#38 阻止
千二百馬力の星型エンジンが、限界まで回転して猛烈な咆哮を上げる。
あまりにも深く暗い地下の迷宮の底から、ようやく私の一番機は、地上の空へと這い出た。続いて、隊長機も出てくる。
撃竜の風防ガラスの向こうに、かつて何度も見上げたはずの青空が広がる。だが、私たちが生還を祝うべきその空の光景は、とても平和とはかけ離れたものだった。
撃竜で地上に出ると、空の上にはすでに異常な物体が見えていた。
それはまだ、小さい。だが、徐々にその大きさを増し、空戦を経験したものであれば、それが異様な大きさの物体であることを認識できた。それが大気に触れ、真っ赤な火球となって地上に落下している。
巨大な岩――というより、山そのものが空から落下してきているのだ。赤熱し、周囲の空気を焼き焦がしながら、まさにザクセン共和国の首都、ルートリンゲンの方向に向かって落ちていくのが分かる。ここからでは、空の彼方からゆっくりと落ちていくように見えるが、実際にはその質量と大きさから考えて、とてつもない速力で落っこちてきているのは明らかだった。
「な、なんだあれは!?」
私は操縦桿を握る手を震わせる中、第二対竜戦闘隊の隊員たちはその予期せぬ物体の出現に、混乱していた。
地上に出た第二対竜戦闘隊の無線での会話は、まさにパニックとも言える混乱状態だった。
『おい、空を見ろ! 真っ赤に焼けた岩が、落ちてくるぞ!』
『そんな馬鹿な……あれが向かっているのは、ルートリンゲンの方向だぞ!』
その会話に、隊長が割り込む。
『あれは火球じゃない、隕石だ! あんなものが落ちたら、首都が吹き飛ぶどころじゃない! 国が亡びるぞ!』
無線のノイズと共に、歴戦の猛者である双胴竜の搭乗員たちの悲鳴が飛び交う中、隊長が余計に混乱させる。しかし、それは事実だ。無理もない、地下でどれほど恐ろしい翼竜の群れと戦ってきようと、あれほどの圧倒的な自然――いや、古代文明の防衛システムが引き起こした「圧倒的な質量」を前にしては、人間の兵器などまるで無力だ。
私もまた、風防越しに見えるその絶望的な光景を前に、完全に放心状態となっていた。
地下深くで、狂気に囚われたエーベルハルト大将から聞かされた恐るべき真実。今、あの男は古代の防衛システムを掌握し、この国の首都ルートリンゲンに向けて巨大隕石を落とすように仕向けた。国民もろとも邪魔な政治家どもを一掃し、自らが新たな世界の独裁者として君臨するために、そんな身勝手な願望をかなえるために、まさに今、無関係な何百万もの国民の命が、ただの見せしめとして消し飛ばされようとしているのだ。
しかしだ、あんな馬鹿でかい隕石なんて、どうやって抗えばいいというのか?
二十ミリ魔導砲? 七.七ミリ機銃? そんなものでは、焼け石に水だ。そもそも、赤熱した熱に阻まれて、傷一つ与えられない。私は途方に暮れ、ただ落ちていく巨大な死の塊を見つめることしかできなかった。
ここから西に三百キロ離れたルートリンゲンに向かうには、ちょうどこの隕石孔の近くを通る模様だ。赤熱した隕石の軌道は、まさに私たちの頭上のやや西側を通過していく。
ここが通り道ならば、あれを何とか阻止する方法がないのか?
