反逆の訴え
控えの束は、その日のうちに王宮書庫へ持っていった。
「古い帳面は、古い帳面の間に置くのが一番見つかりませんな」
エメリヒは、束を受け取ると、二百年前の騎士団の出納の綴りが並ぶ棚の一番下へ、何でもない顔で差し込んだ。背表紙の色も厚さも、周りの綴りとほとんど見分けがつかない。
「書庫に盗みに入る者など、わしがここに来てから一人もおりませんでした。入っても、どれが何やら分かりますまい」
「ありがとう、エメリヒ」
「礼には及びません。ただ、殿下」
エメリヒは、眼鏡を指で押し上げた。
「副官に見られたのでしょう。団長は、黙ってはおりますまい。あの方は、追い詰められると、相手の身分の低さを言い立てるお人です。殿下の母君のことを、お覚悟なさいませ」
◇
翌朝、玉座の間に呼ばれた。
呼び出しの使いは、朝食の前に来た。父上の名で、急ぎだという。
玉座の間に入ると、もう人が揃っていた。玉座に父上。その脇に王太子のレオポルト兄上。大臣たちが左右に並び、その前に、ディートリヒ兄上と、ザイデル団長が立っていた。
団長は、黒い軍服に勲章を全部並べていた。灰沼で取れかけていた一つも、きちんと付け直してある。
「陛下に申し上げます」
団長が、玉座に向かって深く頭を下げた。
「第六王子セオドリク殿下は、監察使の印を振りかざし、騎士を団長に背かせ、騎士団の規律を乱しておられます。第九中隊は団長の命令を軽んじるようになり、本隊にも、殿下に唆されて団長を疑う者が出ております」
団長は、ちらりと俺を見た。
「灰沼の大泥牙は、本隊が討ちました。それを、第九中隊の手柄であるかのような噂が王都に流れております。噂の出どころは、殿下でございましょう。さらに殿下は昨日、騎士団の主計の部屋に押し入り、帳面を盗み見られた」
大臣たちが、ざわついた。
団長は、そこで声を落とした。悲しむような声だった。
「殿下はお若い。書庫でお育ちになり、騎士の務めをご存じない。母君は侍女の出と伺っております。身分の低い者に同情なさるのは、母君ゆずりのお優しさでありましょう。しかし、騎士団は王都の守りです。そのお優しさで、王都の守りを崩されては困る」
エメリヒの言ったとおりだった。
母上の名前が出たとき、気づくと拳を握っていた。握ったまま、開けなかった。
ディートリヒ兄上が、一歩前に出た。
「陛下。弟に悪気はないのでしょう。ですが、閑職の印は、弟には重すぎたようです。印を宝物庫へ返上させてはいかがです。弟は書庫へ戻せばよい。それで、騎士団も王都も元どおりです」
広間の視線が、玉座へ集まった。
父上は、長いこと黙っていた。
それから、低い声で言った。
「三日後に、評定を開く」
広間が静まった。
「騎士団長は、訴えを申せ。セオドリクは、申し開きをせよ。裁きは、余がする」
それだけ言って、父上は玉座を立った。
◇
玉座の間を出た回廊で、ディートリヒ兄上が追ってきた。
「セオ」
兄上は、俺の隣に並んで、柔らかく笑った。
「負ければ、銀印は宝物庫へ戻る。お前は書庫へ戻る。それだけならいい。だが、騎士団長に恥をかかせて負けた王子に、この王宮のどこに居場所がある? 母上の宮も、少し狭くなるかもしれないな」
「兄上は、団長が何をしてきたか、ご存じなのですか」
「知らないよ」
兄上は、即答した。
「知る必要もない。団長は私の友人で、騎士団は王都の守りで、お前は書庫の王子だ。それで十分だろう」
兄上は俺の肩を軽く叩いて、去っていった。
知らない、という答えの速さが、気になった。灰沼の前の晩、本隊の騎士が団長の屋敷の宴の警護に立った。その宴には、兄上が来ていた。夜通しの行軍の旗を、北の丘の離宮から見ていたのも、兄上だ。
知らないはずがない。でも、知っていると示すものは、俺の手にない。
◇
昼過ぎ、母上の宮に寄った。
玉座の間の話は、もう届いていた。侍女たちが、俺の顔を見るなり気まずそうに部屋を出ていく。母上は、いつものように窓辺で針を動かしていた。
「侍女の出の母君、ですって」
母上は、針から目を上げずに言った。
「本当のことだもの。気にしないわ」
「私は、気にします」
「そう」
母上は、そこで初めて手を止めて、俺を見た。
「セオ。あなたは小さいころから、書庫で何かを探してたでしょう。何を探してたのかは知らないけど、それを見つけた顔を、この何日か、ずっとしてるわ」
母上は、糸を歯で切った。
「だから、私のことで手を止めないで。あなたは、あなたの仕事をしなさい。侍女の子が王子の仕事をして、何が悪いの」
俺は、しばらく何も言えなかった。
前世の母親は、俺が監督官になったとき、人に嫌われる仕事だと少し泣いた。今の母上は、針を持ったまま、笑っている。
「……はい、母上」
「それと、ちゃんと寝なさい」
「一昨日の晩は、朝まで寝ました」
「あら」
母上は、心から驚いた顔をした。それから、目を細めた。
「一昨日の晩は、ね」
◇
その日の夕方、第九中隊の詰め所に、一人の女が駆け込んできた。
前掛けを着けたまま、髪も結い直さずに、王都の通りを走ってきたらしい。戸口で息を切らし、膝に手をついている。
「主計官の、ノイマンの、妻でございます」
女は、俺を見つけると、縋るように言った。
「監察使の殿下は、こちらにおられると聞いて。夫が、夫が、戻らないんです」
「落ち着いてください。いつからですか」
「昼に、団長閣下のお部屋に呼ばれたと、主計の方が知らせてくださいました。それきり、主計の部屋にも、家にも、戻らないんです」
昨日、トビアスは家に帰って眠ったはずだ。今朝は、いつもどおり主計の部屋へ出た。そして昼に、団長に呼ばれた。
俺が玉座の間で団長の訴えを聞いていた、その後だ。
「夫は、昨日の夜、久しぶりに笑ったんです」
女の声が、震えた。
「娘と一緒に、早く寝て。殿下に助けていただいたって。それなのに」
ヴェレーナ隊長が、女の肩に手を置いて、詰め所の中の椅子に座らせた。ネーレが水を汲んでくる。
「カーヤ」
隊長が呼ぶ前に、カーヤはもう外套を掴んでいた。
「聞いてくる。本隊の誰かが、何か見てるはずだ」
カーヤが出ていってから、日が落ちきるまで、誰も口をきかなかった。トビアスの妻は、ネーレの差し出した水を一口も飲まずに、両手で包んでいた。
夜の鐘が鳴る少し前に、カーヤが戻ってきた。顔が険しかった。
「主計官は、兵営の懲罰房だ」
カーヤは、戸口で吐き捨てるように言った。
「団長の副官が連れていったって。帳面の誤りを白状させるんだとさ。殿下に見せた控えは、主計官が自分で作った偽物だって、書付に名前を書かせるつもりらしい」




