#37 真実
血と硝煙、そして焼け焦げたオイルの匂いが染み付いたこの巨大な隕石孔の深淵部。第一階層から始まり、我々は数え切れないほどの仲間の命を代償にしながら、未知の領域を切り拓いてきた。そして今、我々第二対竜戦闘隊を含む調査軍は、ついに終点である第二十階層に到達した。
岩肌と金属が不気味に融合したこの最深部の階層には、かつて見たこともないほど巨大で複雑な機械構造物が鎮座している。その全容は、我々人類の常識をはるかに超えた古代の遺物であった。
そんな中、軍司令部より調査軍全軍に向けて通達が出された。
『司令部より隕石孔調査軍全軍へ告ぐ。第二十階層に存在する巨大機械について、現在、情報部および司令部直属の技術班が詳細な調査を進行中である。各部隊は、洞窟内の戦闘任務を現時刻をもって終了とする。全軍、直ちに地上へ向かえ』
無機質な通信手の声が、コックピットのスピーカーから流れる。
地上への帰還。それは、終わりの見えない死闘からの解放を意味していた。幾度となく死線を潜り抜け、魔力も体力も限界に近づいていた兵士たちにとって、これほど待ち望んだ命令はなかったはずだ。実際、無線の向こうからは他部隊の兵士たちの安堵の吐息や、かすかな歓声すら漏れ聞こえてきた。
私も、滑走路上で愛機「撃竜」の一番機に乗り込み、エンジンをアイドリングさせながらその命令を聞いていた。本来ならば、私も彼らと同じように胸を撫で下ろし、太陽の光が降り注ぐ地上への帰還を喜ぶべきなのだろう。これが最後の飛行となるだろう。
だが、私の心に安堵は訪れない。
むしろ、脳裏に残るあの幻覚の記憶が、私に強烈な違和感を残している。
どこか、何かが決定的に引っかかる。
エーベルハルト大将率いる司令部は、これまで我々末端の兵士を使い捨ての駒のように扱い、どんな犠牲を払ってでも「最奥」へと進むことを強要してきた。それなのに、いざその目的らしき機械を前にして、なぜ我々戦闘部隊をあっさりと地上へ戻そうとするのか? まだ周囲に未知の脅威が潜んでいるかもしれないというのに、完全に安全が確保される前に軍主力を遠ざけるなど、戦略的に見てもあまりに不自然だ。
ふと、背後――すなわち、我々が今いる場所よりもさらに奥、大将閣下たちがいるはずの機械の中心部の方角から、強烈な「何か」が私の勘をくすぐる。。
それは魔力の波動ではない。魔物の放つ狂暴な殺意でもない。
もっと冷たくてどす黒く、理路整然とした……「憎悪」のような感覚だった。長い年月に渡って蓄積されたかのような、底知れぬ悪意。それが、第二十階層の最奥から静かに、だが確実に漏れ出しているのを感じ取ったのだ。魔導士としての鋭敏な感覚が、向かうべき道を強く訴えかけていた。
すでに編隊を組んで飛んでいた第二対竜戦闘隊だが、私は操縦桿を握り直し、急旋回する。
『フィッシャー軍曹、何をしている。地上は逆だ、引き返せ』
無線から、隊長の声が飛んできた。だが、私はその命令に従うことができなかった。
「隊長、申し訳ありません。小官は、第二十階層の最奥に向かいます」
『おい、何を言っている! 地上への後退命令が出ているんだぞ! 貴官一人がそんなところに向かって、どうするというのだ!』
「どうにも司令部の動きが不自然すぎます。それに、先ほどから奥から強烈な悪意を感じるんです。このまま地上に戻れば、きっと取り返しのつかないことになるような気がするんです」
『おい軍曹! 命令違反だぞ、直ちに引き返せ!』
シュタイナー大尉の焦燥に満ちた怒号を背に、私はそのままスロットルを限界まで押し込んだ。
千二百馬力の星型エンジンが、私の決意に呼応するかのように猛烈な咆哮を上げる。暗闇の回廊の奥へと、私をいざなう。
背後から隊長が追従してくる気配を感じたが、私は振り返らなかった。これは軍人としての規律を破る、許されざる反逆行為だ。だが、私の内にある何かが、命令違反をしてでも確かめに行けと叫んでいたのだ。
やはり、あの幻覚のことが気になる。
もしかして、あれと同じことが起きるのではないか?
