第三章 相談は日暮れまで
その後、訪ねてくる者が増えた。
塀の上を通る順番でもめた者。
人間の置いた鉢を、自分の居場所だと言い張る者。
夜更けの声がうるさく、眠れぬという者。
妾は猫の姿で裏手へ出て、話を聞いた。
灰尾は、なぜか一緒についてくることが多かった。
「こいつが、話を聞いてほしいって」
「お主は案内役になったのか」
「一人で行くのは怖えって言うからよ」
そう言った当人が、妾と目を合わせなかった。
何も、来る者すべてを押さえつけるつもりはない。
話せば済むことの方が、よほど多い。
ただ、話す前から相手へ飛びかかろうとする者はいる。
そういう場合には、その者の影を地へ縫い留めた。
足が動かぬと気づいた者は、まず妾を見る。
そこで「話が終わるまで待て」と告げれば、大抵はうなずく。
落ち着いたところで術を解き、改めて言い分を聞くのである。
*
ある午後、灰尾は小さな雀を連れてきた。
灰尾が塀へ飛び乗ると、その後ろに、雀によく似た妖が降りた。
妾を見るなり、灰尾の背中の陰へ身を寄せてしまう。
「食わねえから、出てこい」
「それは妾が言うことであろう」
灰尾が、困った顔をした。
妾は塀から少し離れて座る。
「食べぬ。何を困っておるのか、聞かせよ」
小さな頭が、そろそろと出てきた。
「小羽っていうんだ。前に住んでた軒が、塞がっちまってな」
灰尾に促され、小羽は塀の上へ戻った。
「板が、新しくなってた。入るところが、もうなくて」
「人間が直したのか」
「うん」
妾たちの住処も、誰かが直してくださった家である。
その仕事に文句をつけるわけにもゆかぬ。
「今は、どこにおる」
「その日で、違う」
小羽の足が、塀の縁をつかみ直した。
妾が尾を動かすと、また少し身を引く。
「灰尾。雨をしのげる場所に、心当たりはないか」
「二つばかり。けど、先に使ってる奴がいるかもしれねえ」
「ならば、まず聞いてくるのじゃ。空いて見えるからと、勝手に決めてはならぬ」
「分かってるよ」
小羽は、灰尾と妾を交互に見た。
「軒貸しさんにも、聞いてみようかと思ってた」
「軒貸し?」
妾が尋ねると、灰尾がうなずいた。
「住む先を紹介してる奴だ。空きを知ってることはある」
「ほう。ほかにも聞ける者がおるのか」
それならば、選べる先も増えよう。
「まずは、今夜の分じゃ。長く住める先は、その後で確かめればよい」
小羽は、小さなくちばしを一度だけ開いた。
「……ありがとう」
夕方までには、物置の屋根の下へ、ひとまず身を寄せられることになった。
先にいた者へ話が通ったと、灰尾が知らせに来る。
「今夜は大丈夫だとよ」
「そうか。小羽にも、無理をせずにおれと伝えよ」
次には、妾が主様をお迎えする番である。
*
ある日、相談に来た者たちが帰った後、灰尾がこちらを見ながら言った。
「お前、もうちょっと、見た目で分かるようにはできねえのか」
「何が」
「そんだけの力があるってことだよ。初めて来る奴には、ただの若い三毛にしか見えねえんだ」
確かに、いちいち驚かれていては話が進まぬ。
妾は辺りを確かめた。
物置に遮られた裏手には、人の目もない。
「こうか」
妾は立ち上がる代わりに、姿を変えた。
大人の女の身体に、猫の耳と尾を残す。
長い髪を結い上げ、艶やかな柄の着物をまとった。袖をゆったりと垂らし、帯も目を引く形に整える。
手首には、例の革の輪が収まっている。
妾の知る妖の姿と、花魁の装いをもとに、こうあればよかろうと組み立てた姿である。
力を強める必要はない。
これまで猫の身体に収めていたものを、相手が見て察しやすい形で示せばよい。
灰尾が、下から上まで妾を見た。
「……なるほどな」
「これならば、少しは落ち着いて話を聞けよう」
「だが、ずいぶん着飾るんだな」
「威厳が要るのであろう?」
灰尾は何か言いたそうに、妾の袖と帯を見比べた。
妾は、その視線に気づかぬふりをした。
威厳は要る。
だが、それだけのために姿を選ぶとも限るまい。
袖を持ち上げ、手首の飾りを確かめる。
この装いならば、主様も少しは、妾を女として意識してくださるであろうか。
美しいと。
できれば、そのように。
「おい」
「何か」
「何で急に、にやけてんだ」
……見られておったか。
どうやら、思っていたことが顔に出ていたらしい。
妾は何事もなかった顔を作り、持ち上げていた袖を静かに下ろした。
「本日の相談は、もうないのであろうな」
「……ああ」
ならば、終いである。
以後、相手や場所によっては、その姿を使うこともあった。
普段の話なら、三毛猫のままで十分である。
相談の長くなりそうな日は、早めに断った。
「今日は、もう終いである」
「まだこっちの話が」
「主様がお帰りになる」
相手は家の方を見た。
灰尾が、横から小さく首を振った。
「……明日でいい」
物分かりがよくて、助かる。
その夜も、現代の服をまとった大人の女の姿で、主様のおそばへ戻った。
主様はパソコンの前で、何かを確かめておられた。
同じ操作を繰り返し、手元の紙へ書き込む。
「七十二……うん。ここだね」
ようやく止まった指先を見て、妾は隣へ椅子を寄せた。
「お仕事でございますか」
「ちょっとバグの確認。見つけた条件でちゃんと再現するか、試しておきたいからね」
「もう、お分かりなのでは?」
「うん。でも、やってみたいんだ」
そうおっしゃる顔が、少し楽しそうだった。
ならば、お止めする理由はない。
妾は待つことにした。
しばらくして、主様が肩をすくめた。
「タマちゃん、くすぐったい」
いつの間にか、上体を寄せ、その肩口へ頬をすりつけていた。
「……失礼いたしました」
「そこ、気に入ったの?」
「はい。たいへん」
主様の手が、妾の髪を撫でる。
猫の姿であっても、この姿であっても、主様の手は優しい。
そのことは、うれしい。
けれど、たまには。
この姿でいる意味にも、少しばかりお気づきいただければ。
「眠い?」
妾は目を上げた。
「……もうしばらく、こうしていても?」
「いいよ」
主様は再び画面へ向き直られた。
その横顔を見ているうちに、口にしかけた言葉は、ひとまず胸の内へ収まった。
今日は、このままでよい。
*
その頃、街の別の一室では、二人の調査員が記録を確認していた。
「この周辺からの報告、ここ最近、少なくなってますね」
後輩の女性が、画面の一部を指した。
先輩の男性は、示された日付と区域を順に見る。
「受け付ける先が変わったという話は?」
「今のところは、聞いていません」
「そちらも確認しよう。巡回は予定どおりで」
女性はうなずき、次の記録を開いた。
「空間の揺れについては、観測地点が二つ追加されています」
男性は、机に広げた地図へ目を落とした。
道路や川に沿って、小さな印が散らばっている。
「前から見ている場所は?」
「目立った変化はありません」
「では、同じ条件で見ていこう。新しい二か所も回る」
女性が、翌日の予定を書き足した。
少なくなった報告の数とは裏腹に、二人の巡回先は増えていた。




