第七章 帰らない少年
少年を最初に見たのは、十二月二十五日の午後二時過ぎだった。
千尋は、旧商店街から少し離れた住宅地にいた。
昔の道と現在の道路が大きく食い違う場所を確認していた時だった。
式神が、人影を拾った。
「子供?」
十歳前後に見える。
厚手の上着。
長ズボン。
雪の日らしい格好ではあるが、今の子供が着ているものとは少し形が違う。
少年は、道路の端を歩いていた。
今の道路ではない。
古い地図で見ると、そこには細い生活道があった。
ここまでは、もう珍しくない。
千尋は少年の進路を確認する。
昔の道を東へ。
その先には、当時の住宅地がある。
「帰るところかな」
独り言を言ってから、千尋は首を振った。
勝手に意味をつけるな。
今見ているのは、過去の出来事らしい。
本人に尋ねることはできない。
少年は交差点まで行った。
そこで止まる。
右を見る。
左を見る。
少しだけ、来た道を振り返る。
そして。
戻った。
「え?」
千尋は地図を見る。
少年は今来た道を、反対向きに歩き始める。
しばらく行くと、別の道へ曲がった。
「何してるんだろ」
ただの移動なら、妙だった。
だが、昔の本人がそう動いたのなら、それが記録されているだけかもしれない。
千尋は式神を一体、少年の上へ回した。
追う。
*
少年は、地理的には迷っていなかった。
それが余計に妙だった。
角を間違えない。
行き止まりへ入らない。
昔の道だけを使っている。
なのに。
進んでは戻る。
東側の住宅地へ向かっては引き返す。
別の住宅地へ向かっては、その手前で止まる。
旧商店街へ出る。
店先を見て歩く。
また住宅地へ戻る。
千尋は三十分ほど追ってから、タマモへ連絡した。
合流したのは、商店街の軒下だった。
三毛猫の姿で雪を避けながら、タマモが少年を見る。
千尋もその横へしゃがみ、同じ方向を見た。
「どれじゃ」
「あの子です」
少年は、現在はシャッターの下りた玩具店の前で止まっている。
昔は営業していたらしい。
ガラスの向こうを覗くような仕草をした。
今そこにあるのは、錆びたシャッターだけだ。
「見えてます?」
「うむ」
「今を見てるように見えません?」
「何故じゃ」
「ずっと行ったり来たりしてるんです。東側の住宅地へ行って、やめて、別の方へ行って」
タマモは少年を見続けた。
「呼んでみたか?」
「反応しません」
「式は?」
「目の前を横切らせました。見てません」
少年が歩き出す。
千尋も立ち上がる。
タマモは視線だけで追う。
「妾にも、こちらを見ておるようには思えぬ」
「でも、他の人より動きが変じゃないです?」
「妙ではあるな」
タマモは否定しなかった。
「ただし」
尾の先が一度動く。
「妙であることと、こちらを認識しておることは別じゃ」
「はい」
「今のところ、あれも昔の道を外しておらぬ」
その通りだった。
迷っているように見える。
だが地図上では、少年は一度も存在しなかった道へ入っていない。
「じゃあ、昔からこうだった?」
「そう考える方が、今までのものとは合うであろうな」
千尋は少年の背中を見る。
子供が、昔の雪の街を歩いている。
何度も行ったり来たりしながら。
「何してたんだろ」
「それは本人にしか分からぬ」
タマモの答えは、いつも通りだった。
*
少年の動線を地図へ落とすと、二つの住宅地と商店街のあいだを行き来していたことが、改めてはっきりした。
千尋は一度事務所へ戻り、宮坂と田辺へ見せた。
「こっちは?」
田辺が、二つ目の住宅地を指した。
「ここまで行って、手前で戻ってます」
「この辺り、昔は親戚同士で近くに住んでる家も多かったからねえ」
「親戚?」
「おばあちゃんの家とか、おじさんの家とか。歩いて行ける距離にあるの、珍しくなかったわよ」
千尋は地図へ目を戻した。
「じゃあ、誰かの家へ行こうとしてた可能性も?」
「可能性はあるけど、それ以上は分からないわね」
「商店街では、玩具店と菓子屋の前でも止まってます」
「なら、買い物だけが目的とも言い切れないな」
宮坂が言う。
結局、この時点で分かったのはそこまでだった。
*
夕方近く。
少年はまた現れた。
今度は、旧商店街の東側。
千尋はすぐ現場へ向かった。
タマモも同行する。
少年は、これまでの人影よりはっきり見えた。
雪が少し弱まっているせいかもしれない。
顔まで見える。
不機嫌そうな顔。
何かを我慢しているような顔。
「……怒ってる?」
千尋が小さく言う。
「そう見えるな」
少年は立ち止まった。
最初に向かっていた住宅地の方を見る。
反対を見る。
唇を尖らせる。
そして反対へ歩く。
「今の、あっちへ行こうとしてやめたように見えませんでした?」
「見えた」
「ですよね」
千尋は一歩追う。
「待って」
声をかける。
少年は止まらない。
「聞こえてない」
もう一度。
「ねえ!」
反応はない。
少年は雪の中を歩いていく。
千尋の横を、人が一人通った。
現在の買い物客だ。
その人は少年を見た様子もなく、傘を傾けて通り過ぎる。
「見える人と、見えない人もいる?」
「あるいは、見えても気に留めぬか」
タマモが答える。
少年は、また昔の道へ曲がった。
「追います」
「うむ」
二人は後を追った。
少年は迷子ではない。
道を知っている。
どこへ行けば何があるかも、知っているように見える。
それなのに、どちらか一方へ決めて進もうとはしない。
千尋は、その背中を見ながら思った。
この子は、何かを決めかねているように見える。
だが。
何を迷っているのかまでは、まだ分からなかった。




