#31 水晶竜
我々、隕石孔調査軍がこの果てしない地下迷宮に足を踏み入れてから、どれほどの時間が経過しただろう。太陽が見えないこの地で、時の流れはつかみづらい。が、カレンダーを見ると、もう四か月ほどになるか。第一階層の空戦から始まり、数多の犠牲と引き換えに血路を切り拓き、我々はついに第十五階層と呼ばれる途方もない深淵へと到達しようとしていた。
だが、その第十五階層への入り口を捉えた先行偵察機から司令部にもたらされた報告は、我々の予想を大きく裏切る奇妙なものだった。
「前方に巨大な竜の姿を確認。しかし……まったく動きません。まるで、水晶で作られた彫像のように、鎮座しております」
そんな報告が、司令部にもたらされる。それを隊長から聞いた時、我々第二対竜戦闘隊のパイロットたちは一様に顔を見合わせた。これまで我々の行く手を阻んできたのは、灼熱の炎を吐くブレスドラゴン級や、不可視の光学迷彩を纏うワイバーン級など、凶悪で殺意に満ちた魔獣ばかりだった。動き一つ見せない竜など、未だかつて遭遇したことがない。何か、必ず何かがそこにいる。
偵察機が撮影してきた写真には、確かにそれが写っていた。透き通るような美しい硬質な体躯を持ち、周囲の薄暗い燐光を反射して七色に輝く、クリスタル・ドラゴンともいうべき姿だった。鋭い角や巨大な翼、恐ろしい牙まで精巧に象られているが、偵察機が至近距離まで接近し、照明を当てても、ピクリとも反応しないという。
あまりの不気味さに、誰もが「強烈な罠」を疑った。
しかし、司令部の下した判断は、我々の警戒とは裏腹に、極めて官僚的で事勿れ主義的なものだった。
「攻撃行動を見せない竜であれば、そのまま放置しておくのが最善だ」
レーマン大佐はブリーフィングでそう言い放った。下手にこちらから手出しをして刺激を与えれば、以前遭遇した魔力障壁のような反射攻撃や、未知の広範囲魔導によるしっぺ返しを食らう可能性が高い、というのが彼らの見解だった。兵力の消耗を極端に恐れるようになった上層部らしい、及び腰な決断だ。
かくして我々調査軍の本隊は、その水晶の竜の横を、まるで腫れ物を避けるかのように、そろりそろりと通り過ぎることになった。
私が愛機「撃竜」のコックピットから見下ろすそのクリスタル・ドラゴンは、本当にただのモニュメントとしてそこに置かれているかのようだった。陽の光など届かないこの地下深くにあって、自ら微かな光を放つその姿は、神々しいまでの美しさと、背筋が凍るような冷たさを併せ持っていた。陸軍の歩兵たちがその足元を恐る恐る通過していくが、竜は微動だにしない。魔力探知機にも一切の反応がなく、まるで本当にただの精巧なガラス細工のようだった。
おかしい。どうして何の役にも立たないこんな飾りの竜が、第十五階層という深部の入り口にポツンと置かれているのか? これまでの階層の防衛機構の苛烈さを考えれば、あまりにも不自然すぎる。誰が、何のために作ったのか。疑問は尽きなかったが、目の前の安全が確保されている以上、軍隊という巨大な組織は立ち止まることをしない。
やがて、第十五階層の広大な空洞に、新たな前線基地の建設が急ピッチで進められた。
進出から一週間も経つ頃には、工兵隊の驚異的な作業によって広大な滑走路が敷き詰められ、頑丈なプレハブの兵舎が立ち並んだ。驚くべきことに、後方からはるばる鉄道の軌道までが引かれ、けたたましい汽笛を鳴らしながら、黒煙を吐く蒸気機関車が物資を積んでやってくるようになったのだ。
その鉄道の線路は、あの水晶の竜のすぐ横をすれすれに通過するように敷設された。毎日何便もの汽車が重低音を響かせて通り過ぎるが、クリスタル・ドラゴンはやはり何の反応も示さない。兵士たちの間でも、当初の恐怖はすっかり薄れ、もはや「ちょっと変わった不気味なモニュメント」程度の認識しか持たれなくなっていた。
「見慣れると、あれもなかなか壮大なものだよな」
ヴァーグナー曹長などは、食堂で出された代わり映えのしない不味いシチューを啜りながら、そんな暢気なことすら口にするようになっていた。
もっとも、あれに直接触れようとする命知らずは一人もいなかった。何か直接的な物理刺激を与えれば、とてつもない罠が発動して周囲一帯が吹き飛ぶかもしれない。そんな得体の知れない恐怖が兵士たちの心の底にこびりついており、結局「絶対に触れてはならない竜」として、完全な放置状態が続いていたのだ。
