1-116 ワンオペ守護代の内政ターン
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
――かくして、織田と浅井の間に生じた致命的な亀裂を、絶対的な権威という名の劇薬で無理やり塞いだ春が過ぎた。
二条に築かれた新たなる将軍の居城は、その威容を天下に見せつけ、京の都には嵐の前の静けさとも言うべき、かりそめの平穏が訪れていた。
永禄12年(1569年)。室町新御所の造営という前代未聞の巨大事業を成し遂げた信長は、ついに京の都に別れを告げ、本拠地である美濃の岐阜城へと帰還する準備を始めていた。
しかし、いかに堅牢な城を築き上げたとはいえ、お飾りの将軍である足利義昭の足元はいまだ盤石とは言い難い。都の周囲には、四国へ逃げた三好の残党や、いまだ織田の軍門に下ることを良しとしない不穏な勢力が息を潜めている。信長が大軍を引き払えば、彼らが再び牙を剥く可能性は十分考えられた。
「――信長よ。そなたが岐阜へ戻ることは止めぬ。だが、せめて余を支えるため、武略と政に長けた重臣を一人、この京に残し置いてはくれまいか」
出発を目前に控えたある日、足利義昭は信長に対してそう懇願した。征夷大将軍からの直接の指名である。信長としても、せっかく作り上げた京の統治機構を崩壊させるわけにはいかない。この要望を受け入れ、「しかと承知いたしました」と鷹揚に頷いた。
この噂は、瞬く間に織田の陣中を駆け巡った。
「信長様は、一体誰を京都の守護として残されるおつもりだろうか」
諸将の間では、連日その話題で持ちきりとなった。無理もない。将軍の膝元に残り、日本の中心である京の都を実質的に支配する権限を与えられるのだ。それは織田家臣団において、実力と信頼の頂点に立つことを意味する。誰もが、心の中で密かに予想を立てていた。
(順当に考えれば、織田家生え抜きの筆頭家老、佐久間信盛殿だろうか)
(いや、武勇と統率力を重んじるなら、鬼柴田こと柴田勝家殿しかおるまい)
(待て、京の公家や商人たちとの細やかな折衝を考えれば、温厚で実務に長けた丹羽長秀殿が適任ではないか)
血筋、実績、そして信長様からの信頼。そのすべてを兼ね備えた古参の重臣たちの名が、次々と挙がっては消えていった。
――だが。軍議の席で、信長が放った一言は、居並ぶ諸将の予想を根本から、それも木端微塵に打ち砕くものだった。
「――木下藤吉郎。貴様を、京の留守居役に任ずる」
その瞬間、陣幕の空気が完全に凍りついた。居並ぶ猛将たちの視線が一斉に、末席に座る僕――農民上がりの新参者である木下藤吉郎へと突き刺さる。
嫉妬、驚愕、そして明らかな侮蔑。
「……なっ! よりによって、あの猿を残すというのか!」
「俗姓も定かではない、どこの馬の骨とも知れぬ成り上がり者を、天下の政務を預かる大役に据えるなど……信長様の御思案、どうにも腑に落ちませぬ!」
古参の武将たちの間から、隠しきれない不満のざわめきが漏れ始めた。無理もない。彼らからすれば、代々織田家に仕えて血と汗を流してきた自分たちを差し置いて、口八丁と小賢しい知恵だけでのし上がってきた僕がいきなり抜擢されるなど、到底受け入れられるものではない。
陣幕の空気が剣呑なものへと変わりかけたその時、古参筆頭である佐久間信盛が、静かに、だが重みのある声で口を開いた。
「――皆の者、見苦しいぞ。口を慎め」
佐久間信盛の言葉に、ざわめきがピタリと止まる。彼は真っ直ぐに諸将を見据え、大人びた、落ち着き払った声で言った。
「信長様の眼力に、これまで狂いがあったか? これほど天下を左右する重大な人事に於いて、信長様が意味もなく猿を選ぶはずがなかろう。間違いなく、藤吉郎にはそれだけの器があると見込んでの抜擢だ。……自分達の小さな脳味噌と狭い見識で、信長様の正しさを論ずるなど、烏滸がましいとは思わぬか」
(佐久間サン、アンタ意外と話の分かる人だったんだな……!)
