に手をかけ詰め寄せたり。虎之助、助作をはつたと白眼み、「敵討とは鳴呼がましし。七太夫を殺したるは推量のごとく某がしわざなり。心を靜め我が言を聞くべし。汝も我も等しく木下が家臣なれば、忠義を思ふ心もまた等しかるべし。今天下ことごとく亂れ、國々(くにぐに)の武将互ひに爭ひ、剛きは弱きを征し、小きは大きに役せらる。その專とするところは皆天下を掌に握り、四海の主たらんことを欲す。なかんづく織田信長卿、義昭公をさし挟んで國々(くにぐに)を征し、終には天下を呑まんと計り給ふ。その臣下たる木下藤吉郎に、天下を知るべき相貌ありと、信長卿の聞し召さば、よろこび給ふべきか、惡み給ふべきか。終には主人木下殿、信長卿に忌み惡まれ、立身の妨げとなるべし。我これを思ふ故に、七太夫が舌の根を止めんため、一刀に切り殺せり。私の恨ありて殺したるにはあらず。されども我を敵なりと思はば、この場にて返り討ちぞ。我が命は主人のためにこそ捨つるなり。汝がためには捨てざるぞ」と、刀おつ取り立ち上がれば、助作大きに感心し、「至極の格論、我はなはだ誤れり。君のために身を捨つるは、我も足下に劣るまじ。相互に隔心なく、もろともに忠義を盡すべし」と、兩人ともに心とけ、打伴はれて洲俣の城へ歸りけり。
日を經て藤吉郎このことを聞き、虎之助、助作兩人を近く招き、「汝らはまだ少年の身として忠勇の志深く、我に於て滿足せり。兩人が生先そたのもしけれ」と、返す返す感稱し、さて、「この後は某をいかに噂する者ありとも、そのままに打捨て置くべし。死生命あり富貴天にあり。我實に天下を知るべき福あらば、いかに云ひ妨ぐる者ありとも、志を遂げでやはあるべき。一小人の舌頭に支へられ、中道に廢れるに天下を知る器(き)にあらず。以後心を廣く持つべし」と諭しければ、兩人その大量を感心し、いよいよ心服したりける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
そういえばググってたら、太閤記って原文が古典として高校の入試問題にも出たんですね。流石に中学3年生には厳しいだろ~と思います。私もそうでしたが、漢文や古典が解ける子って、問題文を解読してる訳じゃなくて、元々あらすじを知ってるんですよねw
2020年度 中央大学杉並高校 国語入試問題
(プロ家庭教師のリーダーズブレイン)
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ということで、読むとタメになる作品なので繰り返しご覧下さい。ブックマークしてw




