第二話 帰ってくる約束 大改訂版
第二話 帰ってくる約束
若者というものは、出発する前から、ずいぶん遠くまで行ってしまうものだ。
身体はまだ故郷にあるというのに、心のほうは、とうに海を越え、山を越え、見知らぬ都の門をくぐっている。
阿倍仲麻呂も、その例外ではなかった。
彼の頭の中では、すでに長安の書物が何冊も開かれていた。日本では読めない書物。日本では聞いたこともない学説。日本では、まだ誰も知らない知識。
それらが、海の向こうで彼を待っている。
もっとも、八世紀の唐に、彼が夢見るような書物がどれほどあったのか。それは行ってみなければわからない。
だが、そんなことは仲麻呂には関係なかった。
知らないのだから、見に行く。
まことに単純で、まことに厄介な理屈である。
私は杯を傾けた。
若者というのは、どうしてこう、危険よりも未知のほうに心を奪われるのだろう。
さて。
出発を前にした仲麻呂は、持っていく書物のことを考えていた。
何を持っていくべきか。
何を置いていくべきか。
限られた荷物に、どれだけの知識を詰め込めるのか。
まるで、これから渡る海よりも、荷造りのほうが重大な問題であるかのようだった。
「そんなに本を持っていくつもりですか」
母親が尋ねた。
仲麻呂は、手元の書物から顔を上げた。
「できるだけ持っていきたいのです」
「でも、荷物には限りがあるのでしょう?」
「ええ。だから、どれを持っていくか考えています」
母親は、息子のそばに置かれた書物を見た。
この子は、幼いころから本が好きだった。
いや、実際にどんな幼少時代を過ごしたのか、細かなことはわからない。これは、母親というものを考えたとき、私の頭に浮かぶ光景である。
息子が何かを知りたがる。
答えを聞いても、また次の疑問が生まれる。
一つわかれば、二つわからないことが増える。
そんな子が、今度は海を渡るという。
母親は、息子の好奇心を知らないわけではない。
唐へ行けば、もっと多くのことを学べるのだろう。自分の知らない世界を見て、今まで知らなかったことを知るのだろう。
それが息子にとって、どれほど大切なことなのかも、きっと感じている。
だからこそ、簡単に「行ってはいけません」とは言えない。
けれども。
「着るものは、足りているのですか」
母親は尋ねた。
仲麻呂は、少し考えた。
「足りていると思います」
「本当に?」
「……もう一度、確かめます」
私は杯を置いた。
長安の学問についてなら、仲麻呂はいくらでも話せただろう。
だが、衣服の数を問われると、どうにも旗色が悪い。
若者というのは、遠い国のことには詳しくても、自分の身の回りのことには案外うといものだ。
母親は、息子の旅支度を確かめた。
衣服はあるか。
必要な品はそろっているか。
忘れ物はないか。
母親にとっては、どれも大切なことだった。
息子が唐で何を学ぶのか。どんな人に出会うのか。どんな立派な人物になるのか。
もちろん、それも気になっただろう。
だが、今、目の前にいる息子については、もっと具体的な心配があった。
船の上で、きちんと食べられるだろうか。
病気になったら、どうするのだろう。
海が荒れたら。
船が予定どおりに進まなかったら。
そして、無事に唐へ着いたとして、いつ帰ってこられるのだろう。
母親は、海の向こうの都を見たことがない。
そこにどんな書物があるのかも、どんな人々が暮らしているのかも、息子ほどには想像できなかったかもしれない。
けれど、息子がいなくなったあとの家の静けさなら、想像できたはずだ。
いつもそこにいる人が、いなくなる。
それだけのことが、暮らしを変えてしまう。
「向こうでは、どんなことを学ぶつもりなのですか」
母親が尋ねた。
仲麻呂の顔が明るくなった。
「唐には、こちらにはない書物がたくさんあるはずです。学問も、制度も、知らないことばかりでしょう。できるだけ多くのことを学びたいと思っています」
