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猫とボクと普通(?)の日々  作者: zaq2
第四部 雪がみせる街
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第八章 昔のクリスマス

 十二月二十五日。

 夕方になると、街の見え方が変わった。

 最初に気づいたのは、音だった。

 どこかで、店の引き戸が開く。

 笑い声。

 自転車のベル。

 遠くで誰かが子供を呼ぶ声。

 けれど、その場所へ行っても人はいない。

 今の店は閉まっている。

 道に自転車もない。


「濃くなってる」


 千尋は旧商店街の入口で立ち止まった。

 雪はまだ降っている。

 その雪の向こうに。

 今はない看板が、ぼんやりと浮かんでいた。

 赤い文字。

 古い照明。

 その下を、人が歩く。

 二人。

 三人。

 家族連れ。

 買い物袋を下げた女性。

 走る子供。

 一匹の犬。

 現在の商店街より、人が多い。


「昔は、こんなだったんですね」


 足元近くで、タマモも通りを見ていた。


「そうらしいの」


 今営業している洋菓子店の前では、現在の客と過去の客が同じ入口へ向かっていた。

 外から見れば、どちらが今の人なのか分からない。

 店の扉が開いた時だけ、現在の客が分かる。

 過去の客は扉を動かさず、そのまま中へ消える。

 少し先。

 現在はシャッターの下りた店へ、人影が次々入っていく。

 最初に見た時なら怪異にしか見えなかった光景が。

 今は、昔の店が開いていたのだと思えば自然に見えた。


「普通だったんだ」


 千尋が言う。


「何がじゃ」

「今見えてることです」


 壁へ消える人も。

 閉まった店へ入る客も。

 駐車場を斜めに横切る人も。

 全部。

 その時には、ただ普通に歩いていた。


「昔は、何もおかしくなかった」


 タマモは返事をしなかった。

 ただ、雪の向こうを見ている。


     *


 綺麗だと思っている余裕は、長く続かなかった。

 無線が鳴る。


『幸徳井さん、東側の交差点。人が車道へ出ようとしてます』


 警察からだった。


「今行きます」


 千尋は走った。

 タマモも、踏み固められた歩道をついてくる。

 交差点では、高齢の男性が歩道の端に立っていた。

 道路の向こうを見ている。


「あそこ、道だろ」


 警察官にそう言っている。


「そっちは今、道じゃありません!」


 千尋が声をかけた。

 男性が振り返る。


「今は車道です。渡るなら横断歩道からお願いします」

「いや、でも向こうに人が」


 男性の視線の先。

 雪の中を、何人かが歩いている。

 昔の細い道に沿って。

 現在では、その線を交通量のある道路が横切っている。

 人影は車を見ない。

 そのまま進む。

 一台の車が雪を巻き上げながら横切り、人影を隠した。

 次に見えた時には、人影はもう車道の向こう側を歩いていた。

 男性が息を呑んだ。


「……今」

「見間違いです」


 千尋は即座に言った。

 今は、それでよい。


「雪で見えづらくなってます。危ないので、ここから渡らないでください」


 警察官が男性を歩道の内側へ誘導する。

 千尋は無線へ戻った。


「東側、注意継続。歩行者が車道へ出ようとするかもしれません。人影を追って入らないよう、誘導をお願いします」

『了解』


 次は、旧水路跡。

 その次は立体駐車場の入口。

 過去の道と現在の危険が重なる場所を、順番に回る。

 現象を止めるのではない。

 今の人を、今の街から外さない。


     *


 あの少年を再び見つけたのは、午後六時前だった。

 不機嫌そうな顔のまま、商店街を歩いている。


「いた」


 千尋は足を止めた。

 タマモも見る。

 少年は洋菓子店の前で立ち止まった。

 明るい店内。

 過去の客が出入りしている。

 箱を抱えた人。

 親に手を引かれた子供。

 今の店内は、昨日と同じように静かだ。

 だが外からは。

 昔のクリスマスの賑わいが重なっている。

 少年はしばらくそれを見ていた。

 それから。

 最初に向かっていた住宅地の方へ歩き始めた。


「また戻るかな」


 千尋が言う。

 これまでなら、途中で止まった。

 引き返した。

 別の道へ行った。

 少年は交差点へ出る。

 立ち止まる。

 千尋は息を詰めた。

 少年が振り返る。

 商店街を見る。

 少しだけ唇を噛む。

 そして。

 前を向いた。

 歩き出す。


「行った」


 今度は戻らない。

 昔の住宅地へ向かう。

 現在は区画が変わり、当時の家並みは残っていない。

 少年は迷わず進む。

 現在の塀を抜ける。

 小さな駐車場を横切る。

 新しい家の庭先へ入るように見える。

 そこで。

 消えた。

 千尋はしばらく、その場所を見ていた。

 足元で、タマモが腰を下ろす。

 千尋もその場にしゃがんだ。


「帰った、のかな」


「そう見えた、というだけじゃ」

「分かってます」


 返事をして。

 千尋は少し笑った。


「でも、そうだったらいいなって」


 タマモは何も言わなかった。

 ただ尾の先を一度、雪の上で動かした。


     *


 七時を回る頃。

 千尋は足元のタマモのそばにしゃがんだ。


「タマモさん、今日はもう大丈夫です」

「何がじゃ」

「こっちは人を配置できました。危ない場所もだいたい押さえました」


 タマモが千尋を見る。


「追い返す気か?」

「違います」


 千尋は笑った。


「クリスマスなんでしょう」


 タマモの耳が、ぴくりと動いた。


「……それが何じゃ」

「主様と過ごすんじゃないんですか?」


 一拍。

 タマモの尾が、すっと上がる。

 本人の顔は、ひどく平静だった。


「無論じゃ」

「じゃあ帰ってください」

「千尋」

「はい」

「妾が邪魔になったような言い方をするでない」

「してませんよ」


 していない。

 本当に。

 ただ。

 その尾を見ると、どうしても笑いそうになる。


「ここは任せてください」


 千尋は言った。

 タマモは少しだけこちらを見る。


「……そうか」


 そして、旧商店街の方を見る。

 昔の人影が歩いている。

 雪の向こうに、昔の灯りが浮かんでいる。


「では、任せよう」


 タマモは立ち上がった。


「何かあれば呼べ」

「はい」

「ただし、つまらぬことで呼ぶでないぞ」

「善処します」

「善処では困る」


 そう言って、三毛猫は雪の道を歩いていった。

 家へ。

 主様と過ごすために。


     *


 夜が深くなるにつれて、昔の街は薄くなった。

 八時。

 まだ人影がある。

 九時。

 音が減る。

 十時。

 見えるものが、ほとんどなくなる。

 十一時前。

 最後に確認されていた古い店の灯りが消えた。


「観測値は?」


 電話で宮坂へ聞く。


『大きな変化なし。というか、最初から決定的な値は出てない』

「ですよね」

『そっちは?』

「今のところ、もう見えません」


 千尋は商店街を見た。

 今の街だけがある。

 閉まったシャッター。

 積もった雪。

 街灯。

 営業を終えた洋菓子店。


「止まった、のかな」


 誰も封じていない。

 何も倒していない。

 何かを祓ったわけでもない。

 ただ。

 見えなくなった。


『明日の朝、もう一度確認だな』

「はい」


 千尋は電話を切る。

 雪はまだ残っている。

 空からも、細かな雪が落ち続けている。

 けれど。

 昔の街は、もう見えなかった。

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