1-115 赤き現場監督と、義弟の参陣
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
――だが、その二条の新城が完成するまでの過程が、決して平穏無事であったわけではない。時間を少しだけ、建設の槌音が響き渡っていた冬の真っ只中へと巻き戻そう。
この巨大プロジェクトの裏側で、僕たち織田陣営は、あわや内部崩壊という取り返しのつかない大事件を引き起こしかけていたのである。
室町御所の造営、ならびに禁裏や仙洞御所の修復。この前代未聞の大事業に対し、魔王・織田信長の力の入れようは尋常ではなかった。
「――この度の造営、徒に日数を重ねてはならん! 時間をかければ、四国へ逃げた三好の逆徒がまた京都へ乱入し、普請の邪魔立てをしてくるであろう!」
信長様は諸将をずらりと集め、目を血走らせて檄を飛ばした。
「諸卒、心を一つにせよ! 昼夜を問わず、怠ることなく励むのだ! これは将軍家への最大の忠功であり、戦場での血みどろの交戦と何ら変わるものではないッ!」
その言葉通り、信長自身が誰よりもこの「戦い」の先頭に立っていた。彼は自ら、目にも鮮やかな『赤き装束』を身に纏い、土まみれになりながら現場を駆け回り、士卒を激しく叱咤激励した。大将自らが大声を張り上げて木や石を運ぶ姿は、まさに阿修羅か鬼神。
これを見た織田の諸将たち――柴田勝家、佐久間信盛、坂井、丹羽長秀、前田利家、そしてもちろんこの僕、木下藤吉郎も――手をこまねいているわけにはいかない。
「信長様があそこまでやっておられるのだ! 俺たちも死ぬ気で働けェッ!」
数多の猛将たちが、自ら進んで木石を運び、重い土砂を肩に担ぎ、狂ったような速度で普請を急いでいた。そんな熱狂の渦中にある京の都へ、強力な味方が到着した。
江州小谷の城主であり、信長の妹・お市を妻に迎えている義弟――浅井備前守長政だ。浅井長政は造営中の京都を警護するため、わざわざ自国の軍勢を率いて上洛し、信長に力を合わせて莫大な労働力を提供してくれたのだ。
将軍・足利義昭もこの浅井長政の忠誠を甚だ喜び、厚くもてなした。浅井家の家老や諸士たちも、現場の凄まじい熱気に当てられ、織田の家臣たちと肩を並べて、共に泥まみれになって働いた。表向きは、織田と浅井の強固な同盟を示す、美しくも頼もしい光景だった。
……だが、人間の『嫉妬』と『驕り』という毒は、常に最も見えにくい泥の底から湧き出してくる。織田の古参兵たちは、共に汗を流しているはずの浅井の兵たちに対し、腹の底でどす黒い不満を抱えていた。
「……おい、見たかよあの浅井の連中。いけしゃあしゃあと良い顔をしやがって」
土を運びながら、織田の人夫たちが小声で毒づく。
「全くだ。去年の秋、俺たちが血反吐を吐いて六角を攻め滅ぼした時、浅井の奴らは一兵たりとも援軍を出さなかったじゃねえか」
彼らの言う通りだった。浅井長政は織田と同盟を結び、「将軍家の御味方」を標榜してはいたものの、実際の六角征伐の際には全く動かなかった。
織田と六角、どちらの旗色が良くなるかを知らん顔で眺めていた――織田の兵たちの目には、そう映っていた。
「信長様の勇猛さで、六角も三好もことごとく退散し、将軍様が無事に入洛された。……その安全な盤面ができあがってから、面皮厚くノコノコと恩着せがましく手伝いに来るとはな」
「恥を知らぬ犬侍どもめ。どの面下げて俺たちと肩を並べてやがる」
織田兵たちの嘲笑は、事あるごとに、折に触れて浅井の人夫たちに向けられた。露骨な嫌がらせ、聞こえよがしの悪口。浅井の士卒たちは、信長様の圧倒的な武威を恐れていたため、万事に慎み、聞こえない顔をして黙々と耐え忍んでいた。だが、相手が反論してこないのを見ると、織田の連中はいよいよ図に乗り、さまざまな我意を振るい始めたのである。
さらに悪いことに、信長の気遣いが、この火種に油を注いでしまった。信長は、浅井長政が可愛い妹の夫であることもあり、毎日欠かさず浅井長政の陣所へと豪勢な贈り物を届けていたのだ。
