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もどった

 七月の放課後、音楽室の窓を開けると、セミの声が急に大きくなった。

 風はあまり入ってこない。私は窓の前から戻り、ピアノの椅子に座った。

 藤井くんは、借りてきた本を机に置いて、額の汗を拭いていた。

「閉めたら暑いし、開けたらすごいね」

「セミ?」

「うん。夏休みになると、もっと増えるのかな」


「北米にはさ、十三年とか、十七年に一度、いっぺんに出てくる種類がいるんだって」

「十三年? 私たちのこれまでの人生と同じくらいってこと?」

「うん。その間、土の中にいる。十七年のといっぺんに出てくると、すごい数になるらしい」

 私は窓のほうを見た。

 今の声だけでも十分すごいのに、その年は、窓を開けたらどうなるんだろう。

「十三年のと、十七年のが、同じ年に出ることあるの?」

「あるよ。違う間隔でも、またそろうんだ。やってみる?」


 藤井くんはピアノを見てから、こちらを見た。

「俺、手をたたく。宮野はピアノで」

「あ、二人で?」

「うん。短いやつで」

 私は鍵盤に右手を置いた。

「何弾けばいい?」

「三つの音を、同じ速さでずっと繰り返して。俺は五拍ごとに、一回たたく」

 ド、ミ、ソ、と弾いてみた。

 藤井くんが、その速さで小さく数え始める。私は何度か同じ並びを弾いてから、手を止めた。

「最初は一緒にしよう」

「うん」

「いくよ。せーの」

 最初のドと、ぱん、という音が一緒に鳴った。

 ミ、ソと弾いてドへ戻ると、もう手拍子が鳴った。

「早くない?」

「つられた。もう一回」

 私は笑って、最初を合わせ直した。今度の手拍子はソに、次はミに重なった。

 ぱん。

 今度は、ドと一緒だった。

「もどった」

 思わず言うと、藤井くんは笑った。

「そりゃ戻るよ。宮野、さては数学は苦手だな」

「苦手ってほどじゃないよ。だけど頭で分かっても、やってみないとピンと来ないことってあるもん。藤井くんだって、さっきつられてたじゃない」

「ま、そりゃそうだな。それで? ピンと来たか」


 私は、もう一度三つの音を弾いた。

 藤井くんは手を下ろしていたので、今度はピアノだけだった。

 その上に、さっきの手拍子を思い出す。ソのところ、ミのところ、それからド。


 最初へ戻るまでに、ぜんぶ違うところを通ってきた。


「うん。すごい……ピンと、来たよ! これなら、表現できるかも!」

 藤井くんが少し目を丸くした。

「何を?」

「あの曲。流れ星の夜の」

 私は鞄から五線ノートを出した。何度も止まっていたページを開く。

 そこまでは、あの夜のことを音符にしてある。そのあとに何を弾けばいいのか、昨日も分からなかった。

 私は左手でさっきの三つの音を繰り返し、右手で冒頭のフレーズを重ねた。右のフレーズを左より少し長くすると、繰り返すごとに重なる音が変わっていく。やがて、両手が一緒に最初の音を弾いた。

 私はそこで手を離した。

「今の、よかったよ」


 私はうなずいた。もう一度弾きたくなった。

 今度は左手の音を一つ替えてみた。右手の旋律は、そのままにする。

 最初のところへ戻ったとき、さっきより少しやわらかく聞こえた。

「今、左手を一個変えた?」

「うん。まだ、どっちがいいか分かんないけど」

 ノートの横に、もう一つの音も小さく書いておく。どちらも、家でもう一度弾いてみたかった。

「最初のところへ戻っても、そこまでに違う音を聞いてるでしょ」

「うん。いろいろあって、また同じところに帰ってくる感じがする」

「……先へ行ってから、また会える感じ。こうすればできるかもしれない!」


 私は鍵盤に指を置いたまま、少し考えた。

「同じ日は一日もないのに、一年後の今日が、またやってくる」

 藤井くんは、開いたノートと私の顔を、順番に見た。

「それ、またみんなで見たいって言ってたところ?」

「うん」

 お父さんが、あっ、と言って、みんなで上を向いた夜。

 次に見に行ったら、きっと違うことを喋る。見つける星も違う。それでも、またみんなで並んで、空を見られたらいい。

「その、また見たいなってところまで、作れそうな気がしてきた」

 藤井くんの口元が、ゆっくり上がった。

「宮野、さっきからすごく楽しそうだな」

「うん。うれしいんだもん」

 私は笑って、ノートを少し手前に寄せた。

「藤井くんの話のおかげだね。帰ってからも、いろいろ試す」

「うん」


 藤井くんは椅子に座り直し、膝の上で両手を重ねた。

「俺さ、あの約束、すげー楽しみにしてるんだ」

 私は顔を上げた。

 藤井くんも、こちらを見ていた。


「うん。私も、聴いてほしい」

 そのまま言えたのが、うれしかった。

 もう少し先までできたら、ここで弾こう。最初から、ちゃんと最後まで。


 壁の時計を見ると、鍵を返すまで、まだ十分ほどあった。

「もう一回。今度は、もう少し先まで」

「うん。聴いてる」

 左手の三つの音を始め、その上に、右手の旋律を置いた。

 さっき止まったところまで来る。

 私は、その次の音を探して指を動かした。

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