僕は内心でホッと胸を撫で下ろしつつ、静かに進み出て、信長の前に平伏した。
京の都の政務という極めて重い責任を、僕はただ一人で背負うことになった。信長は、自らの手で書き記した『制書(掟)』の5ヶ条を、僕の目の前へと突きつけた。
「京の治安、公家や商人との交渉、そして将軍の補佐。すべて貴様に任せる。……しくじるなよ、猿」
「ありがたき幸せ! この木下藤吉郎、粉骨砕身、命に代えましても御役目を全ういたします!」
僕は深々と頭を下げ、その制書を押し頂いた。周囲からは「あいつ、調子に盛り上がって」という冷ややかな視線が向けられていたが、事実、僕は高揚感で打ち震えていた。
ついに、この日本の中心である京の都を、僕自身の裁量と論理で自由に動かせる絶対的権限を手に入れたのだ。未来の歴史知識と合理性を、存分に振るう時が来た。
翌日。僕は息つく暇も惜しんで、将軍・義昭公の新しい御所へと足を運んだ。単に挨拶へ赴くだけではない。僕は事前に、将軍家の側近である上野中務少輔らに根回しを行い、現在の京の行政が抱えている問題点をすべて洗い出していた。
「――木下藤吉郎、御目見えの儀、ありがたく存じます」
義昭の前に平伏した僕は、単なる儀礼的な挨拶を早々に切り上げ、即座に実務の話へと入った。
「義昭様。ご機嫌伺いのみにて退出するのは、本意ではございません。滞っている政務をすべて僕に丸投げしてください。この僕が、ただちに万事手筈を整え、捌いてご覧に入れます」
僕が立て板に水のごとく、極めて合理的な提案を述べると、足利義昭は目を丸くして驚いた。これまでの武将たちは、挨拶に来ても「何かあればお呼びください」と受け身で控えるばかりだったからだ。
自ら仕事を取りに行き、即座に解決策を提示してくる僕の姿勢は、足利義昭にとって極めて新鮮だったに違いない。
「お、おお! そこまで申すか、藤吉郎。ならば頼む!」
足利義昭の許しを得た僕は、その日のうちに蓄積されていた訴訟や揉め事、商人たちとの折衝を、次から次へと捌き始めた。
古い慣習やしがらみには一切囚われない。未来の論理的思考に基づき、証拠と事実だけを照らし合わせ、最も無駄のない公平な裁定を下していく。
「はい、その言い分は証拠不十分。差戻!」
「その商人の利権主張は論理破綻している。却下!」
一切の滞りなく、鮮やかに物事が決着していくその様は、まさに電光石火だった。
「あの木下という男、何者だ……。どんな難題を持ち込んでも、瞬く間に筋道を立てて裁定を下してしまうぞ」
「これまでの役人とは、動きの速さも頭の出来も全く違う!」
僕の合理的で迅速な政務処理は、またたく間に洛中洛外の話題となった。足利義昭も僕の手腕を心の底から頼りにするようになり、僕の威勢と名声は、京の都において日々爆上がりしていった。
だが、出る杭は打たれるのが世の常だ。岐阜へと帰還していた織田の古参武将たちの中には、京で僕が縦横無尽に威を振るい、将軍家から重用されているという報告を聞いて、腸を煮えくり返らせる者が少なくなかった。
「信長様! あの猿め、都で将軍の威を借りて、すっかり自分が天下人であるかのように振る舞っておりますぞ!」
「あのような身の程知らずに大役を任せたままでは、いずれ織田家の名に傷がつきます。どうか、奴の権限を剥奪し、古参の重臣と交代させてくだされ!」
彼らは次々と岐阜の信長の元へ赴き、僕に対する讒言を吹き込み、僕を失脚させようと必死に画策した。
――しかし。我らが魔王・信長は、そんな底の浅い嫉妬など、一顧だにしない。
「……貴様ら、下らぬことを喚くのも大概にしろ」
謁見の間。信長は、不満を垂れる古参の武将たちを、まるで羽虫を見るような冷酷な白眼で見下ろした。
「猿が差し出がましい振る舞いをしているだと? 当たり前だ。俺がそうするように、あいつを京に残したのだからな。あいつは今、俺の代わりに知恵を絞り、武勇を励まし、国家を平治するために朝から晩まで身を粉にして働いているのだ。暇な時間など一刻たりともない。……貴様ら、そんなことも分からずにピーピーと喚いているのか?」
信長様の怒気に満ちた言葉に、古参武将たちは一瞬にして顔を真っ赤に染め上げ、言葉を失った。
「よいか、よく聞け。古参の者に天下を治めるだけの『才智』と『実行力』が伴っていなければ、何の意味もない! 国家を運営するにあたって、新参も古参も関係あるか! 俺はただ、結果を出せる才能ある者だけを用い、天下を平定するためだけに進む。それ以外の感情など、俺には一切ない!!」
徹底した能力主義の宣言であった。家柄や年功序列といった古い価値観を完全に否定し、実力だけですべてを評価する絶対基準。これに心を打たれた古参たちは、己の嫉妬心の醜さを恥じ、すっかり毒気を抜かれて己の仕事に没頭するようになったらしい。