これを持参する織田の使者の兵士たちは、心底腹を立てていた。
「……命の危うい戦場へは面も出さず、天下が定まってから美味しいところだけを掠め取る。その上、信長様からの貰い物には一切遠慮がない。江州者の面の皮の厚さには恐れ入るわ!」
使者たちは、浅井の陣所を離れる際、わざと彼らに聞こえるように大きな声でつぶやいた。
――そして、ついに。
張り詰めていた浅井の士卒たちの堪忍袋の緒が、音を立ててブチ切れた。
事の発端は、現場での些細な言い争いだった。浅井長政の重臣・三田村佐左衛門の配下の人夫と、織田方の丹羽長秀の士卒とが、些細な手順を巡って口論になった。
日頃から織田方の悪口を歯を食いしばって耐え忍んでいた三田村佐左衛門は、この口論を「またとない好機」と捉えた。
「ええい、舐めるな尾張の田舎侍ども! 我ら江州者の勇力、その身に刻んでくれるわ!」
三田村の下知を受け、激昂した浅井の士卒たちは、丹羽の家臣たちに襲いかかり、散々に薙ぎ倒し、容赦なく打擲(殴打)したのである。
「すわ、浅井の裏切りだ! 野郎ども、一人も余すなッ!」
これを見た織田側の兵士たちも、待ってましたとばかりに面々太刀を抜き放った。血気盛んな戦国の兵同士である。手加減などあるはずもない。瞬く間に三、五人が血飛沫を上げて切り倒されると、浅井方も一斉に刀を抜き連れて斬りかかり、討ちつ討たれつの凄惨な大乱闘へと発展してしまった。
騒ぎはまたたく間に拡大していく。織田方からは、現場の指揮を執っていた猛将・佐久間信盛や福富平左衛門が、「浅井の分際で我らに刃向かうか!」と手勢を率いて討って出た。
対する浅井方も、中村日向守、高橋忠左衛門、山本甚六といった勇猛な武将たちが次々と馳せ出し、これを防いで激しく斬り結んだ。
昨日まで共に肩を並べて石を運んでいた両家が、今や完全に殺意を剥き出しにした死敵として衝突したのだ。飛び交う怒号、肉を裂く刃の音。両家の死傷者の数は、あっという間に知れぬほどに膨れ上がっていった。
この異常事態の報告は、すぐさま双方の総大将の耳に入った。
「何!? 浅井の兵が我らに刃を向けただと!?」
「織田の兵が我らを斬り殺しているだと!?」
信長も、浅井長政も、口論の根本的な原因など全く知らされていなかった。だが、現場で自国の兵が殺されているという事実だけが、両雄の顔に『戦国武将としての殺意』を呼び覚ました。
「かく騒動に及んだからには、こちらも万が一の用意をせねばならん!」
なんと、信長も長政も、自ら重い鎧兜を身に纏い、全軍に合戦の号令をかけようとしたのである。
――最悪だ。
もしここで織田と浅井の総大将同士が激突すれば、それは単なる現場の喧嘩ではなく、『同盟の完全な破棄』であり、『全面戦争』の始まりを意味する。
京の都は再び地獄の火の海となり、将軍の権威も、天下布武の道筋も、すべてが水泡に帰してしまう。
「……馬鹿どもめ! ここで殺し合って、誰が得をすると思っている!」
騒動の知らせを受けた僕は、陣幕の中でギリッと奥歯を噛み締めた。現場の武将たちは完全に頭に血が上っている。信長も長政も、武士の面子のために引くことができない状態だ。
僕が手勢を率いて割って入ったところで、興奮した彼らを押し留めることなど不可能だろう。物理的介入では、この暴走は絶対に制止できない。
「……武力で止められないのなら、さらに上の『理』で殴りつけるしかない」
僕は愛馬に飛び乗ると、争いの起きている現場ではなく、一直線に禁中へと向けて馬を走らせた。未来の歴史知識を持つ僕なら分かる。この狂ったプライドのぶつかり合いを強制終了させられるのは、この日本においてただ一つ、『天皇の絶対的権威』だけだ。
皇居へ馳せ参じた僕は、血相を変えて公家衆に取り次ぎを頼み、事の次第を大至急で奏聞した。
「――このままでは、都が再び火の海に沈みます! 何卒、何卒、勅諚をもって、彼らの愚行を静め申したい! 謹んで、綸旨を賜りたく存じます!」
