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灰燼(かいじん)の設計者  作者: 蒼牡蠣
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第7話:三色の絶対障壁と、致命的な蓋

谷の最深部は、むせ返るような血の匂いと、大気が焦げるオゾンの臭気に満ちていた。


味方の精鋭部隊の足が、完全に止まっていた。

彼らの眼前に聳え立っているのは、先ほどの防壁とは次元の違う、半球状の巨大な防護結界だった。直径は五十メートル以上。表面には赤、青、緑の三色の魔力光が幾何学的な軌道を描き、高速で循環している。


周囲の地面には、結界を突破しようとして命を落とした味方兵士たちの残骸が転がっていた。

エレン中佐の指示で後方から放たれた大砲の直撃弾すらも、結界に触れた瞬間に赤い光に包まれてドロドロに溶解し、緑の光に弾かれ、無害な鉄の雨となって降り注ぐだけだった。


「複合属性の自立結界か」


最前線に立ったエレン中佐が、忌々しげに舌打ちをした。

結界の内部には、敵の総指揮所である豪奢な天幕が張られている。天幕の前には、豪奢な椅子に深く腰掛けた敵将の姿があった。

彼は外で自軍の兵士が死に絶えていく惨状など気にも留めず、優雅にワイングラスを傾けている。この三色の結界の中にいれば、神が雷を落とそうとも傷一つ負わないという、絶対的な確信がその傲慢な態度に表れていた。


私は一歩前に出た。

肌の表面がピリピリと粟立つ。結界が放つ異常な魔圧が、周囲の空気の水分を奪い、静電気を発生させているのだ。


視線を、眼前の巨大な半球体へと這わせる。

赤は熱。青は冷却と流体。緑は物理的硬度。

三つの相反する属性を絶妙なバランスで噛み合わせることで、外部からのあらゆる物理的、魔術的な干渉を無効化している。精巧な造りだ。複数の上位魔術師たちの途方もない計算と研鑽の結晶だろう。


ただ、循環速度、魔力の総量、そして各属性の変換効率を視覚化していく中で、一つの物理的な矛盾が浮かび上がった。


動きが複雑であればあるほど、摩擦は大きくなる。

外部からの攻撃を無効化し続けるために、結界の外殻は異常な強度を保っている。しかし、三つの力が超高速で循環し続ける内側で発生した「熱」の処理はどうなっているのか。

エネルギーは無から有を生み出さないし、有から無へ消え去ることもない。必ずどこかへ逃がす必要がある。


視線を上へ向ける。

結界の頂点。そこに、陽炎のように空気が激しく揺らいでいる直径十センチほどの円形の隙間があった。

結界内部に蓄積された余剰な熱エネルギーを空へ逃がすための、たった一つの排熱口。


私は足元を見た。

泥の中に、死んだ敵兵が握りしめていた重い鉄製の投げ槍が落ちていた。

それを拾い上げ、泥を払い、重さと重心を手の中で確認する。


「中佐」


私は振り返らずに、すぐ後ろに立つエレン中佐に声をかけた。


「陽動を。結界の正面一点に、可能な限りの物理と魔法による一斉射撃を。五秒間だけで構いません」


エレン中佐は理由を聞かなかった。私の眼が何らかの致命的な欠陥を捉えたことだけを察知し、無言で右手を高く掲げた。

周囲に展開していた味方の兵士たちと魔術部隊が、一斉に武器と杖を構える。


「撃て」


短く、冷徹な号令。

無数の矢、銃弾、そして味方の魔術師たちが放つ炎や氷の塊が、結界の正面めがけて一斉に叩きつけられた。


轟音と閃光が谷を包む。

結界のシステムが外部からの強烈な干渉に反応し、三色の魔力を一斉に正面へと集中させた。熱を溶かし、衝撃を殺すために、結界内部の循環速度が跳ね上がる。


その瞬間、頂点の排熱口から、限界を超えた高熱の塊が上空へ向かって噴き出した。


私は動いた。

数歩の助走をつけ、全身のバネを使って、手にした鉄の投げ槍を真上に向かって全力で投擲する。

狙うのは、結界の頂点。激しい陽炎の揺らぎの中。


投げ槍は正確な放物線を描き、排熱口の真上へと到達した。

そして、下から噴き上げる異常な高熱の波に当てられ、鉄の槍先が急速に赤熱し、膨張を始める。

重力に従って落下に転じた槍は、ドロドロに溶けかかった状態のまま、直径十センチの排熱口にスポリと収まり――金属の急激な熱膨張によって、完全にその隙間を塞いだ。


「……何だ? 貴様ら、狂ったか」


結界の中でワインを傾けていた敵将が、眉をひそめて立ち上がるのが見えた。

彼には、私がただの鉄の棒を空に向かって投げ損ねたようにしか見えなかったのだろう。味方の一斉射撃も、結界の正面に傷一つ付けられていない。


だが、致命的な事象はすでに始まっている。


排熱口を物理的に塞がれた結界の内部で、処理しきれなくなった莫大な熱エネルギーが行き場を失い、急激に暴走を始めた。

表面を循環していた三色の魔力光が、不規則に明滅し、耳障りなノイズを発し始める。


「な、何だ!? 結界の出力が乱れているぞ! 魔術班、どうなっている!」


敵将が慌てて背後の魔術師たちに叫ぶ。

だが、彼らにも対処のしようがない。内側からの異常な熱膨張に対し、外からの攻撃を防ぐことに特化したこの防護システムは完全に無力だった。


ミシッ、ミシッ、というガラスが割れる直前のような不気味な音が、谷全体に響き渡る。


私は静かに後ずさりし、味方の兵士が構える厚い鉄の盾の陰に身を隠した。


一。

二。

三。


パンッ、という乾いた破裂音。

それに続いて、大気が震えるほどの凄まじい爆発が起きた。


結界を構成していた膨大な魔力が、圧縮された熱とともに内側に向かって弾け飛んだのだ。

青白い閃光と、超高温の熱波。

結界の内部にいた敵将と側近の魔術師たちは、悲鳴を上げる暇すらなかった。絶対の安全圏は、一瞬にして逃げ場のない超高温の密室と化し、中にいた人間を瞬時に炭化させた。


光が収まり、爆風が通り過ぎた後。

そこには、何も残っていなかった。絶対防壁も、豪奢な天幕も、椅子も、傲慢な敵将の姿も。

ただ、高熱でガラス状に融解し、黒く焦げた地面がすり鉢状に広がっているだけだった。


「……排熱不良による、内部融解です」


私は盾の陰から静かに立ち上がり、服についた灰を払った。


周囲の味方兵士たちは、武器を取り落とし、信じられないものを見たという顔でへたり込んでいる。

エレン中佐だけが何も言わず、ただ黒焦げになった大地を見つめていた。その冷徹な横顔には、新たな戦術兵器の威力を確認した、静かな満足感が浮かんでいた。

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