さらに一週間が経過し、我々、第二対竜戦闘隊以外の航空戦力もすべて、この第十五階層の新基地への配備を完了した。
後方支援部隊も続々と到着し、ヨハンナの売店も鉄道に乗ってこの深淵までやってきた。彼女は最近、陸軍機甲大隊のミュラー大尉と正式に付き合い始めたらしく、顔を合わせるたびに惚気話を聞かされるのには少し辟易したが、この殺伐とした地下空間で彼女の明るい笑顔が見られるのは、私にとっても大きな救いだった。
だが、安息の時間は長くは続かなかった。
第十五階層の整備が一段落し、司令部がさらにその先、第十六階層への進軍を決定した直後、再び絶望的な報告がもたらされたのである。
第十六階層へ続く巨大な縦穴の手前に、これまでとは全く異なる、奇妙で厄介な竜が立ち塞がっていた。
それは、どろどろとした「液状の竜」だった。形こそ竜のようだが、全身がまるで練り込まれたグルテンの塊のような、そんな姿と言っていい。
まるでアメーバの巨大な集合体のようなドロドロとした半透明の身体で、大きさこそブレスドラゴン級に匹敵するが、その動きは非常に鈍かった。
しかしその戦闘力は、悪夢そのものだった。
先行した陸軍の装甲車が接近した途端、その液状の竜は口のような器官から、黄緑色に濁った液体を噴射したのだ。それが強酸性の溶解液であると気づいた時には、すでに手遅れだった。分厚い鋼鉄の装甲板が、まるで熱湯をかけられた氷のようにシュウシュウと白い煙を上げて溶け落ち、中の兵士たちもろともドロドロの肉の塊に変えられてしまったのである。
「全車、後退しつつ徹甲弾を撃ち込め!」
ミュラー大尉の指揮のもと、陸軍の戦車隊が主砲を放ったが、徹甲弾は液状の身体に着弾した途端、物理的な衝撃を完全に吸収され、体内で急速に溶かされて消滅してしまった。
ならば空からと、我々戦闘機隊が急降下して二十ミリ魔導砲を一斉に撃ち込んだ。だが、放たれた極太の光の魔弾は、液状の身体に触れた瞬間に光の粒子となって霧散し、魔力そのものが竜の身体に吸い込まれるように消失してしまったのだ。
当然ながら、七.七ミリの通常機銃など、泥水に石を投げ込むようなもので全く意味をなさない。
物理的な実体弾は溶かされ、魔力による攻撃は吸収される。防御魔導の障壁を持つ翼竜とは次元が違う。攻撃を通す手段が全く見つからない、真の意味での「無敵」の存在だった。
「困ったことになったな。魔導砲も実体弾も通用しないとなると、手出しのしようがない」
司令部での会議の後、シュタイナー大尉は苛立ちを隠せない様子で、作戦地図を睨みつけていた。
我々第二対竜戦闘隊のパイロットたちは、第十五階層の入り口、すなわちあの「水晶の竜」が鎮座する広場に集まり、その先で通路を塞いでいる液状の竜をどう突破するか、野外で頭を突き合わせて対策を模索していた。
「あの強酸の攻撃さえどうにかできれば、強行突破できるかもしれませんが……撃竜のジュラルミンでは、まともに食らえば空中分解は免れません」
ファルケンベルク曹長が忌々しげに言う。
「魔力を吸い取る性質がある以上、私の魔導障壁を盾にして突っ込む戦法も使えません。障壁そのものを吸収されて、おしまいです」
私も腕を組みながら、絶望的な見解を述べるしかなかった。
議論が行き詰まり、重苦しい沈黙が広がる中、私はふと、すぐ傍らに佇むクリスタル・ドラゴンに視線を向けた。
相変わらず、ただの透明な彫像のように動かない。だが、その水晶の像をじっと見つめているうちに、私の内側にある魔導士としての直感が、微かな、しかし確かな違和感を感じ取り始めていた。
何だろうか。この水晶の竜から、何か奇妙な魔力を感じる。
それは、これまで戦ってきた翼竜たちが放っていたような、暴力的で殺気じみた魔力ではない。あるいは、あの右ルートの最奥にあったパイプオルガン型の機械が放っていた、冷酷で無機質な魔力とも違う。
この永遠に冷たい地下の世界にあって、どこか懐かしく、どことなく引き寄せられるような、温かみのある魔力だった。まるで、暖炉の前に立って冷えた身体を温めている時のような、そんな心地をこの水晶の奥から感じ取る。
「……おい、フィッシャー軍曹。どうした、そんなところを見つめて」
シュタイナー大尉がいぶかしげに私に声をかけたが、その声はひどく遠くから聞こえるような気がした。
私の意識は、目の前の水晶の竜に完全に吸い寄せられていた。無意識のうちに、私の足は水晶の竜へと向かって歩みを進めていた。