その予感が、私と撃竜を駆り立てる。
巨大な岩柱と金属の配管が入り組む空洞を抜け、私は第二十階層の最奥部へと機体を滑らせた。
そこは、これまでのどの階層よりも狭くて、異様な空間だった。天井や壁面は完全に鈍い銀色の金属で覆い尽くされており、無数の青白い光のラインが、まるで血管のように脈打っている。そしてその中央部には、天を突くような巨大な円柱状の機械がそびえ立っていた。
私はその機械の手前に広がる平坦な金属の床に、強引に着陸を敢行した。整備されていない地面にガタガタと機体を震わせながら減速させ、機体が停止するや否や、私はコックピットから飛び降りた。
腰のホルスターの杖を握りしめたまま、警戒しながら巨大機械の根元へと駆け寄る。
そこには、エーベルハルト大将をはじめ、作戦参謀のレーマン大佐や数名の高級士官たちの姿があった。彼らは皆、巨大な機械のコンソールと思しき発光するパネルの前に集まっていた。
だが、その時だ。まさにあの幻覚で見た光景が現れる。
正面には、背中を見せるエーベルハルト大将の姿がある。その正面に、巨大な機械。その機械に向かって、何かを操作している。
そのすぐ脇で、レーマン大佐が顔面を蒼白に引きつらせ、震える声で叫んでいたのだ。
「か、閣下……! なんということをしたんですか、閣下!」
大佐の悲痛な叫び声が、冷たい金属の空間に反響する。彼は膝から崩れ落ちそうになりながら、コンソールを操作するエーベルハルト大将の背中を見つめていた。
だが、エーベルハルト大将は振り返りもせず、極めて冷淡に、そして恍惚とした響きを帯びた声で答えた。
「レーマン大佐よ。我々は今、世界を支配する力を手に入れたのだぞ。ここにいるすべての者が、まさにその世界を支配する頂点に立つべき者なのだ。歓喜こそすれ、恐れる必要がどこにある?」
その言葉に、私は狂気を感じる。
まったく話が見えない。世界を支配する力? 頂点に立つ? 言っている意味は分からないが、もしかするとこの機械は、それを可能にするものなのか。
私は杖を強く握り締め、彼らの前に進み出た。
「あの、どういうことですか、大将閣下!」
私の声に、士官たちが一斉に弾かれたようにこちらを振り向いた。エーベルハルト大将もまた、ゆっくりと振り返り、私を一瞥した。まさにその振り返る瞬間の幻想を、私はかつて見ていた。あれは、エーベルハルト大将だったのか、と。
その大将閣下の瞳には、かつて前線基地ですれ違った時に感じた、あの人間性の欠落した薄暗い感情が、隠すことなく露わになっていた。
「……ほう。撤退命令を無視して戻ってくるとは、やはり第二対竜戦闘隊のあの小娘か」
大将は忌々しげに告げると、おもむろに腰のホルスターから軍用の大型拳銃を引き抜き、その銃口を私に向けた。
「貴様にはあのまま、何も知らずに地上で死んでもらうつもりだったのだが……まあいい。どうせ結果は同じことだ。このまま、私の十に倒れる運命にある。その前に、冥途の土産に聞かせてやろう。これから起こる、全てのことを」
銃口を向けられたまま、私は息を呑んだ。大将の口から語られ始めたのは、我々の歴史と常識を根本から覆す、あまりにも壮大で、そして恐ろしい真実だった。
「この機械の存在と操作方法は、隕石孔の近くで発掘された古代遺跡の石板に記されていた。我々が今立っているこの場所は、数万年前、今の我々をはるかに上回る高度な文明を誇った巨大都市の跡地だ」
「古代の……都市?」
「そうだ。そしてこの巨大なシステムは、元々は宇宙空間からの攻撃に備えて作られた防衛システムだったと記されている。そのために、遥か空高くの宇宙空間には、直径百メートルを超える巨大な隕石が無数に浮かんでいる。この機械は、その隕石を自在に操り、任意の場所に正確に叩き落とすことができる、究極の兵器なのだ」
