1-101 新たなる敵対勢力
『太閤記』は、豊臣秀吉の伝記に用いられる題名。太閤は摂政・関白経験者で、その子が同様に摂関となった者が称する号であるが、ここでは秀吉を指す。秀吉の伝記・一代記の総称として用いられるが、小瀬甫庵の著作である『太閤記』を指すこともある。秀吉を中心とした人物を描いた戯曲作品は特に太閤記物という。
『絵本太閤記』(えほん たいこうき、旧字体:繪本〜)は、江戸時代中期に書かれた読本。豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとに、武内確斎が文を著し、岡田玉山が挿絵を入れた。全7編84冊。出典:Wikipedia
京の都という、日本の中心に上洛を果たした僕たち織田軍。
でも、当然ながらゲームがここで終わるわけではない。信長が擁立した足利義昭に対抗する、もう一つの勢力が京のすぐ隣に居座っていたからだ。
「……なるほど。これが現在の勢力図ですか」
僕は本陣の片隅で、広げられた絵図面を見下ろしながら顎を撫でた。都を実効支配していた三好一族と、彼らが担ぎ上げているもう一人の将軍・足利義栄。彼らは信長の「天魔鬼神」の如き進軍速度に恐れをなし、都を捨てて一時撤退した。
だが、彼らは決して完全に心を折られた(ログアウトした)わけではない。都の西、摂津と河内の両国に散らばり、強固な防衛ネットワークを再構築していた。
図面に記された敵の配置は、決して侮れるものではなかった。青龍寺城には、三好三人衆の一角にして智勇兼備の名将・岩成主税助が1,000騎。高槻には入江右近が800騎。芥川には三好日向守が2,000騎。清水には篠原左近進が1,000騎。さらに、将軍・足利義栄を保護する布引の城には3,000騎。その他、池田、伊丹、尼崎、飯盛、高屋といった各拠点にも、それぞれ数千単位の兵が籠城している。
「見事な多層防御だ。……一つの城が攻められれば、他の城から援軍が出せる。六角の時のように、一筋縄ではいかないぞ」
僕は図面上の「敵拠点」を指で弾きながら、小さく息を吐いた。いずれも畿内の激戦を生き抜いてきた勇武の将士たちだ。彼らは信長の大軍をこの摂津・河内の入り口で食い止め、持久戦に持ち込みリソースを枯渇させる戦略に違いなかった。
しかし、連戦連勝で完全に調子に乗っていた織田の兵たちは、そんな敵の戦術的意図など微塵も理解していなかった。
「ヒャッハー! 都の次は摂津だ! 手柄を立てて一番乗りを目指せェッ!」
信長が京に陣を敷いたその日。血の気に逸った織田の足軽たちが、軍の正規の命令を待たずに勝手に徒党を組み、1,000騎の勢力となって、最も京に近い最前線の拠点――岩成主税助が籠もる青龍寺城へと突撃をカマしたのである。
「おいおい、バカな真似を……」
報告を聞いた僕は、思わず頭を抱えた。指揮系統を無視した、無二無三の力攻め。それはもはや戦術ではなく、ただの暴徒の群れだ。
対する青龍寺城の守将・岩成主税助は、三好三人衆に数えられる男である。感情に任せて突っ込んでくるモブ兵など、彼にとってはただの「的」でしかない。
「……尾張の田舎侍どもめ。戦の作法というものを教えてやれ。――撃て」
城壁の上から、岩成の冷徹な下知が下る。次の瞬間、青龍寺城の狭間から、数え切れないほどの鉄砲が火を噴いた。
――ダダダダダダダッ!!
