1-107 孤立する逆臣と、若き当主の決断
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
「さて、散らかした敗残兵の掃除を始めようか」
僕は燃え上がる京の夕空を見上げ、刀を抜き放ってそう宣言した。本圀寺の門が大きく開かれ、竹中半兵衛の指揮下で力を温存していた守備隊が、一斉に逆襲の雄叫びを上げて敵陣へと雪崩れ込んでいく。
――だが、この一方的な掃討戦に至るまでの背景には、敵である三好陣営が抱えていた、あまりにも致命的な「政治的矛盾」が存在していた。それを説明しておかなければならない。
そもそも、この時京を襲撃した三好の軍勢は、なぜこれほどまでに焦り、孤立していたのか。最大の理由は、彼らが担ぐべき神輿……すなわち、三好家の当主である三好左京大夫義継が、すでに僕たち織田・幕府軍に寝返っていたからである。
三好義継は、かつての絶対的覇者・三好長慶の養子として、三好三人衆や松永久秀の推挙によって当主の座に就いた若者だった。
しかし、彼ら急進派が前将軍・足利義輝公を暗殺するという大罪を犯した際、義継自身はその凶行の直接的な首謀者ではなく、あくまで三人衆や松永の手の裏で踊らされていたに過ぎなかった。
だからこそ、信長が新たな将軍・足利義昭を奉じて上洛を果たした時、三好義継は自分の立場を冷静に見極め、早々に将軍家へ恭順を誓った。
「私に叛意はございませぬ。すべては逆臣どもの暴走にござる」と。
義昭公はこれを厚く赦し、三好義継を河内国の若江城の城主としてそのまま安堵した。結果として何が起きたか。
今回、本圀寺を襲撃した岩成主税助や三好山城守ら三人衆の残党は、「織田軍」という外部の敵だけでなく、「自分たちの本来の主君である三好義継」からも賊軍として見放された、完全な孤立無援のゲリラ部隊になり下がってしまった。
彼らが本圀寺を襲ったのは、決して勝算のある戦ではない。周囲の勢力が次々と織田に降る中、援軍の望みもないまま、強引に将軍の首だけをもぎ取って歴史の盤面をひっくり返そうとする、破滅的な自爆テロに等しい作戦だった。
当初、岩成たちは5,000の兵で将軍を直接叩き、残りの軍勢を狐川という場所に布陣させていた。それは、伊丹や池田といった周辺の織田方から駆けつけるであろう援軍を、川を盾にして食い止めるためである。だが、彼らは竹中半兵衛の放った「偽りの僧侶」による時間稼ぎの罠に、まんまと引っかかってしまった。
時計の針を、僕の本隊が到着する数時間前へと戻そう。
半兵衛の策に騙され、攻撃の手を休めて将軍が寺から退去するのを待っていた三好勢。だが、待てど暮らせど、本圀寺の門が開く気配はない。それどころか、寺の内部は不気味なほど静まり返り、物音一つ聞こえてこないではないか。
「……ええい、おのれ! あの坊主ども、我らを謀りおったな!」
すでに日は西に傾きかけている。ここで時間を浪費すれば、各方面から織田の援軍が到着し、自分たちが包囲されてすり潰されるのは明白だった。騙されたと悟った三好山城守は、怒りで顔を真っ赤に染め上げ、采配を乱暴に振り下ろした。
「構わん! 寺に火を放て! 一気に踏み潰して将軍の首を獲れェッ!」
三好勢の総攻撃が再開された。怒号と共に数千の軍兵が本圀寺の塀に取り付き、雨あられのごとく鉄砲の鉛玉と矢石を撃ち込んでくる。板塀が砕け、瓦が吹き飛び、境内の木々がへし折れる。
だが、寺の内部では、竹中半兵衛の冷徹な計算の下、すでに完璧な迎撃態勢が整えられていた。
「――今です。野村殿、前へ」
「応ッ! 死に損ないの賊軍どもめ、蹴散らしてくれるわ!」
半兵衛の合図と共に、将軍家の勇士である野村越中守が700人の兵を率い、一斉に槍の穂先を並べて門から討って出た。
そこに加わったのが、美濃から助っ人として参戦していた赤座七郎右衛門、奥村平六ら、六人の浪人衆だ。彼らは「ここで手柄を立てて、織田家で成り上がってやる」という野心に燃える、いわば戦の飢えた獣たちである。
「オラァッ! 首を置いていけェ!」
彼らの戦いぶりは、凄惨を極めた。美濃の浪人たちは、長槍を激しく捻って敵の陣形を突き崩すと、怯んだ敵兵の胸倉を掴んで強引に引き寄せ、そのまま素手で首を捻り折るという、常軌を逸した荒技で次々と討ち取りの実績を上げていった。
鉄の匂いと、生々しい血の飛沫。腹を割かれて飛び出した臓物。それは、現代の知識や合理的な戦術などという綺麗な言葉では到底片付けられない、戦国という時代の剥き出しの暴力そのものだった。しかし、いかに守備隊が奮戦しようとも、三好方は死に物狂いの大軍である。
入り替わり立ち替わり、波状攻撃を仕掛けてくる敵兵の前に、本圀寺の門前では敵味方の死体が山の如く積み重なり、死傷者の数はすでに数え切れないほどに膨れ上がっていた。
野村越中守の部隊も疲労の色が濃くなり、防衛線が徐々に押し込まれ始めた、まさにその絶体絶命の瞬間だった。
――ドォォォォンッ!!
