1-105 魔王降臨、最悪の好感度
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
畿内を席巻した圧倒的な暴力のパレードは、ここに完結した。威名は遠近に震い、近国近郷に刃向かう敵は、もはやただの一人も存在しなかった。
芥川の陣を引き払い、僕たち織田軍は足利義昭を奉じて、ついに日本の中心――京都へと堂々の入洛を果たしたのだ。
信長様はすぐさま、故・細川氏綱の広大な宅地を改修させ、義昭の仮御所を造営した。そして信長自身は、東山の清水寺に本陣を据えられた。
季節は巡り、永禄11年(1568年)の初冬。朝廷へと参内した足利義昭は、悲願であった『征夷大将軍』の位に任ぜられた。そして信長もまた、従五位下弾正忠に補任され、洛中洛外の政治を公式に委ねられたのである。
「……さて。これで名実ともに、織田家が天下の覇権を握ったわけですが」
僕は清水寺の本陣から、眼下に広がる京の町並みを見下ろしながら、渋い顔をしていた。たしかに、武力と権威は手に入れた。だが、この巨大な都市を運営していく上で、致命的なパラメータが欠落していた。
それは、民衆からの『支持率』だ。京中の町人や百姓たちは、わずか数日で近江の堅城を次々と粉砕した信長様のことを、「血も涙もない天魔鬼神のような大将だ」と本気で恐れ慄いている。
まだ織田の政治を見ていないというのに、彼らの顔には深い恐怖の色が張り付き、「これなら、まだ前の三好の連中の時の方がマシだった」と眉をひそめる輩すら少なくなかった。
(武力で制圧できても、民心が離れていれば、いずれ必ず反乱が起きる。……早急に、織田政権の『正義』をアピールするPRイベントが必要だ)
未来のマーケティングの知識を持つ僕は、脳内で密かに一つの台本を組み上げ始めていた。
そんな折、織田の軍中に一人の厄介な足軽がいた。名を、鶴見藤五郎という。身の丈は七尺(約210センチ)に余り、頬髭が鬱蒼と生え茂り、骨太で色黒。さながら地獄から這い出してきた生ける仁王のような、限りなく悪相をした巨漢だ。
この藤五郎、信長の圧倒的な威勢に完全に笠を着ていた。彼は織田の相印が入った羽織をこれ見よがしに着用し、長大な刀を横たえて、京の町中を肩で風を切ってうそぶき歩いたのである。
「おいコラ! 俺は飛ぶ鳥を落とす織田家の兵だぞ! 道を開けろォッ!」
町人たちは、天下の織田の相印を恐れ、行き違うだけでも身を縮めて逃げ走る。藤五郎はそれが面白くてたまらなかったのか、次第にその荒らし行為をエスカレートさせていった。
酒店に押し入ってはタダ酒を食らい、酔い狂っては店の器物を打ち壊す。あるいは、刀の拵えを商う職人の家に押し入り、無理難題な武具を要求し、断られれば悪口雑言を吐き散らし、家内の者を情赦なく殴打する。往来を罵り歩きPK行為の限りを尽くしていた。
だが、被害に遭った町人たちは、泣き寝入りするしかなかった。天下の織田信長の権柄が恐ろしくて、誰も鶴見藤五郎を咎めることができない。
「あの藤五郎が来たぞ」と聞けば、家々は慌てて門戸を閉ざし、あるいは彼のご機嫌を取るために酒肴を出して平謝りする始末。
鶴見藤五郎はさながら、京の町に降り立った厄神のごとく恐れられていた。――そんな藤五郎の横暴を、聞きつけた者たちがいた。
僕の腹心である、浅野弥兵衛と堀尾茂助の二人である。彼らは20人の士卒を引き連れ、京の町々を巡見し、法令を正す任務に就いていた。
「お奉行様! どうか、どうかあの藤五郎という悪鬼をお止めくだされ! このままでは商売も成り立ちませぬ!」
町人たちが涙ながらに訴えるのを聞き、正義感の強い弥兵衛と茂助は激怒した。
「天下の信長様の足軽に、そのような狼藉を働く腐れ外道がいるとは!我らの手で、直ちに政道を糺してくれる!」
弥兵衛と茂助は、武装した士卒たちを率いて、藤五郎が暴れているという酒店を急襲した。
「酒を持てェ! 天下の織田軍様に逆らう気かァッ!」
ガシャァァンッ!
