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新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜  作者: 条文小説


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1-112 役作りの時間と、秘密兵器の威容

挿絵(By みてみん)


 『太閤記たいこうき』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。

 『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本よみほん。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia

 堺の町での口八丁で、見事に武装解除と降伏の約束を取り付けた僕は、代表者として紅屋べにや能登屋のとやといった豪商たち5人を引き連れ、京都の自邸へと戻ってきた。


 彼ら5人を、屋敷の白洲しらす――つまり、罪人や身分の低い者を待たせる玉砂利の庭――に控えさせる。


「少し待っていて下さい。すぐに戻ります」


 僕は飄々(ひょうひょう)とした顔でそれだけ言い残し、屋敷の奥へと足を踏み入れた。白洲で待たされている商人たちは、未だに俺のことを「ちょっと弁の立つ、身分の低い交渉役の役人」程度にしか見ていないはずだ。


 堺の町へ向かう際、わざと平衣へいいという無防備で質素な格好で出向いたのも、彼らの油断を誘うためだった。だが、ここからは違う。彼らのそのおごり高きプライドを完全にへし折り、骨の髄まで震え上がらせるための「役作り」の時間だ。


 僕は奥の間で平衣を脱ぎ捨てると、大紋だいもん直垂ひたたれに身を包み、頭には烏帽子えぼしを被った。腰には見事な装飾が施された太刀と刀を帯びる。わざと美々しく、そして威圧的に掻いつくろった、完全武装の支配者の姿への変貌である。


「さあ、見栄を張るぞ。みんなも付いて来て」


 僕は屋敷に控えていた屈強な近習たちを左右に引き連れ、厳重な警護を伴って、再び白洲へと姿を現した。


「――守護代の御出おでましぞ!」


 兵士の怒声が響き渡る。白洲で縮こまっていた紅屋や能登屋たち五人は、僕の姿を見るなり、雷に打たれたように目を見開いた。


 つい先程まで愛想よく笑っていた小柄な男が、近寄りがたい冷酷な武将の覇気をまとって上座になおったのだ。彼らはまるで酷い悪酔いでもしたかのように茫然自失となり、玉砂利の上に這いつくばって蹲踞うずくまるしかなかった。


「……お前たちの趣意、そして言い訳はすでに聞いた」


 僕は、極めて冷酷で低い声を張り上げた。


「これより、信長様の御本陣である東福寺へ参る。決断の御下知ごげちは、すべてお館様に任せる」


「ひぃっ……!」


 俺の合図と共に、周囲の士卒たちが槍の穂先を突きつけ、彼らを罪人のように取り囲んだ。恐怖で足のすくむ5人の商人を引き立て、僕たちは東福寺へと急いだ。


 この時期の東福寺は、京都守護の武将である信長の本陣として、完全な軍事要塞と化していた。広大な寺の至る所に陣が敷かれ、関所や役所には隙間なく武士たちが配置されている。彼らは皆、分厚い甲冑を帯び、弓や鉄砲を背負い、その物々しさと厳重さは言語に絶する。


 僕が用意した最大の「秘密兵器」は、決して未知のカラクリ道具や大筒などではない。この東福寺に集結し、ただ息を潜めて彼らを睨み下ろす『数万の圧倒的な軍事力』そのものだ。一切の刃を交えることなく、ただそこに存在する暴力の質量だけで、敵の心を根底から圧殺する。


 この血と鉄の匂いが充満する空間を歩かされただけで、5人の商人たちは完全に肝を冷やし、魂を散らし切ってしまった。どんな厳しいとがめを受けるのか。生きた心地など全くなく、彼らはただガタガタと震えおののきながら、本陣の大庭に引き据えられた。


 やがて、陣幕の奥から重い足音が響き、上座に一人の男が姿を現した。――従五位下じゅごいのげ弾正忠だんじょうのちゅう織田信長おだ のぶなが


 その姿は、まるで濃い墨で描かれた劇画のように、深く恐ろしい影を周囲に落としていた。鋭い眼光は獲物を狙う鷹の如く、座っているだけで周囲の空気が凍りつくような、圧倒的な魔王の威圧感。


 信長は、大庭でひれ伏す町人たちを遥かに見下ろし、大地を震わせるような大音声で激しく憤り、言葉を放った。


「――おのれら、町人の分際として家業を勤めず、兵具を整え、一揆を起こし、上を恐れぬ振る舞い……言語道断、奇怪千万である!」


 商人たちはビクッと肩を跳ねさせ、畳に額を擦り付けたまま動けなくなった。


「その上、去年将軍家が上洛された折には、御召しにも応じず! あまつさえ、将軍家の怨敵たる三好の逆徒に力を合わせたな!その罪、万死に値すると言えども、俺の広い慈悲をもってそのまま許し置いてやったというのに……この度の騒動は何事だ!」


 信長の怒声が、容赦なく彼らの心を叩き潰していく。


「武士でもない分際で刀剣を帯び、匹夫ひっぷの身でありながら綾羅りょうらの絹をまとい、逆徒を助けて我意を奮う! これを朝敵と言わずして、何と呼ぶ! 国賊そのものではないか!憎き奴ばらめ。ことごとくちゅう罰せねば、国法が立たん!!」


 そして信長様は、立ち上がりざまに無慈悲な宣告を下した。


「――この5人の者を、直ちに獄へ下せ! 残る堺の者どもも皆々召し捕り、一人残らずその首をねよ!!」


「ひぃぃぃぃぃッ!!」


 信長が怒り狂い、荒々しく座を立って奥へ消えていくと、5人の商人は悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。彼らの頭上に、本物の雷が落ちたかのような絶望だった。顔色は土気色に染まり、顎はガチガチと音を立てて震えている。


