1-11 和漢の相法、あるいは歴史のバグ
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
松下加兵衛の屋敷を辞し、生まれ故郷である尾張へと向かう道中、僕の足は再び三河の岡崎へと至っていた。
かつて12歳の僕が、蜂須賀小六に頭を蹴り飛ばされ、その不条理に静かな怒りを燃やしたあの岡崎橋――矢作川の長い木橋は、今日も轟々と白い川音を響かせていた。
18歳になった僕の身体は相変わらず小さく、お世辞にも武士らしい威風はない。けれど、四カ国を流浪し、他人の奴婢として泥にまみれながら最適化の視点を磨き続けた僕の魂は、この乱世の空気を吸って、かつてないほどに研ぎ澄まされていた。
懐には加兵衛から預かった黄金六両。そして腰には、かつて蜂須賀小六から智計の末に勝ち取った名刀・青江村正。黄金の冷たさが、僕の決意を裏付けるようにずっしりと重かった。
日差しがじりじりと肌を焼く昼下がり、僕は橋の袂にある、ささやかな茶店へと滑り込んだ。尾張へ入る前に、まずは長旅の疲労を計算しなければならない。人間の肉体は、過度な疲労が蓄積するとセロトニンの分泌が低下し、論理的思考力が著しく減退する。これからの密命を成功させるためには、ここで一時的な休息を挟むのが最も合理的な判断だった。
「おや、いらっしゃい。小汚い……おや、お武家様かね?」
茶店の老婆が、僕の粗末な身なりと、腰に差したあまりにも不釣り合いな名刀・村正を交互に見て、奇妙に顔を歪めた。僕は気にせず、一銭を投げて冷たい水を一杯求めた。
店内には、遠近の街道を旅する老若男女が雑多に入り混じり、気だるげに涼を取っていた。百姓の親子、荷を運ぶ馬借、どこかの領地を追われたと思しき素浪人。その誰もが、明日をも知れぬ戦国の世を必死に生きる、泥臭い人間たちだ。
僕は壁際に腰掛け、静かに水を口に含みながら、周囲の会話から現在の尾張、ひいては近国の情勢についてのロジスティクスを頭の中で組み立てていた。
(駿河の今川、相模の北条、甲斐の武田。そして尾張の織田、美濃の斎藤……。この乱世のパワーバランスは、間もなく歴史の特異点――桶狭間へと収束していく)
その時だった。茶店の隅、薄暗い影のなかに座っていた一人の修行者が、じっと僕のことを見つめていることに気づいた。
その男の着ている衣は、長年の旅によって擦り切れ、泥に汚れていた。けれど、その双眸の奥にある光だけは、店内の誰よりも不気味に、そして鋭く冴え渡っていた。男は僕と目が合うと、ゆっくりと立ち上がり、カチャリと錫杖を鳴らして、僕の座る机の傍らへと歩み寄ってきた。
「……そこの若者。少し、そのお顔を近くで見せてはくれぬか」
低く、どこか読経を思わせるような、不思議な響きを持つ声だった。僕は身構えた。青江村正の柄にそっと手をかけ、現代の危機管理の思考を巡らせる。他国の間者か、それとも僕の黄金を狙う野盗の類か――いや、違う。
記憶が急速に覚醒していく。和漢の相書に眼を晒し、後に歴史の決定的な転換点に必ず顔を出す、あの不敵な外交僧。まだ十万石の大名にも、毛利家の知恵袋にもなっていない、若き日の姿。
(――安国寺恵瓊。まさか、こんなところで出会うなんてな)
僕が彼を「知っている」からこそ、別の意味での警戒心が跳ね上がった。ここで下手に未来の知識を露呈すれば、この明敏な男は僕の異常性に気づくかもしれない。僕は努めて子供っぽさを残した声を意識し、ただの警戒心の強い浮浪児を演じることにした。
「僕の顔に、何かついていますか? ただの、旅の途中の貧相な下郎ですが」