藤五郎は例のごとく泥酔し、皿や鉢を打ち砕きながら喚き散らしていた。
そこへ、完全武装した治安維持部隊が踏み込む。
「――上意なりッ! 神聖なる都で狼藉を働く不届き者め、神妙に縛につけェッ!」
「なっ……なんだとォ!?」
組子の士卒たちが一斉に乱入し、巨漢の藤五郎を取り囲む。さすがの悪鬼も、多勢に無勢、しかも正規の治安維持部隊を相手にしては抵抗しきれず、難なく太縄を掛けられ、簀巻きにされてしまったのである。
弥兵衛と茂助は、藤五郎を直ちに本陣へと引き立て、厳しい取り調べを行った。そして翌日。京の中心である三条河原において、『鶴見藤五郎を三日三晩、面体を晒した後に公開処刑に処す』という高札が高々と掲げられたのである。
「おお……! あの悪鬼が、ついに裁かれるぞ!」
「信長様は、身内の兵であろうと悪事は決して許されないのだ!」
このセンセーショナルなニュースに、京中の町人百姓は我先にと押し寄せ、黒山の人だかりを作った。自分たちを苦しめていた巨漢が、縄に縛られ、惨めな姿で晒し者にされている。それを見た民衆たちは、信長の政道が極めて明朗で、公平であることに心の底から感服した。
「信長様は、我らを守ってくださる真のお館様だ!」。
どん底だった織田家への『好感度』が、この一日のイベントで一気にV字回復したのである。
――しかし。熱狂する群衆から遠く離れた、本陣の薄暗い天幕の裏側で。僕は、縛られているはずの『鶴見藤五郎』に、ズッシリと重い金銀の入った革袋を手渡していた。
「ヒヒッ。木下様、俺の悪党の演技、いかがでしたかな?」
悪相の巨漢が、人が変わったように揉み手をしてニヤついている。
「ああ、完璧だったよ藤五郎。町人たちのヘイトの稼ぎ方といい、捕まる時の情けなさといい、言うことなしだ」
僕は満足げに頷き、彼の肩をポンと叩いた。そう。すべては、僕が仕組んだ『自作自演』だ。
僕は事前にこの藤五郎を金で雇い、わざと派手に狼藉を働かせて、織田へのヘイトを彼一人に集中させた。
そしてタイミングを見計らって弥兵衛たちに逮捕させ、『死刑』と号して表向きは処刑したことにして、裏では密かに莫大な報酬を与え、こっそりと故郷の尾張へと帰らせたのである。弥兵衛と茂助すらも、僕が書いた脚本の駒に過ぎなかった。民衆は「絶対的な悪が、絶対的な正義によって裁かれる劇」を何よりも好む。
今まで恐れ慄いていた京中の町人たちが、コロッと態度を変えて信長の政治に平伏し、都が嘘のように静謐に治まったのも、すべて僕のこの盤外の智略によるものだ。
「――藤吉郎。貴様、戦の駆け引きだけでなく、政の才智も底知れぬな」
すべてを知る信長様は、本陣で不敵な笑みを浮かべ、僕を見下ろしていた。軍事力で更地にするだけでは、国は治まらない。大衆の心理をハックし、血を流さずに平和をもたらした僕のプロデュース能力を、魔王は極めて高く評価した。
「木下藤吉郎。貴様を、京都守護の奉行に任ずる」
「はっ……! ありがたき幸せに存じます」
僕は深く平伏した。将軍の補佐、そしてこの日本の中心たる京の都の完全な治安維持と行政。それを、農民上がりであるこの僕が、全権を委ねられたのである。
同年、10月24日。畿内の平定と新体制の構築を終えた信長様は、大軍のほとんどを引き払い、めでたく本拠地である岐阜へと帰城の途についた。
別れ際、将軍・義昭は信長の忠勤を大いに歓び、自筆の感状(感謝状)ならびに、足利家の神聖なシンボルである『二つ引両の御旗(SSRアイテム)』を下賜された。
「これは織田家の最高のステータスである」と、信長様はそれを深く秘蔵なされたという。
――静まり返った清水寺の境内。本隊が去り、秋風が吹き抜ける都の景色を、僕は一人、縁側から見下ろしていた。
数万の軍勢が去った後でも、都の秩序は完全に保たれている。僕が構築したシステムと、張り巡らせた情報網が、この広大な都市の隅々まで機能している証拠だ。
「……さあ、チュートリアルは本当に終わりだ」
僕は腰に差した刀の柄に手をやり、小さく呟いた。これからは、武力だけでは解決できないドロドロとした政治闘争、裏切り、そして魔王の更なる無茶振りが待っている。
だが、恐怖はない。胸の奥で、あの日見た「日輪」の熱が、静かに、だが確かな質量を持って激しく脈打っている。
