#6 岐路
我々が多大な犠牲を払って確保した第二階層の平地は、瞬く間に前線基地としての体裁を整えつつあった 。工兵隊の不眠不休の作業により仮設の滑走路が敷かれ、無機質な岩肌に沿うように軍のテントが立ち並んでいる。ところどころ、仮設の小屋が建てられ、階級の高い士官から順にそちらへ引っ越しが続いている。が、軍曹に過ぎない私などはまだ、テント暮らしだ。とはいえ、ここは雨風に晒される場所ではないため、おまけに女ゆえに他の兵士たちとは分離されているため、むしろ悠々自適な生活ができている。
もっとも、このところ魔物が現れない。それ自体は良いことなのだが、そうなると兵士たちの心に余裕が生まれる。すると、私のテントを覗く輩が現れる。
「おい! 何をしている!」
時折、シュタイナー大尉の怒鳴り声が聞こえてくる。ああ、また覗きにきたやつが現れたな。やれやれ、自分で言うのもなんだが、こんな小柄で小さな胸の私を覗き見たいだなんて、なんて物好きな兵士がいることか。
しかしだ、そんな能天気な雰囲気漂うこの新基地事情とは裏腹に、上層部の空気は重く淀んでいた。というのも、強行偵察を行なった偵察機が、極めて厄介な情報をもたらしたからだ。
ここからさらに奥へ進むことおよそ二十キロ、これまで一本道だった巨大な螺旋通路が、完全に二つに分岐しているというのだ。のみならず、その分岐点にはワイバーン級の群れが多数待ち構えており、偵察機は詳細な構造を探る前に撤退を余儀なくされた。
左右、どちらの穴へ進むべきか。その先は、相当な兵力を送り込まないと分からない。無数の兵士を死地に送り込んだエーベルハルト大将閣下でさえも 、決定的な情報不足を前に進軍の決断を下しきれず、我々にはつかの間の休戦状態が与えられていた。
司令部内で膠着状態が続く中、私はといえば仮設テントの薄暗い片隅で、軍から支給された戦闘食と激しく空しい格闘を繰り広げていた。
木箱の上に並べられたのは、いつもと変わらぬひどい代物だ。噛みちぎるのにも顎の力を要するレンガのように硬い乾パン。塩気と獣臭さだけが過剰に主張してくる得体の知れない缶詰の肉。そして極めつけは、深緑色をしたどろどろの液状シチューだ。栄養価と魔力回復効率だけを極限まで追求して作られたというそれは、口に含むと強烈な酸味と薬品のような後味が鼻に抜け、思わず顔をしかめてしまう。
「……うっ、不味い!」
私はスプーンを置き、悪態を吐いた。毎日毎日、代わり映えのしないこの家畜の餌以下な食事の連続に、いい加減うんざりしていた。過酷な空戦と強烈なGに耐えるためのカロリー補給だと頭では理解していても、身体が拒絶反応を示し始めている。
売店のヨハンナが冷やして売ってくれる、あの甘く刺激的な瓶入りコーラとスナック菓子があればどれほどマシなものか 。彼女の明るい笑顔と、コーラとスナック菓子の味を思い出しながら、私はシチューを水で強引に胃へと流し込んだ。
そんな拷問のような食事を終え、テントを出る。軽く腕を回すと、ようやく関節の違和感が消えていた。
ワイバーン級の不意打ちを喰らい、愛機の右翼を引きちぎられて岩盤に激突したあの激しい墜落 。全身を打ち付け、一時はどうなることかと思ったが、今日ようやく腕の包帯が完全に取れ、問題なく身体を動かせるまでに回復した。若さゆえの治癒力の強さに感謝すべきだろう。
身体の完調を確かめるように歩いていると、機体整備場の方から顔馴染みの整備兵が私に向かって大きく手を振っているのが見えた。
「フィッシャー軍曹、身体はもういいのかい? あんたの新しい相棒が、さっき届いたぜ」
その言葉に、私の足は自然と早足になった。
