1-114 首代の通達と、絶望からの救済
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
石山本願寺という巨大な集金システムを巻き込むことに成功した僕は、京の都へと戻るなり、最後の大仕事に取り掛かった。
石山からの「廻文」――顕如上人直筆の寄付要請の回覧板――の効果は、まさに絶大だった。
洛中洛外、近隣の国々はもちろんのこと、遠く東西南北の諸国から、本願寺の門徒たちが身分に応じて金銭を調進し、僕の屋敷へと持ち込んでくる。
「これは何国の誰それからです」「某町からこれだけ集まりました」と、次から次へとひっきりなしに銭の山が運び込まれ、その総額はまたたく間に幾万金という天文学的な数字に膨れ上がっていった。
さらに、本願寺そのものからも、莫大な金額の特別協賛金が届けられた。
「……よし。これで御所造営の資金は十分に足りる」
屋敷の蔵を埋め尽くす黄金の輝きを確認した僕は、冷酷な笑みを浮かべて部下たちに命じた。
「そろそろ、あの堺の町人どもを呼び出せ」
何日も冷たく暗い牢獄に繋がれ、いつ首を刎ねられるかと震え続けていた紅屋、能登屋たち5人の豪商が、げっそりとやつれた顔で僕の前に引き据えられた。
この数日間、彼らの親族や妻子が毎日僕の屋敷へやって来ては命乞いをしてきたが、僕はそれをすべて無視して放置していた。限界まで不安と絶望を煽るためだ。僕は上座から彼らを見下ろし、厳かに申し渡した。
「――お前たちが牢獄で苦しみを味わったのは、すべて己の罪科のせいだ。本来ならば、助命の筋など全くない」
5人の町人たちはビクッと肩を震わせ、ただただ平伏するばかりだ。
「だが、聖徳太子が定めた十七箇条の刑法の中に、このような一文がある。『罪を決し難き時は、財宝を出し、その罪を償い罰を免ず』。これを『首代』と呼ぶ」
僕は扇子を開き、彼らの顔を順番に射抜いていった。
「お前たちの罪はすでに確定しており、本来なら財宝で逃れられるような軽いものではない。……しかし! 石山の顕如上人がお前たちを哀れに思い、僕に対して数度にわたって命乞いをしてこられた。上人様のお顔を潰すわけにはいかん」
商人たちの目に、パッと希望の光が宿った。
「今回の罪は、堺の町人全体の責任である。だが、お前たちはその主将として捕らえられているのだ。……ゆえに、町人一統の『首代』として、二十万金を差し出し、助命を願え!」
二十万金。普通の武将ならひっくり返るほどの、とんでもない賠償額だ。
「今まさに、禁裏と将軍の御所を造営している最中だ。もしこの事業に万分の一でも資金援助するならば、お前たちは罪を免れるだけでなく、将軍家に対して『一つの功績』を立てたことになるのだぞ! ……早く金子を調達してこい!」
「に、二十万金……!?」
普通なら「そんな大金、払えません」と泣きつくところだろう。だが、彼らは日本中の富を独占する堺の豪商たちである。元来が福裕な彼らにとって、自分たちの命と、町全体が灰になることを思えば、二十万金など『安い買い物』だった。
いや、むしろ「金さえ払えば確実に命が助かり、将軍に恩まで売れる」という明確な取引条件が提示されたことで、彼らは心の底から安堵したのである。
「は、ははっ! 二十万金、容易い御用にございます!」
「ありがたき幸せ! このご恩、生涯忘れません!」
5人の商人たちは、三拝九拝して涙を流して喜び、牢獄から解放されると、すぐさま堺の町へと飛んで帰った。堺に戻った彼らは、町中の豪商たちと申し合わせ、あっという間に二十万金という莫大な現金を掻き集めた。
さらに、彼らは「木下様への御恩返しと、信長様への忠誠の証として、もう少しオマケをつけよう」と自主的に相談し、なんと二十万金に加えて、焰硝(えんしょう・火薬)を百斤、最新鋭の鉄砲を五十挺も荷車に乗せて、僕の元へと持ち込んできたのである。
「……永く信長様の御下知を守ります」と、彼らは皆々、心から悦び堺へと帰っていった。恐怖で支配し、絶望に突き落とし、最後に『金で解決できる道』を示す。
結果として、彼らは自分から進んで財産をむしり取られながら、僕たちに感謝して頭を下げていく。これぞ、武力では決して手に入らない、究極の「錬金術」の完成であった。
石山本願寺からの寄付金と、堺の商人たちから絞り上げた莫大な賠償金。これらの一切の金銭は、そのまま二条の新御所と、禁裏の修復工事へと注ぎ込まれた。
「……素晴らしい。これで資金繰りの心配は完全に消えた」
豊富な資金と、十分な物資。それらを手に入れた織田軍の建設スピードは、まさに鬼神の如き凄まじさだった。日を追うごとに、二条室町の広大な敷地には、深く堅牢な堀が穿たれ、巨大な石垣が積まれ、見事な御所が形作られていく。荒れ果てていた朝廷の御所も、立派に修復され、かつての威厳を取り戻していった。
その様子を見た京の公家から町人まで、誰もが「信長様の政治は本物だ」と実感し、心から安堵した。この見事な成果に、魔王・信長の機嫌はかつてないほど良かった。
「――猿。よくやった」