平伏して懇願する僕の言葉に、禁廷の空気も大きく揺らいだ。せっかく信長が平和をもたらしたというのに、その身内同士で都を焼き尽くされてはたまらない。朝廷は殊のほか驚き、即座に特例中の特例として、争いを禁ずる『綸旨』を僕に下賜してくれたのである。
「ありがたき幸せ! この命に代えましても、必ずや騒動を鎮めてご覧に入れます!」
天皇の命令書という、この時代における『最強の盤外戦術』を懐にねじ込むと、僕は馬に激しく鞭を打ち、血煙の上がる争論の場へと猛スピードで取って返した。
現場は、まさに阿鼻叫喚の地獄だった。織田と浅井の兵卒が入り乱れ、狂ったように刃を振り回している。その真っ只中へ、僕は少しも恐れる気色を見せず、真一文字に馬を乗り入れたのである。
「――退けェェェッ!! 勅諚なるぞ!!」
僕は馬の背に立ち上がり、懐から綸旨を高く掲げた。そして、腹の底から絞り出した、数里先まで響き渡るような大音声で戦場に向かって咆哮した。
「双方ともに戦いを止めよ!! ここがどこだか分からぬか! 皇居近きこの神聖な都において、刃傷に及ぶことの畏れ多さを知らざるか!!」
僕の声は、東西へ乗り回し、南北へ駆け巡りながら、血に飢えた武将たちの脳天を直接殴りつけた。
「これは主君の命ではない! 天子の御意志である! 静まり給え! 直ちに刀を収め、静まり給えェッ!!」
その瞬間。あれほど勇み立ち、殺意に目を血走らせていた両家の兵士たちが、まるで魔法をかけられたかのようにピタリと動きを止めた。
彼らは高く掲げられた綸旨の威光に気圧され、たちまち左右へとさっと分かれると、武器を放り出して、その場に謹んで平伏した。
絶対的権威の前では、武士の意地も殺意も無力だ。ここに於いて、佐久間信盛も、中村日向守も、互いに自軍の士卒を厳しく戒め、足早にそれぞれの役所や陣所へと帰っていった。
暴発寸前だった信長と浅井長政も、天皇の命令とあっては鉾を収めざるを得ず、事態は嘘のように完全な沈静化を見せたのである。
「……ふう。危ないところでした」
僕は汗まみれの額を拭いながら、大きく安堵の息を吐き出した。後日、京の人々は口々にこう語り合ったという。
「あの時、木下藤吉郎の機転がなければ、織田と浅井の同盟(因み)はたちまち切れ、再び天下を揺るがす大騒乱の基となっていたに違いない」と。皆が僕の才覚を大いに恐れ、そして称賛した。
だが、僕の心の中には、冷たく重いしこりが残っていた。表向きの騒動は、天皇の力という反則技で無理やり蓋をしたに過ぎない。
織田の古参たちが浅井を「臆病者」と見下す傲慢さ。浅井の将兵たちが織田に抱いた、拭いようのない屈辱と怒り。両者の間に刻まれたこの決定的な『亀裂』は、決して消えることはないだろう。
(……この同盟は、いずれ必ず破綻する。その時、浅井長政は我らに牙を剥くだろう)
僕は、血の跡が黒く染み付いた二条の土を見つめながら、静かに目を閉じた。胸の奥で、日輪が不吉な熱を放って脈打っている。
戦国の世という過酷な舞台において、本当の悲劇は常に味方の背中からやってくる。僕、木下藤吉郎が直面すべき最大の試練の足音が、確かな響きをもって、この京の都へと近づきつつあった。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
室町御所造營
さるほどに信長卿、禁裏、仙洞の修理、室町御所造營、日々(び)に出精ありける間、江州小谷の城主淺井備前守長政、造營中京都の守護のため上洛ありて、信長卿に力を合せ、人夫を出し扶助せられければ、將軍家も甚だ喜び思し召し、厚くもてなし給ひける。信長諸士を集め下知し給ふは、「この度の造營徒に日數を重ねなば、三好の逆徒またまた京都へ亂入し、普請ほとんど難儀なるべし。諸卒志を一致にし、晝夜怠りなく勵むべし。