雨あられの如く降り注ぐ鉛玉の弾幕。勢いだけで突っ込んでいた織田の足軽たちは、次々と眉間や胸板を撃ち抜かれ、バタバタと血だまりに沈んでいく。少しも騒がず、徹底したキルゾーンを構築する岩成の采配は、まさに智勇兼備の良将と呼ぶにふさわしい見事なものであった。
「ひぃッ! た、たまらん! 搦手から回れ!」正面突破を諦めた500人ほどの兵が、城の裏手へと回り込もうとした。だが、岩成はそれすらも読んでいた。
「裏に回ったネズミどもを叩き潰せ」
あらかじめ伏せられていた三好の軍兵が逆落としに襲いかかり、搦手へ回った500人は散々に打ちのめされた。
「……っ痛ぇええ! 逃げろ、京へ逃げろォッ!」
生き残った兵たちは、来た時の威勢はどこへやら、這々の体で京の都へと逃げ帰ってきたのである。
「まったく……。これだから『思考停止した脳筋』は困るんだ」
敗走してきた味方の無様な姿を見下ろしながら、僕は冷ややかなため息をついた。畿内のプレイヤーたちは、尾張や美濃の連中よりも一段上の戦術を理解している。それを身をもって知るための、高い授業料だった。
翌、9月29日。一部の兵が勝手に敗北したという事実は、魔王・信長の逆鱗に触れるには十分すぎた。
「――十兵衛、権六。小城一つ、さっさと更地にしてこい」
信長の氷のような命令を受け、織田軍の真の先陣が動いた。柴田勝家、そして佐久間信盛。織田家を支える二大巨頭が率いる、完全武装の精鋭3,000人。さらにその後方には、信長直属の数万の総軍が、大地を揺らして後詰の準備を整えていた。
彼らは青龍寺城へ押し寄せると、前日の足軽たちのような無策な突撃はしなかった。四方を隙間なく完璧に包囲し、城を物理的に圧殺する構えを見せたのである。
「……ここまでか」
櫓の上で織田の圧倒的な大軍――その暴力的なまでのステータス差――を目の当たりにした岩成主税助は、静かに目を閉じた。彼は智将である。これ以上防戦を続けても、自軍が全滅するだけで戦略的な意味がないことを、即座に計算した。
「城を開き、退去する。……ゆえに、士卒の助命を願いたい」
岩成は潔く軍使を送り、降伏ではなく「城の明け渡しを条件とした安全な撤退」を求めた。これを受けた信長もまた、極めて合理的な判断を下した。
「よかろう。無駄な血を流す必要はない」
信長様はその旨を許容し、柴田と佐久間の軍勢に攻め口から退くよう命じ、陣を取って待機させた。かくして、岩成主税助と彼に従う1,000騎の兵たちは、堂々と城門を開き、青龍寺城から退出した。彼らは味方が待つ次なる拠点、芥川城へと向かって、整然と退却の途についたのである。
武士の情け。名将同士の、血を流さぬ美しい決着。……そう、当時の「常識」で言えば、これは極めて綺麗で、誉れ高い戦いの終わり方だった。
――でも、盤面の常識を無視する転生者にとって、敵の「名誉ある撤退」など、ただの『無防備』でしかない。
「……おいおい、正気かよ。無防備な敵の大将を無傷で逃がすなんて、経験値を捨ててるようなもんじゃないか」
僕は陣幕の中で、岩成の部隊が芥川城へ向けて撤退を開始したという報告を聞き、歪んだ笑みを浮かべた。柴田勝家や佐久間信盛は、信長の「城を明け渡させたから手出し無用」という暗黙の武士道に従っている。
でも、僕は違う。敵の戦力を確実に削れるタイミングで削らないのは、僕の未来の合理主義が絶対に許さなかった。
「小六。……出番だ」
「へへっ、待ってましたぜ、藤吉郎様」
僕の背後の暗がりから、野盗の頭目・蜂須賀小六が残忍な笑みを浮かべて進み出た。蜂須賀小六とその弟分である又十郎、稲田大炊、堀尾茂助らに、僕はすでに2,000人の別動隊を預け、密かに先行させていた。
「敵の目的地は芥川城。その道中、必ず陣形が間延びする場所がある。そこへ埋伏し、一網打尽にしろ」
「御意。綺麗事抜きの、泥臭い殺し合いを見せてやりまさァ」
僕の放った「死神たち」は、音もなく戦場から姿を消した。
一方その頃。青龍寺城を無事に退去した岩成の一千余騎は、「はや芥川の城もほど近い」と安堵し、完全に気が緩んでいた。武具の紐を緩め、備えも乱れた状態で、秋の街道を急ぎ足で進んでいた。そこへ。
「――ヒャハハハッ!お命頂戴ィィッ!!」
街道の両脇の草むらや森の中から、突如として2,000の伏兵が殺声を上げて襲いかかった。小六たち川並衆の得意技、完全な不意打ちである。
「な、なんだ!?織田の追手か!話が違うぞ!」
「一人も生かして返すな! 首を刈り取れェッ!」
名誉も何もない、ただの虐殺だった。左右からの一斉攻撃を受け、完全に不意を突かれた岩成の軍勢は、迎撃の陣を組む間もなく次々と薙ぎ倒されていく。武士の約束を信じて撤退していた彼らにとって、この理不尽な奇襲はまさに青天の霹靂。逃げ惑い、血飛沫を上げ、あっという間に500人――部隊の半分――が討ち死にし、残りは散り散りになって悲鳴を上げながら逃げ惑った。
「ええい、おのれ尾張の犬ども! 武士の風上にも置けぬ卑怯者め!」
