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その一行は、今日で終わりです

 夜の兵営は、昼よりも広く見えた。


 北門の上の見張り台、兵舎の角の物見、厩の裏の柵、城壁沿いの篝火。騎士団の夜番の持ち場は、兵営じゅうに散らばっている。本来は中隊ごとに回すものだ。


 俺は角灯を下げて、一つずつ回った。


 どの持ち場にも、灰色の外套の女騎士が立っていた。


 本隊の持ち場であるはずの北門の見張り台にも、本隊の兵舎の物見にも、第九中隊の誰かがいる。本隊の騎士は一人もいない。


「監察使のセオドリクです。少し、話を聞かせてください」


 最初に声をかけた女騎士は、槍を握り直して身構えた。昼の回廊で手を挙げた一人だ。


「先に言っておきます。私に答えたことで、あなたが罰せられることはありません。誓約の勅に、そう書いてあります。団長でも、それはできません」


 前世で、聴き取りの最初には必ずこれを言った。言わないと、誰も本当のことを話さない。


 女騎士は少し迷ってから、ぽつぽつと話した。今夜で何晩続けて立っているか。本隊の持ち場に回されるようになったのはいつからか。朝は訓練に出ているか。俺は帳面に、持ち場と名前と答えを書き留めていく。


 次の持ち場でも、その次でも、同じことを聞いた。答えは少しずつ違って、全体ではきれいに一つの形になった。第九中隊は、本隊の持ち場まで含めて、毎晩ほとんど全員で夜番に立っている。夜が明ければ、そのまま朝の訓練に出る。昼の巡回の合間に、詰め所で少し横になるだけだ。


 厩の裏の柵には、そばかすの若い女騎士が立っていた。ネーレという魔術兵で、火の加護を持っているという。


「火を出せと言われたら、出せますか」


「……出せますけど」


 ネーレが掌を上に向けた。ぽっと灯った火は、角灯の炎と同じくらいの大きさだった。


「本当は、もっと大きいんです。眠いと、出ないんです」


 ネーレは恥ずかしそうに火を消した。


  ◇


 一番遠い持ち場は、城壁の北の角の物見だった。篝火も届かない、石段を上った先の狭い台だ。


 そこに、ヴェレーナ隊長が一人で立っていた。


 持ち場を回って聞いた割り振りでは、この物見は若い騎士の番のはずだった。隊長は自分の持ち場を済ませて、そのままここへ来たのだ。


「……殿下」


「こんばんは、アーレンス隊長」


「なぜ、このような場所に」


「立ち入りです。夜番を見に来ました」


 隊長は何か言おうとして、やめた。昼に「おやめください」と頭を下げた相手が、夜の物見まで上がってきたのだ。言うことが見つからないのだろう。


 俺は隊長の隣に並んで立った。


「交代します」


「殿下が、見張りを?」


「角灯を持って立っているくらいなら、私にもできます。何か来たら、大声を出します」


「そういうわけには」


「あなたは、ここに立つ番ではないはずです」


 隊長が黙った。


 しばらく二人で、城壁の外の暗い野を見ていた。風が冷たい。秋の夜だ。


 隊長は石の壁に背を預けた。立ったまま、背筋は伸びたままだった。俺が何か話しかけようとして横を見ると、彼女の目はもう閉じていた。肩が、規則正しく上下している。


 壁にもたれて、眠っていた。


 俺は外套を脱いで、彼女の肩に掛けた。それから角灯を足元に置いて、夜明けまで立っていた。


 自分が眠るのは、前世から下手だ。


  ◇


 夜明けの鐘で、隊長は飛び起きた。肩の外套を見て、俺を見て、顔色を変えた。何か言う前に、兵営の中から呼び笛が鳴った。


「第九中隊、訓練場へ集まれ!」


 訓練場には、もう団長が来ていた。ほかの中隊も、本隊も、朝の訓練に並んでいる。第九中隊が夜番の持ち場から一人、また一人と走ってくる。昨日の昼から詰め所で眠っていたはずのミーケまで、おさげを揺らして列に入った。


