1-104 連鎖する降伏と究極のPR効果
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
巨大な歴史の歯車が、これまでにないほどの轟音を立てて回り始めている。池田筑後守勝正の降伏――それは、畿内という広大な盤面において、決定的な「ゲームチェンジ」を引き起こした。
かつて信長の大軍に牙を剥き、多くの織田兵を殺した敵将。普通に考えれば、見せしめとして腹を切らされるか、一族もろとも根絶やしにされるのが戦国のセオリーだ。
だが、信長は勝正の罪を一切問わず、それどころか「本領安堵」――元の領地をそのまま治める権限――を完全に保証して見せたのである。
この寛大すぎる処置は、信長が意図して放った、畿内の大名たちに対する強烈な『PR』であった。
(――俺に逆らった者でも、有能であり、かつ素直に頭を下げれば許してやる。だが、最後まで抗う者は灰にする)
ムチの恐ろしさは、すでに六角の秒殺劇で畿中全土に知れ渡っている。そこへ、この最高級のアメが提示された。結果として何が起きたか。
畿内で織田軍を迎え撃とうと様子見をしていた諸将の心が、音を立てて完全にへし折られたのである。
「申し上げます! 河州高屋城の城主・畠山次郎重春、当陣へ降参の使者を送ってまいりました!」
「若江城の城主、三好左京大夫義継も、将軍家への恭順を誓い、御上洛を賀し奉るとの書状が届きました!」
本陣の陣幕には、次から次へと「降伏」の報告が舞い込んでいた。こちらから使者を送るまでもない。彼らは自ら進んで頭を垂れ、足利義昭と信長の御方につくことを誓った。特に、三好義継といえば、敵対勢力である三好家の当主の一人である。それが早々に白旗を揚げたことで、畿内の反織田ネットワークは完全に崩壊した。
「……見事なドミノ倒しですね。信長は一滴の血も流さず、畿内の過半数を手に入れた」
僕は次々と届く書状の山を前に、呆れ半分、感嘆半分で呟いた。これに対して、足利義昭も大いにご機嫌となり、降参してきた者たちにことごとく本領安堵の御墨付きを与えたのである。
ところが、この平和的な降伏ラッシュの中にあって、一人だけ「絶対に許されないはずの男」がいた。大和国、多聞山城の城主――松永弾正久秀。
松永弾正久秀は戦国時代を代表する、極めつけの悪党である。なにせ、かつて三好の連中と共謀し、当代の将軍であった足利義輝を暗殺するという、とんでもない大罪を犯している。
今、信長が担ぎ上げている足利義昭からすれば、実の兄を殺した不倶戴天の仇である。
「……普通に考えれば、松永弾正久秀だけは『討伐対象』だ」
僕は未来の歴史知識と照らし合わせながら、松永弾正久秀の置かれた絶望的な状況を分析していた。松永弾正久秀は現在、かつての味方であった三好一家とも仲違いし、度々合戦を繰り返している。さらに大和国内では、ライバルである筒井順慶と数年にわたって血みどろの領土争いを繰り広げており、互いに互角の戦いで疲弊しきっていた。
もしここで、松永弾正久秀が信長にまで敵対のポーズをとればどうなるか。東からは信長の大軍、西からは三好、南からは筒井。完全に四面楚歌である。
(さあ、どうする松永弾正久秀。手札は、もう残っていないはずだ)
だが、この松永弾正久秀はただの悪党ではない。自分の命を繋ぐためなら、どんな手段でも使う究極の生存者だ。松永弾正久秀は絶体絶命の窮地において、戦国の常識を覆す、あまりにも図々しい『奇策』に出た。
「――多聞山城主、松永弾正久秀。御前に罷り越しました」
数日後。京の都に設けられた信長の本陣に、その男は現れた。白髪交じりの頭を深々と下げ、まるで人の良い老人のような顔を作って、信長と足利義昭の前に平伏している。陣幕に控えていた僕や他の織田家臣たちは、皆、刀の柄に手をかけて一触即発の殺気を放っていた。
