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あの冷酷な婚約者を私は一生許さない ──たとえ地獄で焼かれようとも、君が二度とこちらを振り返らぬように  作者: あとりえむ


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第3話

彼女の姿が会場の扉の向こうに消えた瞬間、エドワードの視界は激しい目まいに襲われた。


扉が閉まる音が、これほどまでに重く、絶望に満ちた響きを持っているとは知らなかった。


会場からはまだ、聖女を救った王太子を称える声や、悪女が去ったことを祝う下卑た笑い声が漏れ聞こえてくる。

そのすべてが、今の彼には耳を突き刺す雑音でしかなかった。


逃げるようにバルコニーへと出たエドワードは、夜の闇へと消えていく馬車の蹄の音を、影に隠れてじっと聞き届けていた。


「……終わったな」


蹄の音が完全に夜風に溶けて消えたその直後、ふいに、肺の奥が焼けるように熱くなった。


エドワードは大理石の手すりを強く掴み、身を屈めて激しく咳き込んだ。

込み上げてきたものを吐き出し、口元を押さえた掌を見ると、そこにはどす黒い血がべっとりと付着している。


生贄を失った守護龍の渇きを、己の魂と魔力で強引に塞ぎ止めた代償だった。


口内に広がる酷く錆びた鉄の味が、粘り気を持って舌に絡みつく。

それは彼がすでに、確実に死へと向かっている存在であることを否応なく自覚させる味だった。


荒い息を吐きながら、エドワードは震える手で懐を探った。

取り出したのは、泥と水にまみれた小さな守り袋。

先ほど、フェリシアが泣きながら差し出し、自分が「汚れた糸屑」と罵って冷たい水路に投げ捨てたものだ。


彼女が連行された直後、護衛に命じて密かに回収させたそれは、冷たく重い泥水をたっぷりと吸い込んで、元の美しい刺繍の面影をすっかり失っていた。


親指でそっと表面の汚れを拭い、彼はそれを自身の血に染まった唇に強く押し当てた。


かつて彼女からいつも漂っていた、あの清涼感のある花の残り香は、もう微塵も感じられない。

鼻を突くのは生臭い泥の匂いであり、唇に伝わるのはひんやりとした泥のざらつきと、舌の裏にこびりつくような絶望の味だけだった。


「これで、いい……」


血と泥に塗れた独りごちは、夜風にさらわれて誰にも届かない。


どれほど身が削られようと、彼女がこの国から逃れられたという事実だけが、今の彼を立たせる唯一の支えだった。



 ◇ ◇ ◇



背後で微かな衣擦れの音がした。


振り向くことなく、エドワードは冷たい声で言い放った。


「役目は終わったはずだ。さっさと残りの報酬を持って城から消えろ、リリアナ」


しかし、バルコニーに現れた彼女は逃げ出すどころか、まっすぐに彼へと歩み寄ってきた。純白のドレスには、先ほど自ら演出のために浴びた赤ワインの染みが痛々しく広がっている。


血を吐き、手すりに寄りかかるエドワードの惨状を前にしても、彼女の瞳に恐怖はなかった。あるのは、取り繕うことのない純粋な熱情だけだ。


「……殿下。私は、殿下を本気で愛してしまいました」


静寂の夜風に、リリアナの震える声が溶けた。


「あなたがフェリシア様を救うためだけに、この残酷な舞台を用意したことは分かっています。その結果、どれほどの呪いと苦痛があなたを襲うのかも。……どうか、私をこのままおそばに置いてください。せめて、あなたの命が尽きるその瞬間まで、私が看病を……」


すがりつこうと手を伸ばしたリリアナを、エドワードの氷のような視線が射抜いた。


「気安く触れるな」


低く、絶対的な拒絶を孕んだ声だった。


「勘違いするな。お前は俺がフェリシアに憎まれるために用意した、ただの安い駒だ。それ以上の価値はないし、誰からの慰めも必要としていない」


限界を迎えているはずの体から発せられたとは信じがたいほどの覇気が、リリアナを打ち据える。エドワードの血に濡れた手には、泥だらけの守り袋が固く握りしめられていた。


たったひとりの女性を愛し抜くためだけに、他者の真心を切り捨て、世界中のすべてを敵に回して泥の底へと沈んでいく男。


その凄まじいまでの孤独と純愛を目の当たりにし、リリアナは伸ばしかけた手をゆっくりと下ろした。

彼が向かう地獄には、自分が入る隙間など針の先ほども残されていないのだと、痛いほどに悟ったからだ。



リリアナは静かに目を伏せ、血に似たワインの染みついたドレスの裾をつまんで深く、美しく一礼した。


「……承知いたしました。ならば私は、王太子をたぶらかし、国を傾けた稀代の悪女として、このまま誰の目にも触れぬよう姿を消しましょう」


顔を上げた彼女の表情からは、もはや先ほどまでの未練も、聖女として演じていた作り笑いも消え去っていた。そこにあるのは、一人の男の狂おしい愛の深さに打ちのめされ、己の道を決めた気高い覚悟だけだ。


「最果ての修道院へ向かいます。そこで生涯をかけて神に祈りましょう。決して届かぬと分かっていても……あなたを縛るその呪いが、いつか消え去ることを」


ヒールが石畳を叩く乾いた音が、バルコニーから遠ざかっていく。


二度と振り返ることなく夜の闇へと消えていった彼女の後ろ姿は、皮肉なことに、この国の誰よりも神聖な本物の聖女のようだった。


誰もいなくなったバルコニーで、エドワードは再び完全な孤独のなかへと取り残される。だが、泥まみれの守り袋を見つめる彼の瞳に、一片の迷いもなかった。った。

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