第14話:姿なき好敵手と、戦線の泥濘
ルビコン渓谷を突破した我が軍は、敵国ヴァルン帝国の防衛線の中枢、ハイランド平原へと駒を進めた。
作戦天幕の中は、これまでにない異様な緊張感に包まれていた。
「……敵の撤退速度が異常です。こちらの進軍ルートを完全に予測し、物資も拠点もすべて焦土化して下がっている」
斥候部隊の報告に、幕僚たちが顔を見合わせる。
これまでの帝国軍は、魔法の絶対的な力に驕り、拠点を死守する傾向があった。だが、今の敵軍の動きは違う。無駄な戦闘を徹底的に避け、こちらの補給線を間延びさせるための遅滞戦闘を行っている。
エレン中佐が地形模型を見下ろしながら、冷たく言い放った。
「敵の指揮系統が変わったな。前線の無能な貴族どもが排除され、軍の全権を握った者がいる」
「ユリウス・フォン・ノイマン大佐……帝国の第一魔導特務軍司令。魔力解析の天才と呼ばれる男です」
情報部の将校が、一枚の書類を提出する。
私はその名前を聞き流しながら、地形模型のハイランド平原の土壌データを読み込んでいた。
「レイ。敵の狙いは何だ」
中佐の問いに、私は指先で平原の西側、巨大な湿地帯を指し示した。
「我々を、ここへ誘導しています。泥濘地帯。大砲の車輪は沈み、重装歩兵はまともに歩けない。物理的な機動力を完全に殺す地形です」
「敵にとっても条件は同じだろう」
「いいえ。敵が『重力制御』や『密度操作』といった局地的な環境魔法を使える部隊を配置していた場合、彼らだけが足場を固め、一方的にこちらを蹂躙できます」
敵将ユリウスは、私の「物理的干渉による術式の崩壊」を警戒している。
だからこそ、術式を直接相手にぶつけるのではなく、「戦場の環境そのものを魔法で書き換える」という戦術にシフトしたのだ。
私を殺すための、巨大な論理の罠。
「……どうする? ルートを迂回するか」
「いいえ。敵の罠が物理法則を利用しているなら、それ以上の物理法則で塗り潰すだけです」
私は地形模型の湿地帯に、三つのピンを突き立てた。
「中佐。この湿地帯の地殻構造は、砂の層の下に豊富な地下水脈が通っています。敵が環境魔法で足場を固めるなら、その『さらに下』を崩します」
私は冷たい目で、姿なき好敵手の配置した盤面を見つめ返した。
「工兵部隊と、地属性の魔術師を数名貸してください。敵軍ごと、平原を沈めます」