僕が答えると、修行者は首を振り、僕の正面の床にずかと腰を下ろした。そして、僕の顔の輪郭、瞳の奥、さらには手のひらの肉付きに至るまで、まるで骨の髄まで分解して観察するかのように、熟察し始めた。
やがて、修行者の息が、ヒュッと止まった。その鋭い瞳が、驚愕のために大きく見開かれる。
「……奇なり。妙なり。これは、まことか」
修行者は、自分の額に冷や汗が浮かぶのも構わず、僕の顔を凝視し続けた。そのあまりの形相に、周囲の旅人たちも「何事だ」とひそひそと囁き合い始めている。
「足下の相――それは、尋常の者のそれではない。天の理、地の利、そのすべてを我が身に収め、必ずや天下の主となる、極尊の相だ」
唐突に投げつけられた「天下の主」という言葉に、僕は思わず、ふっと小さく苦笑した。現代の知識を持つ僕にとって、人相学や占いの類は、統計学の一端か、詐術あるいは人心を掌握するための心理誘導に過ぎない。
「買い被りすぎですよ、お坊さん。見ての通り、僕はどこにでもいる賤しき匹夫、ただの下郎です。天下なんて大それたもの、僕の小さな手には収まりきりません」
「いや、違う!」
修行者は激しく首を振り、机を叩いた。その声には、自らが長年築き上げてきた「世界の理」が崩壊していくことへの、恐怖と興奮が混ざり合っていた。
「我が年来、和漢のあらゆる相書に眼を晒し、修め得たこの相法が、見間違うはずがない。天智天皇にはかつて『乞食の相』があり、明雲座主には『殃死(おうし、非業の死)の相』があったという。それらはすべて、しかるべき所以があって歴史に刻まれた。……だが、足下の相は、あまりにも矛盾に満ちている!」
修行者は、取り憑かれたように言葉を紡ぐ。
「今、世は戦国の極み。浅井、朝倉、今川、佐々木、斎藤、北条、武田、上杉。諸国の勇将たちが、その圧倒的な武威を震るい、権を争い、天下を併呑せんとしてしのぎを削っている。その群雄割拠の地獄のなかにあって……なぜ、名もなき、力もなき、最底辺の匹夫である足下に、これほどまでに尊き天下人の相が宿っているのだ。我が相法が、今日、初めて根底から疑いを起こした。足下は……一体、何者なのだ」
彼の驚愕は、ある意味で正しかった。
この戦国時代のパラドックス。名門の守護大名たちが血で血を洗うこの世界において、数年後、すべての因習を焼き尽くして頂点に立つのは、この目の前にいる、木下藤吉郎という名の「未来からの逆行転生者」なのだから。彼の人相学は、歴史における最大の「不具合」を正確に検知していた。
僕は、残った水を一気に飲み干すと、ふわりと大らかに、長年和漢の相書に眼を晒してきた男のプライドを丸ごと包み込むように、低く笑った。その寛仁大度な態度は、かつて僕を「麒麟児」と呼んで恐れた大人たちの記憶を呼び覚ますかのように、不思議な気品を湛えていた。
「お坊さん。僕は今でこそ、こんなに賤しい身分だけど……人生なんて、これからどうなるか誰にも分からないでしょう? いかなる僥倖があって、僕がこの泥の中から立身出世しないとも限らない」
僕は立ち上がり、青江村正の鞘を静かに叩いた。そして、目の前の未来の十万石大名を見据え、確信犯的な笑みをその唇に刻む。
「もし、貴方のその言葉が、いつか本当に現実になる日が来たら――その時は、貴方のその優れた眼光に、僕が最高のご褒美をあげるよ」
僕はそう言い残すと、驚愕のあまり身動きの取れなくなっている修行者をその場に残し、茶店を後にした。背後に残る彼の視線が、僕の背中に刻まれた「日輪の熱」をいっそう強く刺激していくのを感じながら、僕は矢作川の橋を渡り、尾張へと向かって歩き続けた。
(……天下の主、か。本当に、おかしな世界だな)
