#32 液状竜
激戦が続く第十六階層を前に、我々はかつてない難敵に突き当たっていた。
目の前にうごめくその「竜」は、これまでのどの個体とも異質な物質。実体を持たない揺らめくその身体は、あらゆる金属を瞬時に溶かしてしまうほどの強酸性の液体だった。翼竜の通常の武器である炎を放つ代わりに、その液状の身体を激しくうねらせ、高濃度の溶解液を乱射してくる。
さらに厄介なことに、その身体を構成する液体は、あらゆる魔導を吸い尽くす特性を持っていた。二十ミリ魔導砲の光弾が着弾した瞬間、爆発を起こすどころかまるで大きな水たまりに垂らしたインクのように呑み込まれ拡散されて、奴の魔力として吸収されてしまうのだ。実体弾を撃ち込んだところで、その強酸の身体に触れた途端に、溶かされて消滅してしまう。
『くそっ、なんて理不尽な敵だ。これでは手も足も出ないぞ』
無線の向こうでファルケンベルク曹長が毒づく。防御魔導という「盾」ではなく、吸収や溶解という「無効化」でこちらの牙を抜いてくる敵。我々、第二対竜戦闘隊はあらゆる手を尽くし、攻撃を続けるも、全て無駄に終わった。魔力切れを迎え、一時の撤退を余儀なくされる。売店のテーブルで魔力補充のコーラを飲みながら、隊員たちは重苦しい沈黙の中で対策を話し合うこととなった。
「あれまぁ、珍しいね、こんなところではブリーフィングだなんて」
売店の売り子であるヨハンナが、ちょっかいを入れてくる。が、そんな能天気なやつに構っている暇はない。私が無言でにらみつけると、雰囲気を察してかすごすごと店に戻っていく。
そんな緊迫した、しかも緊急を要する前線基地のブリーフィング、円陣を組んで並ぶ隊員たちの真ん中に、シュタイナー大尉がバケツに入れた水を置いた。
「……奴はまさに、このバケツの水のような存在だ。となれば、バケツやその水に触れることなく、我々の持てる力だけで中の水だけを消し去る方法を考えるしかない」
隊長の言葉に、隊員たちは顔を見合わせた。バケツに触れられないのなら、どうやって水を消せるか? 私は、考える。
二つ、方法がある。ホースを突っ込んで、ポンプで水を吸い出す。いやいや、それは「水に触れる」ことになるから無意味だ。やつの身体に突っ込んだどんなパイプも、溶かされてしまう。それ以前に、パイプを突っ込むほど接近できない上に、パイプ自体がビニール製で強酸でも溶けないものを使ったとして、ポンプの方がいかれてしまう。
となると、もう一つの方法、それは外側から火であぶって蒸発させる。だが、相手は魔力そのものを吸収するのだ。魔導砲弾の持つ高温の熱ですら、奴に吸収されてしまう現状では、どうやっても蒸発は無理じゃないか。
(うーん、何か見落としていることはないか……?)
私は思考を巡らせる中、不意にある記憶が閃いた。予科練時代の厳しい訓練、そしてこれまでの死闘で培ってきた魔力操作の感覚だ。
私は元々、光と炎の魔導が使える。特に光魔導は強力で、それが魔導砲の魔力供給の際に用いる主な魔力となっているが、魔導士同士の戦闘訓練で、私はその光魔導を封じられたことがある。
要するに、相手の魔導士が、こちらの魔導特性を知って、サングラスで防御してきたのだ。眩しい光で相手の目を封じ、先手を取る方法が効かなくなった。
相手は腕力の強化魔導を使う相手だった。接近し、腕をつかんでくる。子のまま投げられれば、私は負ける。サングラスに手をかけるも、ゴーグルタイプのがっちりしたやつだったため、取れない。腕をつかんだ相手が私の身体を持ち上げ、宙に浮く。
咄嗟に私は、左腕でそのゴーグルを握りしめ、詠唱を唱える。
「炎の魔導よ、視界を覆いし黒い目隠しを、溶解せよ!」
左腕から発せられた熱が、そのゴーグルを溶かす。相手は私を持ち上げたまま、不意を突かれて硬直した。
今だ、そう思った私は、続いて光魔導を詠唱する。目を眩まされた相手の魔導士は、私の腕を離し目を覆う。
