#19 巨大竜
あの休暇返上となった第三階層入り口での死闘から、丸一週間が経過していた。
第四階層に設けられた前線基地は、かつてないほどの静けさに包まれていた。だがそれは明らかに嵐の前の静けさというべき、不気味なまでの静寂だ。
そんな静寂の最中、私は飛行場の片隅で、整備兵たちが愛機「撃竜」に取り付いて作業するのを静かに見守っていた。
歴戦に次ぐ歴戦で、私同様、私の機体の方もはや満身創痍だ。過酷な機動と強烈な魔力放出の反動によって、留めていたリベットが何十個も弾け飛んでいた。一部、めくれあがっているジュラルミン板もある。エンジンカウルには無数の細かな傷が刻まれ、このままエンジンの出力を上げると分解してしまうことが判明する。大幅な修理が必要なことは誰の目にも明らかだった。
ということで、第二対竜戦闘隊の四機の撃竜と十三機の双胴竜はこの一週間の間に、整備班は不眠不休で修繕を行ってくれた。めくれた外板は叩き直され、真新しいリベットが打ち込まれた。それでも、完全に新品同様とはいかない。どこか継ぎ接ぎだらけの痛々しさが残っている。
「軍曹、なんとか飛べる状態にはしたぜ。だが、あんまり無茶な機動や、規格外の魔力放出は控えてくれよ。機体の骨組み(フレーム)がバラバラに吹き飛んじまうぜ」
「ありがとう。もちろん、善処はするけれど、戦場がそれを許してくれればいいんだけど」
工具を置いた整備兵長の言葉に、私は苦笑交じりに答えた。
機体だけではない。私自身の身体も、ようやく戦える状態に戻ったばかりだ。両腕を覆っていた分厚い包帯は外され、新しいピンク色の皮膚が痛々しく露出している。力を込めると、まだ少しチリチリとした火傷の痛みが走るが、操縦桿を握り、魔石に魔力を注ぎ込むこと自体に支障はなくなっていた。
この一週間、第五階層へ向けて先行した偵察隊からは、奇妙なほど「何も見つからない」という報告が連日届いていた。魔物の大群も、翼竜の姿もない。まるであの黒い濁流のような大群が嘘だったかのように、地下空洞は空っぽだった。
だが、軍司令部の誰もが、この静寂を信じていない。必ず、何か出てくる。苛立ちを露わにするエーベルハルト大将はレーマン大佐相手に、地図を前にして何かいるはずだと連日怒鳴り散らしている。
そして、その「静寂」が破られる時は、唐突に、そして最悪の形で訪れた。
『第五階層偵察隊より、緊急入電! 尋常ではない魔力の塊が、こちらへ急速接近中!』
通信兵の話によれば、その直後にノイズの向こうで、通信が途絶えたという。
基地全体に、けたたましい非常サイレンが鳴り響く。
「総員、直ちに出撃せよ! 第一、第二、第三対竜戦闘隊、全機発進!」
シュタイナー大尉の号令が飛行場に轟いた。私はヘルメットを被り、修理を終えたばかりの撃竜のコックピットに飛び乗った。エンジンが咆哮を上げ、機体が身震いする。
尋常ではない魔力の塊。それはつまり、大型の竜の存在を意味する。
だが、塊ということは、一匹しかいないというのか? 偵察機からの連絡が途絶えてしまった以上、それ以上の詳細は分からない。が、大群なら大群、そう答えるはずだ。塊とは、決して言わない。
そう表現せざるを得ない何かが、現れたということか。
これは推測だが、ブレスドラゴン級をも超える巨大な竜が現れた、ということか。嫌な予感しかしない。
我々、三つの航空隊を合わせた総勢六十機近い大編隊が、第四階層の暗闇の空へと舞い上がった。
薄暗い洞窟内を、これだけの数の機体が飛ぶ。前回の規模のブレスドラゴン級が現れても、わざわざ防御魔導を使わずとも太刀打ちできる。が、今度の敵は、どうか?