操縦桿を強く握りながら、私は考えた。絶望で諦めそうになるのを耐えながら、魔導士としての力の限りを尽くし、猛烈な勢いで脳みそを回転させ続けていた。
諦めたら、国が終わってしまう。私の命と共に。
真っ先に思い付いたのは、上空であの隕石に向けて防御魔導を展開し、阻止する方法だ。
しかし、相手があまりにも大きすぎる。地下で相対した巨大なブレスドラゴン級など、あの隕石に比べれば、けし粒に等しい。地下にいた竜とはけた違い過ぎる大きさである上に、猛烈な速度ではるか上空から落っこちてきているのだから、その運動エネルギーはすさまじい。
いや、それ以前の問題があった。あの隕石が現在通過している高度だ。
あれに干渉するためには、あの隕石の到達する高度――おそらく六千から七千メートルの空域まで、一気に上昇しないと間に合わない。
間に合わないのか。このまま、何百万人もの命が消えるのを見ているしかないのか。
「……いや。上昇だけならば」
私の脳裏に、一つの無謀な、だが唯一の策が閃いた。私は無電のスイッチを押し、第二対竜戦闘隊の全機に向けて叫ぶ。
「こちらフィッシャー軍曹! 皆さん、私が防御魔導を展開して、あれを止めてみせます! だから皆さん、私に魔力を下さい!」
狂気の沙汰だ。だが、私の進言に一番に答えたのは、普段は他人を寄せ付けない、あのファルケンベルク曹長だった。
『どうせこのままじゃ、国ごと運命を共にするだけだ! やってやろうじゃないか!』
無線のノイズを切り裂くような、力強い怒声だった。
『どうせ死ぬなら、一か八かだ! 俺はフィッシャー軍曹に賭ける!』
『そうだな、そうやっていつも、なんだかんだとしょうりしてきたんだからな』
その言葉を皮切りに、無線の向こうから次々と隊員たちの声が爆発した。
『そうだ、何度も死にかけた戦いを乗り越えたんだ!』
『そうだ、地下の化け物どもに比べりゃ、あれはただの石っころだろ!』
『何とかなるさ! やってやろうぜ!』
彼らの声に、私の胸の奥が熱くなった。そうだ、私たちは幾度となく死線を潜り抜けてきた部隊なのだ。
だが、冷静な隊長の声が、その熱狂に冷水をかけるように響いた。
『だがフィッシャー軍曹、問題は、あの高度までどうやって上昇するつもりだ? 通常の飛行では絶対に間に合わんぞ』
シュタイナー大尉の問いはもっともだった。
レシプロ機では、水平飛行で一旦、増速した状態で急上昇し、速力が落ちたところで水平飛行でまた増速し上昇、これの繰り返しだ。そんな悠長なことをしていれば、隕石ははるか下へと通過してしまう。
しかし、私にはその答えも用意してあった。
「重力魔導を使います!」
『は? 重力魔導だと?』
「はい、機体を軽くし、出力全開のエンジンで垂直に真上へと上昇するんです! 皆さんの機体を、引き揚げてみせます!」
そう、重力魔導を使えば機体は軽くなり、レシプロ機でも一気に急上昇できる。
『……分かった。お前に命を預ける。全機、フィッシャー機の後方に密集陣形をとれ!』
隊長の決断は早かった。すぐに集まった第二対竜戦闘隊の三十機が、私の機体の後ろへとピッタリと寄り添うように密集陣形を組んだ。
「行きます! 我が魔導の力よ、大地の枷を解き放ち、天へと昇る翼となれ!」
私は魔石の杖を握り締め、魔力を放出した。
ズンッ、と機体が激しく軋む。私の機体を中継して、重力反転の術式が三十機すべての重さを変える。千二百馬力のエンジンの推力と重力魔導の強引な牽引力が合わさり、集まった三十機を一挙に上空にまで引き上げた。
高度計の針が狂ったように回転する。三千、四千、五千……。
機体が激しく振動し、主翼が千切れんばかりに軋み音を上げる。空気は急激に薄くなり、温度が急降下していく。
そして、ついに高度六千メートルに達する。
私たちはついに、あの巨大な赤熱する岩塊の直線上へと躍り出た。
「はぁっ……はぁっ……!」
薄い酸素の中で、私は必死に息を吸い込む。飛行服だけでは耐えられないほどの凍てつく寒さが、全身の震えを引き起こす。おまけに、急激な気圧低下に耐えるため、酸素マスクを急いで口元に押し当てての飛行だ。
そんな過酷な環境の中、目前に赤熱した巨大隕石が迫ってきた。
高度を上げたものの、あんなデカいもの、どうやって止める?
