勤めの記録が、きれいすぎる
王国騎士団の兵営は、王都の北の城壁に沿って長く延びている。石造りの兵舎が並び、その奥に訓練場があり、一番端に古い厩を直した建物がある。第九中隊の詰め所だと、赤毛のカーヤが教えてくれた。
「ミーケ、寝てろ。起きたら飯だ」
カーヤは背負ってきた見習いを詰め所の戸口で下ろし、中の誰かに預けた。ミーケという名前らしい。礼を言おうとして振り返った小さな顔は、半分もう眠っていた。
「で、王子様は本当に団長室に行くのか」
カーヤが腕を組んで俺を見下ろす。俺より頭一つ大きい。
「行きます」
「殺されはしないだろうけど、嫌な目には遭うよ」
「慣れています」
前世の話だが、嘘ではない。立ち入った先の社長に灰皿を投げられたこともある。
カーヤは妙な顔をして、それから団長室のある本棟を顎で示した。
◇
騎士団長室は、兵営で一番日当たりのいい部屋だった。壁には剣と旗と、王から賜った感状が並んでいる。
ザイデル団長は大きな机の向こうに座ったまま、立たなかった。
「これは第六王子殿下。先ほどは見事なお手並みでしたな」
形だけの敬語だ。言葉の端に、隠す気のない軽蔑が乗っている。
「先に申し上げておきますが、第九は騎士です。誓約を結んで、自分で騎士団に入った者たちだ。夜番がつらいなら、休みたいなら、辞めればいい」
団長は太い指で机を叩いた。
「誓約を破れば、紋が手首を焼くだけです」
辞めればいい、と言いながら、辞めれば焼くと言っている。騎士の誓約は十年で、主の許しなく去れば背いたことになる。この人が許す気がないのは、顔を見れば分かった。
「勤めの記録を見せてください」
「記録?」
「夜番と訓練と巡回の割り振りの記録です。第九中隊の分を、この夏から」
団長は鼻で笑った。
「殿下には読めますまい。騎士団の記録は、書庫の古文書とは違う」
それでも、記録は出てきた。団長が呼んだ副官が、革の表紙の帳面を一冊、俺の前に置く。拒めば勅に背く、と俺が言う前に出してきたのは、見られても困らないと思っているからだ。
開いた。
第九中隊の夜番は、三晩に一度。組ごとにきれいに交代し、夜番の翌朝は訓練を免じられている。騎士団の古い規則どおりだ。文句のつけようがない。
文句のつけようがなさすぎる。
俺は頁をめくり、もう一度めくり、それから帳面を少し傾けて、窓の光に当てた。
「この記録は、いつ書かれましたか」
「毎晩、夜番が明けるたびに書かせております」
「そうですか」
夏の初めの頁も、秋の初めの頁も、インクの色が同じだった。前世の監督署で、数えきれないほど出勤簿を見た。毎日書いた記録は、日によってインクが濃くなったり薄くなったりする。ペンを替えた日、急いだ日、手が冷えた日。人が毎日書くものには、毎日の癖が出る。
この帳面には、それがない。夏から秋まで、同じ太さ、同じ傾きの字が、同じ色で並んでいる。交代の時刻も、どの晩も、全員そろって同じ鐘だ。
そして、最後の数頁は、指で触れると、まだかすかに湿っていた。
「この記録は、今日、まとめて書かれています」
俺は帳面を閉じて、団長の前に戻した。
「整いすぎています。毎晩書いた記録は、こんなふうにはそろいません。それに、最後の頁はまだ乾いていない」
副官が、目を泳がせた。
団長は何も言わなかった。顔の筋が一つ固まったきり、動かない。言い返す言葉を探して、見つからなかった顔だった。
整いすぎた記録は、書き直した印だ。前世で、立ち入りの日を前もって知らせると、たいていの会社は記録を「整えて」待っていた。だから本当に見たいときは、予告しないで行った。今日の騎士団は、俺が回廊で立ち入ると言ってから半日も経たないうちに、記録を整えてみせた。手際がいいのは褒めてもいい。
「それから、第九中隊の誓約書の写しを」
「それはお断りする」
団長が、ようやく声を出した。
「騎士団の誓約は、騎士団のものです。殿下に見せる筋はない」
「誓約の勅の最後の行を、ご存じですか」
「……何?」
「監察使の立ち入りを拒む者は、この勅に背く者として王の裁きを受ける」
俺は首の銀印に手を触れた。
「団長が裁きを受けたいのなら、私は止めません」
長い沈黙があった。
やがて団長は、副官に顎をしゃくった。副官が奥の棚から、羊皮紙の束を抱えてくる。第九中隊の、一人一人の誓約書の写しだ。
俺は一枚目を取って、定めの行を上から読んでいった。騎士団への忠誠、王族の護衛、主の命への服従、扶持と寝床と糧。どの騎士の誓約にもある定めが並ぶ。
その一番下に、墨の色の違う一行が足されていた。
――第九中隊は、団長の命に昼夜を問わず従う。
日付は三年前。次の一枚にも、その次の一枚にも、同じ一行が同じ日付で足されている。三年前より後に入った者の誓約書には、はじめから同じ一行が書き込まれていた。見習いの少女の、まだ新しい誓約書にもだ。
これだ。この一行が、三年間、彼女たちから夜を取り上げてきた。
ついでに、主の側の定めも読んだ。扶持を払う、寝床を与える、糧を与える。書いてあることは真っ当だ。ただ、この国の誓約は、主がそれを破っても主の手首は焼けない。焼けるのは、仕える側の手首だけだ。
前世の言葉で言えば、罰則が片方にしかついていない契約書だった。初代王はそれを分かっていて、監察使という役目を置いたのだと思う。片方にしかない罰の代わりに、誰かが見に行けるように。
団長が、机の向こうで椅子にもたれた。少し余裕を取り戻した顔をしている。
「どうなさいました、殿下。その印で、消してごらんになればよろしい」
団長は、俺に押させたがっている。
銀印は、申し立てが真で、それを示す事実があるときにしか応えない。今、俺の手にあるのは、団長が昨夜書かせた偽りの記録だけだ。この記録の上では、第九中隊はきちんと交代して眠っていることになっている。この場で押して何も起きなければ、閑職の印はやはり飾りだったと、明日には王宮中が笑う。団長はそれを待っている。
俺は写しの束を揃えて、机に戻した。
「今日は押しません」
「ほう」
「事実を揃えてから押します。それが、この印の使い方です」
団長の口の端が、わずかに上がった。俺が逃げたと思ったのだろう。それでいい。
団長室を出て、本棟の廊下を歩きながら、俺は頭の中で段取りを組んだ。今夜の夜番。本当の持ち場と、本当に立っている人。それを一人ずつ、自分の目で確かめる。
兵営の門を出たところで、後ろから足音が追ってきた。
振り返ると、第九中隊の隊長が立っていた。銀に近い金髪を首の後ろで束ね、胸当てを着けたまま、息を整えている。走ってきたのだ。
隊長は俺の前で、深く頭を下げた。
「殿下。どうか、これ以上は、おやめください」




