#39 新生活
ここはザクセン共和国の首都、ルートリンゲンのやや西方にある地域。
この歴史ある美しい街の中心部から少しだけ外れた職人街に、ヘルマン・シュタイナーの生家である魔道具工房がある。
あの凄惨を極めた隕石孔の奥底での戦いが終わり、その後、国家への反逆罪を問われたエーベルハルト元大将が処刑されてから、すでに一年という歳月が流れていた。
私はというと、当初の約束通り軍を退役し、ヘルマンの実家であるこの工房で、彼と共に魔道具作りの基礎を学び始めている。軍服を脱ぎ、動きやすい職人の作業着に身を包んだ私の日常は、泥と血と硝煙の匂いにまみれたあの地下迷宮の日々からすれば、信じられないほど穏やかで平和なものになる……はずであった。
「ここをこうすると、さらに魔力が込めやすくなるから……」
「おい待て、マルガレーテ! こいつはお前の魔力に耐えられるものでは……」
背後から響いたヘルマンの制止の声は、ほんのわずか遅かった。
私が手に持っていた、炎魔導特性を用いて火を使わずに簡単調理できるはずの新型フライパンの試作品に、ほんの少し――私の中では本当に指先程度の――魔力を注ぎ込んだ瞬間だった。
キィィィン、という嫌な高周波音が鳴り響いたかと思うと、次の瞬間、鼓膜を劈くような轟音と共に、目の前のフライパンが爆発四散した。
「うわっ!」
凄まじい閃光と爆風が工房内を吹き荒れ、私は思わず床に尻餅をついた。舞い散る金属片と黒煙。焦げ臭い匂いが部屋中に充満する。
ゴホゴホとむせながら顔を上げると、そこには額に青筋を立てながら、煤で顔を真っ黒にした元・第二対竜戦闘隊隊長の姿があった。
「やれやれ、これではブレスドラゴン級と戦っていた時の方がまだ、安全だったな」
この言い草に少し腹を立てるが、確かに正論だ。呆れ果てたようなヘルマンの言葉に、私は返す言葉もなくシュンと肩を落とした。
「ご、ごめんなさい……ほんの少し、魔力の通り道を広げたら効率が良くなるかと思っただけで……」
「お前の『ほんの少し』は、一般魔導士の全力に匹敵するんだ。日用品の魔力回路が、それに耐えられるわけがないだろう」
説教を食らい、私がさらに落ち込んでいると、ヘルマンはふっと表情を和らげ、私の煤けた頬を布で乱暴に拭いながら言った。
「だが、その魔道具の持つ『危険性』がかえって見えたというものだ。回路の耐久性に根本的な欠陥があることが分かったのは、大きな収穫だ。別に落ち込むことはない」
不器用な彼なりの慰めに、私は小さく頷いた。
こんな風に、命のやり取りとは無縁の、しかしどこか騒がしくも甘い生活を送っている中、ふと、あの死線を共に潜り抜けた他の人々はどうしているだろうかと思いを馳せることがある。
例えば、あの冷徹な作戦参謀だったオットー・レーマン大佐。
彼は先の事件の後、昇進して少将閣下となった。作戦自体はエーベルハルト元大将の暴走により国を滅ぼしかける事態に発展したものの、当時、その暴走を止めるべくいち早く動き、元大将を捕らえる空挺部隊を的確に地下の制御盤へ誘導した功績が評価されたのだ。
だが、昇進した彼がわざわざこのルートリンゲンの小さな工房まで私やヘルマンを訪ねてきた時、その顔に驕りは一切なかった。
「私は、少将などという評価に値する人物ではない。多くの部下を無駄死にさせ、大将の真意を見抜けなかった愚か者だ」
そう語る彼の目には、かつて前線で我々を虫ケラのように扱っていた頃の冷酷さは微塵もなかった。
「だからこそ、より一層軍務に励み、今度こそ国を救う、本物の英雄になってみせる。貴官らに恥じぬようにな」
そう宣言して去っていった彼の背中は、どこか清々しく見えた。
一方、陸軍機甲大隊の隊長として最前線で通常砲の効かない相手に苦戦しつつも、我々と共に死線を越えたギュンター・ミュラー大尉。彼もまた昇進し、今や中佐となっている。いずれ大佐となり、一個師団を任されるのは確実と目される、将来有望な将校だ。
そんな厳格なミュラー中佐だが、あの前線基地の売店で看板娘をしていたヨハンナ・ベッカーと予定通り結婚にこぎつけた。第十三階層でこの二人を引き合わせたのは我々だが、この二人の今の様子たるや、呆れるのを通り越して笑ってしまうほどだ。
