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灰燼(かいじん)の設計者  作者: 蒼牡蠣
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第8話:戦果の簒奪者と、共鳴する水晶

硝煙と焦げた肉の臭いが立ち込める谷底に、冷たい雨が降り始めた。


すり鉢状に融解した巨大なクレーターの周囲を、味方の兵士たちが遠巻きに囲んでいる。彼らの視線は、泥にまみれた私一人に向けられていた。

嘲笑や見下すような色は、もうどこにもない。あるのは純粋な恐怖と、得体の知れない化け物を見るような畏怖だけだ。


私は足元の泥でブーツの汚れを落としながら、静かに息を吐いた。

周囲の視線はどうでもいい。ただ、敵将の防護結界を内側から破裂させたことで、谷全体の魔力場がひどく乱れている。空気が重く、肌が微弱な静電気でチクチクと痛む。


「……見事な戦果だ、ヴァイス中佐。我が軍の進軍を阻んでいた障害を、わずかな手勢で排除するとは」


背後から、泥濘には似つかわしくない、甲高い声が響いた。

振り返ると、豪奢な銀色の甲冑に身を包んだ初老の男が、護衛の騎士たちを引き連れて歩いてくる。後方部隊でふんぞり返っていたはずの、軍の将軍クラスの貴族だ。


エレン中佐は表情一つ変えず、軍隊式の敬礼をした。


「バルデス将軍。前線はまだ安全が確保されていません。後方での待機を推奨します」


「構わん。敵将を討ち取ったとなれば、指揮所跡の調査と遺留品の回収は、最上位の階級を持つこの私が直接行うのが軍の規則だ」


バルデス将軍はエレン中佐の警告を無視し、護衛を伴ってクレーターの底へと降りていく。

手柄の横取りだ。敵が残した機密情報や魔力石のコアを回収し、自身の功績として本国に報告するつもりなのだろう。


クレーターの中心。完全に炭化した敵将の死体の足元に、分厚いガラスのような透明な水晶の箱が半分泥に埋まっていた。

熱に耐え抜いた特殊な保管庫データコア。中には敵軍の暗号鍵や作戦図面が収められているはずだ。


「ほう、無傷で残っていたか。開けろ」


将軍の命令で、護衛の騎士が水晶の箱を引き抜こうとする。

しかし、箱は泥から微動だにしない。


「どけ。魔力ロックがかかっているだけだ」


将軍は苛立たしげに騎士を退け、自身の右手を水晶の箱に押し当てた。

彼の腕から、強引な魔力の波が箱へと注ぎ込まれる。鍵穴に無理やり巨大なバールを突っ込んでこじ開けるような、乱暴で無思慮な術式の展開。


私は一歩退き、水晶の箱の内部構造を視覚化した。


箱の内側に刻まれた無数の回路が、将軍の魔力に反応して青白く発光し始める。

(……馬鹿な男だ。あれはただの鍵ではない。不正な魔力干渉をトリガーにして起動する、自爆用のトラップだ)


「中佐」


私は短く声をかけた。エレン中佐は私の視線の先を見て、即座に状況を察知した。


「総員、伏せろ!」


中佐の号令が響いた直後。

水晶の箱から、耳をつんざくような高周波が発せられた。


「な、何だ!?」


将軍が箱から手を離そうとする。だが、遅かった。

箱を中心に、半径五メートルほどの空間が「歪んだ」。光の屈折ではない。物理的な気圧の異常低下だ。


シュウゥゥゥゥッ!!


周囲の空気が、凄まじい勢いで水晶の箱に向かって吸い込まれ始めた。

箱の周囲に「局所的な真空空間」が形成されたのだ。泥、小石、そして死体の灰が、竜巻のように箱の周囲を回りながら吸着されていく。


「が、あ、がっ……!」


真空の領域に囚われた将軍と二人の騎士が、喉を掻きむしって地面に倒れ込んだ。

空気が奪われ呼吸ができないだけではない。周囲の気圧が極端に下がったことで、彼らの体液が沸騰し始め、眼球や毛細血管から血が噴き出している。銀色の重装甲冑すらも、目に見えない圧力の差によってひしゃげ、不気味な軋み音を立てていた。


