#27 伝授
第十一階層の広大な平地を制圧して、数日が経過していた。
我々、隕石孔調査軍はその第十一階層目に、前線基地を構築することとした。第十階層を飛ばしての建築だ。が、工作兵部隊の負担と補給線の長さ考えると、いたずらに基地を作り続けるのも賢い選択ではないと司令部も考え始めたようだ。
一方で、次なる階層への進軍ルートを探るべく、連日、暗闇の奥へと偵察機を飛ばし続けていた。複座の双胴竜や、軽量な観測機が爆音を響かせて斜め下へと続く巨大な螺旋通路を降下していく。
目標は第十二階層。しかし、帰還した偵察機の乗員たちがもたらす報告は、常に同じだった。
『第十二階層、敵影なし。周囲に魔力反応もありません』
さらにその先、第十三階層の深部まで偵察の足を伸ばしても、状況は変わらなかった。あらゆる階層で、我々を絶望の淵に追い込んだ、空と地上の大群が、まるで幻だったかのように一切姿を見せないのだ。
この不気味な静寂は、前線の兵士たちの間に安堵よりもむしろ、不安を蔓延させていた。
「まるで、第九階層の時のようだな。これほど何もないというのは、かえってその先にいる得体の知れないものの存在を感じる」
ブリーフィングの席で、シュタイナー大尉が腕を組みながらそう呟いた。かつて第九階層に到達した際、我々は安全地帯だと錯覚させられた直後に、巧妙に隠蔽された自爆竜というえげつない罠によって手痛い奇襲を受けた経験がある。
軍司令部もまた、この異常な静けさを「嵐の前の静けさ」あるいは「大規模な罠」であると断定した。
「エーベルハルト大将閣下のご判断により、これより我が軍は一気に第十二階層まで進軍することはせず、まずは第十一階層の前線基地を強固なものとし、足場を固めてその先に進むこととなった」
レーマン大佐が、第二対竜戦闘隊の皆の前でそう告げた。石橋を叩いて渡る慎重な決断だ。大将閣下がただの無謀な突撃を好むだけの指揮官ではないことがうかがえるが、それは彼が求める「本体」への道のりをより確実なものにするための布石に過ぎないのだろう。決して、兵士のためというわけではなさそうだ。
こうして、陸軍の工兵隊と歩兵部隊を主力とした第十一階層への基地建設が続いているのだが、我々、戦闘隊はといえば、その防空と地上支援のための待機任務に就くことになり、思いがけずまとまった時間が与えられることとなった。
そんなある日のこと。
私が愛機である「撃竜」の傍らで、機体の整備状況を確認していた時のことだ。背後から複数の足音が近づいてくるのに気がついた。
振り返ると、そこには陸軍の魔導砲戦車隊に所属する軍服を着た魔導士たちや、空軍の双胴竜で後席に座る魔導士たちが、十数人も集まっていた。
「フィッシャー軍曹、少し時間をもらえないだろうか」
代表して前に出た陸軍の魔導士が、どこか緊張した面持ちで私に声をかけてきた。
「はぁ、構いませんが、皆揃ってどうしたのですか?」
「軍曹、単刀直入に言う。あの『防御魔導』を、我々に見せてはくれないか」
「防御魔導を、ですか?」
私は目を丸くした。彼らが言っているのは、私が分岐点の戦闘や、第三階層の入り口で、敵の炎の奔流を防ぐために咄嗟に展開したあの青白い光の盾のことだ。
魔導とは、教本を読んで口頭で説明されて身につくようなものではない。自身の内にある魔力をどう動かし、どう波長を変換するかという「感覚」で会得するものだ。だからこそ、これまで私は誰かにそれを教えようという発想自体を持っていなかった。
「そうだ。あの盾があれば、我々魔導士の生存率は飛躍的に跳ね上がる。双胴竜の被撃墜率も下げられるはずだ。口で説明しろとは言わない。ただ、間近でその術式が展開される際の『術式』を感じさせてほしいのだ」
