第三章 街じゅうの断片
十二月二十三日。
旧商店街から戻る頃には、空はすっかり暗くなっていた。
雪は止まない。
事務所へ入るなり、宮坂が言った。
「増えたぞ」
「何がです?」
「似たような話だ」
千尋は上着を脱ぐ手を止めた。
机の上に、簡単なメモがいくつも並んでいる。
警察からの共有。
道路管理側からの連絡。
地域の協力者から上がった話。
どれも、それだけなら大したものではない。
「犬が、空き地の真ん中を走っていって消えた」
「はい」
「古い看板が一瞬だけ光って見えた」
「はい」
「誰も使ってない路地から、人の話し声がした」
「……はい」
千尋は一枚ずつ確認する。
「これ、全部今日ですか?」
「午後からだな」
「同じ時間帯に?」
「多少ずれてる。だが、大体雪が強くなってからだ」
田辺が湯飲みを持ってきた。
「はい。まず温まりなさい」
「ありがとうございます」
「タマモちゃんは?」
「小さい妖たちを移しに行きました。こっちは任せるって」
「あら、そう」
田辺は少し残念そうだった。
「何ですか、その顔」
「別に?」
「絶対何かありますよね」
「クリスマスの話、もうちょっと聞きたかっただけよ」
「やめてあげてください」
言いながら、千尋は少し笑った。
だが、机の上のメモへ視線を戻すと笑いは消えた。
「宮坂さん。観測は?」
「大きな変化なし。響振も、空間変動も、これと結びつけられるような値は出てない」
「じゃあ、機械には何も?」
「何も、とは言わない。天候ノイズは増えてる。ただ、異常活動と断定できる波形じゃない」
宮坂は腕を組んだ。
「少なくとも、強い妖力を撒き散らしてる何かが街を歩いてる、って感じじゃないな」
それは、タマモの感触とも合う。
見える。
だが、掴む相手がいない。
「これ、地図に落とします」
千尋は端末を引き寄せた。
目撃地点を一つずつ入力する。
旧商店街。
その裏手。
少し離れた古い住宅地。
再開発で駐車場になった区画。
川沿いの古い道。
増えていく印を見ながら、千尋は眉を寄せた。
「偏ってますね」
「何が?」
田辺が覗き込む。
「目撃場所です。古い方ばっかり」
「古い方?」
「旧商店街とか、昔からある住宅地とか。大通りは全然ない」
宮坂も画面を見る。
「単純に人がいないからじゃないか?」
「大通りなら除雪の人も、配送もいますよね」
「それはいるな」
「でも、変な人影を見たって話はほとんどない」
千尋は画面を拡大した。
「現象が古い地区に偏ってる?」
「そう決めるには早い」
「ですよね」
自分で言って、自分で引っ込めた。
修司がいたら、たぶん同じことを言う。
分からないものを、先に名前で縛るな。
千尋は一つ息を吐いた。
「とりあえず、報告地点だけ分けます。人影、動物、建物っぽいもの、音」
「手伝う」
宮坂が隣の端末を引き寄せた。
*
夜になっても、報告は少しずつ増えた。
数は多くない。
街じゅうが騒ぎになるような量ではなかった。
そもそも外を歩いている人間が少ない。
雪は夕方よりさらに強くなり、商店も早仕舞いするところが増えていた。
それでも。
外にいる必要がある人間はいる。
除雪。
配達。
帰宅途中。
そういう人間が、時々妙なものを見る。
大半は見間違いとして流れる。そのうちのごく一部だけが、警察や道路管理、地域の協力者を通じてこちらへ回ってくる。
「人影が、駐車場の奥へ?」
千尋は電話口で聞き返した。
警察からだった。
「……はい。場所は?」
メモを取る。
旧住宅地。
現在は二軒分の土地をまとめて駐車場にした場所。
配達員が、雪の中を歩く一人の人影を見た。
人影は駐車場を斜めに横切り、奥のフェンスへ向かったという。
そちらに道はないはずだと声をかけたが、反応はなかった。
配達員は追いかけた。
だが途中で、近所の住民に止められた。
フェンスの先には、雪で見えにくくなった深い側溝がある。
人が通れる道はない。
顔を上げた時には、人影もいなかった。
「怪我は?」
ない。
止められたため、側溝までは行かなかった。
千尋は安堵した。
「分かりました。場所は確認します」
電話を切る。
「二次被害が出始めた?」
宮坂が言う。
「まだ未遂ですけど」
「同じことが続けば、そのうち未遂じゃ済まなくなる」
「はい」
千尋は上着を取った。
「行くの?」
田辺が心配そうに見る。
「場所だけ見てきます。人が入らない方がいいなら、警察にも伝えないと」
「この雪よ」
「だからです」
雪のせいで見間違える。
雪のせいで足元も悪い。
そして、何かを見た人間が追いかければ、それだけ危険が増える。
「宮坂さん、事務所お願いできますか」
「こっちは任せろ。何かあったらすぐ戻れ」
「はい」
*
現場の駐車場には、警察官が一人残っていた。
千尋は事情を聞き、配達員が見たという方向へ歩く。
駐車場の奥。
フェンス。
その向こうに、雪をかぶった側溝。
確かに、道はない。
「人影は、こっちへまっすぐ?」
「そう聞いてます」
警察官が答える。
「この辺、昔からこんな感じですか?」
「いやあ。そこまでは。俺もこの地区の出じゃないんで」
千尋は端末に位置を記録する。
風が強い。
視界が白くなる。
何かが見えた。
駐車場の入口。
人影。
「……あ」
警察官も気づいた。
男だった。
傘も差さず、雪の中を歩いてくる。
少し古い形のコートに見える。
男は千尋たちを見ない。
駐車場を斜めに横切る。
「すみません!」
千尋が呼ぶ。
反応はない。
男はそのまま進み、フェンスの手前まで来る。
その時、強い風が吹きつけた。
舞い上がった雪が、一瞬だけ視界を白く潰す。
次に見えた時には。
フェンスの手前に、男はいなかった。
向こう側にも、それらしい姿は見えない。
警察官が息を呑む。
「今の人……」
「追わないでください」
千尋はすぐに言った。
「でも」
「追わないで。向こうは道じゃありません」
男の姿は、もうどこにも見えなかった。
千尋はフェンス越しにその場所を見る。
何もない。
雪だけだ。
*
事務所へ戻ったのは、日付が変わる少し前だった。
田辺は先に帰っている。
宮坂はまだ残っていた。
「見たのか」
「はい」
千尋は濡れた上着を掛ける。
「駐車場を横切って、フェンスの手前で消えました」
「中身は?」
「追ってません。危ないので」
「それでいい」
宮坂が頷く。
「場所、追加しとけ」
「もうしました」
千尋は地図を開いた。
印が増えている。
旧商店街。
古い住宅地。
駐車場。
裏道。
今は使われていない場所。
「何なんでしょうね」
「分からん」
「はい」
千尋は画面を見続けた。
人影そのものに共通点はない。
年齢も。
性別も。
服装も。
動物まで混じる。
中心も見えない。
ただ。
妙な場所ばかりで見つかっている。
「……なんで、こんなところばっかりなんだろ」
答えはまだなかった。