これ將軍家への忠功、戰場の交戰も替ることもあるべからず」とて、自ら赤き裝束を著し、士卒を勵まし下知し給へば、織田の勇士柴田、佐久間、坂井、木下、丹羽、前田を始めとし、自身木石を運び土砂を荷ひ、普請成就を急ぎければ、淺井家にもこれに勵まされ、家老用人諸士の輩、織田の家臣と打交はり、俱に出精したりける。然るに「去年將軍御上洛のとき、途に佐々木征伐ありしを、淺井曾て援兵をも出さず、畢竟將軍家の御味方と申すばかりにて、運を兩端に計り、旗色のよき方を見繼ぐべき所存にて、知らず顔に詠め居たりしに、信長卿の勇猛を以て、佐々木を始め三好の一家ことごとく退散し、將軍入洛ましまし、今さら面皮厚く御扶助をなすこと、辱を知らざる犬侍なり」と嘲り、事によせ折にふれて、淺井の人夫を辱しめけれど、淺井の士卒信長の武威に恐れ、萬に愼み聞かぬ顔にてありければ、織田の人夫いよいよ圖に乗り、さまざま我意をふるまひける。信長卿は長政を縁者の因ありとて、厚く親しみをなし、日々淺井の陣所へ贈り物ありけるに、使者の兵士これを憎み、「命の危ふき戰場へは面も出さず、貰ふことには遠慮なき江州者の面の皮こそ厚けれ」と、これ聞けがしにつぶやきければ、淺井の士卒今は堪忍なりがたく、長政の臣三田村佐左衛門が手下の人夫に、丹羽五郎左衛門が士卒と口論に及びけるを、かの三田村佐左衛門、日ごろ織田方の惡口忍へがたく思ひ居たりければ、この口論を幸ひに、江州者の勇力を見すべしと、士卒に下知して、かの丹羽の家人を散々(さんざん)に薙ぎ倒し打擲しければ、織田家の者ども、「すは狼藉よ、餘すな」と、面々(めんめん)太刀拔き放し、三五人切り倒せば、淺井方も拔き連れて切つて掛かり、討ちつ討たれつ戰ひける。これを見て織田方の將佐久間信盛、福富平左衛門、手勢を下知して討つて出づれば、淺井方にも中村日向守、高橋忠左衛門、山本甚六馳出て防ぎ戰ひ、兩家の死傷數を知らず。ここに於て信長、長政の兩將も、口論の趣意は知らねども、かく騒動に及びぬれば、豫め用意なくばあるべからずと、雙方鎧を著し、合戰の用意したりける。木下藤吉これを見て、この騒動尋常にては制しがたしとて、禁中へ馳參じ、しかじかの由奏聞し、勅諚を以て靜め申したきよし謹んで願ひければ、禁廷にも殊に驚き給ひ、即時に綸旨を下し賜ひ、早々(はやはや)騒動を靜むべき旨命ぜられければ、木下藤吉ありがたく命を領し、馬に鞭打ちかの爭論の場に至り、織田、淺井の兵卒入り亂れ戰ふ中を、少しも恐るる氣色なく、眞一文字に馬に乗り入れ、「勅諚なるぞ、雙方ともに戰を止めよ。皇居近きを憚らず、刃傷に及ぶこと、畏れありと知らざるか。靜まり給へ、靜まり給へ」と、數里に響く大音にて呼ばり、東西へ乗り廻し、南北へ馳せければ、さしも勇みし兩家の兵士、たちまち左右へさつと分れ、謹んで平伏す。ここに於て兩家の諸士、互に士卒を戒めて、役所役所へ歸りける。このとき藤吉なくんば、織田、淺井の因たちまち切れて、將騒亂の基なりと、人々(ひとびと)大に恐れけり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
三田村国定(みたむらくにさだ、生年不詳 - 1573年)は、戦国時代の武将。浅井氏の家臣。三田村城(現在の滋賀県長浜市)城主。三田村氏は浅井家の庶流であり、江北記には京極氏の根本被官として今井氏、河毛氏、赤尾氏、安養寺氏、浅井氏ら12氏のうちの一つとして記録がある。1570年、大野木秀俊、野村直隆らと共に織田信長から横山城を守りきり、横山城救援に来た浅井勢との間に姉川の戦いが起こる。小谷城が落城し主家である浅井氏が滅亡した(小谷城の戦い)後、羽柴秀吉を通じて信長に投降するが、許されず裏切者として殺害された(戦死とも)。浅井家家臣の遠藤直経が単身で敵陣に乗り込んだ際、三田村左衛門(国定本人もしくは父・定元か)の首を持参したという。出典:wikipedia
信長を暗殺しようとしていた遠藤喜右衛門(遠藤直経)が信長に近づくために持参した生首が、今話で騒ぎを起こした三田村佐左衛門(三田村国定)の首です。なんかドラマチックw