「第九。甲冑のまま、訓練場を二十周」


 団長の声が、朝の空気に響いた。


「夜番明けで足が鈍っておるようでは、騎士とは言えん」


 夜番明けで足が鈍るから、規則は翌朝の訓練を免じているのだ。


 第九中隊が走り出す。何周もしないうちにミーケがよろめき、隣の騎士に腕を支えられた。ほかの中隊から、くすくすと笑い声が上がる。


 俺は訓練場の真ん中へ歩いていった。


 団長が、俺を見て口の端を上げた。


「また書庫の殿下ですか。昨日は押さずにお帰りになった。今日はどうなさる。押してみるがよろしい。何も起きなければ、その印を宝物庫にお返しになることですな」


 団長の声は大きかった。訓練場じゅうに聞かせるための声だった。


 走っていた第九中隊が、足を止めてこちらを見ている。


「アーレンス隊長」


 俺は呼んだ。


「手首を、貸してもらえますか」


 隊長は、列の先頭で立ち止まったまま動かなかった。昨日、頭を下げて頼んだことを思い出しているのだろう。団長の顔を見て、隊の者たちの顔を見た。


 それから、自分で一歩前に出た。


 胸当ての下の袖をまくり、右の手首を、俺の前に差し出した。


「お願いします」


 俺は首の銀印を外し、彼女の誓約紋に当てた。


「監察使として申し立てます」


 帳面は開かなかった。中身は全部、頭に入っている。


「第九中隊は、昨夜、本隊の持ち場を含めて、ほとんど全員で夜番に立ちました。持ち場ごとに一人ずつ聞き取り、私自身もこの目で見ています。夜番が明けると、そのまま朝の訓練に出されています。団長室の勤めの記録は、昨日まとめて書き直されたものです。騎士団の規則は、夜番の翌朝の訓練を免じています。三年前に足された『団長の命に昼夜を問わず従う』の定めは、仕える者から眠りを奪う定めです。誓約の勅に背きます」


 銀印が、掌の中で熱を持った。


 白い光が、彼女の手首の紋を一巡りした。


 銀の細い線のうち、一番下の一本が、ふっと消えた。


 隊長が息を呑んだ。


 その後ろで、誰かが「あ」と声を上げた。


 カーヤが、自分の右手首を見ていた。ネーレも、ミーケも、列の女騎士たちが次々と袖をまくり、手首を見て、隣の騎士の手首を見た。


 同じ一本が、全員の手首から消えていた。


 同じ主が、同じ言葉で書いた一行だ。いつ結んだ誓約でも、その一行の定めが効を失えば、同じ一行を持つ全員から消える。


「……消えた」


「私のも」


「嘘でしょ」


 声が重なっていく。カーヤが、急に笑い出した。腹を抱えて、空を見上げて、涙を拭きながら笑っている。ミーケが、その場にぺたんと座り込んだ。


 ほかの中隊の騎士たちは、笑うのをやめていた。訓練場の端で、本隊の騎士が剣を下ろしたまま、こちらを見ている。


 団長は、隊長の手首から目を離せずにいた。


「……馬鹿な」


 それきり、動かなかった。


 隊長は、自分の手首を左手で握ったまま、俺を見ていた。青い目が、何かを確かめるように、一度だけ大きく見開かれた。


「今日の第九中隊の訓練は、監察使として差し止めます」


 俺は団長に向かって言った。


「命を損なう勤めの差し止めです。これも勅にあります。第九中隊は、今から詰め所に戻って、眠ってください」


  ◇


 第九中隊が詰め所へ引き上げていくのを見送ってから、ふと訓練場を見下ろす回廊を見上げた。


 ディートリヒ兄上が立っていた。いつからそこにいたのか。いつもの柔らかな笑みはなく、何の表情もない顔で俺を見て、それから背を向けて去っていった。


 しばらくして、王宮から俺の侍従が息を切らせてやってきた。


「殿下。第二王子殿下が、夕の鐘に、お部屋へお越しくださいと」

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