突如として、三好勢の「真後ろ」から、地鳴りのような鉄砲の一斉射撃が轟いた。
「な、なんだ!? 背後から撃たれたぞ!」
「援軍か!? いや、あれを見ろ!」
混乱する三好の兵たちが振り返った先。夕闇が迫る京の街道を埋め尽くすようにして、無数の旗指物が風にはためいていた。その陣頭に高く掲げられていたのは、目にも鮮やかな『五色の吹貫』――風を受けて筒状に膨らむ、巨大で派手な陣飾りである。
「ヒャハハハッ! 木下藤吉郎が先手、蜂須賀小六正勝、推参ッ!!」
「稲田大炊、堀尾茂助もいるぞ! 命が惜しくば道を開けろォッ!」
それは、僕が江州から猛スピードで引き連れてきた本隊の、さらに最前線を駆ける500人の精鋭部隊だった。僕が最も信頼し、数々の汚れ仕事を任せてきた川並衆の荒くれ者たち。
彼らはただの農民兵ではない。長年、木曽川の流域で野盗や傭兵まがいの死線を潜り抜けてきた、生粋の戦闘集団である。
「突っ込めェェッ!!」
小六の野太い怒声と共に、500の獣たちが、陣形もクソもなく、ただ一直線に三好軍の背中へと突きかかった。前方の本圀寺からは野村たちの頑強な槍衾。そして背後からは、情け容赦のない小六たちの猛烈な突撃。
戦において、「背後を突かれる」というのは、軍隊の士気を折る最も確実で残酷な手段だ。
「挟み撃ちだ! 崩されたぞ!」
「逃げろ! 退路を絶たれる前に川へ向かえ!」
前と後ろから完全に挟撃された三好の軍勢は、もはや指揮系統を維持することすらできず、散々になって敗走を始めた。彼らは、狐川で待機しているはずの岩成主税助の本隊と合流しようと、賀茂川の流れに沿って、武器や鎧を投げ捨てながら我先にと逃げ惑った。
「逃がすな! 追いつけ! 一人残らず首を刈り取れ!」
小六、稲田、堀尾といった僕の家臣たちは、獲物を見つけた飢えた狼のように、逃げる敵の背中へ短兵急に――息をつく間もなく激しく――追い討ちをかけた。
逃げる者の背中を槍で突き刺し、川の泥濘に足を取られた者を無造作に斬り捨てる。賀茂川の清流は、またたく間に赤黒い血の色に染まり、無数の死体が川原に打ち上げられていった。
「……これで、将軍の御命は完全に守られましたね」
本圀寺に到着し、馬から降りた僕に向かって、出迎えた竹中半兵衛が静かに頭を下げた。彼の白い頬には一滴の血も跳ねておらず、呼吸一つ乱れていない。この地獄の如き防衛戦を、まるで盤上の石を動かすかのように冷徹に操りきっていた。
「はい、お師匠様の完璧な遅延策のおかげです。僕の到着が間に合った」
僕は短く労いの言葉をかけ、すぐに視線を賀茂川の方角へと向けた。遠く離れた狐川の陣まで、怒号と悲鳴が微かに響いてくる。
僕の放った小六たちは、逃げる三好の敗残兵を執拗に追い詰め、ついに狐川に陣取っていた岩成主税助の本営まで雪崩れ込んでいた。
夜が完全に帳を下ろす頃、血まみれになった小六が、誇らしげに僕の元へと戻ってきた。小六の背後には、荷車に山のように積まれていく『戦果』があった。
「藤吉郎様。大将の岩成の首こそ取り逃がしましたが……追撃にて討ち取った首、ざっと数えて500にございます」
500の生首。松明の炎に照らし出されたその凄惨な光景を前に、僕は一瞬だけ息を呑んだ。
恐怖からではない。ただ、自分の下した一つの決断――近江国から急行し、背後から急襲させるという戦術――が、これほどまでに大量の『人間の命』を刈り取ったという、圧倒的な現実に直面したからだ。
未来の平和な日本で生きていた「僕」なら、間違いなく嘔吐して気絶していただろう。でも、今の僕は不思議なほどに心が凪いでいた。
冷たくなった道路の真ん中で意識を手放し、この戦国という時代に「木下藤吉郎」として目覚めたあの日。胸の中に宿った、あの太陽の熱。その熱が、僕の人間としての弱い部分を焼き尽くし、鋼のように冷たい『武将としての精神』を形作っている。
「……よくやった、小六。この首は、明日将軍様の御前に並べ、織田の武威を天下に示すための立派な供物となる」