先日、彼らがルートリンゲンを訪れた際、街を歩く二人はあまりにもべったりとくっついていた。普段は部下に恐れられる鬼の中佐殿が、ヨハンナの前ではまるで「とろけたパンケーキの上のバター」のように顔を綻ばせているのだ。軍の同僚や部下たちの間でも、その惚気っぷりはもはや伝説になりつつあるという。家族を魔物に殺された過去を持ち、弱い魔力しかないながらも最前線で笑顔と大声を振りまいていたヨハンナが、今こうして幸せを掴んだことは、私にとっても自分のことのように嬉しかった。
そして、我が第二対竜戦闘隊の同僚たちのことだ。
上昇時の高Gで気を失うという欠点がありながらも、必死に食らいついてきたハインリヒ・フォン・ヴァーグナー元曹長。彼は軍を辞めた後、実家を継いだ。なんと彼の実家は元貴族の家系であり、現在は手広く事業を展開しているのだという。
「面倒ごとが嫌いで家を飛び出したんですがね。あの地獄のような死線を越えているうちに、自分から逃げてばかりじゃいけないと、ようやく事業を継ぐ決意が固まりましたよ」
そう笑って語る彼の顔つきは、すっかり立派な青年実業家のそれになっていた。
そして極めつけは、ヴィルヘルム・ファルケンベルク元曹長だ。
元々政治家を目指していると公言していた彼だが、あの戦いの後、本当に軍を退役して先の選挙で国会議員に立候補した。国を救った「第二対竜戦闘隊の英雄」の一人という圧倒的な知名度と、彼自身の情熱的な演説が功を奏し、凄まじい得票数で政界への進出を果たしたのだ。
彼は本気で、この腐敗した国を変えようとしている。
ふと、私は思うことがある。エーベルハルト元大将に対し、あれほど「この先、国を正常な道に変えていくこともきっと叶う」と大見得を切った私だが、結局のところ、私自身はこうして首都の片隅で魔道具作りに悪戦苦闘しているだけで、国を変えようとしてはいない。それに引き換え、ファルケンベルク議員のあの凄まじい意志と行動力はどうか。まさに、有言実行だ。素直に尊敬の念を抱かずにはいられないな。
一見すると散り散りになった我々、第二対竜戦闘隊だが、決して縁が切れたわけではない。三ヶ月に一度、首都の酒場を貸し切って、皆が集まる会が開かれている。
軍に残った者、退役して別の道に進んだ者。それぞれが各々の道を歩み始めたが、我々の魔力と血と汗でどうにか守り抜いたこの国が、今どうなっているのか。その進捗を確認し合うかのように、この会は定例となった。
ルートリンゲンの街中は、あの大事件以来、ひどく不安定だ。国家を滅ぼそうとしたエーベルハルト元大将よりも、彼のような軍人を反逆へと駆り立てるほどに腐敗しきっていた政治家たちへの批判が市民の間で爆発した。その結果、たった一年の間に内閣が二度も総辞職する異常事態となっている。
その一方で、命を賭して上空の隕石に突入し、国の崩壊を食い止めた我々「第二対竜戦闘隊」に対する国民の期待と熱狂は異常なほど高い。
だが、国を武力で救うことと、この国の政治や社会を根本から変えるということは、全く別の次元の話だ。戦闘機と魔導砲が使えるというだけでは、政治はできない。信念と、心の強さが求められる。
「聞いてくださいよ、隊長。私が提案した政治資金規正法案が、老獪な政治家どもにもみ消されようとしているんですよ! まったく、ああいう連中がいるから、政治が私物化されていると言われているんだ!」
「分かった分かった。だが、俺にそれを言ったところで何が変わるというんだ?」
「何も変わりゃしませんよ。ただ、他人に愚痴るとその分、強くなれますから」
「そうだな。これまで幾度もそういう困難にぶち当たっては、やり返してきたわけだからな」
「いつかは必ず、首相の座を奪ってやりますよ。いや、十年以内に必ず、実現してみせる!」
「やれやれ、相変わらず言うことが極端だな……もっとも、一年前にも同じことを言って、本当に国会議員になったわけだからな。案外、なれるかもしれんぞ、若き首相に」
「案外とは何ですか! 絶対に、ですよ!」
だからこそ、私たちは各々の道を歩みつつも、かつての隊長だったヘルマンを中心として結束し、まさに国民の期待を一身に背負って有象無象の政界で戦うファルケンベルク議員の「心の支え」となるべく、こうした会を開き続けているのだ。
