episode11:旧友からの手紙
フィオナが小瓶を包んだ箱に最後の紐をかけると、向かいにいたローレンスが興味深そうに覗き込んだ。
「できた?」
「できました。あとは届けるだけです」
中に入っているのは、先日マルセルに頼まれて作った勇気薬だ。琥珀色の液体を満たした小瓶が一本、それに飲む量と注意事項を書いた紙も添えてある。
「じゃあ僕が届けようか」
「結構です。魔法便で送ります」
「お、自分で?」
「それくらいできます」
少し前なら、最後に術式を確認してもらっていたかもしれない。けれど今日は机の上に小さな魔法陣を描き、その中央に箱を置くところまで一人で済ませていた。
外周へ指先を触れさせると、注いだ魔力が淡い青色の光となって線の上を走り始める。
「届け先はマルセルさんのパン屋、受取人はマルセルさん本人」
行き先を術式へ刻めば、箱を包むように立ち上がった光がゆるやかに形を変え、やがて一羽の鳥になった。青白い翼を広げたそれが箱を足で掴んだのを確認して、フィオナは窓を開ける。
「お願いね」
鳥は羽音もなく飛び立ち、春の空へ細い光の尾を引きながら、町の方角へ遠ざかっていった。
「上手になったね」
「これくらい普通です」
「褒めたのに」
「師匠はなんでも褒めるでしょう」
「フィオナのことはね」
「はいはい」
窓を閉めようとして、ふと手を止める。遠くから、今送り出したものとよく似た薄青い光がこちらへ向かっていた。
「あれ?」
目を凝らしているうちに、その光は一羽の鳥の形になって窓辺までやってくる。嘴には白い封筒が一通。入れ違いですね、とフィオナが笑って手を差し出せば、鳥はそこへ封筒を落とし、役目を終えた身体を光の粒へ変えて消えていった。
何気なく表書きを確かめたフィオナは、見覚えのある名前に声を上げる。
「あ、アーレンス先生からです」
途端に、背後から嫌そうな声がした。
「返して」
「どこにですか」
「今の鳥」
「もう消えましたよ」
「じゃあ見なかったことにしよう」
「だめです」
ヴィクトル・アーレンス。王立魔法研究院に所属する術式研究者で、テオの師でもある。ローレンスとは古くからの友人らしいのだが、そのわりに手紙一通でこの嫌がりようである。
「お友達でしょう?」
「友達だから嫌なんだよ」
「意味が分かりません」
「ヴィクトルがわざわざ僕に手紙を寄越すときは、大抵面倒な仕事なんだ」
「じゃあ仕事してください」
「フィオナまでそんなこと言う」
渋々受け取ったローレンスが封を切り、便箋へ目を落とす。数行ほど読んだところで、ほら、とこちらへ紙を軽く掲げた。
「仕事だった」
「よかったですね」
「よくないよ」
予想が当たったことだけは少し嬉しいらしい。けれど、そのまま続きを追っていたローレンスの目が不意に止まり、わずかに細められた。
「……へえ」
さっきまでの気怠げな調子とは違う声に、フィオナも興味を引かれる。
「何です?」
「旧王立魔法植物園って知ってる?」
「名前だけなら。もう使われていないところですよね?」
王都の郊外にある、百年以上前に閉鎖された古い研究施設だったはずだ。現在は研究院の管理下に置かれているものの、ほとんど使われていないと聞いたことがある。
「そこの温室で、古い術式が動き始めたらしい」
「百年以上使われてないのに?」
「うん。少し前から魔力反応が出ていて、三日前から急激に強くなったって」
フィオナはいつの間にかローレンスの隣へ回り込んでいた。
「何の術式なんです?」
「それが分からない。入口も反応しなくて、中にも入れないらしいよ」
「アーレンス先生でも?」
「だから僕に手紙が来たんでしょうね」
面倒だと言っていたくせに、ローレンスの視線はもう便箋から離れない。その横顔には、本人が隠そうともしていない好奇心が浮かんでいた。
「それだけじゃないみたい。温室の中に、星空が見えるんだって」
「……星空?」
「外の空とは違う星がね。曇っていても、夜が明けても消えないらしい」
「昼間なのに?」
「うん。それから昨日、何もないはずの温室で植物が一輪咲いた」
百年以上閉ざされた温室で、突然動き始めた古い魔法。昼間にも消えない星空と、存在しないはずの花。その光景を想像しただけで、胸の奥が落ち着かなくなる。
怖いわけではない。知らない魔法を前にしたとき、いつもそうなる。
「……行きたいです」
思わず零れた言葉に、ローレンスが便箋から顔を上げた。
「フィオナも?」
「師匠、行くんでしょう?」
「まだ返事してないけど」
「行かないんですか?」
「ヴィクトルの頼みだしなあ」
「でも、気になってますよね」
「まあ、ちょっと」
「顔に出てます」
「本当?」
「十六年見てますから」
そう言うと、ローレンスは観念したように笑った。
「じゃあ、一緒に行く?」
「いいんですか?」
「助手を一人連れてきても構わないって書いてある。たぶんヴィクトルも、フィオナを想定してるんじゃないかな」
助手。その響きが、思いのほか嬉しかった。
これまでにもローレンスの仕事を手伝ったことはある。それでも今は、以前より少しだけその言葉を誇らしく感じる。自分でも気づかないうちに、昨夜一人で解いた術式のことを思い出していた。
「行きます」
「即答だね」
「だって見たいです。そんな魔法」
研究院の試験のためになるかもしれない、という考えも頭の片隅にはあった。けれど、それ以上に純粋な興味が勝っている。魔法を学び始めて十六年経っても、まだ知らないものがいくらでもあると思えば、それだけで心が弾んだ。
「テオも来るみたいだよ」
「テオも?」
「ヴィクトルの助手」
「じゃあ、明日は師弟二組ですね」
「向こうと一緒にしないでほしいなあ」
「何が違うんです?」
「僕の方が優しい」
「それは否定しませんけど、その代わり適当です」
「フィオナ」
不満そうな声を聞き流しながら、フィオナは手紙の日付を確かめる。
「いつです?」
「明日の午前十時」
「じゃあ八時半に出ましょう」
「九時半でよくない?」
「だめです」
「間に合うよ」
「師匠の『間に合う』は信用してません」
ローレンスはしばらく黙り込み、やがて深いため息をついた。
「……ヴィクトルが二人いる」
「何がです?」
「僕を朝から急かす人」
「自業自得です」
げんなりした顔をしながらも、その手はすでに便箋をもう一度開いている。どうやら面倒だという気持ちより、魔法使いとしての好奇心が勝ち始めているらしい。
フィオナも同じだった。
窓の向こうには、穏やかな春の青空が広がっている。その空とは違う夜が、百年以上眠り続けた温室の中にある。
明日になれば、それを自分の目で見ることができる。
まだ見ぬ星空を思い浮かべながら、フィオナは知らず、小さく笑っていた。




