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猫とボクと普通(?)の日々  作者: zaq2
第一部:タマモ
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第二章 水の流れと洗濯物

 三日後。

 妾が猫の姿で住処の周りを見回っていると、物置の陰から低い声がした。


「おい」


 振り向けば、灰尾がこちらをうかがっている。

 先日のような喧嘩腰ではなく、今度は声まで潜めていた。


「名で呼べ」

「……タマモ」

「何用か」

「ちょっと、来てくれ」


 妾はその後についていった。


 水路のそばで、苔むした石が怒っていた。

 よく見ると、石から小さな老人の上半身が浮き出ている。身体の輪郭は濡れたように光り、喋るたび、顎から水滴が落ちた。

 この土地の水から生じた精霊であった。

 水路の流れに棲み、そこにある石を依り代としているらしい。

 その水の翁が、灰尾へ向かってしきりに文句を言っている。


「こやつが塞いだんじゃ! わしのところへ、水が来ぬ!」

「だから、俺の寝床が水浸しになるんだよ!」

「それで下を干上がらせてよい道理があるか!」


 妾は二者の間へ座った。


「順に話せ」

「こいつが」

「こやつが」

「順に、と申した」


 尾を一度、地へ打った。

 それに合わせ、抑えていた妖気をひと息だけ広げる。

 水面に細かな輪が走った。

 灰尾の耳がぴたりと伏せられ、水の翁も言葉の途中で石へ半ば身を引っ込めた。

 二者の目が、揃って妾に向く。

 そこで妖気を収めた。


「まずは灰尾から。その後、翁の話を聞く。よいな」


 灰尾はうなずき、翁も石の中から顎を引いた。


 聞けば、先日の雨以来、灰尾の寝床へ水が流れ込むようになったらしい。

 そこで灰尾が流れを石で塞ぎ、下流にいる翁のところへ、水が届かなくなったという。


「昔から、こんな流れじゃなかった」

「昔から、わしのところには水が来ておった」


 どちらも、以前とは違うと言っている。


 妾は水路を見た。

 少し上流まで歩き、草の下へ鼻先を寄せる。

 枯れ枝と落ち葉が、本来の水の通り道に引っかかっていた。

 その手前で溢れた水が、灰尾の寝床の方へ向かっている。


「灰尾」

「何だ」

「こちらを見よ」


 灰尾が草をかき分け、詰まった枝葉をのぞいた。


「……こんなもの、あったか」

「雨で流れてきたのであろう。これを取り除く。その後で、お主の置いた石をどけよ」

「ああ」


 妾の足元から、影を細く伸ばした。

 影は絡まった枝葉の下へ潜り込み、そのまま水路の外へ持ち上げる。

 枝葉を移すにつれ、水が音を変えた。

 灰尾も、自分の置いた石をどけた。

 流れが下流へ戻ってゆく。

 妾は猫の姿のまま岸を歩き、灰尾の寝床へ水が溢れなくなったのを確かめた。

 翁が石から身体を起こす。

 乾きかけていた苔に、水の色が戻った。


「来た。来たぞ」

「……ああ、こっちも濡れねえ」


 灰尾と翁は、顔を見合わせた。

 先ほどまでの勢いで怒鳴る者は、もういなかった。


「次からは、塞ぐ前に話をせよ」

「こいつが聞かねえんだ」

「こやつが怒鳴るからじゃ」


 妾は二者を順に見た。


「今は聞けたであろう」


 灰尾は、岸へ寄せた枯れ枝を見た。

 翁は自分の周りを流れる水へ目を落とした。


「……まあ」

「そうじゃな」


 不承不承ではあるが、うなずいた。

 今度は、力を使う必要もなかった。


 これで済んだ。

 帰って、洗濯物を取り込まねばならぬ。

 そう思って歩き出すと、翁が呼び止めた。


「礼をせねば」

「要らぬ。住処の近くで騒がれては、落ち着かぬのでな」


 灰尾が、妙な顔をした。


「本当に、あの人間の家のためだけか」

「ほかに何がある?」


 答えると、灰尾は妾を見て、それから家のある方を見た。

 何か言いたそうではあったが、今度はただ首を振った。


 妾は帰宅し、人の姿に変わった。

 洗面所で手を洗い、袖をまくってから、二階のベランダへ向かう。

 洗濯物は、よく乾いていた。

 一枚ずつ取り込み、部屋の中で畳んでいると、カブの音が聞こえた。

 妾は畳み終えたタオルを抱え、人の姿のまま階段を下りた。


「お帰りなさいませ」

「ただいま。あ、洗濯物、ありがとう」

「この程度でしたら」


 主様は妾の腕にあるタオルを見て、笑われた。


「助かるよ。留守の間も、家のことをやってくれてるんだね」


 胸が温かくなる。


「はい」


 家のこと。

 そうである。


 水の流れも、灰尾の寝床も、帰宅される主様のお耳に入る騒ぎも。

 整えておけば、主様はいつもどおり暮らせる。

 このまま続けてよいのだと、妾は受け取った。

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