戦国の世に転生した一介の高校生が、ついに日本の中心を操作する権限を手に入れた。
僕、木下藤吉郎の本当の『天下取り(ゲーム)』が、今、ここに幕を開けたのである。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
義昭公將軍宣下信長卿任官
さるほどに織田上總介信長卿、威名遠近に震ひ、近國近郷に刄向ふ敵一人もあらざれば、芥川の陣を引拂ひ、義昭公を守護して入洛ましまし、故細川氏綱が宅地を造營して、義昭公の假御所となし、その身は東山清水寺に本陣を居ゑられ、永祿十一年冬の初め、禁廷に參內し、義昭公は征夷大將軍に任ぜられ給ひ、信長卿は從五位下彈正忠に補せられ、洛中洛外の政事を授け給ふ。京中の町人百姓、かねて信長卿(のぶながき快速)は鬼神のごとく恐ろしき大將なりと聞きければ、いまだ政道の善惡は辨へねども、恐怖の色をなし、三好の時こそ勝りけめと眉をひそむる族もありけり。ここに織田の足輕に、鶴見藤五郎といふ者あり。身の長七尺に餘り、頰髭繁く生ひて、骨太く色黒く、さながら仁王の生けるがごとく、惡相限りなき者なるが、信長卿の威勢に誇り、相印の羽織を著し、長き刀を橫たヘ、京中をうそぶき步くに、信長卿の相印に恐れ、行き違ふにも身を縮めて走るを、面白きことに思ひけるにや、さまざまの惡行をなし、酒店に入りて酒を呑み、醉狂して器物を打破り、或は脇差等の拵をなす家に至り、調のヘ難き道具を好み、これを否めばさまざまに惡言を吐き出し、家內の者を打擲し、往來を罵り步るき、忍びがたき狼藉をなせども、信長卿の快速柄に恐れ、敢て咎むる者もなく、「すは藤五郎よ」と云ふほどどこそこあれ、家々(いへいへ)に門戶を閉ぢ、または酒肴を出して詫ぶるもあり、さながら厄神のごとく恐れ慄きける。このとき木下藤吉が郎等淺野彌兵衞、堀尾茂すけ、二十餘人の士卒を引具し、町々(まち)を順見し、非常を禁め、法令を正しけるが、町人(ちやう人)ども藤五郎が狼藉を迷惑し、事の次第を訴ヘければ、淺野、堀尾の両士大に驚き、「信長卿の足輕に、さる狼藉者ありて、いかんぞや政道を糺すべし」と士卒に命じて捕ヘしむ。藤五郎は例のごとく酒店にて亂醉し、皿鉢を打破き、罵り喚き居たるところヘ、「上意なり」と組子の士卒ばらばらと馳寄つて、難なく縄をぞ掛けたりける。淺野、堀尾直に藤五郎を本陣ヘ引立て、糺明の上三條河原において三日三夜面體を晒し、死罪に行はるべき高札を立てられければ、京中の町人百姓、いやが上に重なりて見物し、信長の政道明らかなるに服し、これは木下藤吉郎が計略にて、鶴見藤五郎に申し含め、先ののごとく狼藉をなさしめ、死刑と號して密に金銭を與ヘ、尾州ヘこそは歸されける。さればこそ今まで恐れ慄きし京中の町人ども、信長卿の政事在服し、靜謐に治まりしも、木下が智略により。かく軍事のみにあらず、政事にも才智深き木下なれば、藤吉郎を以て京都守護の奉行となし、兼ねては將軍補佐のため殘し置かれ、同年十月二十四日、大軍京都を引拂ひ、めでたく岐阜へ歸城し給ふ。このとき將軍義昭公、信長が忠勤を歡び給ひ、自筆の感狀並びに二つ引兩の御旗を賜ひければ、信長家の面目なりと、秘藏なし給ひける。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
私、かれこれ半年以上古典を翻訳してるので、『信長卿の威勢に誇り…、さまざまの惡行をなし…』って読んだ瞬間、「あっ、これ秀吉の自作自演パターンだな」ってピンときました。そろそろ「武功夜話」もどき書けるかもw
※最近、愛読者様(歴史ヲタク)以外の方にもご覧頂いてるので、オチ(w)を自分で解説するのは恥ずかしいのですが、念のため補足させて頂きます。日本史には「武功夜話」という極めて特殊な立ち位置の文献(原書非公開)が存在しており、あまりにも内容にリアリティがあり、面白いが故に、長年その真贋を偉い先生達が真面目に議論してます。「武功夜話」訳者様は「蔵から発見された」と主張されてますが…ハッキリ言えないのですが…(執筆力を超リスペクトさせて頂いた上で)…つまり…そういう事だと思います。
※武功夜話@Wikipedia
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