第3話:逆流する代償と、観測者
「……な、ぜだ。なぜ落ちない!?」
戦場から数キロ離れた小高い丘の上。
敵軍の陣地で、豪奢なローブを身にまとった魔術師が、血走った目で空を見上げていた。
彼が全魔力を注ぎ込んで放った絶望の象徴、『大焦熱の火球』。
それが敵の陣地に直撃し、アリのように群がる平民の兵士どもを消し炭にする瞬間を、彼は今か今かと待ちわびていた。
しかし、火球は空中で静止し、ありえない動きを見せていた。内側に向かって収縮し、異常な脈動を始めているのだ。
「馬鹿な……術式が食い破られているだと!? 制御が、効か――」
魔術師が叫んだ直後。
火球が上空で限界を迎えて霧散した瞬間、目に見えない「力の逆流」が発生した。
魔法とは、放ち終えるまで術者と見えない糸(魔力パス)で繋がっている。
本来なら外に向かって解放されるはずだった膨大な熱と圧力が、術式の中核を破壊されたことで行き場を失い、その「糸」を伝って強烈な勢いで術者へと逆流したのだ。
「あ、がっ……!?」
魔術師の顔が、一瞬にして紫色に腫れ上がった。
体内に張り巡らされた魔力回路――すなわち血管の内部で、逆流した熱エネルギーが直接暴れ回ったのだ。血液が一瞬で沸騰し、体温が人間の限界をはるかに超える。
「ぎゃああああああああっ!!」
自身の内側から焼かれるという想像を絶する苦痛に、魔術師は地面をのたうち回った。
眼球が熱で濁り、口や鼻から沸騰した血の泡が噴き出す。だが、悲劇はそれだけでは終わらなかった。
急激な内部膨張に、彼の人体が耐えきれなくなったのだ。
パンッ、という乾いた音が響いた。
魔術師の両腕の皮膚が内側から破裂し、赤い肉と骨が飛び散る。続いて、胸部と腹部も圧力に耐えきれずに裂け、大量の臓器が地面にぶちまけられた。
数秒前まで強大な力に酔いしれていた男は、自らの魔力によって文字通り「内側から弾け飛び」、無惨な肉塊へと成り果てた。
「……敵の魔術大隊長、生体反応ロスト。自滅したようです」
一方、主人公たちがいる陣地のずっと後方。
安全な天幕の中から戦場全体を見下ろしている軍の上層部。その中で、分厚い書類と観測用の水晶板から目を離さずに、淡々と報告を上げる者がいた。
軍の戦術参謀、エレン・ヴァイス中佐。
無駄を極端に嫌い、魔法を「戦術的なリソースの一つ」としてしか見ない冷徹な女性将校だ。
「自滅だと? あの規模の火球を放っておいてか?」
恰幅の良い将軍が、信じられないという顔で振り返る。
エレンは表情一つ変えずに、水晶板に映る「魔力の残骸」のデータを読み上げた。
「はい。着弾直前、火球の中心核に対して、何らかの物理的な干渉があったと推測されます。結果、力の均衡が崩れ、術式が内側に崩壊。膨大な熱量が術者に逆流しました」
「馬鹿なことを言うな! あの質量魔法の核を外から破壊するなど、大魔導士クラスを三人集めても不可能だぞ! 奇跡でも起きたと言うのか!」
将軍の怒鳴り声に、エレンは冷たい視線を向けた。
「奇跡などという非論理的な言葉を、軍の作戦会議で使わないでいただきたい。結果には必ず原因があります」
エレンは水晶板の映像を、主人公たちがいた最前線のエリアへとズームした。
そこには、泥まみれになりながら死体から道具を剥ぎ取っている、一人の薄汚れた青年の姿が映っていた。
「……火球が崩壊する直前、あの座標から微小な質量の投擲が確認されています」
「ただのゴミ拾いの兵士ではないか。あんな底辺のクズが、魔法を壊したとでも?」
「分かりません。しかし、偶然にしては計算され尽くしたタイミングでした。もし仮に、彼が意図的に『術式の構造的欠陥』を突き、あの現象を引き起こしたのだとしたら……」
エレンの瞳の奥で、冷たい知的好奇心の光が揺れた。
「彼は、軍の兵器体系そのものを根底から覆す『劇薬』になるかもしれません」
戦場の掃除屋はまだ知らない。
己の行ったただの「効率的な物理計算」が、この国の最高峰の頭脳に捕捉されたことを。




