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猫とボクと普通(?)の日々  作者: zaq2
第三部 灰色の猫
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第十章 盾と目と矛

 最初に消えたのは、顔だった。

 灰尾に似せていた輪郭が崩れる。

 鼻先が短くなる。

 顎が前へ張り出す。

 耳が横へ広がり、そのまま薄く沈む。

 猫の形に整えるために使っていたものを、全部別の用途へ回している。

 前脚は左右で形が分かれた。

 片方は長く、細く。

 もう片方は太く、短く。

 後ろ脚も同じではない。

 片方は長くしなやかに伸びる。

 跳ぶため。

 もう片方は太く沈み、地面を捉える。

 踏ん張るため。

 二本あった尾が根元から寄る。

 境目が消え、一本の細い尾になる。

 鞭のように伸びる。


「……気持ち悪ぃな」


 灰尾が言った。


「感想言ってる場合ですか!」


 千尋の声が飛ぶ。


「右!」


 灰尾が跳ぶ。

 直後。

 地面が砕けた。


「上!」


 尾が振り下ろされる。


「修司!」

「ああ!」


 半透明の壁が立つ。

 尾が結界へ叩きつけられる。

 重い音。

 修司の靴が地面を滑った。


「ぐっ……!」

「持つか!」

「一発ならな!」

「次、左から!」


 千尋。

 修司が結界をずらす。

 太い前脚が当たる。

 ひびのような光。


「二発目!」

「分かってる!」


 灰尾はその間、攻撃しない。

 見る。

 相手が形を変えるたび。

 タマモが、あの一点の位置だけを短く告げる。


「左前」


 脚が細くなる。

 そこにあった力も位置を変える。


「腹側」


 さらに身体が動く。


「右肩」


 灰尾の目が細くなる。

 位置は動く。

 だが。

 形の変化と一緒に見れば、癖がある。


「タマモ」

「なんじゃ」

「もう一回」

「胸の下」


 シェイプシフターが跳ぶ。


「正面!」


 千尋。

 修司が受ける。

 灰尾は結界の後ろで見る。

 胸の下にあった一点が、変形とともにまたずれる。

 その動きを追う。


「……分かった」

「灰尾さん?」

「もういい」


 タマモが一瞬だけ目を細める。


「追えるか」

「ああ」


 灰尾は妖力を前脚へ集め始める。

 今までなら。

 避けるためにも力を使う。

 周りを見るためにも使う。

 逃げ道を考えるためにも使う。

 全部、自分でやる。

 今は。


「右上! 次、正面!」


 千尋が見る。


「来い!」


 修司が守る。


「そちらは通さぬぞ」


 タマモが逃げ道を消す。

 なら。

 灰尾がやることは、一つだけだった。

 刺す。

 妖力を前脚へ集める。

 いつもなら全身へ薄く回す力まで。

 脚へ。

 爪へ。

 一点へ。

 周囲の音が遠くなる。


「灰尾さん!」


 千尋の声。


「右!」


 回り込んだ攻撃が来る。

 灰尾は動かない。


「先輩!」

「分かってる!」


 修司が身体ごと位置をずらす。

 結界が割り込む。

 攻撃が弾ける。

 修司の膝が沈んだ。


「ぐ……っ!」


 灰尾は振り向かない。


「そこは任せた」

「任された!」


 修司が吠える。

 千尋の式神が一体、叩き落とされる。


「残り三!」

「足りる!」


 シェイプシフターは逃げようとする。

 石垣。

 塞がれる。

 倉庫。

 塞がれる。

 上。

 塞がれる。

 排水。

 塞がれる。

 タマモは一歩も攻撃へ出ない。

 ただ、逃走先だけを奪い続ける。


「……もう分かったじゃろ」


 タマモが静かに言った。


「どこへ行っても、妾がおるぞ」


 獣の目が動く。

 灰尾。

 修司。

 千尋。

 タマモ。

 逃げられない。

 シェイプシフターの身体が、大きく歪んだ。


「来ます!」


 千尋が叫ぶ。

 胴が縮む。

 後ろ脚が太くなる。

 両前脚が長くなる。

 末端が尖る。

 頭部の輪郭も崩れる。

 顔らしいものがなくなっていく。

 それでも。

 目だけが残った。

 猫のような。

 縦に細い瞳。


「全部、攻撃に回してる……」


 千尋が呟く。


「最後だな」


 灰尾は前脚へ力を集める。

 シェイプシフターが地面を蹴る。


「正面!」


 千尋。


「来い!」


 修司。

 結界へ。

 衝突。


「――っ!」


 修司の結界が沈む。

 一枚。

 砕ける。

 二枚目。

 ひび。

 三枚目。


「修司!」

「まだだ!」


 シェイプシフターがさらに押す。

 体中の力を前へ。

 その瞬間。

 灰尾には分かった。

 右の胸奥。

 形が変わるたび、タマモの言葉と相手の変形を重ねて追ってきた一点が、そこへ移る。

 筋肉も。

 骨らしきものも。

 力の流れも。

 全部動いている。

 だが。

 そこだけ。

 強さが変わらない。

 灰尾が地面を蹴った。

 修司の結界の横を抜ける。

 シェイプシフターがこちらを見る。

 遅い。

 爪を振る。

 一撃。

 そこだけへ。


「――そこだ」


 手応えがあった。

 硬いもの。

 爪先が、その表面へ食い込む。

 灰尾は迷わず、集めた妖力をそこへ叩き込んだ。

 内部を巡っていた何かが、ぷつりと途切れる。

 シェイプシフターの動きが止まった。

 ほんの一瞬。

 それから。

 全身が崩れ始めた。

 力が抜けたのではない。

 形そのものが維持できなくなっていく。

 長く伸びていた脚が潰れる。

 厚くなっていた部分が崩れる。

 毛が。

 皮膚が。

 肉が。

 乾いた灰のような粒へ変わっていく。


「下がれ!」


 修司が叫ぶ。

 四人が距離を取る。

 崩壊は数秒で終わった。


 千尋が真っ先に修司を見る。


「先輩、大丈夫ですか」

「後で見ろ。今は現場だ」

「それ、大丈夫な人の返事じゃないです」


 灰尾も一度だけ修司を見た。

 立っている。

 それで十分だった。

 任せた場所は、最後まで守られた。


 地面には。

 灰色の粉。

 その中央に。

 小さなものが残っていた。

 石。

 いや。

 結晶。

 親指ほどの大きさ。

 濁った透明。

 内部に細い筋のような模様が走っている。

 タマモが近づく。


「触るな」


 修司が止める。


「分かっておる」


 タマモは顔を寄せるだけにした。

 そして。


「……なるほど」

「何だ」


 灰尾が聞く。


「これであったか」

「分かるのか?」

「先ほどまで感じておったものと同じじゃ」


 タマモの尾が止まる。


「あやつの中で、どこへ移ろうと変わらなかったもの」


 千尋が結晶を見る。


「これが……」

「何かは分からぬ」


 タマモは言った。


「じゃが」


 灰尾を見る。


「お主が刺したのは、間違いなくこれじゃ」


 灰尾は前脚を見る。

 爪の先。

 灰が少し付いている。


「そうか」


 それだけ言った。

 終わった。

 怒りはない。

 達成感も、それほどない。

 相手は悪党ではなかった。

 ただ。

 この街では、生き方が噛み合わなかった。

 灰尾は、灰の残った地面をしばらく見ていた。

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