防御魔導を展開し、真正面から受け止めるか? いや、無理だ。どうみても最大の竜であるリジガードラゴン級の数百倍の重さと運動エネルギーを持つ。真正面から受け止めれば、三十機の魔力を合わせても一瞬で障壁が砕け散り、私たちは消滅するだけだろう。
かといって、何もしなければただ、ザクセン共和国という国が地図から消え、ルートリンゲンのあった場所に巨大な隕石孔ができるだけだ。
何よりも、人類すべてがエーベルハルト大将にひれ伏すことになってしまう。
そんな状況、死んでもお断りだ。
恐怖で操縦桿を握る手がすくみそうになったその時、無線からシュタイナー大尉の力強い声が飛んだ。
『おい、フィッシャー軍曹、考えろ! 止めるんじゃない、はじき返すんだ!』
「弾き、返す……!」
そうだ。いつぞやの地下でリジガードラゴン級と戦った時、奴の放つ圧倒的な突撃を真正面から防ぐのではなく、魔導障壁を斜めにしてはじき返したことがあった。
隕石の質量と速度を完全にゼロにすることは不可能だ。だが、向きを変えることなら可能かもしれない。
そう思った私は、機体を斜め上に向けながら、再び杖の魔石に魔力を注ぎ込み防御魔導を展開する。
「盾の魔導よ、甚大なる巨体をはじき返す力を、我に与え給え!」
緑色の魔法陣が現れ、防御魔導の作る障壁が張られた。まもなく、あの馬鹿でかい岩が、これにぶち当たってくる。
恐怖に全身が震える。だが、どうせ失敗しても、もろとも死ぬだけのことだ。
皆も私を信じて、魔力を注ぎ込んでくれている。かつてないほどの巨大な魔法陣が、そこには展開されていた。
まさに、火事場のクソ力、いや、魔導士のクソ魔力というべき魔法陣が現れた。
私は覚悟を決め、その巨大な赤熱した岩に向かって突っ込んでいく。
「いけぇぇぇぇっ!!」
その後方から、残りの二十九機の撃竜、双胴竜から魔力が送られてきた。ありったけの魔力を注ぎ込みながら、展開した特大の魔導障壁にあの巨大隕石がついに衝突する。
強烈な力が、杖を介して伝わってきた。
一瞬だが、静寂が辺りを支配した。世界が、真っ白に染まった。
隕石と魔導障壁が接触した瞬間、凄まじい衝撃波が空気を引き裂き、私の身体はシートベルトに引きちぎられんばかりに押し付けられた。
一瞬、盾が踏ん張るのを感じた。強烈な反発力が、隕石の軌道を押し曲げようとする。
だが、やはり隕石は圧倒的だった。
まるで、走る機関車に抗う木の葉のように、三十人分の魔力を結集した防御魔導障壁があっさりと粉砕され、我々は散らされてしまった。
その余波の衝撃だけで、私の撃竜は弾き飛ばされ、編隊も散り散りになる。
バラバラになりながら落下する機体。私は必死にペダルを踏み、操縦桿を逆に切って、どうにか機体の姿勢を立て直す。高度はすでに二千まで下がっていた。
荒い息を吐きながら、私は血だらけの顔を上げて空を見た。
すでに赤熱した隕石は、私たちが追いつけないほど遠くに行ってしまった。
「ああ……」
絶望が、私の胸を真っ黒に塗りつぶした。抗えなかった、そして、この国を救えなかった。
このまま我々は、隕石が衝突した際に作り出す衝撃波に呑まれ、この短い人生を終えてしまうのか。工房での平和な日々を心の支えとして踏ん張ってきたのに、そんな努力などあざ笑うかのように隕石がルートリンゲンに吸い込まれていく。
……かに見えたが、どうも様子がおかしい。遠ざかっていく赤い光の尾に目を凝らすと、その赤熱した隕石が、わずかながら上昇していくように見える。
「え……?」
ほんのわずかな力だったかもしれないが、どうやら私たちが決死の覚悟でぶつけた斜めの魔導障壁が、わずかに向きを変えたおかげで、隕石は上向きに弾き飛ばされていった。
ちょうど今、ルートリンゲン上空に差し掛かっている。おそらく、首都では大騒ぎになっていることだろう。だが、本来ならば大聖堂にぶつかっているはずのその巨大な赤熱した岩は、まるで水面で弾かれた石切りのように、ルートリンゲンから離れていく。
