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episode14:春を呼ぶ花


 金色の光は、花壇の間を縫うように温室の奥へ伸びていた。


 頭上では星が少しずつ消え、周囲を漂っていた青白い光も弱まっている。


「先生、魔力濃度がまた下がってます」


「中心は奥だと思う」


 テオの報告に答えたローレンスが歩き出す。フィオナも続こうとすると、腕で制された。


「フィオナは待っててもいいよ」


「嫌です。私も魔法使いですし、今日は師匠の助手でしょう?」


 ローレンスは何か言いたそうだったが、結局は諦めた。


「……僕から離れないでね」


「分かってます」


 温室の奥へ進むほど、花壇の境目は曖昧になっていった。蔦が石柱へ絡み、背の高い草が通路まで伸びている。その途中で、フィオナはふと足を止めた。


「これ……全部同じ花です」


 小さな紫色の花だった。


 よく見れば、同じ種類の植物が道に沿うように続いている。最初の株はまだ蕾で、その先では満開になり、さらに進めば花弁を落とし、最後の株はすでに種をつけていた。


「咲く時期だけが違う?」


 テオがしゃがみ込む。


「さっき師匠は、植物ごとに必要な季節を与えてるって言いましたよね」


「うん」


「でも、それだけじゃない気がします。ここから向こうへ、季節が進んでる」


 植物そのものの時間を操っているわけではない。蕾をつける時期、花を咲かせる時期、実を結ぶ時期。それぞれに必要な温度や湿度、光を順番に作り出しているのではないか。


 テオがすぐに測定器を動かした。


「……本当だ。少しずつ温度が上がってる。湿度も違う」


「魔力の性質は?」


「それも変化してます」


 ヴィクトルが記録を取りながら、ローレンスを見る。


「つまり、季節を閉じ込めているのではない?」


「季節を作って、巡らせてるんだと思う」


 ローレンスは頭上を指した。


「夜にしか咲かない花もあるし、月光を必要とする植物もある。だから空まで作った」


「じゃあ、あの星空も術式の一部……」


「たぶんね」


 温度、湿度、光、風、昼と夜。


 植物が生きるために必要な環境そのものを作り、ひとつの温室の中でいくつもの季節を巡らせる。それが、この古い術式の役割なのだろう。


 けれど、それなら一つ疑問が残る。


「どうして今になって動き始めたんでしょう」


「それを調べに来たんだよ」


 ローレンスが笑った。


 やがて植物が途切れ、円形に開けた場所へ出る。


 中央には大きな石台があり、浅い鉢から一本の植物が伸びていた。


「……昨日確認された花だ」


 ヴィクトルが呟く。


 細い銀色の茎に、透き通るような葉。淡い金色の花弁は、内側から光を宿しているように輝いている。


「フィオナ、知ってる?」


「いいえ。見たことありません」


 テオが測定器を近づけた途端、針が大きく振れた。


「先生。温室全体の魔力がここへ流れ込んでます」


「花が術式の中心なのか?」


「いや」


 石台の周囲に刻まれた文字を読んでいたローレンスが首を振る。


「中心というより、目的かな」


「目的?」


 フィオナも覗き込む。


 古い魔法文字の中に、先ほどローレンスが教えてくれたものと同じ形があった。


「……春」


「うん。それと、こっちは『目覚め』に近い」


 ローレンスの指が、その隣へ移る。


「たぶん、この花が春を作ってるんじゃない。この花を咲かせるために、温室が春を作ってる」


 フィオナは金色の花を見つめた。


 たった一輪のために、温度も湿度も光も、昼も夜も作り出す。


「じゃあ……この花が目を覚ましたから、温室も動き始めた?」


 ローレンスがこちらを見る。


「続けて」


「温室が先に動いたんじゃなくて、ずっと眠っていた種が芽を出したから、それに必要な環境を作るために術式が起動した。それなら、今になって突然動いた理由にもなります」


「だが、その種はなぜ今になって発芽した?」


 ヴィクトルの問いに、フィオナは口を閉じた。


 百年以上眠っていた種が、理由もなく突然目覚めるとは考えにくい。


「発芽には条件があるよね」


 ローレンスが言う。


「水、温度、光。それから魔法植物なら、魔力」


「外から何かが加わった?」


「その可能性はある」


 テオが記録をめくる。


「最初に微弱な反応が出たのは十日前です」


「十日前……」


 フィオナは記憶を辿り、顔を上げた。


「すごい雷雨の日じゃないですか?」


「ああ」


「二日くらい続いたやつだ」


 テオも頷く。


 ローレンスが温室の天井を見上げた。


「落雷かもしれないね。百年以上足りなかった魔力が、偶然ここへ流れ込んだ」


「この周辺への落雷記録を確認する必要があるな」


「それと地中の魔力経路も。直接温室に落ちてなくても、地脈を通って流れ込んだ可能性がある」


 ヴィクトルがローレンスを見る。


「珍しく具体的だな」


「僕だって仕事してるよ?」


「普段からしろ」


 フィオナは思わず笑った。


 そのとき、金色の花が大きく揺れた。


 風はない。


 花弁が一枚、ゆっくりと落ちる。


 同時に、頭上の星が一斉に消えた。


「え――」


「フィオナ!」


 腕を引かれ、次の瞬間にはローレンスの胸元へ抱き寄せられていた。


「師匠?」


「動かないで」


 耳元に落ちた声には、いつもの軽さがない。


 暗闇の中、石台から金色の光が走り出した。床を伝い、花壇へ、石柱へ、壁へと広がり、温室を巡る巨大な術式の形が初めて目に見える。


「魔力濃度、上昇!」


「術式が再起動したのか?」


「違う」


 ローレンスが光を追う。


「切り替わったんだ」


「何が?」


「夜から朝へ」


 金色の光が一斉に強くなった。


 眩しさに目を閉じ、再び開いたとき、夜は消えていた。


 頭上に広がっているのは、薄桃色と金色が混ざる朝の空。葉の上には露が生まれ、どこからともなく柔らかな風が吹いてくる。


「……朝まで作ってる」


 フィオナが呟く。


「うん。たぶん一日の光まで、植物に合わせて巡らせてるんだ」


 そこでようやく、自分がまだ抱き寄せられたままだと気づいた。


「師匠。もう大丈夫ですよね?」


「そうだね」


 なのに腕は離れない。


「師匠?」


「もうちょっと」


「なんでですか」


「僕がびっくりしたから」


「クロウリー」


 ヴィクトルの冷たい声が飛んでくる。


「もう危険はない」


「念のため」


「師匠、離してください!」


「はいはい」


 ようやく解放され、一歩離れる。熱くなった顔を誤魔化すように花へ向き直ると、朝の光を受けた花は先ほどよりも大きく開いていた。


 百年以上眠っていた一輪を咲かせるために、夜を作り、朝を呼び、季節を巡らせる。


 昨日まで、こんな魔法がこの世界に残っていることさえ知らなかった。それでも今は、古びた石に刻まれた文字も、足元を巡る光の行方も、その向こうにまだ隠されているものも、もう少しだけ見ていたいと思う。


 知らないものを知ることが、こんなにも心を浮き立たせるものだっただろうか。


 研究院の試験を受けると決めたのは、ローレンスから離れて、終わらせられなかった恋を終わらせるため。その気持ちは、今も変わっていない。


 ただ、逃げるために選んだ道の先にも、何かがあるのかもしれない。


 朝の光を受けて開いていく金色の花を眺めながら、フィオナは初めて、そこへ続く道をほんの少しだけ見てみたいと思った。


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