母親は、うなずいた。
「そうですか」
それだけだった。
息子が何を学びたいのか、すべてを理解できたわけではないかもしれない。
けれど、息子がそれを本気で望んでいることは、伝わった。
私は、こういう返事が好きだ。
人間は、相手の夢を完全に理解できなくても、その夢が大切なものだとわかることがある。
母親は、息子の夢を奪いたくなかった。
しかし、旅立つ息子を誇らしく思うことと、無事を願うことは、別々の気持ちではない。
どちらも、同じ息子に向けられている。
そして、その二つの気持ちは、ときに胸の中でぶつかる。
行かせてやりたい。
行かないでほしい。
この二つは、必ずしも矛盾しない。
親というものは、なかなか面倒な立場なのである。
私は杯を持ち上げた。
さて、ここで一つ、私たちが忘れてはならないことがある。
仲麻呂の母親が、実際にどんな言葉を口にしたのか。それを伝える記録は、残っていない。
だから、ここから先も、小説としての想像である。
だが、息子を遠い国へ送り出す母親が、帰りを願わなかったとは、私には考えにくい。
「必ず、帰ってきます」
仲麻呂は、そう約束した。
母親は、息子を見つめた。
「ええ。待っていますからね」
その言葉を、仲麻呂はどんなふうに受け止めただろう。
きっと、帰ってくるつもりだった。
唐で学び、さまざまなものを見て、やがて日本へ戻る。
そのときには、今よりずっと多くのことを知っているはずだ。
故郷に帰って、学んだことを伝える。
それは、青年にとって自然な未来だったのかもしれない。
母親もまた、その未来を思い描いたのだろう。
息子が帰ってくる。
背が伸びたように見えるかもしれない。話す言葉が変わっているかもしれない。唐での暮らしを、聞いたこともない話を、たくさん聞かせてくれるかもしれない。
母親は、それを聞きたい。
それだけでよかったのかもしれない。
私は、杯を置いた。
旅立つ者は、未来を見ている。
送り出す者は、未来を見ながら、同時に今の別れを見ている。
同じ約束を交わしていても、二人が見ているものは、少し違うのだ。
仲麻呂は、書物を整理し、持っていくものを選んだ。
読み慣れた書物を手放すのは惜しい。
だが、唐へ行けば、これまで知らなかった書物に出会えるかもしれない。
そう考えると、手放すことにも意味が生まれる。
知識を求める者にとって、旅とは、何かを持っていくことだけではない。これまでの自分が知らなかった世界に、自分の場所を空けておくことでもある。
もっとも、出発前の仲麻呂が、そこまで考えていたかどうかは知らない。
彼はただ、早く唐へ行きたかったのだろう。
その気持ちを、私は笑うつもりはない。
未知の世界に胸を躍らせることができるのは、若さの特権である。そして、その特権を持つ者は、ときに大人たちがとうに諦めた場所へ、平然と歩いていく。
さて。
いよいよ出発の日が近づいてきた。
母親は、息子の旅支度をもう一度確かめる。
足りないものはないか。
忘れたものはないか。
尋ねたいことは、きっと、ほかにもあっただろう。
けれど、何を聞いても、最後には同じ願いに行き着く。
無事でいてほしい。
そして、帰ってきてほしい。
私は、空になった杯を眺めた。
若者よ。
本を持てるだけ持っていくがいい。
知らないことを、知りにいくがいい。
ただし、海だけは、書物のようにおとなしくしていてはくれないぞ。
……まあ、そんな忠告をしたところで、聞くような青年なら、そもそも海を渡ろうとは思わなかっただろうが。
仲麻呂は、旅立つ。
母親は、息子を送り出す。
そして、二人とも、まだ知らない。
この約束が、どれほど長い時間の向こうへ持ち越されることになるのかを。
私は、もう一度杯を持ち上げた。
若者の冒険には、出発の瞬間が必要だ。
だが、その冒険を待ち続ける人にも、物語があるのである。




