十七 別れと、別れが別れになるまで
煙子が選んでいた。
ヤスフはそれを見ていた。見ていることしかできなかった。この子供が何を選ぶかは、この子供が決めることだった。アレクサンドリアを出た夜から、ずっとそうだった。ヤスフは連れてきたのではなかった。ついてきた。煙子が東へ向かうのに、ついてきた。それだけだった。
煙子はマンスールを見た。
それからヤスフを見た。
それからザイナブを見た。老人を見た。ハジブを見た。一人ずつ、丁寧に見た。記録する目だった。この旅で何度もそうしたように、大事なものを記録するときの目だった。
それから何かを言った。
マンスールが通訳した。今度はアラビア語で通訳した。全員に向けた言葉だったから、全員が分かる言葉で訳した。
「ありがとうと言っている」マンスールは言った。「もう一度、今度は全員に向けて」
ヤスフは何も言えなかった。
ザイナブも言えなかった。老人は何かを言いかけて、やめた。ハジブは動かなかった。
煙子はまたヤスフを見た。今度だけを見た。何かを言った。マンスールが訳した。
「一人で泣いているときに、隣にいてくれた。それを覚えている、と言っている」
ヤスフは煙子を見た。
六日目の昼の話だった。インド洋に出てまだ間もない頃で、煙子が積荷の陰に隠れて泣いていた。ヤスフは隣に座って、何もしなかった。声もかけなかった。ただそこにいた。それだけのことを、この子供は覚えていた。
「覚えていなくていい」とヤスフは言った。声が少し変な出方をした。おかしいと思ったが直せなかった。
マンスールが訳した。
煙子は首を横に振った。
覚えていると言っていた。覚えていると言い張っていた。首の横の振り方が、子供の意地の振り方だった。この旅で何度か見た振り方だった。辛い食事を水なしで食べきろうとしたときの意地と、同じ質の意地だった。
ヤスフは笑いそうになった。
こらえた。こらえたが顔に出た。煙子もそれを見て少し笑った。この旅で何度もそうなった。ヤスフが笑いをこらえて失敗すると、煙子が釣られた。それが最後になった。
煙子はマンスールの方を向いた。
行く準備ができたという向き方だった。マンスールは立ち上がった。護衛たちが動いた。船の準備を始めた。
ヤスフは煙子に近づいた。
しゃがんだ。煙子と目線の高さを合わせた。マンスールがさっきそうしたように。煙子は少し驚いた顔をした。
ヤスフは何かを言おうとした。
言葉がなかった。言いたいことはあった。しかし言葉の形にならなかった。言葉にすると崩れる種類のことがある、と以前に思ったことがあった。今がそれだった。
煙子は待っていた。言葉が来なくても待っていた。
ヤスフはやがて、煙子の頭に手を置いた。
それだけだった。何秒かそうしていた。煙子は動かなかった。目を閉じなかった。ただヤスフを見ていた。その目がまた記録していた。
ヤスフは手を離した。立ち上がった。
煙子は一度だけ頷いた。
それからマンスールの船に向かって歩き始めた。小さな背中だった。最初からそうだった。アレクサンドリアの廃屋で毛布にくるまっていた背中も、霧の中で船首に立っていた背中も、嵐の中でマストにしがみついていた背中も、砂浜の積み石の前でかがんでいた背中も、全部小さかった。
しかし今歩いている背中は、今まで見た中で一番小さく、そして一番まっすぐだった。
船に乗り込む前に、一度だけ振り返った。
手を上げた。
コーリカットで商人の子供たちに別れを告げたときと同じ動作だった。あのとき煙子は船から手を上げた。今は逆だった。岸から手を上げていた。
ヤスフは手を上げた。ザイナブも上げた。老人も上げた。ハジブは上げなかったが、少しだけ頭を下げた。ハジブが頭を下げるのを、ヤスフは初めて見た。
煙子は船に乗り込んだ。