だが、岩成主税助はただ黙って殺されるような男ではなかった。彼は血塗られた刀を抜き放つと、ボス・ステータスを解放し、自ら先頭に立ち、群がる小六の兵たちを斬り捨て、斬り捨て、己の血路を強引に切り拓いた。
「止めろ! 大将首を逃がすな!」
「無理だ、あのオッサン、強すぎる……ッ!」
悪鬼の如き形相で包囲網の一角を突破した岩成は、残された僅かな兵と共に、辛うじて芥川城へと逃げ込むことに成功した。
「……岩成の首は取り損ねたか」
数時間後。僕は小六から「500の首を取りましたが、大将には逃げられました」という報告を受けた。
でも、結果としては十分すぎる戦果だ。敵は城を失い、さらに兵力の半分を失った。これからの防衛戦において、三好勢の足並みは確実に乱れる。
「武士の風上にも置けぬ、か」
僕は、報告書を焚き火に放り込みながら、自嘲気味に呟いた。もしこの奇襲が明るみに出れば、柴田や佐久間といった生真面目な武将たちからは「約束を破った卑怯者」として軽蔑されるかもしれない。でも、そんなことはどうでもいい。
敵の戦力を確実に削り、味方の被害を最小限に抑え、そして僕自身の「功績」を稼ぐ。そのためなら、名誉ある約束などいくらでも反故にする。それが、僕がこの狂った戦国の世を生き抜くために選んだ「最適解」だ。
「さて、次の拠点はどこだ?まだまだ経験値が足りない」
胸の奥で、冷たくも激しい「日輪」の熱が脈打っている。
僕、木下藤吉郎の戦いは、ここからさらに泥深く、そして残酷なフェーズへと突入しようとしていた。
【繪本太閤記 作:武内確斎 絵:岡田玉山 寛政9年】
柴田佐久間青龍寺の城を攻む
さるほどに、三好家の一族郎等等、京都を退き、青龍寺の城に岩成主税助祐通、一千餘騎にて楯籠る。高槻には入江右近八百餘騎、芥川には三好日向守長縁二千餘騎、清水には篠原左近進一千餘騎、布引の城には京都の将軍義榮公を守護し、細川掃部助、三好彦次郎三千餘騎、そのほか池田に池田筑後守、伊丹に伊丹大和守、尼崎に荒木攝津守籠城し、河内國飯盛に三好下野守政康二千餘人、同國高屋には三好山城守康長長入道笑岩二千餘人、いづれも勇武の将士、攝河兩國に散在して、信長の大軍を防ぎ支へんと、手配を定めて待ちかけたり。さても信長京都著陣の日、逸り雄の兵士ら足輕を狩り催し、その勢一千餘騎、岩成主税助が籠りたる青龍寺へ押寄せ、無二無三に攻めたりける。岩成は三好が三老臣の隨一にして、智勇兼備の良將なれば、少しも騒がず、鐵砲を雨のごとく打ちかけ、暫し防ぎ戦ひけるが、搦手より五百人織田の軍兵さんざんに打なされ、這々(はうはう)京へ逃げ上りけり。明くれば二十九日、織田信長の先陣柴田勝家、佐久間信盛三千餘人、青龍寺へ押寄せ、惣軍跡に附きて進發し、ただ一息に攻め崩さんと、四方より揉み立てければ、岩成防ぐべき力盡き、城を開き退去すべき間、士卒の助命を乞ひ願ひければ、信長その旨許容し給ひ、柴田、佐久間攻口を退き、陣を取つて控へけり。岩成主從一千餘騎、城を開きて退出し、芥川の城へと急ぎける。はや芥川もほど近しと、備えも亂れ馳せけるところに、木下が郎等小六、又十郎、稻田大炊、堀尾茂助、二千餘人にて埋伏し、左右より討つて出、洩らさじと突きかかれば、岩成が勢五百餘人討死し、散々(さんざん)になって逃げたりけるが、主税助猛勇の壯士なれば、一方を切り抜け、辛うじて芥川の城に落行きけり。
〜参考文献〜
太閤記 底本:『史籍集覧』第6冊,近藤出版部 - Wikisource
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絵本太閤記 武内確斎 著 夕陽亭馬齡 編
夕陽亭文庫 Amazon Kindle https://x.com/bpaaw700
〜舞台背景〜
三好三人衆は、戦国時代に三好長慶の死後に三好政権を支えて畿内で活動した三好長逸・三好宗渭・岩成友通の3人を指す。いずれも三好氏の一族・重臣であり、『言継卿記』や『多聞院日記』などの同時代の記録でも「三人衆」と表記されている。出典:wikipedia
ググってて笑えたのが、5CHで三好三人衆のSTの会話がありました。
『三好三人衆って弱体化されすぎじゃね? 3人とも統率も武勇も50前後で泣けるんだけど』
『初期作品をやれ(笑)。風雲録とか烈風伝じゃ、畿内最強クラスだったぞ。AIに使われると普通に詰むレベル』
いや⋯ゲームの武将STなんていちいち覚えてないしw
※信長の野望シリーズは、1983年に株式会社光栄マイコンシステム(後に「光栄」→「コーエー」→現「コーエーテクモゲームス」)が発売したPCゲームソフト『信長の野望』を第1作とする、日本の戦国時代をテーマとした歴史シミュレーションゲームのシリーズである。本作により、日本のゲーム市場において「歴史シミュレーション」というゲームジャンルが確立された。シリーズの世界累計出荷本数は2025年時点で1100万本を突破。出典:wikipedia




