↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫とボクと普通(?)の日々  作者: zaq2
第四部 雪がみせる街
PR
42/51

第一章 雪の日の事務所

 十二月二十三日。

 朝から、雪は止む気配を見せなかった。

 幸徳井千尋は、事務所の窓から外を見て、もう一度天気予報の画面へ目を戻した。

 昨夜の時点では、積もっても数センチ程度という話だった。

 それが朝になってみれば、駐車場の白さはもう「少し積もった」で済む量ではない。

 除雪車が通ったあとにも、細かな雪が絶え間なく降り続けている。


「まだ強くなるって」


 一般事務を担当する田辺が、机の上へ湯気の立つ湯飲みを置きながら言った。


「午後の方がひどいみたいよ」

「本当ですか」

「道路情報も真っ赤。電車も遅れ始めてるって」


 千尋は端末に表示された交通情報を閉じた。

 隣の机が空いている。

 倉橋修司の席だった。

 昨日から、本部での定例会と情報交換のため出張に出ている。戻るのは数日先だ。

 連絡が取れないわけではない。

 何かあれば電話すればよい。

 ただし、現場に来てもらうことはできない。

 分かっていたことではある。

 それでも、いつも座っている人間がいない机というものは、妙に広く見えた。


「倉橋さん、いい時にいないですよね」


 千尋が言うと、向かいで機材箱を開けていた宮坂が顔を上げた。


「本人に言うなよ」

「言いませんよ」

「言ったら『俺だって好きで行ってるわけじゃない』って返ってくるぞ」

「それも想像できます」


 宮坂は、事務所で特殊機材や祭具の管理を担当している。

 今日は朝から、降雪で外部観測機器に異常が出ていないかを順番に確認していた。

 机の脇には、点検を終えた小型測定器が二台並んでいる。


「外のセンサーは?」

「今のところ正常。雪そのものに変な反応はない」

「普通の雪ですか」

「普通じゃない雪だったら、朝からもっと忙しい」


 それはそうだ。


「でも、すごいわねえ」


 田辺が窓へ顔を向けた。


「この街で、こんなに積もるなんて何十年ぶりかしら」

「そんなにですか?」

「ここまでならね。降ることはあるけど、こんなに朝から積もるのは珍しいわよ」


 田辺はこの街で長く暮らしている。

 特事の専門知識とは別のところで、街のことなら三人の中で一番よく知っていた。


「昔もあったんですか」

「子供の頃に一度あったかなあ。クリスマスの頃だったと思うけど」


 田辺は少し考え、それから笑った。


「まあ、何十年も前の話よ。細かいところまでは覚えてないわ」


 そう言って、伝票の束を持って自分の席へ戻っていく。

 千尋も自分の端末へ向き直った。

 雪は珍しい。

 だが、珍しいだけなら特事の仕事ではない。

 今日は道路と交通機関に気をつけながら、溜まった記録を片づける一日になるだろう。

 そう思っていた。


     *


 午前十時を少し回った頃だった。

 事務所の入口で、控えめな音がした。

 扉を叩く音ではない。

 硬いものが、扉の下の方へ軽く当たったような音だった。

 田辺が顔を上げる。


「今の、何かしら」


 千尋が立ち上がるより早く、もう一度。

 こつ。

 今度は明らかに、扉の下の方から聞こえた。

 千尋には、その音に覚えがあった。

 入口へ向かう。

 扉を開ける。

 足元に三毛猫が座っていた。

 頭と背にうっすら雪を乗せている。


「やっぱり」


 三毛猫――タマモが千尋を見上げた。


「千尋か。ちょうどよい」


 そう言うと、タマモはそのまま中へ入ってきた。

 タマモがこうして事務所へ顔を出すこと自体は、もう珍しくない。人の側へ聞きたいことがある時など、時折こうして訪れる。田辺とも、もう顔見知りだった。


「ちょっと待ってください。足」


 千尋が慌てて入口のタオルを取る。

 タマモは一度こちらを見たあと、素直に止まった。


「雪がついてます」

「この程度、放っておけば乾くであろう」

「床が濡れます」

「……それは、すまぬ」


 前足を一本ずつ拭く。

 後ろ足も拭く。

 大妖怪の足を事務所の玄関で拭いているという状況には、もう深く考えないことにした。


「あら、タマモちゃん」


 田辺が椅子から振り返った。


「寒かったでしょう」

「妾はこの程度ではどうということもない」