そこでそのまま上から相手に飛び掛かり、体重をかけて相手を地面に伏した。地面に倒した方を勝ちとする勝負だったため、私は勝利を得た。
そんな訓練風景を、思い出していた。要するにだ、いくら魔力を吸収する相手であっても、一定の熱量をこえたらそのゴーグル同様、溶けてしまうんじゃないか。
さらに、ゴーグルを握りしめたのにも理由がある。熱を帯びたものに圧力を加えると、さらに高温になる。魔石を介さず、ゴーグルを溶かすほどの炎魔導を使おうとすれば、この物理的な圧力が必要となる。そんな経験が、脳内をフラッシュバックした。
そういえば、第二対竜戦闘隊は炎魔導の使い手が多い。私は隊長に、こう提案する。
「隊長、試したいことがあります。全員、杖を持って炎魔導を放ってください。最大出力で一箇所に集めるんです」
「炎魔導を、一か所に? 確かにそれならばバケツの水を干上がらせることはできるが、それで通用する相手では……」
「いいから、お願いします!」
私のこの訴えに、隊長以下、第二戦闘隊の魔導士たちが一斉に杖を構えた。放たれた何十本もの炎の柱が立ち並ぶ。
が、本来なら拡散してしまうその熱を、私はあるものを使い、寄せ集めた。そう、「重力魔導」を用いたのだ。
皆の放った炎の魔力が、凝縮されていく。収縮され続け、炎の赤は眩い白へと変わっていく。その熱は、ここまで伝わり汗ばむほどの高温だ。その極限まで圧縮された魔力、指先ほどの大きさにまで収縮したその白い光の球を、私はバケツの水の中へと叩き落とした。
まるで機関車が噴き出す蒸気のように、バケツの水は一瞬で沸騰し蒸発する。直後、凄まじい蒸気が隊員や私を包む。鉄製のバケツ自体も、一点に集中した高温の光の塊の熱で飴細工のように変形している。
圧縮した炎の魔導は、鉄すらも容易に溶かすほどの温度まで上昇する。となれば、これが魔導砲の魔弾だったなら、どうか?
「これの応用で、皆の魔導弾を重力魔導でかき集めれば、吸収されることが不可能なほどの高温に達し、相手の身体を蒸気に変えて粉砕できるかもしれません。この方法なら、勝機はあります」
それを聞いた隊長の決断は、早かった。
「よし、再出撃だ」
我々は再び第十六階層の入り口へと到達した。目の前では、液状竜が溶解液を撒き散らし、魔導戦車隊を壊滅寸前にまで追い込んでいた。
すでに十台以上の魔導戦車が溶解され、その鉄くずの一部が散乱している。そんな中、相変わらず魔導砲を撃ち放つ魔導砲戦車、その後方から徹甲弾を撃つ、おそらくはミュラー大尉の通常砲の機甲大隊かと思われるが、勇敢にもその無慈悲なる敵に接近しつつ砲撃を与えている。
が、むなしくその砲弾は溶解され、魔導砲から魔力を得てさらに巨大化した液状の竜が迫る。
『第二対竜戦闘隊全機へ、魔導砲、合図とともに一斉射撃! 目標、液体竜の頭部!』
隊長の号令に合わせ、数十機の撃竜と双胴竜から魔弾が放たれる。私は操縦桿から片手を離し、杖を突き出した。
「集え、我が重力の源へ!」
大人ほどの大きさを持つ一つ一つの魔弾を、強い重力魔導で強引にかき集め、収縮させる。一点に固められた魔力は眩い純白の光を放ち、やがて収縮を始める。
それがテニスボールほどの極小の「太陽」へと姿を変える。数十メートルは離れたここからでも、その熱を感じるほどだ。この熱さゆえだろう、一瞬、液体の竜の動きが止まる。
小さなこの光の球は、周囲の空気を歪ませるほどの凄まじい熱を発していた。そんな光の球に、無謀にも液状竜がそれをつかもうと触れた瞬間、奴の身体から激しく蒸気が吹き上がった。吸収より、熱が勝ったのだ。これでは吸収などおぼつかない。あまりの超高温に、やつが伸ばす液体の腕を徐々に蒸気へと変えていく。
私は旋回しつつも杖を操り、重力魔導でその高温の光点を前進させる。液状竜は慄き後退するが、私はそのまま高温のなす術もなくのたうち回り、やがてその巨大な身体の大部分を蒸気として失っていった。
