第六章 次に現れる場所
十二月二十五日。
雪は、朝になっても街を白く覆っていた。
降り方そのものは昨日より少し弱い。
それでも、道路脇に寄せられた雪は人の膝ほどまで積み上がり、細い道では車がすれ違うのも難しくなっている。
千尋は事務所の机いっぱいに広げた地図を見下ろしていた。
現在の住宅地図。
四十年以上前の住宅地図。
旧商店街の案内図。
前日までの目撃時刻。
それぞれに、色の違う付箋が貼られている。
洋菓子店の古写真と店主の話から、大雪だった四十年以上前の時期も候補に入れていた。
「また増えたな」
宮坂が、湯気の立つ紙コップを机の端へ置いた。
「夜の分です」
「警察から?」
「警察と、除雪の担当と、あと二件は地域の協力者から回ってきた話です」
千尋は付箋を一枚指で押さえる。
「でも、昨日までみたいに『壁へ入った』とか『閉まった店に入った』って話だけじゃないです」
「普通に歩いていた、も混じってる」
「はい。昨日、聞き取り方を変えてから拾えた分です」
国道沿いの除雪作業員も、ただの歩行者だと思っていた人影をいくつか覚えていた。
怪異として通報されなかっただけで、現象そのものは大通りにも出ていた可能性がある。
「昨日の仮説は、ひとまず補強されたな」
「はい」
「で、今日は何を見る」
宮坂に聞かれて、千尋は一枚の紙を持ち上げた。
今朝、同じ特徴の人物が三度見られている。
濃い色のコート。
片手に細長い包み。
九時十分、旧商店街の西端。
九時四十分、その東へ二百メートルほど進んだ交差点。
十時十分、さらに先の、今は駐車場になっている場所。
「同じ人間だと思うか?」
「断定はできません。でも、服と持ち物はかなり似ています」
千尋は古地図の上を指でなぞった。
「昔は、この三か所が一本の道でつながってます」
「今は途中で切れてる」
「はい」
再開発で一部が消え、現在は建物と駐車場に分断されている。
だが昔なら、そのまま東へ歩けた。
「この人が同じ人で、今朝見えた順番も昔の移動をそのまま拾ってるなら」
千尋の指が、さらに東へ進む。
古い地図では小さな広場。
現在はコンビニと、その裏の空き地。
「次に出るなら、ここです」
宮坂は地図を見た。
しばらくしてから言う。
「時刻は?」
「三件の間隔がそのままなら、十時四十分前後」
「今、十時十二分」
「行けます」
宮坂は何も言わず、壁の時計を見る。
「観測具、持ってけ」
「はい」
「何も出なかったら?」
「外れです」
「それだけか」
「それだけです」
千尋は上着を取った。
「外れたら、考え直します」
*
予測地点へ着いたのは、十時二十八分だった。
現在の広場はない。
コンビニの駐車場と、裏手の空き地。
その間を細い生活道路が通っている。
千尋は道路脇へ立ち、古地図を確認する。
昔の道は、今の駐車場を斜めに横切っていた。
さらに先で、当時の小さな広場へ出る。
現在なら、コンビニの建物へぶつかる位置だ。
「寒」
手袋の中で指を動かす。
式神を一体だけ飛ばした。
紙の小鳥が雪の中を低く回り、駐車場の上を巡る。
観測具は反応しない。
大きな妖力も、霊力もない。
空間変動の値も、目立って変わらない。
昨日までと同じだった。
十時三十五分。
何もない。
十時三十八分。
コンビニへ客が一人入った。
十時四十分。
何もない。
「外れたかな」
千尋が呟いた、その時だった。
式神から視界が返ってきた。
駐車場の西側。
雪の向こうに、人影がある。
「来た」
濃い色のコート。
片手に細長い包み。
男か女かは、雪越しでははっきりしない。
人影は、駐車場へ入った。
車を避けない。
駐車枠も見ていない。
ただ真っ直ぐ、斜めに進む。
古地図の道と同じ線を。
千尋は地図を見る。
人影を見る。
もう一度地図を見る。
「そのままなら」