整備場の一角、薄暗い地下の照明を浴びて鈍く銀色に光る機体。千二百馬力の星型エンジンを搭載した単座式の戦闘機、新型の「撃竜」だ 。まだオイルの焦げる匂いも、硝煙の煤もついていない、完全な真新しい機体。
私は吸い寄せられるように機体に近づき、そっとその冷たいジュラルミンの装甲を撫でた。そして、コックピットのすぐ下、機体側面に描かれた真新しい塗装に目を奪われ、息を呑んだ。
そこには、私の戦果を示す「撃墜マーク」が誇らしく描かれていたのだ。
一際大きく描かれた赤い竜のマークが一つ。そして、その横に並ぶ小さな竜の絵柄が二つ。
「あれ……十二匹分、描かれている」
「当然だ。あんたの戦果だろ」
整備兵が誇らしげに腕を組んで頷いた。
初陣の乱戦で、無我夢中で撃ち落とした六匹のワイバーン級 。第二階層へ降下する過酷な空戦の中で、味方を護りながら空中で撃破した巨大なブレスドラゴン級とワイバーン級合わせて五匹。そして墜落後、迫り来る竜に対して地上で杖を構え、最後の魔力を振り絞って仕留めた一匹 。
私の二十四年の人生の中で、これほどまでに濃厚で、血にまみれ、死と隣り合わせだった時間はない。
たった数日の出来事だ。だが、このマークの一つ一つに、私が奪った竜の命と、散っていった味方兵士たちの絶叫、そして私自身の恐怖と覚悟が刻み込まれている。
その重みが唐突に現実のものとしてのしかかり、気づけば私の頬を熱いものが伝っていた。
「お、おい、フィッシャー軍曹、どうしたんだよ、嬉しいんじゃないのか?」
整備兵が慌てたように顔を覗き込んでくるが、私は首を横に振って必死に涙を拭った。悲しいわけではない。嬉しいだけでもない。ただ、生き残って再びこの空――いや、この薄暗い孔の深淵を飛べるという事実が、感情の堰を切ってしまったのだ。
もう二度と、あんな無様な墜落はしたくない。この真新しい新たな愛機を、失いたくない。
機体の冷たい装甲に額を押し当て、私は心の中で固く誓った。
「感涙を流しているところわるいが、フィッシャー軍曹よ」
背後から響いた冷徹で静かな声に、私は弾かれたように振り返った。
そこに立っていたのは、第二対竜戦闘隊隊長のシュタイナー大尉だった 。墜落し、オーガと竜の餌食になりかけていた私を、自らの機体に強引に乗せて救い出してくれた恩人だ 。
私は慌てて居住まいを正し、涙に濡れた顔を隠すように鋭く敬礼をした。
「た、隊長、申し訳ありません!」
「いや、新しい機体を見て感情を出せるほど回復したことは、我々にとっても幸いだ。軍司令部がようやく決断を下した」
大尉は私の赤い目を咎めることなく、ただ淡々と次の作戦を口にした。
「次の作戦だが、右側へ向かう」
「右? どういうことですか?」
「ああ、そういえばまだ伝えてなかったな。この二十キロ先だが、この隕石孔の洞窟が左右に分かれているとのことだ。その先をさぐろうにも、ワイバーン級が多数、飛び交っており、偵察は不可能だ。で、どちらに進むかという話になり、右へ進むことが決まった」
「あの、ならどうして右へ?」
「理由は不明だ。だが、エーベルハルト大将閣下と情報部が、右の空洞にこそ我々の求める『未知の何か』があると判断したそうだ 。そこで我々、第二航空隊は先行して右の洞窟に巣食う翼竜どもを完全に排除し、本隊の進軍ルートを切り拓くことになった」
シュタイナー大尉の目は、相変わらず鋭い 。だが、その奥底に微かな疑念の色が混じっているのを、私は見逃さなかった。大尉もまた、この作戦の不自然さに気づいているのかもしれない。私自身も墜落の際に見つけた、あの岩盤の奥に見た金属の配管と人工的な装甲板を見ているから、この隕石孔がただの自然物ではないという決定的な証拠を知っている。もしかすると上層部は、この孔の本当の正体を知っているのではないか。