そして、蒸気の向こう側から、赤く丸い「球体」が露出するのが見えた。
「あれは……」
既視感のあるそれは、かつて多数の小型竜で覆われたあの竜の本体部分である「核」と同じものだ。剥き出しになった核を、私はすかさず二十ミリ魔導砲につながる魔石を握りしめ、詠唱する。
「光の魔導よ、邪悪なる赤い球を打ち砕け!」
魔弾は正確に赤い球体を貫く。ガラスが砕けるような音と共に核は粉砕され、ほぼ身体の多くを失っていた液状竜は残った液状の方だを保てなくなり、意思を持たぬただの強酸の液体となって地面に流れ落ちた。
勝利の歓声が上がる中、私は激しい疲労感と共に基地へと帰還する。
「よくやった、今日はしっかり休め」
格納庫にて、隊長からそう声を掛けられる。しかし、その日の夜、私はなかなか寝付けずにいた。
魔力の使い過ぎが原因ではない。身体も疲れているから、普通ならすぐに寝落ちするほどだ。が、例の水晶竜が私に見せた、あまりにも明瞭な幻影が脳裏に焼き付いて離れなかったのだ。
(あの巨大な機械とその前に立つ人物、空から降り注ぐ巨大な岩、見覚えのある街……)
テントの中で悶々と考えていると、隣で寝ているはずの隊長、いや、ヘルマンから声を掛けられる。
「どうした、マルガレーテ。寝付けないのか?」
うーん、今まではぐらかしてきたが、いよいよ私の上官であるこの人には、私の見たものを伝えた方がいいか。
「隊長……実は、話していないことがあります」
「話していない、こと?」
「実は最近、奇妙な夢を見たんです。そしてあの水晶の竜に触れた時にも、恐ろしい幻想を見てしまいました。いずれも、同じようで少し違う光景だったので、気になってしまって……」
「そういう悩ましいことは、誰かに話した方が楽になるぞ。話してみろ」
と、ヘルマンが言うので、私はこれまで見てきた不可思議な夢や、水晶竜の光の中で見た幻影について、ありのままを話した。
巨大な隕石が落下し、一瞬でつぶれ行く街の情景。特に水晶の竜に触れた時に見えた、岩が落ちていく先にあった見覚えのあるレンガ色の高い建物の話をした。そこに隕石が落ちる幻想を見たと話した途端、ヘルマンは血相を変えて私に尋ねる。
「……レンガ色の高い建物だと? それは先細りの、いわば摩天楼だったか?」
「はい、はっきりと見えました。レンガ色の摩天楼です。どこかで見た覚えがあるんですが、ヘルマンは御存知なのですか?」
するとヘルマンは私の手を握りながら、震える声で答えた。
「知ってるも何も、その街は間違いなく我がザクセン共和国の首都、ルートリンゲンだ。街の中心部にほど近いところに、まさにそのレンガ色の摩天楼、ルートヴァイルビルがある。近くに大聖堂が見えたと言っていたが、まさしくその摩天楼のそばにウーヘン大聖堂がある。位置関係的に考えても、その街がルートリンゲンであることは間違いない」
その言葉に、私は全身の血が凍りつくような戦慄を覚えた。
ルートリンゲン。シュタイナー大尉の故郷であり、私がこの戦いの後に向かうはずだった、あの平和な工房のある街だった。
そうか、見たことがあると思っていたが、それは新聞か何かで見た摩天楼の写真だった。が、白黒だったから、色までは分からない。でも言われてみれば、ルートリンゲンにあるビルの形そのものだった。
だとすると、どうしてあの巨大な岩がルートリンゲンに向かって落ちていく幻想を見たのか? その直前の、機械の前に立つ人物と何か、関りがあるのか? これだけではさっぱりつながらない。ともかく、この深淵で見せられたビジョンは、これから起こる未来の暗示なのか。すなわち、数万年前に起こった悲劇が再び起きるという警告か。
この時の私にはまだ、その真実を知る術はなかった。ただ、足元から忍び寄るような不気味な暗雲が、私たちのささやかな未来を飲み込もうとしている不安だけを、肌で感じていた。