完成が近づく二条城を見下ろしながら、信長は満足そうに僕を称えた。堺を焼き払うという最悪の事態を、僕が機転ひとつで回避したばかりか、それを莫大な利益へと変えてみせたのだからだ。
「まさしく、万全の策とはこういうものを言うのだな。お前には底知れぬ才がある」
「もったいないお言葉、恐れ入ります」
信長は、この上ない賛辞を与えてくれた。今の僕にとって何よりの報酬は、金でも領地でもない。
魔王・織田信長に、「こいつの知恵は、天下布武を進めるうえで欠かせない」と認めさせたこと。それこそが、どんな褒美にも勝る最大の成果だった。
季節は移ろい、永禄12年(1569年)も春を迎えようとしている。京の都は、僕の泥臭い政略と、信長の圧倒的な武威によって、完全なる静謐を取り戻した。二条にそびえ立つ新たな足利義の城は、織田家の絶対的な権力を象徴するように、陽光を浴びて威風堂々と輝いている。
「……ひとまずは、チュートリアル終了、といったところかな」
僕は、新しく整備された京の町並みを歩きながら、ふと立ち止まって空を見上げた。
胸の奥で、あの日見た『日輪』の熱が、心地よく脈打っている。
事故で死に、この時代に放り込まれてから、がむしゃらに生き延びてきた。未来知識を武器にし、他人の心理をハックし、時には血にまみれ、時には黄金を操り、気がつけば天下のど真ん中に立っている。
でも、歴史を知る僕には分かっている。この平和は、長くは続かない。これから先には、朝倉、浅井、武田、そして僕自身が味方につけたはずの『石山本願寺』という、さらに巨大で厄介なレイドボスたちが控えている。
「戦国の世は、まだ終わらない。むしろ、これからが本番だ」
僕は腰の刀の柄を軽く叩き、不敵な笑みを浮かべた。太陽は天にあり、万物を照らす。ならば、この身を焦がす熱が続く限り、僕はこの狂った時代を、僕の方法で完全に平定してやる。
一介の転生者が歴史の頂点へと駆け上がるための、果てしなく泥深く、そして残酷な天下取りのゲームは、今、新たな戦端を開くための産声を上げていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
藤吉郎首代を以て罪科を償はしむ
さるほどに、石山本願寺より、國々の門徒へ廻文を以て、御造營御手傳ひの用金を下知ありければ、洛中洛外近國近在は云ふに及ばず、東國西國北南の遠國より、身分に応じ金線を調進し、木下が屋敷へ持ち来る事引きも切らず。これは何國何郡、或は何町何某と呼びはり呼びはり捧呈しけるほどに、幾萬金といふ數を知らず。就中本願寺よりも若干の金子を捧げ給ひぬれば、「さらば堺の町人を詮議すべし」とて、土卒に命じて呼び出しけるに、このほどより五人の者の親族妻子、日ごとに来りて命乞を願ひけれど、そのままに捨て置きありしが、一時に呼び出し申し渡しけるは、「汝ら今度牢獄に繋がれ苦しみを受くること、己が罪科のなせること、助命の筋さらになし. 聖徳太子十七箇條の刑法を定め給ひし中に、『罪の決し難きは財寶を出し(だし)、その罪を償ひ罰を免ず』、これを首代と號す。今汝らが罪はすでに決し、財寶を以て遁るるべき謂なしといヘども、石山上人汝らを憐れみ、數度の命乞、これまた默止つべきにもあらず。尤とも今度の罪科、堺の町人も一同の議なりといヘども、汝らその中に主將たるを以て囚ヘ置くとこなれば、町人一統首代として二十萬金を差し上げ、助命を願ふべし。この節禁裏並び室町の御所御造營の折なれば、萬分が一にも御助成とも相成らば、汝ら罪を免るるのみならず、將軍家へ對し一つの功を立つると云ふべし。早く金子を調達致すべし」と申し渡しければ、元來福祐の町人ども、二十萬金は容易しと、三拜九拜悦び勇み、直に堺の町人中申し合せ、かの首代の二十萬金は、外に御恩拜謝のためなりとて、焰硝百斤、鐵砲五十挺、永く信長卿の御下知を守るべしと、皆々悦び歸りける。木下が寸謀にて、禍を除き福となし、兩御所の御造營その賄ひ十分に足り、日を追つて成就しければ、信長卿感悅限りなく、「實に萬全の計策とは斯様のことをや申すべき」と、藤吉郎褒賞限りなかりけり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN
絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
二条御所は、戦国時代から安土桃山時代に京都府京都市上京区武衛陣町に存在した室町幕府将軍の御所・城。徳川氏の二条城と区別して、旧二条城、二条古城とも呼ばれる。現在は旧二条城跡として知られている。また、創建当時は二条城とは呼ばれておらず、この呼称は江戸時代になって用いられたものである。当時は「武家御所」「武家御城」「公方様の御城」「二条武衛陣の御構」などと呼ばれていた。出典:wikipedia
ちなみに、有名な話?ですが、地下鉄工事のための発掘調査で旧二条城の石垣には御地蔵さんが使われていた事が判明。やっぱり信長は仏様をなんとも思ってなかったようですw