「レイ」


エレン中佐が、苦悶する将軍を一瞥もせずに私を見た。


「あの馬鹿の命はどうでもいい。だが、あの箱の中の機密情報は我が軍に必要だ。箱を壊さずに、罠だけを止めろ」


「……五秒で終わらせます」


私は足元に転がっていた、戦死した味方兵士の鋼鉄製の長剣を拾い上げた。

真空空間の引力は凄まじい。迂闊に近づけば、私もあの領域に引きずり込まれ、一瞬で肺を潰されるだろう。


私は目を細め、水晶の箱を覆う魔力の流れを観察した。

真空を生み出している動力源は、箱の表面を覆うガラス状の「外殻結界」だ。結界が特定の振動数で微細な振動を繰り返すことで、空間の圧力を強制的に捻じ曲げている。


箱を叩き割れば中身の機密ごと吹き飛ぶ。

必要なのは、あの「振動」だけを相殺し、システムをエラーで停止させることだ。


私は拾い上げた長剣の峰を、近くにあった岩角に勢いよく叩きつけた。


キィィィィン……!


鋼鉄の剣が激しく共鳴し、高く澄んだ音を立てて震え始める。

私はその音の高さを聞き分け、小さく舌打ちした。

(ピッチが低い。これでは外殻の振動数と合わない)


剣を捨て、別の兵士の剣を拾う。岩に叩きつける。

キンッ……。

(高すぎる)


三本目。泥に半分埋まっていた、刃こぼれのある短剣。

岩に叩きつける。


カーーーン……!


(これだ。完全に一致した)


私は激しく震えて音を鳴らし続ける短剣を右手に握り直し、真空空間の境界線ギリギリまで踏み込んだ。

凄まじい風圧が全身の服を引っ張り、顔の皮膚が引きつる。


私は短剣の柄を逆手に持ち、震える刃の根元を、眼前の見えない気圧の壁に向かって、ただ真っ直ぐに突き出した。


狙うのは空間の壁ではない。

短剣の「音の振動」を、真空空間を構成する魔力の振動波に直接ぶつけること。


刃先が真空の領域に数ミリだけ触れた瞬間。


ピシッ。


極めて小さな、ガラスにヒビが入るような音が響いた。

短剣が発していた物理的な音波の振動が、トラップの魔力波と完全に干渉し、波の位相が衝突して相殺されたのだ。


強制停止シャットダウンだ」


直後、鼓膜を破るような破裂音と共に、空間を捻じ曲げていた真空の領域が霧散した。

奪われていた空気が一気に逆流し、爆風となって周囲に吹き荒れる。私は姿勢を低くしてそれをやり過ごした。


風が収まった後。

泥の上に、血まみれになって失神している将軍と騎士たち。

そしてその中央には、表面の魔力回路だけが焼き切れ、無傷のまま沈黙した水晶の箱が転がっていた。


「見事だ。箱の強度は保ったまま、魔力回路だけを焼き切ったか」


背後から歩み寄ってきたエレン中佐が、泥まみれの水晶の箱を拾い上げた。


「物理的な干渉による共振現象を利用しました。魔力で作られた振動であっても、物質界に影響を及ぼしている以上、同じ周波数の物理波をぶつければ相殺できます。ただの計算です」


私が短く報告すると、エレン中佐は水晶の箱を自身の副官に渡し、冷たい視線を気絶している将軍に向けた。


「この豚は野営地に運んでおけ。勝手に機密情報に触れ、魔力暴走を引き起こした大罪人として本国に送り返す」


憲兵たちが手際よく将軍を引きずっていくのを見送りながら、中佐は私に向き直った。


「レイ。今日からお前は、軍属の『特務技術官』だ。もはや戦場の泥を這う必要はない。その眼と頭脳で、この世界の古臭い魔法の概念をすべて解体しろ」


「了解しました、中佐」


私は血と泥に塗れた短剣を捨て、深く一礼した。

もはや私は、捨てられた兵器を拾う戦場の掃除屋ではない。

強者たちが作り上げた魔法という名の欠陥品を、盤面ごと叩き壊すための「致命的な異物」になったのだ。

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