十三 夜明けと、夜明けに見えたもの
投稿する順番を間違えました(´;ω;`)
修正しておきます。
追手が海峡を抜けてきたのは、夜明けから半刻後だった。
ヤスフが最初に気づいた。後ろの水平線に、小さな帆が見えた。一枚ではなかった。二枚あった。二艘の船が、並んで来ていた。速かった。ハジブが言った通りの速さだった。風をうまく使っている。操っている人間が、海を知っている速さだった。
「来た」とヤスフは言った。
ザイナブが後ろを見た。それから前を見た。前にも後ろにも、水平線しかなかった。逃げる先が、今は見えていなかった。
「距離は」
「今のままなら昼前に追いつかれる」とハジブは言った。
「今のままではなくするには」
誰も答えなかった。答えが簡単に出ないから答えなかった。この四人はそういう集まりだった。分からないことを分かると言わなかった。できないことをできると言わなかった。それがこの船の、言葉にされたことのない規律だった。
カマルッディン老人が起き上がった。
海図ではなく、空を見た。それから海を見た。水の色を見た。手を水面に近づけて、何かを確かめた。ヤスフには何を確かめているか分からなかった。老人にしか分からないことを確かめていた。
「南に行け」と老人は言った。
「南は遠回りだ」
「遠回りだが、追手には分からない流れがある」老人は海図を広げた。「ここからここへ向かう流れだ。速い。帆を使わなくても流れで運ばれる。この流れを知っている者は少ない」
「あんたは知っている」
「私が書いた海図には書いていない」老人は言った。「書かなかった。なぜか分からん。ただ書かなかった。結果的に良かった」
ヤスフはハジブを見た。ハジブは老人を見ていた。判断を求めているのではなかった。老人を測っていた。信じられるかどうかを測っていた。しばらくして、ハジブは舵を南に切った。それが答えだった。
南へ向かうと、風が変わった。
横から来る風になった。帆の向きを変えた。速度が落ちた。ヤスフには遠回りをしながら遅くなっているように感じられた。後ろの二枚の帆が、少しずつ大きくなっていた。近づいていた。
「まだか」とヤスフは老人に言った。
「もう少しだ」
「もう少しをもう少し具体的に言え」
「もう少しだ」老人は繰り返した。具体的にする気がないのではなく、具体的に言えないのだと思った。海というのはそういうものだとヤスフは知っていた。数字で測れない感覚がある。その感覚を信じる以外に方法がない瞬間がある。
煙子が老人の隣に来た。
板を老人に向けた。老人は板を見た。それから海を見た。また板を見た。何かが老人の顔で動いた。驚きではなく、確認の動き方だった。
「この子供は」と老人はヤスフに言った。「この流れを知っている」
「板に書いてあるのか」
「書いてある」老人は板の一点を指した。「ここに。この流れのことが」
ヤスフは板を見た。読めなかった。しかし老人の指が示す場所に、他より深く刻まれた文字があることは分かった。何度も、大事なこととして刻まれたような深さだった。
「一族が使っていた流れだ」とハジブが言った。後ろを向いたまま言った。「だから追手には分からない」
「あんたには分かっていたのか」
ハジブは答えなかった。
そのとき、船が変わった。
速度が変わった。帆が変わっていないのに、船が加速した。水の音が変わった。滑るような音になった。何かに乗ったような感覚だった。川に入ったような、しかし川ではない、海の中の流れだった。
「これだ」と老人は静かに言った。
船が流れた。
方向を変えようとするのではなく、流れに任せた。ザイナブが舵を軽く保った。抵抗しなかった。流れが船を運んだ。帆は半分畳んでも、速度は落ちなかった。むしろ上がった。水が船底を撫でる音が、気持ちよかった。
後ろの二枚の帆を見た。
大きくなるのが止まっていた。距離が縮まらなくなっていた。追手は流れの外にいた。流れの中にいる船に、流れを知らない船は追いつけなかった。
煙子が船首に立って、前を見ていた。
その背中に、朝の光が当たっていた。斜めの光で、煙子の影が船尾の方に長く伸びていた。板を胸に抱えたまま、前だけを見ていた。その姿が、ヤスフには何かに似ていると思った。しばらく考えて、分かった。船首に立つ人間の姿だった。操っているのではなく、示している人間の姿だった。この先に何があるかを知っていて、それを示しながら立っている。
昼になった。
追手の帆が、小さくなっていた。離れていた。流れが二艘の間に距離を作っていた。ヤスフは少し息を吐いた。吐いてから、吐きすぎないようにした。まだ終わっていなかった。
食事をした。
老人が乾燥した豆を水で戻した。コーリカットで補給した豆で、まだ十分あった。煙子は受け取って、今度は慣れた様子で食べた。辛くない味付けだったから、目が潤むこともなかった。食べながら、板を膝に置いて見ていた。
「何を読んでいる」とヤスフは聞いた。
煙子はヤスフを見た。それからザイナブを見た。
ザイナブが通訳した。「もうすぐだと言っている。明日か、明後日か。そのくらいだと」
「王国の場所が、板に書いてあるのか」
ザイナブが聞いた。煙子が答えた。
「場所ではない」ザイナブは言った。「たどり方が書いてある。この流れを使えとか、この星を目印にしろとか。地図ではなく、道順だ」
ヤスフはそれを聞いて、板のことをまた考えた。
地図ではなく道順。場所ではなくたどり方。この板は、知っている者にしか使えないものだった。流れの名前が分かっていなければ、星の名前が分かっていなければ、読んでも意味をなさない。煙子の一族の言葉を知っていなければ、そもそも読めない。何重にも、特定の誰かのためだけに作られていた。
その誰かとは、煙子だった。
この板は、煙子のために作られていた。煙子が一人でも帰れるように。煙子が、どこからでも帰れるように。
ヤスフはそれを口にしなかった。
煙子は既に知っているだろうと思ったから。あるいは、知っていても知りたくない部分があるかもしれないと思ったから。どちらにしても、ヤスフが言う言葉ではなかった。
午後の半ば、流れが緩くなってきた。
老人が言った。「流れの端に来た。ここからは帆を使う」
帆を広げた。風は相変わらず東寄りで、良かった。速度は流れの中ほどよりは落ちたが、十分だった。後ろを見ると、追手の帆はもう見えなかった。水平線に何もなかった。
消えたわけではないと、ヤスフは思った。
ただ見えなくなっただけだった。
夕方になった。
空が橙色になり、水平線が燃えるような色になった。その色の中に、煙子が立っていた。船首に立って、燃える水平線を見ていた。板を抱えていなかった。珍しかった。手を下ろして、ただ立っていた。
ヤスフは煙子の隣に行った。
二人で水平線を見た。
「怖いか」とヤスフは聞いた。以前にも同じことを聞いた。霧の中でアレクサンドリアを出るときに聞いた。あのとき煙子は断言の音で答えた。今回は違った。
煙子はしばらく黙っていた。
それから何かを言った。
ザイナブが後ろにいた。通訳した。
「怖い、と言っている」ザイナブは言った。「でも行く、とも言っている」
「怖くても行くのか、と聞いてくれ」
ザイナブが聞いた。煙子が答えた。
ザイナブは少し間を置いた。
「怖いから行く、と言っている」
ヤスフはそれを聞いて、しばらく黙った。
水平線が暗くなっていった。橙が赤になり、赤が紫になり、紫が夜になった。星が出た。東を指す星が、今夜も明るかった。
煙子がその星を指差した。
ヤスフは頷いた。
言葉はそれだけで十分だった。
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