彼の言葉に、他の魔導士たちも真剣な表情で頷いている。
私はハッとした。確かにその通りだ。現在、この前線基地には陸軍と空軍を合わせて数百人もの魔導士が駐留している。これほどの数がいるのだ。私の展開する魔力の波長を肌で感じ取り、その感覚を掴んで防御魔導を身に付けられる者が、一人や二人ではないはずだ。
「分かりました。私ですらも偶然、会得できた魔導です。ここにいる魔導士の方々にも、できる人がきっと現れるでしょう。ぜひ、やりましょう」
私は力強く頷いた。
それから数時間後。第九階層の滑走路の片隅に設けられた広場には、異様な熱気が渦巻いていた。
噂を聞きつけた陸空の魔導士たちが続々と集まり、その数はざっと二百人を超えていた。最前列には、我が第二対竜戦闘隊のシュタイナー大尉やファルケンベルク曹長、ヴァーグナー曹長の姿もある。
「では、展開します。皆さんは私の杖から放たれる魔力の波長と、それが空間に定着する瞬間の『編み込み』の感覚に集中してください」
私は集まった魔導士たちに向かってそう告げると、大きく深呼吸をした。
腰のホルスターから、先端に魔石の埋め込まれた短い杖を抜き放つ。それを左手でしっかりと握り締め、目を閉じて体内の魔力を練り上げ始めた。
あの時と同じだ。敵の魔力を相殺し、すべてを拒絶する極光の盾を思い描く。
「我が魔導の光よ……相反する極光となりて、すべてを拒む盾となれ!」
カッ、と目を見開くと同時に、左腕から莫大な魔力が杖の先端へと奔流となって流れ込んだ。
虚空に、直径数メートルにも及ぶ青白い光の波紋が幾重にも展開され、複雑な幾何学模様を描く巨大な魔法陣が浮かび上がる。周囲の空気が一気に張り詰め、魔力の共鳴音がビリビリと鼓膜を震わせた。
「おおっ、これが、防御魔導……!」
集まった魔導士たちから、どよめきが上がる。彼らは目を皿のようにし、あるいは目を閉じて、その空間に満ちる魔力の波動を必死に感じ取ろうとしている。
しかし、私にとってはここからが地獄だった。
防御魔導を展開し続けるということは、絶えず杖の先端で相反するエネルギーを衝突させ、圧縮し続けるということだ。その排熱と負荷は、すべて魔力の通り道である私の左腕へと逆流してくる。
(ぐっ……!)
展開からわずか十秒。左腕の血管が焼け焦げるような激痛が走り、皮膚がチリチリと焼ける感覚が襲ってきた。杖を握る左腕から、シュウシュウと白い煙が立ち上り始める。
痛い。熱い。今すぐ杖を投げ出したい。
だが、彼らに感覚を完全に掴ませるためには、最低でも三十秒は維持しなければならない。私は奥歯が砕けそうなほど強く噛み締め、全身から滝のような脂汗を流しながら、必死に光の盾を維持し続けた。
二十秒。二十五秒。視界が真っ赤に染まり、頭痛で意識が飛びそうになる。
そして三十秒が経過した瞬間、私は弾かれたように魔力の供給を断ち、その場に膝をついた。
「はぁっ……はぁっ……」
青白い盾が霧散し、広場に静寂が戻る。私は左腕をかばいながら、荒い息を繰り返した。
「すごい……魔力の波長を極限まで反発させて、物理的な壁に変換しているのか……!」
「俺にも、あの感覚が分かったぞ!」
魔導士の群れの中から、幾人かの興奮した声が次々と上がり始めた。
数人の魔導士が前に進み出ると、彼らもまた自身の杖を構え、私が今見せたばかりの感覚を頼りに詠唱を紡ぎ始めた。
するとどうだろう。私のものよりは一回りも二回りも小さいが、確かに三人の魔導士の杖の先に、青白い光の盾が展開されたのだ。
「やった! 成功だ!」
歓声が上がったのも束の間だった。
