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episode15:秘密は突然ばれるもの


 温室を出る頃には、空はすっかり午後の色になっていた。


 ひとまず術式は安定している。金色の花にもすぐに枯れるような兆候はなく、詳しい調査は持ち帰った記録と過去の資料を照らし合わせてから続けることになった。


 外へ出ると、つい先ほどまで温室の中で朝と夜を見ていたせいか、見慣れた青空が妙に明るく感じられる。


「フィオナ」


 テオに呼ばれて振り返る。


「さっきの温度と湿度の記録、見るか?」


「見たいです」


「だと思った。写し作っとくよ」


「ありがとう」


「リード」


 ヴィクトルに呼ばれ、テオが振り返った。


「はい」


「写しを渡すなら、術式の変動記録もつけておけ。ベルティエ、それだけの知識があれば試験も問題ないだろうが、油断はしない方がいい」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。


 分からなかったことにしたかった、と言った方が正しい。


 春の風が、草の上を静かに渡っていく。


 テオが目を閉じた。


 その顔には、はっきりと書いてあった。


 ――言ってしまった。


「……試験?」


 隣から、柔らかな声がした。


 ヴィクトルの動きが止まった。


 ほんの一瞬、ローレンスを見る。その視線がすぐにフィオナへ移り、銀縁眼鏡の奥の目がわずかに細められた。


 それだけで、察したらしい。


「……そうか」


 低く呟き、それ以上は何も言わない。


 テオが額を押さえた。


 フィオナは動かなかった。


 ここで慌ててはいけない。ヴィクトルは知らなかっただけで、何も悪くない。そもそも試験を受けること自体、ローレンスに隠さなければならないようなことではない。


 ただ、まだ言っていなかった。


 それだけだ。


「何の試験?」


 ローレンスが尋ねる。


 いつもと変わらない声だった。


 フィオナは小さく息を吸い、できるだけ平然と答えた。


「研究院の採用試験です」


「フィオナが受けるの?」


「はい」


「……そうなんだ」


 短い返事だった。


 怒られるとは思っていない。ローレンスは、フィオナが自分で決めたことを頭ごなしに否定する人ではない。


 それでも胸の奥が落ち着かない。


「いつ決めたの?」


「少し前です」


「少し前」


「はい」


 繰り返されただけなのに、妙に居心地が悪い。


 もちろん、ローレンスは笑っている。


「言ってませんでしたっけ?」


 フィオナはとぼけた。


 隣でテオがものすごい顔をした。


 見ないことにする。


「聞いてないと思うけどなあ」


「そうでした?」


「うん。たぶん」


「じゃあ、言い忘れてました」


「言い忘れ」


「師匠。さっきから繰り返さないでください」


「確認してるだけだよ」


 笑っている。いつものローレンスだ。


 それなのに、どうしてこんなに居心地が悪いのだろう。


「クロウリー」


 ヴィクトルが静かに口を挟んだ。


「私も、君が知らないとは思っていなかった。すまなかったな、ベルティエ」


「いえ。アーレンス先生が謝ることじゃありません」


 むしろ、黙っていた自分の方に原因がある。


「それに、別に驚くような話でもないだろう。ベルティエなら候補に挙がって不思議はない。今日の術式を見る目も悪くなかった」


「ヴィクトルが褒めるなんて珍しいね」


「事実を述べているだけだ」


「それ、褒めてるんですよ」


 テオが横から言う。


「そうなの?」


 フィオナが聞くと、テオは真顔で頷いた。


「最大級」


「余計なことを言うな、リード」


 いつもの調子が戻り、フィオナもつられて笑った。


 ローレンスも、いつものように柔らかく笑っている。


「頑張ってね」


「……はい」


「分からないところがあったら聞いて」


「自分で勉強します」


「僕、結構役に立つと思うよ?」


「知ってます」


「じゃあ頼ってくれてもいいのに」


 軽い口調だった。


 けれど、その言葉だけが妙に胸に残る。


「必要になったら頼ります」


「うん」


 ローレンスはそれ以上、何も聞かなかった。


 どうして黙っていたのかも、いつから勉強していたのかも。そのことにほっとしたはずなのに、フィオナはなぜか少しだけ息苦しかった。


「では戻るぞ」


 ヴィクトルの声を合図に、一行は正門へ向かう。


 少し歩いたところで、テオがさりげなくフィオナの隣へ並んだ。


「……悪い」


「テオのせいじゃないでしょう」


「先生、クロウリー先生も知ってると思ってたんだろうな」


「でしょうね」


「お前、よくあんな平然としてられたな」


「何が?」


「……いや、そのままでいい」


 余計なことを言うなという意味を込めて睨むと、テオは口を閉じた。


 少し前を歩くローレンスの背中を見る。


 いつも通りだ。


 ヴィクトルと何かを話し、ときどき面倒そうに返事をしている。試験のことなど、もう気にしていないように見える。


 それでいい。


 受けると決めたことは知られてしまったけれど、その理由までは知られていない。この家を出るためだということも、五年も諦められなかった恋から離れるためだということも。


 まだ、知られていない。


 そう思えば安心するはずなのに、フィオナの胸には小さな棘のようなものが残っていた。


 ローレンスの「頑張ってね」が、思っていたよりずっと優しかったせいかもしれない。


次の更新は明日の11:00です_φ(・_・

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