悪い予感を抱えながら、第五階層へと続く巨大な空間に進入した我々を待っていたのは、魔力探知機の異様な反応だ。
探知機の魔石表面には確かに、一つの大きな点が現れて見える。なるほど、塊とはよく言ったものだ。そして、前方に目を向ける。
そこにいたのは、まるで暗黒そのものが実体化したような、巨大で異形の存在だった。
『なんだ、あれは……!』
無線から誰かの絶望的な呟きが漏れる。私も、風防ガラスの向こうに見えるその姿に、息を呑んで操縦桿を握る手を震わせた。
デカい。あまりにも巨大すぎる。
これまで我々を苦しめてきた大型竜の「ブレスドラゴン級」でさえ、その足元にも及ばない。ざっと見積もっても、ブレスドラゴン級の五倍はあろうかという途方もない巨体。漆黒の分厚い鱗に覆われ、巨大な翼を広げて空中に浮遊するその姿は、魔物というよりは空飛ぶ山だ。
そして、その巨体から放たれる圧倒的な魔力のプレッシャー。私の機体の魔力探知機は、完全に振り切れたまま壊れたように甲高い警告音を鳴らし続けている。
『全機、一斉攻撃! あの巨体だ、撃てば当たる!』
第一対竜戦闘隊の隊長が叫び、先陣を切って突撃を仕掛けた。それに呼応して、数十機の戦闘機から無数の二十ミリ魔導砲が放たれる。極太の赤い光の雨が、黒い巨大翼竜に降り注ぐ。
バチバチッという乾いた音と共に、黒竜の表面に赤黒い波紋が広がり、我々の魔導砲はことごとく空中で弾け飛んだ。ブレスドラゴン級の防御障壁とは次元が違う。まるで分厚い鋼鉄の壁に小石を投げつけているような、圧倒的なまでの無力感。
直後、黒竜がゆっくりと、その巨大な顎を開いた。
喉の奥で圧縮されたのは、青白い光ではない。暗黒をさらに凝縮したような、赤黒く燃え盛る地獄の炎だった。
『撃ってくるぞ、壁際に回避ーっ!』
シュタイナー大尉の絶叫と同時だった。極太の炎の柱が、空間そのものを焼き尽くしながら薙ぎ払われた。
回避する隙などなかった。先陣を切っていた第一対竜戦闘隊の撃竜三機と、双胴竜五機が、悲鳴を上げる間もなくその途方もない炎に飲み込まれ、一瞬にして文字通り「消滅」した。
乱気流と凄まじい熱波が遅れて我々を襲い、機体が錐揉み状態になる。
『くそっ! 化け物め、あんなものどうやって倒せばいいんだ!』
ファルケンベルク曹長の怒号が無線越しに響く。通常攻撃が全く通じず、あんな範囲攻撃を連発されれば、全滅は時間の問題だ。
「隊長! フィッシャー軍曹、意見具申!」
私は機体の姿勢を立て直しながら、無電のスイッチを押し込んだ。
『なんだ、言え!』
「あの防御障壁を通常射撃で抜くのは不可能です! 私が防御魔導の盾を展開して、あれに突っ込みます! 盾の質量と反発力で、やつを岩壁に圧し潰します!」
『またあの無茶をやる気か! だが、お前一人の魔力であの巨体の障壁を破れるはずがない!』
「第二対竜戦闘隊の全魔導士から、私の盾に魔力を供給してください! すべての力を一点に集中させれば、あるいは突破できるかもしれません!」
私の提案に、無線越しに一瞬の沈黙が流れた。
三機の撃竜と、十三機の双胴竜に乗る魔導士たち。第二対竜戦闘隊の全魔力を私の一機に集める。少しでもタイミングや同調が狂えば、魔力の暴走で我々全員が吹き飛ぶ危険な賭けだ。
だが、隊長は決断する。
『それしか、突破する方法はないな……了解した、第二対竜戦闘隊、全機に告ぐ! フィッシャー機の後方に展開し、彼女の防御魔導展開後に、全機で魔力を注ぎ込め! 第一、第三部隊は我々の突撃を援護、敵の注意を逸らせ!』
急ごしらえだが、相手は一体。となれば、突撃あるのみだ。私はスロットルを限界まで押し込み、漆黒の巨竜の正面へと機首を向けた。
左手で魔石の杖を抜き放ち、前方に突き出す。両腕の治りかけの火傷の痕が早くも悲鳴を上げ始めたが、奥歯を噛み締めて痛みをねじ伏せた。
「我が魔導の光よ……相反する極光となりて、すべてを拒み、すべてを砕く盾となれっ!」
詠唱と共に、機首前方に青白い魔法陣が展開される。
その瞬間、私の背後から眩い光の奔流が殺到した。
『お前の魔導障壁にかけた。全機で支える、目一杯、突っ込め!』
ファルケンベルク曹長、ヴァーグナー曹長、そしてシュタイナー大尉の撃竜三機。さらにその後方から、十三機の双胴竜に乗る魔導士たちが、一斉に自らの魔力を私の魔法陣へと照射した。