「そう。じゃあ暖房の前、空いてるわよ」

「……用が済んでからにする」


 言いながら、タマモの耳が暖房の方へ一度向いた。

 千尋は見なかったことにした。


「今日はどうしたんですか?」


 千尋が自分の席へ戻ると、タマモもそのあとをついてきた。

 机の端へ軽く飛び乗り、書類のない一角に腰を下ろす。

 椅子に座った千尋と、ちょうど顔の高さが近くなった。


「少々、人の側の事情を聞きたい」

「人の側?」

「うむ。今朝、少々気になる話を聞いてな。確かめるなら早い方がよかろうと思うて来た」

「北の外れに、古い集会所があるであろう」


 千尋はすぐには分からなかった。

 田辺が口を挟む。


「北町の旧集会所?」

「それじゃ。今は使われておらぬ」

「ああ、あそこね」


 さすがに早い。


「その裏に空き地がある」


 タマモは続けた。


「端に古い物置と、生垣の残りがあるのじゃが、そこを冬の間だけ使っておる小さいのが三つほどおる」

「妖ですか?」

「そうじゃ。人に害をなすようなものではない。雪を避ける場所として都合がよいらしい」


 千尋は頷いた。


「それが、今朝から騒いでおってな。人の大きな車が来て、空き地へ雪を運ぶと言うておる」

「除雪の雪置き場?」

「おそらくは。それが本当なら、先に移さねばならぬ」


 なるほど。

 怪異案件ではない。

 むしろ、あまりにも生活じみている。

 だがタマモたちの側からすれば、市の除雪計画など知りようがない。

 人の側も、あの物置に小さな住人がいるとは認識していない。


「確認します」


 千尋が端末へ手を伸ばすと、田辺が先に立ち上がった。


「私、土木の方に聞いてみるわ。あそこなら市有地だったはずだから」

「お願いします」


 田辺が電話を取る。

 タマモはその様子をじっと見ていた。


「こういう相談、灰尾にはしないんですか?」


 千尋が何気なく聞くと、タマモの尾が一度だけ机を打った。


「あれに人の除雪計画を聞いて、何が分かる」

「ですよね」

「そもそも、あやつは聞いたところで『面倒だ』と言う」


 容易に想像できた。


「でも、最後には見に行きそうですよね」

「……それが余計に面倒なのじゃ」


 千尋は少し笑った。

 先日の一件以来、灰尾と千尋たちとの距離はほんの少し変わった。

 仲良くなった、と言えば本人は全力で否定するだろう。

 だが、必要なら話は聞く。

 必要なら手も貸す。

 今はそれで十分だった。


「確認できたわよ」


 田辺が受話器を置いた。


「今日の午後から、あそこの空き地の半分を一時的な雪置き場に使う予定だって。集会所側から順番に入れるみたい」

「物置はどちらじゃ」

「集会所から見て奥?」

「奥じゃ」

「じゃあ、今日すぐ埋まることはないと思う。でも、この降り方だと明日以降は分からないって」


 タマモが小さく頷いた。


「十分じゃ。日があるうちに移しておこう」

「移す場所はあるんですか?」

「ある。近くの古社の裏を借りる話はついておる」


 話が早い。

 人の事情だけ分かれば、あとは妖の側で片づけられるということらしい。


「助かった。礼を言う」

「いえ。このくらいなら」


 タマモは立ち上がると、机から軽く飛び降りた。

 そのまま入口へ向かうのかと思ったが、足は反対へ向く。

 暖房の前だった。

 そして、何事もなかったように座る。

 千尋は今度こそ笑いそうになった。


「用は済んだんじゃないですか?」

「外は雪じゃ」

「さっき『この程度どうということもない』って」

「どうということもないことと、暖かい場所におることは別であろう」


 正論だった。


     *


「そういえば、クリスマスねえ」


 田辺がそんなことを言い出したのは、昼前だった。

 電話の向こうで、市の担当者が「クリスマス前にこの雪は勘弁してほしい」と愚痴っていたらしい。


「今年も小さいのくらい買おうと思ってたけど、取りに行けるか怪しくなってきたわね」

「田辺さん、毎年買うんですか?」

「昔はね。子供が家にいた頃はちゃんと。今は小さいので十分」


 田辺は伝票へ印を押しながら答えた。


「宮坂さんは?」

「俺に振るのか」

「せっかくなんで」

「実家にいた頃は神社の手伝いでそれどころじゃなかったな」

「それも大変そうですね」


 千尋は笑ってから、椅子ごと暖房の方へ向き直った。

