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灰燼(かいじん)の設計者  作者: 蒼牡蠣
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第10話:特務技術官の初仕事と、破裂する水脈

泥と血の匂いが染み付いた野営地から一転し、私は清潔な天幕の中にいた。


新調された黒い軍服は、まだ生地が硬く肌に馴染まない。装飾の一切ない機能性だけの特務服だが、戦場の掃除屋が着るボロ布に比べれば、はるかに動きやすかった。

天幕の中央には巨大な作戦卓が置かれ、精緻な地形模型ジオラマが広げられている。


「エレン中佐。いくら貴官の権限とはいえ、このような重要な作戦会議に、魔力も持たない平民の小僧を同席させるなど正気の沙汰とは思えんが」


顎髭を蓄えた白髪の幕僚が、忌々しげに私を睨みつけながら言った。

無理もない。ここにいるのは軍の中核を担う高級将校たちばかりだ。孤児同然の私が、彼らと同じ卓を囲んでいること自体が軍の階級制度に対する侮辱なのだろう。


エレン中佐は、幕僚の不満を冷たい一瞥で切り捨てた。


「彼は私の直属の特務技術官です。不要な不満を口にする暇があるなら、眼前の障害をどう排除するか、建設的な意見を聞かせていただきたいものです」


彼女は指揮棒で、地形模型の一点を指し示した。

それは、切り立った崖の上に築かれた敵の要衝『ガレア砦』。

砦の下には深い湖が広がっており、砦から伸びた巨大な管が、湖の底へと突き刺さっている。


「ガレア砦は、あの『揚水管』を用いて湖の水を吸い上げ、砦の内部にある巨大な魔力炉で冷却水として循環させている。同時に、水には回復の術式が付与され、無尽蔵の補給物資として敵兵を癒やしている」


エレン中佐の説明に、別の将校が口を開いた。


「我が軍の魔術大隊を動員し、湖の水を炎の魔法で一気に蒸発させてはどうだ? 水がなくなれば、魔力炉は熱暴走を起こし、砦は機能不全に陥る」


「却下します。非効率的すぎる」


中佐が即座に否定するより早く、私は口を開いていた。


全員の視線が私に突き刺さる。平民が将校の意見を真っ向から否定したのだから当然の反応だ。私は視線をジオラマの湖に向けたまま、淡々と事実だけを述べた。


「水の比熱容量を計算していない。あれだけの水量の温度を沸点まで上昇させ、蒸発させるために必要な熱エネルギーは莫大です。百人の上位魔術師が魔力切れで死んでも、湖の水位は数センチも下がらないでしょう」


「な……っ! 貴様、魔力を持たない分際で!」


「事実です。それに、魔力炉を破壊したいのなら、外から蒸発させる必要はありません」


私はジオラマの湖底に刺さっている『揚水管』の模型を指先で軽く叩いた。


「水は、極めて圧縮されにくい流体です。巨大な力で吸い上げられている大量の水流を、もし『一瞬で』せき止めたらどうなるか。……行き場を失った水の運動エネルギーは、強烈な圧力波(衝撃波)となって管を逆流します」


天幕の中が、水を打ったように静まり返った。

魔法という力に頼り切っている彼らには、「流体力学」という概念が存在しない。だが、エレン中佐の目には、明らかな理解と期待の光が宿っていた。


「レイ。具体的にどうする?」


「揚水管の吸水口に、水圧で自動的に閉まるバルブを仕掛けます。現在、砦の魔力炉はフル稼働で水を吸い上げている。吸水口が物理的に閉鎖されれば、内部の管が圧力に耐えきれず、砦ごと破裂します」


「……魔法すら使わず、ただ栓をするだけで砦が落ちるなどと、狂人の戯言だ!」


先ほどの幕僚が顔を真っ赤にして怒鳴るが、エレン中佐はすでに私への作戦許可を決定していた。


「今夜決行する。必要な人員と物資を言え」


「私一人で足ります。必要なのは、鋼鉄の板一枚だけです」



その夜。

私は冷たい湖の水を掻き分け、ガレア砦の真下へと潜行していた。


頭上遥か高くに、砦の影が黒々とそびえ立っている。

湖底には、直径三メートルほどの巨大な揚水管の吸水口が口を開けていた。管の周囲には敵の防護魔法が幾重にも張り巡らされているが、それはあくまで「外部からの破壊」を防ぐためのものだ。

物理的な障害物が吸い込まれることに対する防御は、網の目の粗い鉄格子が一つあるだけ。


私は背中に背負っていた、円形の分厚い鋼鉄の板を下ろした。

重さは数十キロある。水中でなければ一人で運ぶのは不可能だった。


吸水口に近づくと、凄まじい水流の引き込みを感じる。

砦の上層にある魔力炉が、すさまじい出力で水を吸い上げている証拠だ。


私は吸水口の鉄格子の前に、持参した鋼鉄の板を水平に滑り込ませた。

板が水流の渦に巻き込まれそうになるのを、力ずくで押さえ込む。


(吸水圧、秒速約二十メートル。管の直径から計算して、生じる圧力波は……魔力炉の限界値を軽く超える)


私は板の角度をわずかに傾け、水流に「乗せた」。


ガンッ!!


凄まじい水圧によって吸い込まれた鋼鉄の板が、吸水口の鉄格子に完全に張り付き、巨大な蓋となって水の流れを「一瞬で」遮断した。


周囲の水の動きがピタリと止まる。


直後。

私の耳の奥で、鼓膜が破れるほどの恐ろしい音が響いた。


ズゴォォォォォォォォォンッ!!!


爆発ではない。巨大な鉄の塊が内側からひしゃげるような、暴力的な破壊音。


せき止められた水の運動エネルギーが、逃げ場を失い、巨大な圧力のウォーターハンマーとなって管の内部を猛烈な速度で駆け上ったのだ。

圧縮できない水が牙を剥き、砦の内部に張り巡らされた配管という配管を内側から粉砕していく。


私は湖底を蹴り、急いでその場から離脱した。


水面に顔を出した瞬間、頭上から信じられない光景が降り注いできた。

難攻不落を誇った崖の上のガレア砦が、内側から吹き飛んでいたのだ。


火薬による炎も、魔法による光もない。

ただ、限界を超えた水圧によって内部の魔力炉が爆散し、分厚い石造りの城壁が、巨大な水柱とともに四散していく。

兵士たちの悲鳴すら、轟音にかき消されて聞こえない。


たった一枚の鋼鉄の板が、数百の魔術師の火力を凌駕した瞬間だった。


私は湖を泳ぎ切り、対岸で待機していたエレン中佐の元へと歩み寄った。

ずぶ濡れの軍服から水滴を滴らせながら、静かに敬礼する。


「吸水管の閉鎖、および砦の崩壊を確認しました」


後方で控えていた将校たちは、顎を外しそうなほど口を開け、崩れ落ちていく砦を呆然と見上げている。


エレン中佐は小さく息を吐き、満足げに私の肩を叩いた。


「鮮やかだな。レイ、特務技術官としての最初の任務、ご苦労だった」


彼女の冷たい笑みは、さらなる破壊の舞台を求めているようだった。

魔法という旧時代のシステムは、今や我々の手によって解体されるのを待つだけの、脆い積み木に過ぎなかった。

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