ドドーンという雷に打たれたような衝撃とともに、私の展開した魔導障壁の魔法陣に魔力が注がれる。十七人分の魔力が青白く光る魔導障壁に流れ込み、機首の盾は直径数十メートルに及ぶ、太陽のように眩い巨大な光の円盤へと膨れ上がった。
「あああああああっ!!」
機体が、いや空間そのものがギシギシと軋む。私は叫びながら巨大な光の盾を押し立てて、炎を吐こうと口を開けた黒い巨大翼竜の胸元めがけて、一直線に突撃した。
そして、その巨大黒竜と激突する。
音すらも一瞬消え去るような、周囲の空気が歪むほどの衝撃だった。
私の展開した巨大な青白い魔法陣と、黒竜の纏う赤黒い魔導障壁が正面からぶつかり合った。
バリバリと空間に亀裂が走るような音が響き、凄まじい閃光が両者の間に迸る。
だが、これほどの防御魔導でありながら、あの黒竜の作り出した青白い障壁を貫けない。
これまでのブレスドラゴン級であれば、紙切れのようにすり潰せたはずの巨大な盾が、黒竜の圧倒的な魔力密度の前にして、完全に拮抗してしまった。
千二百馬力のエンジンが悲鳴を上げ、プロペラが空気を切り裂くが、機体は空中で完全に停止してしまった。
「くぅぅっ……!」
両腕が焼けるように熱い。重い。十七人分の魔力を束ね、最前線で制御し続ける負荷は、私の肉体の限界を遥かに超えている。
骨が軋み、背骨がへし折れそうなほどの圧力がのしかかる。
黒竜の赤黒い障壁が、じりじりと私の青白い魔法陣を押し返し始めていた。相手の巨大な顎の奥で、再びあの地獄の炎が圧縮されているのが至近距離で見える。
もはや、限界だった。
杖を握る左手の感覚が消失し、指の力がふっと抜けた。
バァンッと激しい音と共に火花が散り、私の左手から魔石の杖が力負けして弾かれた。
「しまった……!」
魔力の制御が失われ、巨大な魔法陣の向きが変わる。それは、斜め上に大きく傾いた。
くそっ、失敗した。このままではやられる。自らの最期を覚悟し、目を閉じた、その瞬間だった。
全く予想外の事態が発生した。斜めに傾いた防御魔導は、正面からぶつかってきた巨大黒竜の力を受け流した。
その結果、黒竜からの膨大な圧力が、私の盾の強烈な反発力で上方向へはじき返される。まさに黒竜は傾いた盾の斜面を滑るように弾き飛ばされた。
「ギァァァァァッ!」
黒竜が、初めて驚愕の咆哮を上げた。
強固な魔導障壁同士の反発が斜め上方向へと爆発し、黒竜のその山のような巨体が、凄まじい勢いで上空へと弾き飛ばされたのだ。
自らの力で勢いよく飛ばされた巨大黒竜は為す術もなく、そのまま第五階層の巨大な天井の岩盤に激突し、頭部から深く突き刺さった。
まさに炎を放とうとしていたためか、頭部周辺だけ魔導障壁が消えていたのだろう。その頭部はこの隕石孔の洞窟の分厚い岩盤に突き刺さり、長い首でブランコのように胴体が前のめりになり、腹から天井の岩盤にぶつかる。背中にある巨大な翼がもがき苦しむようにバタバタと虚しく、空気を掻いている。この時の物理衝撃から身を守るため、奴を覆っていた絶対的な青白い魔導障壁が弱まっているように見えた。
「り、離脱……!」
私は失速寸前の機体をどうにか立て直し、墜落すれすれのところで錐揉みしながらその場から離脱した。他の機体も同様だ、失速した機体を、地面ぎりぎりで回避する。何とか十七機、全てが上空に戻る。
その時だ。下層から地響きを立てて、駆け上がってくる一団が見えた。
◇◇◇
「なんだ、あれは!?」
陸軍、第五機甲大隊のミュラー大尉が叫ぶ。援軍として遅れて現れた数十両の魔導砲戦車隊の後方より追従する通常砲戦車隊の隊長が、第五階層の入り口に着くなり、異様な光景を目にしていた。
ミュラー大尉の視線の先には、天井に突き刺さって無防備な腹部を晒し、だらんとだらしなくぶら下がる巨大黒竜の姿があった。見たこともない大きな竜だが、何が起きたのか、これまた見たことのない姿を彼らの前にさらす。その時、彼はふと考える。
ワイバーン級を岩壁にぶつけると、魔力障壁が弱まる。それと同様に、おそらくはあの物理的に大質量の巨大竜が天井に激突し、奴の魔力障壁に綻びを生じさせているはずだ、と。