街道を歩きながら、僕は自分の小さな掌を見つめた。天下を獲るなんて、今の僕には相変わらず、生存戦略の優先事項には入っていない。まずは生き残ること。織田信長という狂気の天才の懐に入り、今川義元の追撃を躱し、この乱世の荒波を、現代の知識という名の羅針盤を使って、誰よりも確実に泳ぎ切ること。
その最適化の積み重ねの果てに、もしもあの修行者の言う通りの「未来」が待っているのだとしたら、それもまた、僕がこの世界に産み落とされた理屈の後付けとして、悪くはない。
のちに、この矢作川の茶店での奇妙な占いの逸話が、豊臣秀吉の伝説の1ページとして、格調高く語り継がれることになるのを、今の僕はまだ知らない。
――いや、違うな。
僕は知っている。あの時、僕の顔を見て自らの学問を疑うほどに震えていた修行者。彼がのちに、毛利家の外交僧として歴史の表舞台に立ち、安国寺恵瓊として十万石の大名にまで登り詰め、天下の祈禱所を任されることになるのを、僕は最初からすべて知っていた。
だからこそ、僕は彼にあの約束を残した。貴方が僕を天下人と見抜いたように、僕もまた、貴方がただの修行者ではないことを知っている。
僕が彼に「ご褒美をあげる」という未来の方程式は、数十年後の世界において、完全に、そして美しく解かれることになるだろう。
「天下を統一する」という未来の景色は、まだ見えない。けれど、僕の胸の奥にある太陽は、先ほどの安国寺恵瓊との奇妙な邂逅を経て、前よりもずっと強く、確かな青白い炎を燃やしていた。
「さて……まずは尾張に入って、織田家の鎧を手に入れるロジックを組み立てようか」
東の空から、また新しい、眩いばかりの朝の光が差し込んできた。
すべてを見通す相法を持つ男を、その未来の記憶でさらに見通した少年は、今、自らが世界の形を変えるための「最初の一歩」を、尾張の泥だらけの国境へと、力強く、静かに踏み出すのだった。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
修行者藤吉郎を考相す
漢の高祖、三尺の劔を提げ、芒碭山に白蛇を斬つて、漢家四百年の基業を起し給ひしも、その始め(はじめ)は泗上の亭の長たりしより興れり。若きとき色を好み(このみ)好み業にすさみ、人おしなべてこれを疎む中に、單父の呂文一人、沛公を相して甚だ尊み、その女呂顔を與へて沛公に娶はす。後この女を呂后と稱し、呂文を呂太公と號す。よつて思ふに天智天皇に乞食の相ましまし、明雲座主に殃死の相ありしも、しかるべき所謂あるべし。藤吉郎、松下が下知によつて、尾張國へ赴くとて、矢矧の橋の茶店にて暫らく休息したりけるが、遠近の旅人、老若男女打交り休らひける中に、修行者一人、藤吉をつくづくと打守り、傍へ招き、その相貌を熟察し、大いに驚き申けるは、「足下の相奇なり、妙なり。必ず天下に主たるべし。然りといへども、目前視るところ賤しき匹夫下郎なり。今戰國の時にあたりて、淺井、朝倉、今川、佐々木、齋藤、北條、武田、上杉をはじめ、諸國の勇將威を震ひ權を争ひ、天下を併呑せんとするその中に、匹夫の足下に斯かる尊き相あるこそ不思議なれ。我年来和漢の相書に眼を晒し、修し得たりし相法も、今日始めて疑を起せり」。藤吉郎大いに笑ひ、「我今こそかく賤しき身なれども、いかなる僥倖あつて立身すまじきものにあらず。今の詞後に應ぜば、そのとき厚く賞すべし」と云ひ捨てて別れける。この修行者、秀吉天下一統のとき、安國寺の惠瓊和尚として十萬石を下し賜はり、天下の祈禱所となりけるは、この考相の所謂なりける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
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