手柄の行方
「冗談じゃない」
王都へ戻る道で、カーヤはもう何度目か分からない同じ台詞を吐いた。言うたびに声が大きくなる。
「首を落としたのは隊長だ。脚を縫ったのは私で、目を焼いたのはネーレだ。本隊の誰が、あれに傷一つ付けた?」
「付けてないです」
ネーレが、荷車の横を歩きながら律儀に答えた。
「槍、弾かれてました」
「だろう!」
本隊は、第九中隊より先に灰沼を発っていた。大泥牙の首を荷車に積み、旗を立て、太鼓を鳴らしながら。第九中隊は、残った泥牙が沼の縁に戻ってこないのを確かめてから、昼過ぎに丘を下りた。帰り道は、いつものように見送りも出迎えもない。
「隊長も、何か言ってくださいよ」
カーヤに言われて、先頭のヴェレーナ隊長が馬を少し下げた。
「手柄は、要らない」
隊長は、静かに言った。
「誰も死ななかった。それで十分だ」
「十分じゃないだろう」
「十分だ」
隊長はそれ以上言わなかった。カーヤも、それ以上は言わなかった。隊長がそう言うときの顔を、カーヤは長い付き合いで知っているのだろう。
俺は荷車の上で、帳面を開いていた。
「手柄は、記録に残ります」
カーヤが振り返った。
「記録?」
「灰沼の夜に、誰が前に出て、誰が下がって、誰が噛まれたか。全部、書いてあります。大泥牙の首を落としたあと、本隊の騎士が何人か丘に上がってきて、あれを見ていました。その人たちの名前も」
帳面を閉じた。
「団長が何と言っても、嘘は嘘です。嘘には、いつか記録が要る場面が来ます。そのときのために取ってあります」
カーヤは俺の顔をしばらく見て、それから乱暴に頭を掻いた。
「……王子様って、怒ると怖いんだな」
「怒っていません」
「怒ってるよ。声が全然変わらないのが怖い」
ネーレがこくこくと頷いていた。
夕方、北門をくぐると、通りの様子がおかしかった。
本隊は昼のうちに、大泥牙の首を荷車に載せて大通りを練り歩いたらしい。通りの石畳に、まだ花びらと紙吹雪が散らばっている。酒場の前では、首を見たという男たちが、手を広げて大きさを語っていた。
その横を、泥だらけの第九中隊が黙って歩いていく。誰も振り返らない。本隊の凱旋の後に通る、汚れた隊にしか見えないのだろう。
と思ったら、路地から子どもが一人、飛び出してきた。
「ねえ、第九ってどれ?」
隣の子どもが、カーヤを指さした。
「あれ! 赤い髪の槍の人! 父ちゃんが言ってた、大泥牙の脚を止めたって」
カーヤが、足を止めた。子どもたちは「本当だ、槍だ」と騒ぎながら走って逃げていく。
「……父ちゃんって、誰だ」
「本隊の誰かでしょうね」
俺が言うと、カーヤは何とも言えない顔で、子どもたちの消えた路地を見ていた。
◇
次の日の朝、王宮の空気が変わっていた。
廊下を歩いていると、侍女たちが俺を見て、ひそひそと何か言う。目が合うと慌てて頭を下げる。前は、目が合っても頭を下げる人はいなかった。
母上の宮に朝食をとりに行くと、母上が嬉しそうな、困ったような顔で待っていた。
「セオ。あなた、王都で噂になってるわよ」
「何の噂ですか」
「女騎士に眠りの魔法をかけて、大泥牙を倒させたって」
パンを喉に詰まらせた。
母上の話では、昨夜のうちに、王都の北の酒場で本隊の騎士たちが喋ったらしい。灰沼で本当は何があったか。疲れ切った本隊が泥牙に崩され、数合わせの第九中隊が大泥牙の首を落としたこと。その第九中隊が、討伐に出る四日前まで眠らずに立たされていたこと。第六王子が来て、眠らせたこと。
話は一晩で、王都の井戸端と市場を回った。回るうちに、少しずつ形を変えた。
「第六王子殿下は、眠りの魔法で兵を化け物にするんですって」
「なりません」
「眠らせるだけで、女の子が大泥牙の首を落とすようになるって。市場のおかみさんたちが、うちの亭主も眠らせてほしいって」
「普通に寝かせただけです」
母上は、とうとう声を立てて笑った。
「普通に寝かせただけで、国一番の噂になる王子なんて、聞いたことがないわ」
朝食のあと、書庫へ行くと、エメリヒがもっと面白そうな顔で待っていた。
「殿下。貴族の方々の間では、別の噂でございますよ。第六王子は騎士団を潰しに来た、と。団長の手柄を、女騎士の手柄にすり替えようとしている、と」
「すり替えたのは団長です」
「存じております。ですが、貴族の方々は、そうは思いたくないのでしょうな」
エメリヒは眼鏡を拭きながら言った。
「誓約で人を使っておられる方々には、殿下の印は、ご自分の手首を狙う刃に見えるのでございますよ」
俺は、何も言い返さなかった。言い返せないくらいには、当たっている。
◇
昼過ぎ、第九中隊の詰め所に顔を出すと、戸口に見覚えのある男が立っていた。
ハルトムートだった。足に包帯を巻き、杖をついている。牙の毒の腫れは引いたらしい。
彼は、詰め所から出てきたヴェレーナ隊長の前で、杖を脇に挟んで、深く頭を下げた。
「灰沼で、泥から引き上げてもらった。礼を言いに来た」
隊長は、少し驚いた顔をした。本隊の騎士が第九中隊に頭を下げるのを、たぶん初めて見たのだ。後ろでカーヤが、腕を組んでにやにやしている。
「騎士の務めだ」
「務めでも、礼は言う」
ハルトムートは頭を上げて、それから、俺のほうを向いた。
「監察使殿下。お願いがあって来ました」
「何でしょう」
「本隊も、見てくださいますか」
ハルトムートの声は、低かった。
「本隊も、ろくに寝ていません。第九に夜番を回したのは、本隊を休ませるためじゃなかった。団長の夜の行軍と、式典の稽古と、お屋敷の宴の警護に使うためでした。本隊の若いのが、灰沼で何人も噛まれた。あれは、寝てない足で泥に立ったからだ。殿下が言ったとおりだ」
灰沼の天幕の前で、俺は団長に言った。眠っていない兵は、酒を飲んで見張りに立つのと同じだと。ハルトムートは、それを聞いていたのか、後で誰かから聞いたのか。
「見ます」
俺は答えた。
「ただ、見るには事実が要ります。本隊の勤めの記録と、誓約書と、本隊の騎士の話です。話してくれる人はいますか」
「俺が話します。ほかにも、何人か」
ハルトムートは頷いて、それから、思い出したように付け足した。
「それと、殿下。もう一つ、妙なことがあって」
「妙なこと」
「騎士団の規則には、夜番の手当ってものがあるそうですね。一晩いくらって」
「あります。古い規則に」
「本隊の誰も、そんなもの、見たことがありません」