「ああっ!!」
盾を展開した魔導士たちが、一斉に悲鳴を上げて杖を取り落とした。展開されていた盾は瞬時に消え去り、彼らは自らの腕を抱え込んで蹲ってしまった。
「熱い……腕が、中から焼かれるように熱い!」
「駄目だ、魔力の摩擦熱が酷すぎる。こんなもの、数秒と維持できないぞ……!」
彼らは口々に痛みを訴えた。
そう、それがこの防御魔導の最大の欠陥であり、問題だった。強大な防御力を生み出す代償として、耐えがたいほどの熱い魔力の流れが術者の腕を焼き尽くそうとするのだ。
私のように生まれつき異常な魔力耐性と治癒力を持つ者であっても、実戦で長時間の展開は両腕に大火傷を負う結果となった。よほど我慢強い魔導士でもなければ、あるいは追い詰められた状態でもなければ、この防御魔導はとても維持できない。
せっかく術式を理解したにもかかわらず、肉体がそれに耐えられない。魔導士たちの間に、落胆の空気が漂い始めた。
やはり、この術は私にしか使えないのか。そう諦めかけた、まさにその時だった。
「あのさぁ、大魔導の難しいことはよく分かんねぇけどよ」
広場の隅で腕組みをして見学していた、油まみれの作業着を着た一人の男が、ひょっこりと進み出てきた。いつも私の「撃竜」のエンジンを調整してくれている、あの馴染みの整備兵だった。
彼は頭をかきながら、いかにも不思議そうに口を開いた。
「腕が焼け付くほど熱くなるんだったら、機関銃の銃口を水で冷やすみたいに、その腕をずっと水で冷やし続ければいいんじゃない?」
その言葉が落ちた瞬間、広場にいた二百人の魔導士が、雷に打たれたように静まり返った。
私も、目を見開いたまま整備兵の顔を凝視してしまった。
そうだった。熱くなるのなら、物理的に冷やせばいい。水冷式機関銃が銃身の周囲に水を循環させて焼き付きを防いでいるように、人間の腕だって同じ理屈で冷却できるはずだ。
なぜこんな単純なことに、私は今まで気づかなかったのか。魔導の不具合は魔導で解決するという固定観念が、私の視野を狭めていたのだ。
「あんた、天才よ!」
「何言ってんだよ、気持ち悪いなぁ、軍曹さんよ。ほら、工兵隊と整備班を呼べ! 大至急、試作品を作るぞ!」
シュタイナー大尉の怒号にも似た指示で、事態は急転直下で動き出した。
整備兵や陸軍の工兵たちが集まり、廃材や予備の部品をかき集めて、即席の冷却機材の開発が始まった。
彼らが数時間で作った「それ」は、非常に単純だが理にかなった代物だった。
簡単に言うと、耐熱性の厚いゴムとキャンバス生地で作られた袋状の袖だ。これを魔導を発動する腕にすっぽりと巻き付ける。袋の中には細いチューブが張り巡らされており、腰に提げた小型のタンクから、手動ポンプ、あるいは魔力で動く極小のモーターを使って冷水を循環させる仕組みになっていた。
「さて、フィッシャー軍曹、試してみてくれ」
完成したばかりの無骨な機材を左腕に装着され、私は再び広場の中央に立った。
腰のタンクから冷水が送られ、腕全体がひんやりと冷やされるのを感じる。私は意を決して杖を構え、再びあの防御魔導を展開した。
「我が魔導の光よ……相反する極光となりて、すべてを拒む盾となれ!」
青白い盾が展開される。同時に、莫大な排熱が左腕を襲う。
だが、次の瞬間、腕に巻かれた冷却袋の中からシュウシュウと凄まじい勢いで水蒸気が噴き出し始めた。循環する水が魔力の熱を奪い、蒸発することで腕を保護してくれる。
「……熱くない。これならなんとか、耐えられます!」
私は歓喜の声を上げた。もちろん完全に熱さが消えたわけではないが、以前のような肉が焦げるほどの激痛はない。冬場に熱いストーブの前に手をかざしている程度の、十分に耐えられる熱さに低減されていた。