 彼らはもはや、体裁を取り繕う余裕すら失っていた。


「お、お助けを! 木下様!」


 紅屋や能登屋は、なりふり構わず俺の足元にすがりつき、手を合わせて泣き叫んだ。


「ただ、ただ御慈悲をもって、我らをお救いくだされ! 命ばかりは!」


 俺は、内心の笑いを噛み殺し、極めて冷ややかに、しかしどこか同情を誘うような「笑止のてい」――哀れむような態度――を作って彼らを見下ろした。


「……信長様の御憤いきどおり、もってのほかに強い。今すぐには、救うことなどできん」


「そ、そんな……!」


「それに、信長様のおっしゃることは、一つとして理に反していないのだ。お前たち自身も、己の身の誤り、分不相応なおごりがあったことを痛感しているはずだ」


 俺が冷たく事実を突きつけると、彼らはただ嗚咽を漏らすことしかできなかった。天下を巻き込む巨大な戦いの歴史の中で見れば、この堺の商人たちとの一連の騒動は、まるで本編から派生したスピンオフ短編のような、奇妙で泥臭い交渉劇だ。でも、この短編の結末が、織田家の財政を左右する。


「お前たちを今すぐ助けることはできない。……命の使い道くらいは、じっくりと考えておくことだな」


 俺の合図と共に、兵士たちが彼らを乱暴に取り囲んだ。太縄が掛けられ、彼らは薄暗く冷たい獄屋ごくやへと引き立てられていく。死の恐怖、後悔、そして一縷いちるの望み。


 人間という生き物は、暗闇の中で最も極端な計算を始める。明日になれば、彼らは自らの命を買い戻すために、堺に眠る巨万の富を喜んで俺の足元に差し出すだろう。


 剣を交えることだけが戦ではない。相手の心を折り、盤面を支配し、最大の利益を掠め取る。戦国の世に生まれ変わった僕、木下藤吉郎の真骨頂は、まさにここから始まるのだ。




【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】




泉州堺せんしうさかひ町人ちやうにん禁獄きんごくせらる


さても藤吉郎とうきちらうさかひ町人五人ちやうにんごにんもの屋敷やしき白洲しらすひかへさせ、そのおくりけるが、ややあつて「守護代しゆごだい御出おいでぞ」と內外ないげさざめき、木下きのした藤吉とうきち已前いぜん出立引換いでたちひきかへて、大紋だいもん烏帽子ゑぼし太刀たちかたな、わざと々(び)しくつくろひ、近習きんじゆあまた左右さいうこうし、げんじやうなほれば、五人ごにんものども大きにおどろき、ばうぜんへるがごとく蹲踞うづくまりてひかる。藤吉とうきちさらにことばはつし、「なんぞらが趣意しゆゐすでにけり。これより信長卿のぶながきやう御本陣ごほんぢん東福寺とうふくじまゐり、決斷けつだん御下知おんげぢまかすべし」とて、士卒しそつあまたに守護しゆごせしめ、東福寺とうふくじへといそぎける。このとき東福寺とうふくじは、京都守護きやうとしゆご武將ぶシやう信長卿のぶながきやう旅館りよかんなれば、あまたの軍兵ぐんぴやうしよ々にぢんし、役所やくしよ役所やくしよにあまたの武士(ぶ士)、甲冑かつちうゆみひ、そのげんじやう言語ごんごえたり。五人ごにん町人膽ちやうにんきもうしなたましいさんじ、いかなるとがめをかうむらんと、きたる心地ここちはさらになく、おののおぞ大庭おほにハ蹲踞うづくままる。信長遙のぶながはるか町人ちやうにんどもを御覽ごらんじ、おほいいきどおのたまひける、「おのれ町人ちやうにん分際ぶんざいとして家業かぎやうつとめず、兵具へいぐ調をととのヘ、一揆いつきおこし、かみおそれざる振舞ふるまひ、奇怪きくわいなり。その上去年うえきよねん將軍家しやうぐんけ御上洛ごじやうらくみぎり御召おめしぜず、あまつ將軍家しやうぐんけの怨敵(おん敵)たる三好みよし逆徒ぎやくとに力を合せ、その罪萬死つみばんしあたるといヘども、我が仁惠じんけいの心を以てそのままにゆるくところに、このたび騒動さうどう武士ぶしにあらずして刀剣たうけんび、匹夫ひつぷにしてりやうにまとひ、逆徒ぎやくとを助け我意がいふるふこと、朝敵(てう敵)とやはん國賊こくぞくとやふべき。言語道斷ごんごどうだんにくやつばら、ことごとくちゆうせずんば國法こくはふただしからまじ。五人ごにんものごくくだし、のこものども皆々(みなみな)召捕めしとり、一々いちいちくびねべし」と、もつてのほかいかたまひ、つて入りたまへば、五人ごにん町人大ちやうにんおほいに恐れ、かしらの上にいかづちおちつるがごとく、面色めんしよくつちいろをなし、藤吉とうきちむかひ手を合せ、「ただ御慈悲おんじひすくはせたまヘ」と、こえをあげてなげきければ、藤吉とうきち笑止せうしていにもてなし、「きみ御憤おんいきどほもつての外に強く只今ただいま事をすくひがたし。こと上意じやうゐおもむき、一つとしてにあらずとふことなし。なんぞらもあやまりをるべきことなり」とて、ことごとくなはをかけ、獄屋ごくやにこそは引立ひつたてける。

〜参考文献〜

太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource

https://share.google/AxQqE2xRgf0LcmxAN

絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編

夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700


〜舞台背景〜

 閑話ではありませんが、少し息抜きエピソードです。

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