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猫とボクと普通(?)の日々  作者: zaq2
第四部 雪がみせる街
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第九章 十二月二十六日

 十二月二十六日。

 雪は残っていた。

 道路脇にも。

 屋根にも。

 駐車場にも。

 昨日までと大きく変わらない白さがある。

 だが。

 昔の人影は、一つも出なかった。


「午前九時、確認なし」


 千尋は端末へ入力する。


「十時、確認なし。定点三か所、異常なし」


 宮坂が観測記録を横から見る。


「雪が残ってても出ない」

「はい」

「じゃあ雪そのものが原因、ではないな」

「少なくとも、雪があるだけじゃ足りないです」


 千尋は暫定報告の文章を読み直した。

 発生機序不明。

 大規模積雪との相関あり。

 過去の一定時期における都市情報が、何らかの形で現在へ再現された可能性が高い。

 現象側から現在の人・物への明確な物理干渉は確認されず。

 主な危険は、現代側の住民が過去の街路・人影を誤認することで生じる二次事故。


「これで上げます」

「原因は?」


 宮坂が聞く。


「不明です」

「いいのか」

「分からないものを、分かったことにしない方がいいです」


 言ってから。

 千尋は少し笑った。


「最近、誰かに似てきたな」

「嫌な言い方しないでください」


 宮坂も笑った。


     *


 昼前。

 事務所の扉が開いた。

 田辺が顔を上げる。


「あら」


 入ってきたのは、五十代くらいの男だった。

 田辺が入口脇の応接スペースへ案内する。

 手には紙袋。

 洋菓子店の名前が入っている。


「何しに来たの」

「これ」


 男が紙袋を応接テーブルへ置く。


「何」

「ケーキ」

「見れば分かるわよ」

「昨日の売れ残り。安くなってたから」

「それで、わざわざ持ってきたの?」

「半額だったんだよ。ここも何人かいるだろ」


 千尋は端末から顔を上げた。

 二人のやり取りを聞いて、田辺の夫だと分かった。


「ありがとう」

「だから、売れ残りだからな」

「はいはい」


 千尋は少しだけ目を逸らした。

 夫婦の会話へ入るべきではない。

 そう思ったが。


「昨日、すごかったな」


 男が窓の外を見る。


「こんな雪、昔以来じゃないか」

「私もそう思ってたところ」

「覚えてる?」

「子供の頃に大雪があったのはね。あなたは?」


 男が鼻で笑う。


「忘れるかよ」


 千尋の手が止まった。

 椅子ごと、応接スペースの方へ向き直る。


「何かあったんですか?」


 つい聞いてしまった。

 男が千尋を見る。


「ああ、すみません。幸徳井です」

「いつも家内がお世話になってます」

「こちらこそ」


 田辺が肩をすくめる。


「この人、昔から妙なことだけ覚えてるのよ」

「妙じゃない」

「じゃあ何があったの?」


 夫は少し嫌そうな顔をした。

 話したくないというより、恥ずかしいらしい。


「ガキの頃だよ」


 それでも、口を開いた。


「クリスマスの前だったか、当日だったか。悪さして親父に怒られてな」

「悪さって?」

「覚えてない」

「都合の悪いところだけ」

「うるさいな」


 夫は続ける。


「まだ雪がそんなひどくない時で。家の近くで頭冷やしてこいって言われたんだよ」


 千尋は顔を上げた。


「それで?」

「腹立って、ばあちゃん家に行ってやるって思って」


 千尋の頭に、昨日の少年が向かった二つ目の住宅地が浮かぶ。


「行ったんですか?」

「途中までは」

「途中?」


 夫が苦笑する。


「歩いてるうちに、俺も悪かったかなって思ってきて」

「それで帰った?」

「すぐ帰ったら、負けたみたいで嫌だろ」


 田辺が呆れた顔をする。


「何と戦ってるのよ」

「子供なんてそんなもんだろ」


 千尋は何も言わなかった。

 胸の中で、昨日の少年が歩いている。

 最初の住宅地へ向かう。

 止まる。

 戻る。

 別の住宅地へ向かう。

 入らない。

 商店街へ行く。


「商店街にも行きました?」


 夫が少し驚いた。


「よく分かったね」

「えっと……昨日、昔の街の話をいくつか聞いてまして」


 完全な嘘ではない。


「行ったよ。クリスマスで店が明るくてさ。玩具屋見たり、ケーキ屋見たり」

「それで?」

「余計に帰りたくなった」


 夫が笑った。


「家帰ればケーキあるの分かってたし」

「そこ?」

「そこもだ」


 田辺がため息をつく。


「結局どうしたの」

「帰ったよ」

「何時頃?」

「知らん。暗くなる前後じゃないか」


 夫は少し遠くを見る。


「玄関の前まで行って、また一回やめようかと思ったのは覚えてる」

「面倒くさい子供」

「最後は帰ったんだからいいだろ」


 千尋の頭に、少年が最後に消えた場所が浮かんだ。

 古い住宅地。


「怒られました?」

「まあな」

「クリスマスは?」

「普通にやったよ」


 夫は紙袋を軽く叩く。


「ケーキも食った」


 それだけだった。

 死んでいない。

 消えていない。

 特別な因縁もない。

 ただ。

 怒られた子供が意地を張って、帰ろうか帰るまいか迷いながら街を歩いた。

 それだけ。


「……そういうことか」


 千尋が小さく言う。


「何?」


 田辺が見る。


「いえ。こっちの話です」


 少年も、例外ではなかった。

 現在を見ていたわけでもない。

 何かを探していたわけでもない。

 あの日。

 本当に、行ったり来たりしていただけだった。


     *


 夫が帰ったあと。

 田辺はケーキの箱を冷蔵庫へ入れた。


「何だったの?」


 千尋へ聞く。


「昨日、似た動きの子供を記録してたんです」

「似た動き?」

「家に帰ろうとして、やめて。別の家へ行こうとして、やめて。商店街を歩いて」


 田辺の手が止まる。


「……まさか」

「たぶん」


 千尋は頷いた。


「昔のご主人だと思います」


 田辺は数秒黙っていた。

 それから。


「昔から面倒くさいのねえ」


 千尋は吹き出した。


「そこですか」

「そこよ」


 田辺も笑う。


「でも、帰ったのよね」

「はい」

「なら、いいじゃない」


 短い言葉だった。

 千尋は窓の外を見る。

 雪はまだ街に残っている。

 昨日まで、その上を昔の人たちが歩いていた。

 買い物へ行く人。

 働く人。

 家へ帰る人。

 帰ろうか迷う子供。

 どれも。

 その時には、ただの日常だった。

 千尋は暫定報告の最後へ、一文を追加した。

 再現内容に、特定の死・未練・敵意を示す一貫した傾向は認められない。

 そこで手を止める。

 原因は分からない。

 なぜ、こんな形で見えたのかも分からない。

 そもそも。

 誰かが見せたものなのかさえ、分からない。

 だから。

 分からないまま、残す。


「一区切りついた?」

 田辺が聞く。

「はい」

 千尋は端末から手を離した。

「じゃあ、お茶にしましょうか」

「ケーキも?」

「そのために持ってきたんでしょう」

「やった」


 外では。

 今の街だけが、雪の中にあった。

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