それを聞いた私は、戦慄する。直径百メートルの隕石を、任意の場所に叩き落とす。それはすなわち、私が夢で見た光景であり、そしてクリスタル・ドラゴンに魅せられた幻影でもそれを見た。
その言葉のスケールに、私は目眩を覚えた。もしそんなものが都市の上に落ちれば、一瞬にして数百万の命が灰燼に帰し、大地はえぐれ、衝撃波で国一つが壊滅するだろう。それを可能にする仕組みが、この機械の正体だというのか。
「石板によれば、かつてこの高度な文明の中で、ある反逆者が現れた」
大将は、まるで神話でも語るかのように淡々と続けた。
「その者は地下深くに置かれていたこの防衛システムを乗っ取り、逆に自らの都市を滅ぼして、この星の覇者となろうとした。だがそいつは、愚かなことに身内の裏切りに遭い、命を落としたのだ。それ以来、この恐るべき機械の周囲には、防衛システムの一部としておびただしい数の生物兵器――すなわち、貴様らが『魔物』や『翼竜』と呼んで命懸けで戦ってきた防衛機構――が配置され、誰一人触れられない不可侵の領域とされた」
「と、いうことは、政府は最初からこの兵器の存在を知っていて、我々を送り込んだと言うのですか!」
「その通りだ。だが、政府の連中は甘い。この究極の力を手に入れながら、他国への抑止力程度にしか使うつもりのようだ。が、賄賂が横行し、国家の将来にも、貧困対策にも無頓着で、自らの保身ばかりを考える今の腐敗しきった政治家や交換に、辟易していたのだよ」
エーベルハルト大将の顔に、邪悪な笑みが浮かんだ。それは、絶対的な力を手にした独裁者の顔だった。
「だからこそ、私がこのシステムを直接起動した。今、直径百メートルの巨大隕石が、我が国の首都であり、あの無能な政府があるザクセン共和国の心臓部へ向けて落下を開始した」
「なっ……!?」
「それが落ちれば、ザクセン共和国の大半も消滅する。すなわち私はこのシステムを用いて、ザクセン共和国を完全に消すつもりだ。そして同時に、世界中の他の国々に対し、私を支配者として認めてもらうよう警告を発する。その見せしめとして、ザクセン共和国を破壊する!」
私は震えた。この大将は、狂っている。
確かに政治家の腐敗は酷いものだ。十年前に起きた戦争で辛うじて勝利したものの、その復興に尽力するどころか、自身の私利私欲に走る輩ばかりだ。
だが、それは今、目の前にいる大将閣下とて同じ、いや、それ以上に酷い人物ではないか。腐敗政治を正すために、自らが世界の独裁者になろうというのだ。だがそのために無関係な何百万もの国民が暮らす自国を、隕石で跡形もなく消し去ろうという。レーマン大佐が絶叫していた理由は、これだったのだ。彼らはこの最終兵器を手に入れるための駒の一つであったが、大将の真の目的が自国の破壊にまで及ぶとは、側近すら知らされていなかったに違いない。
「これで理解できたか、魔導士の小娘よ。お前たちの血と命の犠牲は、私が世界の秩序を正すための尊い礎となるのだ」
大将の野心が語り終えられた直後、乾いた破裂音が第二十階層の空間に鳴り響いた。
私に向けられていた拳銃が、火を噴いたのだ。
放たれた銃弾が真っ直ぐに私の眉間へと迫る。しかし、私はその直前に張っていた防御魔導の障壁が、その弾丸を弾き飛ばした。
私はすぐさま踵を返し、己の愛機である一番機「撃竜」に向かって全速力で走り出した。逃げるためではない。今まさに首都に落下しつつある隕石を、何としても食い止めるためだ。
「逃がさんぞ! 撃ち殺せ!」
大将が士官たちに命令を下すが、彼らもまた自国が滅ぼされるというあまりの事態に動揺し、銃を抜くのが遅れていた。私は金属の床を蹴り、一気にコックピットへと跳躍した。
「小娘一人で、何ができるというのか!」
背後から、エーベルハルト大将の嘲笑と怒号が混ざったような声が響く。