前の将軍を殺した大悪党が、どの面下げてノコノコとやってきたのか。今すぐここで首を刎ねてやる、と誰もが思っていた。だが、松永弾正久秀は周囲の殺気などどこ吹く風と、とんでもない詭弁を展開し始めた。
「義昭様、ならびに信長公。……かつて故・義輝公が弑逆された事件、あれはことごとく三好の輩の暴走であり、某の預かり知らぬところであったのです!某は三好と不和になり、深く悲しんでおりました。どうか、この忠義の心をお汲み取りいただき、御味方の末席にお加えくだされ!」
「…………ッ!」
あまりの厚顔無恥ぶりに、陣幕の空気が凍りついた。将軍暗殺の主犯格の一人でありながら、「全部三好がやりました、私は被害者です」と責任転嫁をしたのだ。巧言令色、言葉を尽くして媚びへつらうその姿は、おぞましいほどに滑らかだった。
上座に座る信長は、無言で松永弾正久秀を見下ろしていた。その双眸の奥には、氷のような冷たい怒りと嫌悪感が渦巻いているのを、僕は確かに感じ取った。
(……信長は、松永弾正久秀の旧悪を憎んでいる。そして今、彼が保身のために見え透いた追従を使っていることも、完璧に見透かしている)
魔王の理性が、この大悪党を「即座に処刑せよ」と告げているはずだった。だが。信長の脳内で稼働する超並列の演算回路は、個人の感情よりも遥かに高い次元の『天下の盤面』を計算していた。
(――もし今、ここで松永弾正久秀の罪を糾し、処刑すればどうなる?)
その答えは明白だった。「信長は、やはり過去の罪を許さない男だ」というメッセージが畿内中に伝わる。そうなれば、今まさに降伏しようか迷っている三好の一党や他の残存勢力が恐れをなし、「どうせ殺されるなら最後まで抗おう」と、死に物狂いで牙を剥いてくるだろう。結果として、無駄な戦によるリソースの浪費が畿内のあちこちで頻発し、天下布武のスケジュールが大幅に遅延する。
対して、松永を許せばどうなるか。「あの将軍殺しの大悪党・松永弾正久秀ですら許されたのだから、俺たち程度の罪なら絶対に許されるはずだ」という、究極の安心感が敵全体に与えられる。
数秒の、恐ろしいほどの沈黙。やがて信長は、表情筋を完璧にコントロールし、偽りの「欣びの色」を顔に浮かべて見せた。
「――よくぞ参った、弾正。貴殿の忠義、しかと見届けたぞ。これまでの罪は一切不問とする。大和の所領も、そのまま安堵してつかわす!」
「おおおっ……!ありがたき幸せ!この松永弾正、信長公のために粉骨砕身いたす覚悟にございます!」
もちろん信長が内心では殺意を抱いていることなど百も承知の松永弾正久秀もまた、床に額を擦りつけて歓喜の涙を流してみせた。
究極のタヌキとキツネの化かし合い。互いに殺意と不信感を腹の底に隠し持ちながら、盤面を有利に進めるためだけに笑顔で握手を交わす。これこそが、真の政治。
僕は陣幕の端で、戦国のトッププレイヤー二人が繰り広げる高度な情報戦に、ただただ圧倒されるばかりだった。
この「松永弾正久秀の赦免」という強烈なニュースは、畿内のパワーバランスに最後の一撃を刺した。
大和国で松永弾正久秀と争っていた宿敵・筒井順慶もまた、「このまま信長と敵対していては、万事につけて都合が悪い」と瞬時に判断した。
筒井順慶は松永弾正久秀に遅れを取るまいと、慌てて京都へと参上し、将軍家に謁見して信長に面会を果たした。そして「三好退治の嘉き儀を祝します」と恭順の意を示し、あっさりと信長に随った。
畿内を二分していた大和国の二大巨頭である松永弾正久秀・筒井順慶が、揃いも揃って信長の軍門に降った。これを見た諸国の国衆たちも、もはや誰一人として逆らう気力を失った。「我も我も」と、大名、小名(小領主)たちが先を争うようにして京都へと貢物を持ち込み、信長に帰順していった。