人影の進路の先には、コンビニの壁がある。
だが古地図では。
「広場」
人影が壁へ近づく。
一歩。
二歩。
そして。
何の抵抗もなく、そのまま壁の向こうへ消えた。
千尋は息を吐いた。
嬉しいわけではない。
怪異が当たったことを喜んでよいものでもない。
それでも。
「当たった」
説明だけではなかった。
古い街の状態を使えば、次にどこへ出るかを読める。
少なくとも、今見たものについては。
*
事務所へ戻る前に、千尋は修司へ電話した。
数回の呼び出しの後、低い声が出る。
『どうした』
「すみません、会議中でした?」
『休憩だ。今ならいい』
千尋は簡潔に説明した。
過去の道との一致。
目撃情報の偏り。
生存している人物の過去姿。
そして今朝、古地図と移動順から次の出現地点を予測し、実際に確認できたこと。
修司は途中で口を挟まなかった。
『で、お前はどう見る』
最後に、それだけ聞いた。
「敵意は低いと思います」
『理由は』
「今のところ、現象側から現在の人へ働きかけた例は確認できていません。少なくとも、確認できた人影は昔の街に沿って動いてます」
『危険はない?』
千尋は少し黙った。
「あります」
『何が危ない』
「現象そのものじゃなくて、見る側です」
すでに、人影を追って危ない場所へ入りかけた例がある。
昔の道が、今は車道になっている場所もある。
消えた路地の先が、現在は段差や工事区画になっているところもある。
「過去の道を今の道だと思って歩いたら危ない。人影を本物の人だと思って追いかけるのも危険です」
『なら、何をする』
千尋は答えを待った。
だが、電話の向こうは黙っている。
「……倉橋さん?」
『聞いてる』
「判断、もらえます?」
『何の』
「現場対応です」
一拍。
『現場を見てるのはお前だろ』
千尋は口を閉じた。
『電話越しの俺が決める方がおかしい』
「でも」
『分からないところは聞け。必要なら応援も上げる。だが、今そこにいる担当はお前だ』
言われてしまった。
千尋は雪の積もった歩道を見る。
少し遠くを、除雪車がゆっくり進んでいる。
「……分かりました」
『何をする』
「現象そのものを止める前提では動きません」
口に出すと、考えが形になった。
「危険になる場所を先に洗います。昔の道と今の危険箇所が重なるところ。交通量のある道路、段差、工事区画、水路。そこを優先して見ます」
『うん』
「警察と除雪側には、雪で視界が悪いから歩行者の誤認に注意してほしい、って表向きで共有します」
『うん』
「必要なら、その場だけ人を止めます」
『それでいい』
短かった。
それだけだった。
「……簡単に言いますね」
『お前が言ったんだろ』
「そうですけど」
『じゃあやれ』
電話が切れた。
千尋はしばらく画面を見ていた。
「先輩って、こういう時だけ雑なんだから」
愚痴は出た。
けれど。
さっきまでより、足元は少しだけ固まっていた。
*
午後に向けて、千尋は危険箇所の一覧を作った。
宮坂が古地図と現在の地図を重ねる。
田辺が、市の道路工事と除雪予定を拾う。
千尋が現地対応の順番を決める。
「ここ、昔は橋だったの?」
田辺が古地図を覗き込んだ。
「今は暗渠ですね」
「じゃあ大丈夫そう」
「こっちは?」
「今は立体駐車場の出入口です」
「そこはまずいな」
宮坂が印を付ける。
千尋はその横へ赤い丸を描いた。
「優先します」
それから一瞬、手が止まる。
修司の席は空いたままだ。
昨日までなら、その席へ地図を持っていったかもしれない。
今日は。
自分の机の上で、決めた。
「行ってきます」
千尋は地図を畳んだ。
雪の街では。
今も、昔の誰かが歩いている。
現象そのものを止める必要があるのかも、まだ分からない。
だが。
どこを歩くのかは、少しずつ読めるようになっていた。