「すでに隕石はルートリンゲンにまっすぐ向かっている! もはや、誰にも止められん! 己の国が亡ぶ瞬間を、自らの命と引き換えに見届けるがいい!」
私がコックピットに身を滑り込ませたその時、頭上から轟音を立てて、もう一機の撃竜が舞い降りてきた。機首に青い帯が描かれた機体。シュタイナー大尉だ。
大尉は着陸するなり無線を介して、血相を変えて叫んだ。
『フィッシャー! 何があった! なぜまた、離陸しようとしている!?』
「隊長! 時間がありません、離陸し、地上に向かいつつ話します!」
私はエンジンを再始動させながら、無線を通じてシュタイナー大尉に叫ぶ。そして、両機は第二十階層を離陸した。
『何……だと?』
先ほどエーベルハルト大将より聞いた真実のすべてを、私は無電越しに伝えた。古代文明の防衛システム、反逆者の歴史、そしてエーベルハルト大将の狂気に満ちた陰謀を
そして、もっとも恐ろしい現実を口にした。
「大将は、巨大隕石の標的をザクセン共和国の首都ルートリンゲンに設定しました。今この瞬間も、高い空の上から巨大な隕石がルートリンゲン目掛けて落ちてきています」
『なっ……ルートリンゲンだと!?』
「そんなものが落ちれば、ルートリンゲンだけでは済みません。ザクセン共和国全体が、そして隣国の一部までがその衝撃で吹き飛びます。その上でエーベルハルト大将は、世界に独裁支配を宣言するつもりのようです。ザクセン共和国はその見せしめのため、無関係な国民全員をも巻き込もうというのです」
無線の向こうで、隊長の息を呑む音がはっきりと聞こえた。彼の故郷であり、家族が待つ魔道具工房がある街。そして、この狂った戦いが終わった後、私と共に生きようと約束してくれた場所だ。
その瞬間、私の脳裏に雷に打たれたような閃きが走った。
隕石孔に赴任してからというもの、私が度々うなされていた夢。火の海に沈む見知らぬ都市。空を覆い尽くすほどの巨大な燃える岩塊。そして、それを見上げて絶望する人々の幻覚。
あの時見た夢は、ただの夢などではなかったのだ。数万年前、あの古代の反逆者が都市を滅ぼした時の「過去の記憶」が、強大な魔力を持つ私に流れ込んでいたのだ。そしてその後、クリスタル・ドラゴンが見せてくれた幻覚は、これから大将の狂気によって引き起こされる「未来の予言」でもあった。
『くそっ……! エーベルハルトの狂人め、なんということを……!』
シュタイナー大尉の怒りに震える声が響く。だが、絶望している暇はない。あの夢の通りになど、絶対にさせてたまるものか。
「隊長! 隕石はまだ落下中のはずです。防御魔導を使って食い止めるんです!」
『馬鹿な! 相手は直径百メートルの質量だぞ! 翼竜など比べ物にならないほどの、桁違いの大物だぞ! 戦闘機一機の魔導でどうにかなる相手ではない!』
「やってみなければ分かりません! 私はあんな未来を、私たちの帰るべき場所を奪われるのを、手をこまねいて見ているだけなんて、とてもできません!」
私の心の叫びに、無線越しの大尉は一瞬の沈黙の後、力強く応えた。
『……分かった。ならば、俺も行く。ザクセンの空は、我々第二対竜戦闘隊が護り抜くぞ!』
私は深く息を吸い込み、操縦桿の魔石を強く握り締めた。全身の血が沸騰し、ありったけの魔力が機体と一体化していくのを感じる。
「了解!」
千二百馬力の星型エンジンが、限界を突破するような爆音を轟かせた。私はスロットルを全開に押し込み、第二十階層の最奥部から、地上へと向かう。
三十分後には、地上への出口が見えてきた。そこで速度を落とし、垂直上昇に転じる。
だが、外に出た私は、その目前に小さく見える白い影に戦慄する。
それは、まだ小さく見える。が、直径数百メートルの途方もない大きさの岩が、まさにこちらに向かってきていることを示していた。