「……終わりましたね。完全に、この世界の覇権が塗り替わった」
僕は本陣の縁側に立ち、京の都の空を見上げていた。東の空から、まばゆいばかりの朝日が昇ってくる。信長の威勢は、まさにその「朝日の昇るごとく」だった。
強大な武力で古き城を粉砕し、冷徹な計算で敵の精神を折り、寛大な処置で残存勢力を取り込んだ信長が一声を発すれば、諸国の武将たちは一斉に頭を垂れる。
僕が転生したこの戦国の世。血と泥にまみれた残酷なゲーム盤の中央には、今、圧倒的な光を放つ「魔王」が君臨している。
――太陽が、胸に入った。あの日、事故で死ぬ直前に見た夢の言葉が、再び僕の脳裏をよぎる。日輪の熱は、まだ僕の胸の奥でチリチリと脈打っている。
信長という巨大な太陽の光を浴びながら、僕は自分の手で天下をクリアするための次なる盤面へと、確かな足取りで進み始めていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
松永彈正降參
池田の城主池田筑後守勝正、將軍家の御方に參りければ、これを聞いて河州高屋の城主畠山次郎重春、若江の城主三好左京大夫義繼なんど、召さざるに參上し、御上洛を賀し奉る。これによつて將軍家御氣色麗しく、ことごとく本領安堵したりける。ここに松永彈正久秀は、先に三好らと共に將軍義輝公を弒せしが、三好一家と不快にして、合戰度々(たびたび)なりけるが、和州多聞の城に楯籠り、近國に威を震ひ、筒井順慶と地を爭ふこと數年に及べども、互に牛角の戰ひにて、はかばかしき合戰もなし。このとき松永、信長卿を敵となしては、たちまち筒井がために攻め討たれ、防戰難儀なるを計り、三好家と不和なるを申し立て、義輝公を弒せしもことごとく三好らが計らひなりと陳じ、巧言令色して信長の御方に參りけるを、信長卿、松永が舊惡を憎み、今また彼が追從せるを忌み給へども、その罪を糺し死を賜ふときは、三好の一黨恐れをなして、降參する者なからんことを計り、僞つて欣びの色をなして對面あり。これも所領安堵すべきよし令せられけるにより、松永も信長か心に入らんと、さまざま心を盡しける。筒井順慶も松永と同じ所存にて、信長と不快にては萬につけて便惡しと、これも同じく京都に參上し、將軍家に謁し、信長に對面し、怨敵追伐の嘉き儀を祝し、信長の下知にぞ隨ひける。かくのごとく諸國の大名小名、我も我もと歸順するほどこそあれ、信長卿の威勢朝日の昇るごとく、草に風を加ふるに似たり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
松永 久秀(まつなが ひさひで、永正5年〈1508年〉- 天正5年10月10日〈1577年11月19日〉)は、戦国時代・安土桃山時代の武将、大和国の戦国大名である。官位を合わせた松永 弾正の名で知られる。弟に長頼、嫡男に久通。斎藤道三・宇喜多直家と並んで日本の戦国時代の三大梟雄(※「梟雄」とは梟の雄が気性が荒く獰猛と言われることに由来)とも評されている。「下剋上の代名詞」、「謀反癖のある人物」出典:wikipedia
ちなみに皆様ご存じのとおり、学説上(史実上)の評価は小説のキャラとは真逆です。
実際の久秀は主君・三好長慶の存命中は、目立って謀反を起こしたり専横をしたことは一次史料からは確認できない。また、長慶の嫡男・義興や長慶の弟・十河一存を暗殺し、長慶の弟・安宅冬康を讒訴して殺させ、三好政権を崩壊へと導いたといわれるが、これらの情報も多くは軍記物などを典拠としたもので、信憑性に乏しい。出典:wikipedia