マンスールの船が動き始めた。桟橋を離れ、ゆっくりと向きを変え、沖へ出た。帆が上がった。風を受けた。船が加速した。
ヤスフは見ていた。
船が小さくなっていった。甲板に煙子の姿が見えた。船首に立っていた。この旅でずっとそうしていたように、前を向いて立っていた。しかし今回は後ろを向いていた。こちらを見ていた。
見えなくなるまで、見ていた。
やがて船が水平線に近づいた。煙子の姿が見えなくなった。船だけが見えた。それも小さくなった。帆の白が、空の青に溶けていった。
水平線に、何もなくなった。
桟橋に四人が残った。
風が来た。王国の風だった。誰もいない街の風だった。後ろで鳥が鳴いた。いつかの鳥と同じ声かどうかは分からなかった。
カマルッディン老人が座った。桟橋の端に腰を下ろして、足を投げ出した。
「帰りの話をしよう」と老人は言った。「足が痛い。もうこれ以上歩きたくない」
「帰りの海図はあるか」とヤスフは聞いた。
「ある。来た道を戻ればいい。海図に載っていない場所は通らなくていい」
「追手は」
「一艘になった」ハジブは言った。「もう一艘がどこにいるかは分からん。しかし急げば問題ない」
「急ぐか」とザイナブは言った。
「急ぐ必要もない」ヤスフは言った。
ザイナブは少し考えた。「そうだな」
急ぐ理由が、今はなかった。来るときはあった。追われていたから、間に合わせなければならないことがあったから、急いでいた。帰りは違った。届けるべきものはもう届いた。待っている者もいなかった。急がなくていい旅というのが、ヤスフには久しぶりだった。
しばらく四人は桟橋にいた。
海を見ていた。誰も何も言わなかった。言う必要がなかった。この四人がこうして同じ場所に座って黙っていることが、今は自然だった。アレクサンドリアの廃屋で初めて四人が揃った夜には、こんな時間が来るとは思っていなかった。
ヤスフはこの旅のことを考えた。
何のために来たのかと言われれば、煙子を帰すためだと言える。しかしそれは途中から分かったことで、最初は分からなかった。夜明け前の沖に煙が立ち上っていたから漕ぎ出した。それだけだった。煙があったから行った。行ったら子供がいた。子供がいたからついてきた。それだけのことだった。
それだけのことが、ここまで来た。
老人が立ち上がった。膝を両手で叩いた。
「行こう」と老人は言った。「風が良いうちに出た方がいい」
ヤスフは立ち上がった。
街を振り返った。
誰もいない街だった。扉が閉じていた。窓が閉じていた。しかし廃墟ではなかった。生活の気配が残っていた。洗濯物がまだ干されていた。三年前に干されたまま、まだそこにあった。
いつかここに人が戻るかどうかは、ヤスフには分からなかった。煙子が何かをしようとしているのかも、マンスールを遣わした者が何を考えているのかも、分からなかった。分からないことの方が、この旅ではずっと多かった。
分からないまま、船に乗った。
縄を解いた。棹で桟橋を押した。船が動いた。
帆を上げた。風を受けた。加速した。
ヤスフは一度だけ振り返った。
王国が遠ざかっていった。緑の濃い陸地が、白い桟橋が、閉じた扉と窓が、小さくなっていった。鳥の声がしばらく聞こえていた。それも聞こえなくなった。
水平線に、陸地が消えた。
前を向いた。
西の水平線があった。来た方向の水平線だった。帰る方向だった。知っている海があった。知っている星があった。知っている街が、その先にあった。
しかし今のヤスフには、それが少し前と違って見えた。
同じ水平線だった。同じ海だった。しかし見ている自分が、少し違っていた。何が違うかを言葉にしようとした。できなかった。できないまま、先を見た。
風が来た。
今度は東から来た。
背中を押す風だった。
レビュー、評価、感想をしてくだされば嬉しいです!!!!!