私が一分以上も盾を展開し続けてみせると、広場は割れんばかりの歓声に包まれた。
その後、冷却機材を装着した他の魔導士たちが次々とテストを行い、彼らもまた十秒、二十秒と防御魔導を維持することに成功した。
魔法の壁を、物理的な冷却装置で支える。このいびつだが完璧な魔導と物理の融合が、我々に新たな力を与えてくれたのだ。
しかし、その歓喜の輪の中で、私は一人、自らの杖を見つめながら深く唇を噛み締めていた。
どうしてもっと早く、これを付けなかったのだろう。
どうしてもっと早く、防御魔導の感覚を皆に伝授しようとしなかったのだろう。
私がもっと柔軟な発想を持ち、この術を惜しみなく共有していれば、少なくとも第三階層以降の戦いで、あんなにも多くの双胴竜が火だるまになって墜ちることはなかったし、多くの魔導砲戦車も救われたかもしれない。歩兵や戦車兵たちが、炎に焼かれたりゴブリンの集団に襲われて命を落とすこともなかったのではないか。
今さらながら、胸を掻き毟るような強烈な後悔が押し寄せてきた。
「フィッシャー軍曹。そんな顔をするな」
不意に、隣に立ったシュタイナー大尉が、私の肩にポンと手を置いた。
「過去を悔やんでも、死んだ者は戻らない。だが、お前が今日この術を皆に伝えたことで、明日以降の戦いで確実に救われる命がある。お前は軍に、かつてない『無敵の盾』をもたらしたのだ。胸を張れ」
「はっ! その通りです」
「もっとも、その胸がちょっと小さくて……おい、何をする!」
隊長の言葉に、私は少しだけ前を向くことができた。が、最後の言葉だけはちょっと聞き捨てならない。思わず私は、隊長の足を踏んだ。
なお、この日の特訓により、我が第二対竜戦闘隊でも新たな防御魔導の使い手が誕生した。
驚いたことに、その一人はファルケンベルク曹長だった。
「ふん。軍曹にできることが、俺にできないはずがないだろう」
彼は冷却機材の蒸気を立ち上らせながら、見事な青白い盾を展開し、不敵な笑みを浮かべてみせた。さらに、双胴竜の後席に乗る魔導士の中からも一人が、この魔導の会得に成功した。
残念ながらヴァーグナー曹長は魔力の波長を合わせるのが苦手なようで習得できなかったが、それでも我が第二対竜戦闘隊だけで、三人の防御魔導使いが揃ったことになる。
空戦において、敵のいかなる攻撃をも弾き返す盾を持つ機体が三機もいる。これは、戦術の幅を劇的に広げ、この先の戦いで大いに力を発揮することは間違いない。
数日のうちに、陸軍の魔導砲戦車隊や歩兵随伴の魔導士、そして空軍の各飛行隊を合わせ、総勢二十人以上の防御魔導使いが誕生することとなった。量産された水冷式魔導スリーブを身につけた彼らは「盾持ち(シールダー)」と呼ばれ、調査軍の新たな切り札として再編成された。
この革新的な戦力増強の報告は、直ちに第十一階層の仮設司令部にいるエーベルハルト大将の耳にも届けられた。
報告書を一読した大将の顔には、いつもの冷徹な表情の裏に、隠しきれない狂気と野心が燃え上がっていたという。
いかなる魔物の攻撃も通さない絶対の盾を手に入れた。もはや、この隕石孔の深淵で我々の歩みを止めるものは何もない。
「全軍に通達せよ。これより我が隕石孔調査軍は、第十二階層の先、深淵のさらに奥地へ向けて前進を再開する」
エーベルハルト大将の断固たる意志により、我々は再び、あの果てしない暗黒の底へと足を踏み入れることとなった。
だが、その先に何が待ち受けているのだろうか。この迷宮が用意した次なる試練が予想を上回るものであることを、この時の我々はまだ知る由もなかった。