「おい、よせ! それに近づくなと言われているだろう!」
隊長が制止の声を上げたが、私の耳には届かない。その温かい魔力の奔流に触れたい、その正体を知りたいという抗いがたい衝動が、なぜか私をその水晶竜に向かわせていたのだ。
私はゆっくりと右手を伸ばし、水晶の竜の滑らかな表面に、そっと掌を触れた。
その次の瞬間だった。
水晶の竜の内部から、爆発的な閃光が放たれた。
「うっ……!?」
猛烈な光の波動が、私の身体を吹き飛ばすのではなく、逆に吸い込むようにして包み込んだ。周囲の景色が、シュタイナー大尉の叫び声が、すべて真っ白な光の中に溶け落ちていく。
光の奔流に飲まれた私の意識は、肉体の感覚を離れ、まるで時空の濁流の中を真っ逆さまに落ちていくような奇妙な浮遊感に囚われた。
やがて、白い光が晴れ、私の目の前に不思議な光景が広がった。
そこは、この地下迷宮ではない。どこか果てしなく広い、人工的な巨大空間だった。
視界の先には、以前、右ルートの最奥で見たあのパイプオルガン型の魔力供給機よりも、さらに何十倍、何百倍も巨大な機械がそびえ立っていた。天を突くような歯車と、青白い魔力が血脈のように行き交う無数のチューブ。人類の叡智を遥かに凌駕する、神の玉座とでも呼ぶべき途方もない装置。
そして、その巨大な機械の制御盤らしきものの前に、一人の人物が立っていた。
その背中には、見覚えがあった。
隙なく仕立てられた軍服。肩から胸にかけて揺れる、豪奢な金色の飾緒。白髪交じりの髪を撫でつけたその後ろ姿。
気のせいではない、やはりどこかで、会った覚えがある。だが、思い出せない。
私が思わず息を飲む。その瞬間、その人物がゆっくりとこちらを振り向こうとした。
が、その顔が見える直前、世界が激しくノイズを立てて歪み、いきなり画面が切り替わる。
次に私の視界に飛び込んできたのは、赤く燃え盛る空だった。
見上げれば、太陽を覆い隠すほどの巨大な岩の塊――そう、隕石が、大気を引き裂きながら、猛烈な速度で高い空から落ちてくる場面だった。
数万年前に、この隕石孔を作ったとされるあの厄災の瞬間なのだろうか? だが、その隕石の落下地点にある地上の風景を見て、私は全身の血液が凍りつく。
そこにあったのは、以前見た摩天楼の立ち並ぶ光景ではない。
整然と区画された石造りの街並み。空を突くような尖塔を持つ大聖堂。そして、街の中心を悠然と流れる大きな川と、その畔に立ち並ぶ無数の工房の煙突。どうみても、ザクセン共和国の大きな街ではよく見かける光景だ。
特に目立つのは、レンガ色の高い摩天楼だった。
まさに、既視感のある映像。いや、既視感どころではない。私はその街並みを、写真や映像で見たことがある気がする。が、それがどこだか思い出せない。
「おかしいな、この建物、どこかで……」
あの落ちてくる巨大な岩の標的となっているその場所は、私のおぼろげな記憶の中では特定できなかった。
そんな街に、巨大な隕石が大聖堂の辺りに激突する、まさにその刹那――。
いきなり、すべての光とビジョンが消え去った。
ピキッ、という硬質な音が耳元で響いたかと思うと、私の視界は再び薄暗い第十五階層の広場へと戻っていた。
目の前にある水晶の竜の表面に、巨大なひび割れが走っていた。
「マルガレーテ! 離れろ!」
シュタイナー大尉が怒鳴り声にも似た叫びを上げ、呆然と立ち尽くす私の腕を力強く掴み、強引にその場から引き剥がした。大尉の腕に抱き寄せられるようにして数メートル後ずさった瞬間、背後でガラガラと甲高い音を立てて、水晶の竜は脆くも崩れ去った。
美しかった彫像は、ただのガラスの破片の山となって広場に散乱し、二度と光を放つことはなかった。
「おい、大丈夫か!? 一体何があったんだ!」
大尉が私の肩を揺さぶり、切羽詰まった顔で覗き込んでくる。周囲では、ファルケンベルク曹長や他の隊員たちが、崩れた水晶の山を警戒しながら武器を構えていた。
「た、隊長……私は……」
息が上がり、心臓が早鐘を打っていた。背中にはびっしょりと冷や汗をかいている。
一体、あれは何だったのか。この水晶の竜は、私に何を伝えたかったのか。
竜自体は爆発することもなく、罠を発動することもなく、ただ幻影を見せて崩れ去った。だが、その見せられたビジョンが意味するものは、あまりにも恐ろしすぎた。
あの巨大な機械の前に立っていた謎の人物。そして、既視感のある街へと落下する巨大な隕石。
それが何を意味しているのか?