『全車、目標、天井の黒い巨大竜! 七十五ミリ徹甲弾、一斉射撃! てーーっ!!』
ミュラー大尉の怒号と共に、第五機甲大隊の戦車十両から、十門の戦車砲が一斉に火を噴く。
青白い魔導の光と、物理的な徹甲弾の雨が、下から上へと見事な集中砲火となって黒竜の巨体に吸い込まれていく。
次々と誘爆する徹甲弾だが、残念ながらあのワイバーンの時のようにはいかない。さすがに巨大魔力の塊だ。徹甲弾だけでは、らちが明かない。
「魔導砲戦車隊、直ちに一斉砲撃せよ! 今がチャンスだ!」
無線で、先行する魔導砲戦車隊に向かって叫ぶミュラー大尉。すると、無線から返事が返ってくる。
『こちら第三魔導砲戦車大隊の隊長、シュバルツ大尉だ! 言われんでも撃つ!』
「今なら、あの黒竜の魔導障壁が弱まっている! これを逃せば、七十ミリの魔導砲でも撃ち抜けなくなるぞ!」
そんな会話をしている間にも、その魔導砲戦車隊が空に向けて一斉砲撃を行う。
鼓膜を破るような爆発音が、この広い空間内をこだまする。それと共に、胴体を何は使撃ち抜かれたあの巨大黒竜が断末魔を上げた。
その絶叫が空間を震わせた直後、黒竜の巨体に大穴がいくつも開き、底から噴き出す血の雨が第五階層の広大な床へと降り注いだ。
さらにそこに、ミュラー大尉がさらなる砲撃を命じる。
「とどめを刺すぞ、全車、砲撃開始!」
まさにダメ押しのように、ミュラー大尉の放った七十五ミリ砲の徹甲弾が巨大竜の首根っこ目掛けて放たれる。すると、あの巨竜の首が引きちぎられ、その下の胴体がドーンと音を立てて、地面にたたきつけられた。
◇◇◇
私は旋回しながら、その異形の巨竜の最期を静かに見届けていた。猛烈な魔力のぶつかり合いをやらかした後の、実にあっけない最期に、拍子抜けする。
とんでもない敵だった。正面からのぶつかり合いでは、まるで歯が立たなかった。が、まさか防御魔導の盾を斜めにすることで、ああもあっさりと敵が弾き飛ばされるとは予想すらしていなかった。
そういえば、戦車の前面装甲は斜め四十五度とされている。被弾した際に、その弾を受け流すためだ。思えば最初から、敵の突進を斜めの「盾」で受け流せばよかったんじゃないだろうか。
そんな事を考えながら第四階層の前線基地に帰投した私は、魔力を使い切りよろめく足取りで撃竜から降り立った。
「おいおい軍曹! せっかく打ち直したばかりのリベットがまた何ヶ所も飛んでるじゃねえか! 勘弁してくれよ!」
駆け寄ってきた整備兵長が、ボロボロになった機体を見て頭を抱えながら怒鳴った。
「いや、あの、どうしようもなかったんです。今度の敵がとてつもなく強くて……」
私が力なく笑うと、整備兵長はため息をつき、そして少しだけ誇らしげな顔で私の肩を叩いた。
「んなこたぁ分かってるよ。未知のバケモノを相手に戦ったんだろ? しかしまあ、よく勝って生きて帰ってきてくれた。お前さんは俺たちの誇りだ」
「で、でも、とどめを刺したのは我々ではなくて、陸軍の戦車隊ですし」
「だが、その前にあの化け物を天井に突き刺しておかなきゃ、その戦車隊だって全滅していたかもしれないんだぞ。謙遜することは、ないさ」
周囲の整備兵たちや、帰還した他のパイロットたちからも、労いと称賛の拍手が送られる。私は照れくささに俯きながら、両腕の痛みを堪えた。
その後、司令部でのブリーフィングにより、あの黒い巨大翼竜は「リジガードラゴン級」と命名された。
ブレスドラゴン級の五倍の巨体と、圧倒的な魔導障壁、そしてすべてを消し去る地獄の炎。あんな化け物が、いや、あれすらも上回る翼竜が、まだこの隕石孔の奥に何体も潜んでいるのだろうか。
今回も、どうにか生き延びることはできた。だが、第一から第五階層まで進むにつれ、敵は明らかに強力に、そして凶悪に進化している。これは単なる自然の生態系ではない。
依然として底知れぬこの暗黒の洞窟の奥を見つめながら、私はため息を吐いた。
軍上層部が何を求め、我々をこの地獄へ送り込んでいるのかは分からない。だが、どんな化け物が現れようと、私は飛ぶしかない。
必ず生き延びよう。いずれ隊長、いや、ヘルマンとの約束を守るために。
私は包帯を巻き直した左手を強く握り締め、静かに、しかし強固な覚悟を胸に刻み込んだ。