エーベルハルト元大将がやったことは、許されざる間違った行為だ。数多の将兵を死地に送り込み、最終的には絶対的な質量を持つ隕石を落下させて国そのものを破壊しようとした狂気の指揮官だった。
だが、皮肉なことに、彼が起こしたその大反逆のおかげで、停滞していた国全体が間違いなく「変わろう」と動き出したことは事実だった。大勢の人々の命を奪い、国が滅亡の淵に立たされた結果として、我々は英雄として持ち上げられ、社会は新たな時代へと舵を切ろうとしている。歴史の皮肉とは、かくも残酷なものかと思わざるを得ない。
さて、そんな大事件の引き金となった、あの隕石孔の奥底に眠る「例の機械」の処遇だが……実はまだ、未だに破壊されずに地下にそのまま残されている。
というのも、我々の魔導砲も、陸軍の徹甲弾も、あらゆる攻撃が通用しない絶対的な防壁に守られているからだ。そして何より、下手に中枢を破壊すれば、コントロールを失った宇宙空間の隕石が一斉にこの国へと落下してくるのではないかという、拭い去れない懸念があるため、破壊作戦は断念された。
結局、国際条約に基づき、軍はその人類を滅亡しかねない機械の悪用を防ぐため、隕石孔の入り口を厳重に封鎖し、大規模な防衛隊を配置するにとどめている。
ところがだ。それで全てが終わったわけではない。
時折、あの封鎖された巨大な穴から、入り口の封鎖をすり抜けて狂暴な翼竜が地上へと飛び出してくることがあるのだ。
通常兵器の通じない翼竜が現れる度に、防衛隊だけでは対処しきれず、結局のところ元・第二対竜戦闘隊の撃竜乗りであった私とヘルマンの二人が、特例として軍に駆り出される羽目になる。
つい一週間前にも、緊急出動の要請があった。
私たちは軍の飛行場へ急行し、かつての千二百馬力からさらに強化された、千四百馬力の星型エンジンを積んだ新型「撃竜」へと飛び乗った。魔導砲は二十二ミリに拡張され、機種には十二.七ミリ機関砲が搭載された、真新しい機体だ。この機関砲のおかげで、ワイバーン級ならば魔導砲なしでも戦えるようになった。
で、この時は空を真っ赤に染め上げて暴れ狂うブレスドラゴン級に対し、私は操縦桿の魔石を握り締め、あの頃と同じように極太の魔弾砲を放って、見事に巨竜の背びれを撃ち抜いた。
軍を辞め、魔道具職人としての平穏な日々を望んだはずなのに、未だに戦闘機から降りることも叶わぬとは……何とも呪われた運命だな。
頭ではそう嘆きながらも、操縦桿を握り、エンジンが咆哮を上げる瞬間、私の心臓は妙に心躍り、血が沸き立つような感覚を覚える。空を舞い、死線すれすれで敵を撃ち落とすあの極限の高揚感が、私の身体から全く抜け落ちていない。
困ったものだ。私の心の底はまだ、戦闘機乗りのままらしい。
次の出撃要請は、いつかかってくるのやら。ため息をつきながらも、どこかそれを待ち望んでいる自分がいることに気づき、私は自嘲気味に笑いそうになった。
「おい、魔道具を破壊しておいて、何やら楽しそうだな」
不意に、すぐ横から顔を覗き込んできたヘルマンの言葉に、私はハッと我に返った。
煤で汚れた顔のまま、私の内心を見透かすように目を細めるヘルマン。図星を突かれた気恥ずかしさと、戦闘狂じみた自分の本性を誤魔化すように、私は焦って彼の胸ぐらを掴んだ。
「な、何を言っているんですか! 私は魔道具の回路の改善案を考えていただけです!」
「嘘をつけ。お前の目は、ブレスドラゴン級を追いかけている時の目をしていたぞ」
やれやれ、痛いところを突かれて、反論の言葉に詰まる。
これ以上彼にペースを握られるのは癪だった私は、ええいままよと背伸びをし、思いきりその唇を奪った。
「う……っ!?」
突然のキスに目を白黒させるヘルマン。私はパッと顔を離すと、顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「ほら、さっさと次の試作品を作りますよ! 今度は絶対に爆発させない回路を組んでみせますから!」
そう言い捨てて作業台に向かう私の背中を、ヘルマンが呆れと優しさが混じったようなため息をしながら、私の身体をぎゅっと抱きしめてきた。
この国が本当の平和を取り戻すまで、私たちの戦い――空での死闘も、工房での爆発も――まだまだ終わりそうにないな。
(完)