 タマモはその前で丸くなっている。

 眠っているのかと思ったが、耳だけはこちらを向いていた。


「タマモさんは、クリスマス何かするんですか?」


 耳が起きた。

 顔も上がる。


「昨夜、主様から少し聞いた」

「へえ」

「けえきを食べ、贈り物をする日なのであろう?」


 千尋は一瞬、田辺と顔を見合わせた。


「まあ、それもそうですけど」

「違うのか?」

「違わないです。違わないんですけど……」


 説明しようとすると、意外に難しい。

 宗教的な由来を説明したいわけではない。

 今の日本で、どう過ごされているかという話なら。


「家族で過ごす人も多いですね」


 田辺が先に言った。


「子供が小さいうちは特に。ケーキ食べて、プレゼント置いて」

「夕飯も、いつもよりちょっと豪華にしたりね。家族で一緒に食べるの」

「家族と」

「そうねえ。家族だったり、大切な人だったり。そういう人と一緒に過ごす日って感じかしら」


 千尋も頷く。


「日本だと、恋人同士で過ごすイメージも強いですよ」


 タマモが動きを止めた。

 一拍。


「……恋人とも、とな」

「はい」


 声はいつも通りだった。

 顔も、ほとんど変わっていない。

 だが、尾の先が床から少し持ち上がった。

 右の耳が、ほんのわずかに前を向く。


「ほう」


 もう一度、尾の先が動く。


「なるほどの」


 千尋は口元を押さえたくなった。

 かわいい。

 そう思ったことを、もちろん口には出さない。


「あらあら」


 田辺が言った。

 タマモがそちらを見る。


「何じゃ」

「なんでもないわよ」

「ならば、その顔は何じゃ」

「さあ?」


 田辺は完全に楽しんでいる。

 タマモは少しだけ目を細めた。

 けれど尾はまだ機嫌よく動いていた。

 本人が気づいているのかいないのか、千尋には分からない。


「主様と過ごすの?」


 田辺が尋ねる。

 タマモは少しも迷わなかった。


「当然であろう」


 その一言だけは、ひどく自然だった。

 電話が鳴った。

 空気が切り替わる。

 千尋は反射的に受話器を取った。


「はい、地方事務所です」


 相手は所轄の警察だった。

 担当者の声は、困っているというより、判断に迷っているようだった。


「……はい。除雪作業の方が?」


 千尋はメモを引き寄せる。

 宮坂も顔を上げた。

 暖房の前にいたタマモの耳がこちらを向く。


「閉まっている店舗に、人が入ったように見えた」


 千尋は復唱した。


「シャッターは下りたまま?」


 返ってきた答えを書き留める。


「はい。……もう一件?」


 今度は少し離れた場所。

 雪かきをしていた住民が、人影を見た。

 その人影は道路脇の塀へ向かって歩き、そのまま見えなくなったという。

 どちらも、吹雪の最中だった。

 本人たちも見間違いだと思っている。

 事件性があるとも言い切れない。

 だが、同じような話が近い時間帯に二件重なったため、念のため共有しておきたい――という連絡だった。


「分かりました。こちらで一度確認します」


 受話器を置く。

 事務所が静かになった。


「見間違い、ですかね」


 千尋が言う。

 宮坂はすぐには答えなかった。


「吹雪なら、あり得る」

「ですよね」

「二件とも、妙な見え方をしただけって可能性もある」


 田辺がメモを覗き込む。


「これ、旧商店街の方?」

「はい」

「今ほとんど閉まってるところね」


 千尋は上着を手に取った。


「とりあえず見てきます」

「一人で?」


 宮坂の問いに、千尋は空いた机を一度見た。

 修司はいない。

 だが、まだこれは応援を呼ぶような話でもない。


「現場を見るだけです。何かあったら連絡します」


 そう答えると、暖房の前から声がした。


「妾も行こう」


 千尋は振り返った。

 タマモが立ち上がり、伸びをしている。


「相談は終わったんじゃ?」

「終わった」

「小さい妖たちは?」

「まだ日がある。移すのは午後でも間に合う」


 タマモは何でもないことのように言った。


「それに」


 三毛猫の目が、千尋の持つメモへ向く。


「閉じた店へ入る人、というのは少々気になる」


 外では、雪がさらに強くなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。