先日の戦いでは、二千人以上が亡くなった。にもかかわらず、作戦は続行される。その大勢の人々の命と引き換えにしても余りあるほどの何かがあると、彼らは考えているのではないかと、そう考えるのが自然だろう。
が、一介の飛行士がどうこう思ったところで、何かが変わるわけがない。
『第二対竜戦闘隊、全機、直ちに出撃せよ!』
基地全体にけたたましいサイレンと出撃命令の放送が響き渡った。
「エンジンは快調だ。エルロンもラダーも良好。あとはまかせたぜ」
「はっ!」
私は整備兵が支えるタラップを駆け上がり、真新しい撃竜の狭いコックピットに滑り込んだ 。真新しい革のシートと、高純度の航空燃料の匂いが鼻腔を満たす。操縦桿の先端に埋め込まれた魔石を握り締めると、私の内にある魔力が機体と同期し、力強いエンジンが奏でる振動が全身を揺さぶった。
スロットルを上げる。千二百馬力の心臓が咆哮を上げ、機体が小刻みに震え出つつ滑走する。私はキャノピーを閉め、整備兵の合図とともにスロットルを押し込んだ。
滑走路に、この真新しい機体が滑り込む。前方の機体に続き、私の機体は滑走を始めた。
続けざまに、数十機の「撃竜」と「双胴竜」が次々と離陸し 、薄暗い地下の空で美しい編隊を組む。我々は一路、偵察機が報告した二十キロ先の分岐点へと機首を向けた。
やがて、前方の暗闇の奥に巨大な岩柱が現れ、通路が大きく左右に分かれているのが視認できた。
同時に、我が機体に搭載された魔力探知機が激しく反応する。
『前方に敵影! ワイバーン級、およそ二十!』
無線から緊迫した隊長の声が飛ぶ。分岐点の手前、まるで門番のように空中で陣形を組む二十匹の翼竜の群れ。通常弾を弾き返す、厄介な魔獣たちだ 。
『全機、突撃! 魔導砲にて、翼竜どもを粉砕せよ!』
シュタイナー大尉の号令とともに、我々は一気に増速し、敵の群れへと突っ込んだ。
私の真横を、三十五機の撃墜数を誇るファルケンベルク曹長の機体が矢のようにすり抜け 、先制の魔弾を放って一匹のワイバーンを容易く粉砕する。
「今度は、堕とされてたまるか」
私は操縦桿を軽く右に倒し、機体を滑らせながら迫り来るワイバーンを照準の十字の交点に捉えた。奴が口を開き、炎を吐き出そうとしたその瞬間、私は魔石に魔力を注ぎ込み、詠唱する。
「我が光の魔力よ、立ち塞がる愚かな竜の口に、正義の鉄槌を放て!」
両翼に搭載された二十ミリ魔導砲から、極太の光の弾が放たれる 。それはワイバーンの展開する見えない装甲を容易く貫き、その胴体を真っ二つに引き裂いた。鮮血を撒き散らしながら落ちていく竜を一瞥もせず、私は反転して次の獲物へと食らいつく。
第二対竜戦闘隊の連携は、先の死闘を経て格段に研ぎ澄まされていた。旋回時の高Gに弱いヴァーグナー曹長も 、無理な上昇を控えた一撃離脱戦法で確実に敵を減らしていく。
わずか五分。交戦は一方的な虐殺だった。二十匹のワイバーン級は一機の味方も道連れにすることなく、すべて撃ち落とされ、黒い岩肌に肉塊となって散らばった。
『周囲に敵影なし。これより、右のルートへ進入する』
隊長の無電に呼応し、我々の編隊は大きく右へと旋回した。
右側の洞窟は、これまで進んできた通路よりもどこか滑らかで、不気味なほど規則的な形状をしていた。その奥の深淵で、何が我々を待ち受けているのか。
私は操縦桿を固く握り直し、未知の暗闇へと機体を進めた。真実への扉は、すでに開かれていた。




