第5話:盤上のテストと、沈黙の解答
広々とした司令部テントの中は、重苦しい沈黙に包まれていた。
分厚い絨毯、マホガニーの作戦卓、そして壁に掛けられた軍の旗。最前線の泥にまみれた野営地とは別世界の空間だ。
作戦卓の向こう側で、エレン・ヴァイス中佐が氷のような視線で私を観察している。
彼女は手元の調書に目を落とすこともなく、静かに口を開いた。
「認識番号七七四番。お前が先ほどの戦闘で、敵の『大焦熱の火球』を意図的に崩壊させたのか?」
単刀直入な問いだった。
脅しも、回りくどい誘導尋問もない。ただ事実だけを確認しようとする、無駄を削ぎ落とした声。
「……何の事でしょうか。私はただの戦場清掃員です。あの時は、飛んできた破片から身を守るために、持っていた石を投げただけです」
私は表情を変えずに、あらかじめ用意していた無難な嘘を返した。
手枷をはめられたままの底辺兵士が、巨大魔法を破壊したなどと自白すれば、異端審問にかけられて人体実験の材料にされるのがオチだ。
だが、エレン中佐は私の嘘など最初から見透かしているように、ふっと口角を上げた。
「模範的で、退屈な回答だな。自己保身の計算としては正しいが、私の時間を無駄にするのは感心しない」
彼女は立ち上がり、作戦卓の上に一つの物体をごとりと置いた。
それは、黒い金属でできた手のひらサイズの円盤だった。表面には複雑な幾何学模様が刻まれ、その溝に沿って不気味な青い光が脈打っている。
「これが何か分かるか?」
「……見当もつきません」
「軍の技術部が試作した『圧縮風刃』の魔力罠だ。本来は敵の進軍ルートに埋めて使う。起動すれば、半径十メートル以内のあらゆるものを細切れにする」
彼女は淡々と恐ろしいことを言いながら、円盤の中央にあるスイッチのような突起を、ためらいもなく押し込んだ。
キィィィィン……!
耳障りな高周波の音がテント内に響き渡る。
円盤から溢れ出した青い光が、空中に無数の「刃の形」を作って高速で回転し始めた。
「待て! 中佐、何をしている!」
背後に立っていた憲兵たちが慌てて武器を構え、後ずさる。
起動した罠の魔力は、素人目に見ても臨界点に達しようとしていた。あと十秒もすれば、このテントの中にいる全員がミンチになるだろう。
「さて、テストを始めよう」
エレン中佐は、暴走寸前の罠を前にしても一切表情を変えなかった。
「お前のその『偶然投げた石』で、この罠を止めてみせろ。できなければ、お前はここでただのゴミとして死ぬ。もし止められたら……お前の嘘を許容し、価値のある駒として遇してやろう」
「……狂っているのか、あなたは」
「私は常に合理的だ。口で説明させるより、結果を見る方が早い」
残り五秒。
青い光の刃が、私の頬のすぐ横をかすめ、髪の毛を数本切り裂いた。
憲兵たちがテントから逃げ出そうとする中、私は小さく息を吐いた。
やれやれ。上に立つ人間というのは、どこの世界でも自分の思い通りに部下を試したがるものだ。
私は目を細め、卓上で暴走する魔力罠の構造を「視覚化」した。
(……なるほど。複雑に見えるが、設計思想が古い。複数の風の刃を生成するために、魔力を三十六の回路に分散させている。だが、その大元の動力源は一つだけだ)
素人なら、暴走する三十六の回路を一つずつ止めようとするだろう。
だが、そんな力業は必要ない。
私は拘束された両手を前に出し、手枷の鎖をジャラリと鳴らしながら、作戦卓の上に置かれた円盤に指先を伸ばした。
「何をする気だ!」と叫ぶ憲兵の声を無視し、私は円盤の右端――青い光が最も弱く見える、何の変哲もない溝の部分を、親指の爪で強く弾いた。
カチッ。
小さな部品が外れる音がした。
直後。
空中で猛威を振るおうとしていた無数の青い光の刃が、まるで電源を抜かれた機械のように、ふっと一瞬で消え去った。
耳障りな高周波も止み、テントの中には再び重苦しい静寂が戻った。
「……何をした?」
エレン中佐の目が、初めてわずかに見開かれた。
「大元の魔力石から回路への接続ピンを、物理的に外しただけです。回路がいくら複雑でも、供給源を断たれれば術式は維持できません。設計の欠陥ですね。外部からの物理的な衝撃に対するロック機構が甘すぎる」
私は外れた小さな接続ピンを作戦卓の上に転がし、無表情のまま彼女を見返した。
「……これで、テストは合格ですか?」
数秒の沈黙の後。
エレン中佐は、小さく、だが確かに笑った。冷徹な仮面の下に隠されていた、猛禽類のような笑みだった。
「ああ。合格だ。お前のその『異常な眼』、我が軍で有効に使わせてもらうぞ。七七四番」
「……光栄です」
こうして、魔法が使えない戦場の掃除屋は、軍の最高峰の頭脳を持つ参謀直属の「特務兵」として、この残酷な盤面に正式に引きずり出されることになった。