赤熱した岩塊はそのまま空の彼方へと飛び去って行き、やがて空の彼方へと飛び去って行った。
「やった……はじき返した……」
口の中が血生臭い。あれほどの魔力を消費したんだ。当然と言えば、当然だ。
腕には冷却器を巻いていなかったが、上空六千メートルの冷たい空気が、腕を冷やしてくれていた。それでも、両腕が痛くなるほどの火傷が生じていた。
まさに、満身創痍だ。
しかし、第二対竜戦闘隊の隊員は皆、元気だ。
『逸れた! ルートリンゲンを越えていったぞ!』
『奇跡だ、奇跡が起きたぞ!』
無線から、狂気じみた歓声が爆発した。私もまた、両手で顔を覆い、安堵の涙をポロポロとこぼした。
どうにかして、国を守った我々は、すぐさま持てる通信機器の出力を最大にして、軍総司令部に無線で知らせる。
そう、地下にてエーベルハルト大将が防衛システムを操作し、国の破壊を計った、と。
◇◇◇
第二対竜戦闘隊の隊長であるシュタイナー大尉からの報告を受け、軍の最精鋭である空挺部隊が、輸送機から第二十階層の巨大な空間へと直接投入されるという作戦が急遽、決行された。
このままでは、第二射が放たれる可能性がある。迅速に首謀者、すなわちエーベルハルト大将を捕らえ、なんとしてでも国を守るべく、軍の中枢が動いだのだ。
部隊は地下のコントロールルームに突入し、パラシュートで舞い降りる。すでに勝利を確信していたエーベルハルト大将を見つけ、捕らえる。
まさか、絶対的な質量を持つ隕石衝突による攻撃がしくじるなどとは夢にも思わなかったエーベルハルト大将は、突入部隊の思わぬ登場になす術もなかった。囚われた大将閣下は、フィッシャー軍曹を中心とする戦闘機隊によって隕石が弾き飛ばされ、その結果、国が守られたことを聞いて、愕然としたという。
その日のうちに、エーベルハルト大将は国家の反逆者として国中に知られた。
それから、数日後のこと。
首都ルートリンゲンの軍事法廷にて、軍法会議が開かれる。
国家反逆、大量虐殺未遂などの罪により、エーベルハルト大将はその大将の地位をはく奪され、極刑が決まる。判決は「銃殺刑」だった。
◇◇◇
その刑が執行される前日。私はエーベルハルト元大将との面会を願い出る。国を救った英雄の特権として、その嘆願が聞き入れられ、私は冷たい牢獄で元大将と対面する。
鉄格子の向こう。みすぼらしい囚人服を着たかつての最高司令官は、私を見るなり、自嘲するように口の端を歪めた。
「なんだ、あの小娘の魔導士か。わざわざこんな腐った国を救うとは、ご苦労なことだ。だがこの先、後悔するぞ」
彼はこの国の上層部がどれほど腐敗しているかを語り、すべてを更地にして創り直すつもりだったと、そう言いたいのだろう。
彼の言葉には、一抹の真実が含まれているのかもしれない。だが、それに屈するつもりはない。私はこのかつての指揮官に、こう答えた。
「我々は、勝利したのです」
私ははっきりと、静かで力強い声で答えた。
「そしてこの先の国の行方も、それを正常な道に変えていくことも、きっと叶うでしょう。あなたはそんな『生きるための苦労』からただ、逃げただけです」
自信満々に言い放つ私に、エーベルハルト元大将は目を見開き、そして、返す言葉は一言もなかった。
彼はゆっくりとうなだれ、二度と顔を上げることはなかった。私はどうしても、この男にその事実を伝えたかった。その一心で、わざわざこんな薄気味悪い監獄まで足を運んだのだ。
そしてその翌日。
ルートリンゲンの軍施設の中庭にて、早朝の冷たい空気の中、エーベルハルト元大将に、銃殺刑が履行された。
空には、雲一つない青空が広がっていた。乾いた銃声が響き、群衆が見守る中、かつて独裁を夢見た男の命は果てた。
こうして、地下の暗闇と血にまみれた果てしない戦いは、ようやく本当の終わりを迎える。
だが、私たちの人生はまだ続いている。隊長であるシュタイナー大尉と、第二対竜戦闘隊は全員、これからの人生を歩む権利を得た。
平穏という、何よりも普遍的で重く、尊いものを守り抜いたのだ。