司令部が血眼になって探しているこの隕石孔の「本体」。それと関係しているのだろうか。いや、少なくともあれは、この洞窟の光景ではない。いや、あの人物の前に会った機械は、もしかするとこの洞窟のどこかにある者なのかもしれない。
「軍曹! しっかりしろ、どうしたんだ!」
「……ええと、なんというか、とんでもない光景を……」
私が震える声で、隊長に今見た光景を伝えようとした、まさにその時だった。
「緊急事態! 第十六階層前の液状竜が、突如として活性化しました!」
隊長のもとに走ってきた伝令兵の絶叫が、この空気を一気に切り裂いた。
「て、敵はこれまでの鈍重な動きから、次々と上空にいる我が戦闘機隊を襲い始めました。溶解液を乱射し、歩兵部隊と魔導戦車隊が壊滅寸前です」
「なんだと!?」
「司令部より命令です、第二対竜戦闘隊は直ちに発進し、これを迎撃せよ、とのことです」
シュタイナー大尉が伝令兵のこの言葉を聞き、私の腕をつかんだまま走り出す。
水晶の竜が崩れ去ったその瞬間から、呼応するかのように、あの無敵の液状竜が活発化し、暴れ始めたのだ。まるで、この水晶の竜こそが、あの怪物を大人しくさせていた「封印」だったのか。
まさかとは思うが、私が触れたことで、そして水晶竜が崩れたことで、その封印を解いてしまったのか。
不安と疑念、そして自責の念が私の心を激しく締め付けた。だが、戦場は私が立ち止まって悩む暇など与えてはくれない。
「第二対竜戦闘隊は全機、発進用意だ! 整備兵、エンジン始動、急げ!」
大尉の力強い声が、呆然とする私の戦意を取り戻してくれた。
そうだ。この先には厄介な敵がいる。まさに今、味方の兵士たちが死にかけているのだ。ぼーっとしている場合ではない。
私がビジョンで見たどこかの街。そして、あの機械と謎の人物の背中。
なぜ、あんな映像を私はみたのか。しかも今回は夢ではなく、目覚めた状態でそれを目の当たりにした。まさか、今まで見てきた「夢」も、この洞窟の中の何かの「意思」が私に見せてくれたものなのだろうか?
だとすると、なぜ、私に?
疑念は残る、しかし、今はそれどころではない。エンジンが始動された撃竜に乗り、私は発進する。
「フィッシャー軍曹機、発進可能!」
私は操縦桿を握りしめ、まさに発進の順番を待っていた。
『第二対竜戦闘隊、全機、順次出撃せよ! 何としてもあの泥人形の進撃を食い止める!』
「了解!」
我々は順に離陸し、上空で編隊を組むと、あらゆる武器が効かないとされる敵のところへと向かった。
実体弾も魔導も通用しない、倒すのが不可能に近い強敵。だが、これまでも私たちは数々の絶望を、知恵と勇気と仲間の絆で乗り越えてきた。
二番機の千四百馬力のエンジンが猛然と咆哮を上げる。私は操縦桿を握り締め、真っ白な決意と共にスロットルを全開に押し込んだ。
単座式戦闘機「撃竜」は、濁流のように迫り来る液状の竜を迎え撃つべく、再び薄暗い死線の空へと舞い上がっていった。