僕は淡々とした声でそう告げ、小六の肩を叩いた。500の生首を前にして、僕は微塵も後悔を感じなかった。彼らは敵であり、僕たちの築こうとしている新しい時代の障害物だった。彼らをすり潰さなければ、僕が死に、僕の大切な家臣たちが死に、そして何より、この乱世が永遠に終わらない。
翌朝。本圀寺の周囲に散乱していた三好軍の残骸は粗方片付けられ、京の都には再び、痛いほどの静寂が戻っていた。狐川まで追い詰められた岩成主税助や三好山城守らは、これ以上の戦闘は不可能と悟り、残った僅かな兵をまとめて、再び摂津の阿波方面へと惨めに敗走していったという。
三好三人衆による将軍急襲という最後の大博打は、こうして完全に頓挫した。僕は本圀寺の縁側に座り、血の匂いが微かに残る朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
これで、畿内における旧勢力の組織的な反抗は、事実上すべて潰えたと言っていい。名実ともに、京の都は完全に僕たち織田軍の手によって強固な秩序の下に置かれたのだ。
「……でも、休む暇はなさそうですね、藤吉郎殿」
縁側の横に立った竹中半兵衛が、東の空――岐阜の方角を見つめながら呟いた。
「ええ。今回の事件で、信長様は『仮御所の脆弱さ』を痛感されたはずです。間違いなく、義昭様のために、これまでにないほどの巨大で堅牢な『本物の城』を京のど真ん中に築けと、無茶苦茶な命令を下してくるでしょう」
僕は苦笑しながら立ち上がり、刀の帯を締め直した。戦いは、剣を交えることだけではない。石を運び、木を切り出し、巨大な城を築き上げて圧倒的な権力を視覚化する。それもまた、この天下を統一するための重要な「戦」だ。
「行きましょうか、半兵衛殿。僕たちのやるべきことは、まだまだ山のように積まれている」
胸の奥で、日輪が力強く脈打っていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
本國寺合戰
ここに若江の城主三好左京大夫義繼は、故三好長慶が猶子として、松永及び三好三老臣の吹舉によつて出身せし者なれども、前將軍義輝公を弒せしこと、松永らが手裏にありて、己が所行にあらざれば、當將軍義昭公の御方に參り、共に三好を誅せし故、將軍の思召厚く、若江の城に安堵しけり。今度三好の三老臣ら、將軍を襲ひ奉る由快速と等しく、軍勢を率し、將軍家後詰のため狐川に陣を取り、伊丹、池田の兵を待ち居たり。兇徒これを快速き、まづ後詰の勢を討散らせよとて、岩成主のすけ、本國寺を三好下野守、同山城守に攻めさせ、自ら三千餘騎を引率し、狐川へと急ぎける。さるほどに三好勢は寺僧らに欺かれ、將軍の御遷座を今や今やと待ちけれど、寺中一統快速まり返つて音もせず。はや日も西に傾けば、三好山城守大きに怒つて、土卒を下知して攻めぬけるに、寺中の軍勢かねて用意はしたりけり快速快速鐵砲矢石、雨のごとくに放ちかけ、ひるむところを野村越中守七百餘人、鉾快速を並ベ切つて出、勇を震うて戦うたり。美濃浪人赤座、奥村ら六人の勇士、野村が手に加はリ居けるが、銘々槍を捻つて突き崩し、敵を捕快速て捻ぢ首にし、分捕高名さまざまなり。されども三好方大勢なれば、入り替り立ち替り戰ふにぞ、互に死傷の者數を知らず。ときに三好勢の後より、五色の吹貫さつとなびかせ、木下藤吉が先手小六正勝、稻田大炊、大澤主水、堀尾茂すけら五百餘人、どつと喚いて突きかかれば快速快速快速快速、前後の敵に三好が勢散々(ざん)に敗走して、岩成と一つにならんと、加茂川の流れに添ひ、備を亂して逃げたりけり。小六、堀尾、稻田が輩、短兵急に追討し、討取る首五百有餘、狐川まで追詰めたり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の「第11回 本圀寺の変」(26/3/22放送)では「信長公記」系を元ネタに明智光秀が大活躍でした。私も本圀寺で秀吉が活躍するのはなんか場違いな気がするのでそっちの方が史実と辻褄が合う気がします。




