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5、親子


 会議室の扉が、静かに閉じられた。

 重厚な音が廊下に溶ける。 先ほどまで張り詰めていた空気が、嘘のように消えていた。

 外で待っていたリヒトが一歩前に出るが、ヴェルナーは手で制した。


「……少し、一人で歩きたい」

「ですが……」

「大丈夫だ。城内は歩き慣れている」

「はっ」


 短く応じ、リヒトは距離を取る。

 石造りの廊下を、足音だけが規則正しく響く。  見慣れないはずの王宮の景色は、不思議と印象に残らない。


 ――興味がないからだろう。


 そう結論づけたとき、


「……殿下」


 背後から声がかかった。

 振り返るまでもない。


「……父上」


  アルトリウス公爵こと父マティアスが、わずかに距離を保ったまま立っていた。足を止め、付近に誰もいないことを確認してヴェルナーは父と呼んだ。


「お時間、よろしいでしょうか」

「構いません」


 短い応答。

 マティアスは一歩だけ近づいたが、それ以上は踏み込まなかった。 その距離が、すべてを物語っている。


「……先ほどは」


 言葉を選ぶように、わずかに間が置かれる。


「改めて、謝罪を」

「不要です」


 被せるように、ヴェルナーは言った。


「すでに終わった話でしょう」


 視線を向けることなく続ける。


「それに、公爵家に引き取られたことについては、感謝しています。先ほど申し上げた通り、あれは本心です」


 淡々とした声音。 そこに嘘はない。

 だが。


「……それでも、です」


 食い下がるように、公爵は言った。


「あなたに負わせたものが、消えるわけではない。わが家で引き取り、アルトリウス公爵家の跡継ぎとしたものの、数年後生まれたユーレヒトの存在があなたの立場を弱くしていたことも事実」


 ヴェルナーは、わずかに目を細めた。

 珍しかった。この人が、ここまで言葉を重ねるのは。

 ユーレヒトは、ヴェルナーの四つ歳下の弟である。跡継ぎに恵まれなかったがためにヴェルナーを引き取ったが、その三年後に弟が生まれた。

 ヴェルナーは、公爵夫妻からは大事に育てられてきたという自覚がある。それでも、歴史あるアルトリウス公爵家を継ぎ、公爵夫妻が真に継がせたいと思っているのはユーレヒトだろうと思っていた。だからこそ、自分で生計が建てられるように魔法師になりたかった。


「……そうだとして、それは当然のことでしょう。何より私自身が、公爵家を継ぐのはユーレヒトだと思っていました。ユーレヒトは私から見ても可愛い弟でしたし、彼を当主としてゆくゆくは魔法師として支えていくくらいの気持ちでいましたから」

「それだけじゃない……」


 マティアスは呟くように言った。


「……わが子どもとしてあなたを愛していました。表舞台に出たくないのだろうと知ってからは、さまざまなものも退けてきました。それなのに……今回、あなたに与えられるはずの自由を奪ってしまった」


 その言葉に、ヴェルナーは初めて父へと視線を向けた。

 ――珍しい。この人が、ここまで明確に言葉にするのは。

 ほんのわずかに、呼吸がずれる。


「……奪われた、とは思っていません」


 静かに返す。


「私しかいないのですから、仕方のないことでしょう。貴族たるもの、国のために奉仕せよ──原初の誓約の一文にもあるでしょう」


 事実を並べるだけの声音だった。


「……それでも」


 マティアスは引かなかった。


「そうせざるを得なかった我々の責は、消えない」


 短い言葉。だが、それは言い訳ではなかった。

 ヴェルナーは、わずかに目を伏せる。

 どちらかといえば寡黙という言葉の似合う人だった。それでも、表では厳格に、家では温かみのある人だったように思う。


「……父上」


 呼びかける。

 ほんの一瞬だけ、間が落ちる。


「私は、不満がないわけではありません」


 正直に言う。


「魔法の研究に生きることができないことも……表舞台に立つことも……。本音を言えば、面倒だと思っています」


 小さく息を吐く。


「ですが」


 顔を上げる。


「それで父上を責めるつもりはありません」


 そう言い切ったとき、マティアスの目が、わずかに揺れた。


「私を引き取ったことも、育てたことも。……そして今、ここに立たせたこともすべて、父上達の選択でしょう。ですが父上がいるからこそ、私はまだ自暴自棄にならずにいられるのですよ」


 それは責めではなく、受容だった。


「巡り巡ってきた人生。こうなるとは思っていませんでしたが、置かれた場所から歩き出さないと景色は何も変わらない」


 静かな結論。廊下に、沈黙が落ちる。

 マティアスはしばらく何も言わなかった。言葉を探しているのか、それとも――飲み込んでいるのか。

 やがて、小さく息を吐く。


「……強くなったな」


 ぽつりと零れる。それは評価ではなく、どこか寂しさを含んだ言葉だった。


「本当は……そんなふうに強くなる必要など、なかったはずなのだがな」


 ヴェルナーは、わずかに目を細める。


「昔から、こうですよ」


 淡く返す。

 マティアスは、わずかに苦笑した。


「いや……違う」


 一歩だけ近づく。


「昔のお前は、もう少し……」


 言いかけて、言葉を止める。

 ――笑っていた。

 喉元まで出かかった言葉を、マティアスは飲み込んだ。


「……父上」


 静かに呼ぶ。


「十分です」


 短く。だが、それで伝わる。それ以上を求めていない、という意思。

 マティアスは、ゆっくりと頷いた。 


「……ああ」


 それ以上は踏み込まない。踏み込めないのではなく、踏み込まないと決めた距離だった。


「では、失礼します」


 ヴェルナーが先に告げる。


「ああ」  


 短い返答。背を向ける。

 数歩進んだところで、ヴェルナーは立ち止まる。


「父上……もう、表立ってそう呼ぶことは出来なくなるでしょうが、これまで本当にありがとうございました」


 ヴェルナーは頭を下げた。王族としてであれば臣下となる者に頭を下げることは許されないことなのだが、今はそうするべきだと思った。


「母上とユーレヒト、屋敷の者達にもよろしく伝えてください。本当……こんなことになるのであれば、母上のお言葉どおり、もっと家に帰るべきでした」

「……伝えよう、必ず」


 すると、マティアスはヴェルナーの近くまで歩くと片膝をついて頭を垂れた。


「我がアルトリウス公爵家一同、殿下と王家に忠誠を誓います。──何かあれば、必ず頼れ。私はもちろん、ユーレヒトは必ず力になるだろう」


 命令でも、義務でもない。ただの言葉。それでも胸の奥がじんわりと温まっていくのを感じた。

 ヴェルナーは、わずかに目を伏せる。


「……覚えておきます。本当にありがとうございました」


 それだけ返し、再び歩き出す。時間的にも許されたのはここまでだろう。


 足音が遠ざかる。

 残されたマティアスは、しばらくその背を見送っていた。

 思わず伸ばしかけた手を、静かに下ろしながら。

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