信長の絶対的な庇護のもと、僕は京の都において存分に内政ターンを続けた。
武力で制圧された恐怖の都は、僕の未来の論理と信長の威光によって、日本一豊かで安全な大都市へと生まれ変わった。泥棒が消えたため、民衆が夜に家の戸締まりをすることさえ忘れてしまうほど、かつてない美しく豊かな「太平の世」が現出していた。
「……ふう。とりあえず、街づくりの基礎はこれで完成だな」
執務室で筆を置き、コーヒー(に似た薬湯)をすすりながら僕は大きく伸びをした。
しかし、この平和な文官ライフがいつまでも続くほど、戦国時代は甘くはない。この天下という広大な盤面には、まだ越前の朝倉、甲斐の武田、そして……あの深い亀裂を抱えた浅井長政が、不気味な沈黙を保ったまま存在している。
胸の奥に宿る『日輪』の熱は、いまだ冷めることを知らない。このかりそめの平和を守り抜き、真の天下布武を成し遂げるため。僕、木下藤吉郎の過酷で泥臭い戦いは、まだその序章を終えたばかりなのである。
【太閤記 小瀬甫菴道喜輯録 近藤出版部 大正8年】
秀吉を讒しけるを信長公用ゐ不㆑給事
将軍義昭公六条に御座有し時、三好か一党打囲み攻しか共、助の勢多して囲を出給ひし後、洛の二条に信長公城墎を構へ進せられ、御暇被㆓仰上㆒御帰陣有へきとの折節、公義よりの御好に、大臣にして武略の達者一人残し置れ候へと有しかは、信長公委細奉㆑得㆓其意㆒と宣ひつゝ、誰をか残しをかれんと有し時、各推察し云けるは、大臣にも有、遠慮もふかゝりし人なれは、佐久間右衛門尉信盛にてあらんか、左もなくは柴田修理亮勝家、丹羽五郎左衛門尉長秀にて有へきかなと思ひける処に、木下藤吉郎を残し置給へり、奮臣の恨と云、俗姓もおほつかなきと云、旁以案に相違したる御事と云あへる処に、佐久間か云、いや信長公御目きゝ相違の事何れにか在、かやうに大なる事にをひては必あたると覚ふ也、小智小見を以当否を論せされと、をとなしやかに云れしかば、満座言なかりき、夫以天下の政務は非㆓大才㆒不㆑能㆑治民、非㆓武勇㆒不㆑能㆑擒㆑敵と云事なれは、秀吉に被㆑定給ふか、誠武士の面目何事か如㆑之乎、信長公御自筆にて制書を五ケ条記し付、秀吉に被㆑下けるか、何事にや有けん、藤吉殿無㆑限喜ひ給ふけしきなり、翌日はや義昭公の御舘へ参リ掛㆓御目㆒度由、上野中務少輔なとに相談被㆑申しかば、今日の御目見いかが有けんと申のべ侍りし体を、秀吉頓て察しつゝ、いや〳〵急き御目見致し、直に御用をも奉ハリ早速相叶へ、万はかも行侍るやうにおはしまさば、諸人存する所も宜しく候はんや、かく申も御為なりと重て望み被㆑申しかば、御ゆるしを蒙り御目見致されけり御懇の御意なれは、秀吉忝被㆑存、向後御用の儀御座候にをひては、被㆓召寄㆒被㆓仰付㆒候やうにと、御気色を伺ひ奉り、何事も無㆓滞事㆒裁判有しかば、其威勢弥増其聞之夥く、古より士に無㆓賢不肖㆒入㆑朝見㆑嫉と云伝ることく、旧臣多く忌嫉て譖愬シンソにさゝへしか共、信長公明君なれは少しも聞入給す、さし出とはかの行事并威を振事とは、兼て思ひまうけ残し置し事なれは、今更可㆑改㆑之に非す、運㆓計策㆒励㆓武勇㆒欲㆑平㆓治国家㆒則朝暮無㆓閑暇㆒事、汝は不㆑知㆑之乎と白眼給へは、讒者及㆓赤面㆒退出せしより後は、飛馬の前に塵を除とそ見えし、斯て仰けるはかやうなる高職をは、同は旧功の輩に附与有度思ふ事、尤不㆑浅也、去共奮臣に無㆓其才智㆒則豈論㆓新旧㆒乎、予は唯才智大勇の者を用て、国家の為にせんと思ふより外他なしと被㆑仰しかば、旧臣の面々嫉心をのつから止つゝ、唯をのか身の上を省み出、弥恥る心弥増、信長公を恨奉る心露なく、心を琢き清忠を尽し見んとのみ思ひけり、依㆑之今世に替り其比の風俗は武の道の真なる意味を専と嗜み、民の利を不㆑侵、されは民は民士は士にして、訴と云事もなく刑獄の役人も信長公にはなかりしなり、大かた人もおろかに信に止て、才覚等を事とせし士もなく、唯大やうに在し也、されは不㆑察㆓鶏豚㆒不㆑畜㆓牛羊㆒は、心もをのつから淳直にして、孟軻のすき給ひし以㆑義為㆑利に等しう、民も戸さしする事を忘れたり、
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
そういえばネットをググって思ったのですが、2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の記事はもちろん盛況ですが、それ以上に来年2027年のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」の出演者発表の記事の方が盛り上がってるのは気のせいでしょうか。投稿するの秀吉じゃなくて小栗忠順にしとけばよかったかなw




